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文化ののぞき穴

第10回 ベトナム映画「子を背負う父」を観て

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051460

2019年9月

(4,318字)

この映画を色でもし表現するとしたら、中心にある柔らかな肌色を、深い緑と土色が守り、時に様相を変える空色がそれを覆っているという感じだろうか1。  

ベトナム映画「子を背負う父(Cha cõng con)」(ルオン・ディン・ズン監督2、2017年)は、2018年4月下旬にイランのテヘランで開催された第36回イラン国際映画祭でベストアジアフィルム(Best Asian Film)に選ばれた3。同映画祭審査委員会委員長を務めたのは、アメリカのオリバー・ストーン監督であった。

「子を背負う父」は、ベトナムの東北地方(山岳地域)に暮らす漁師の父と子の故郷での日常と、息子が病院で治療を受けることになった後の都会での日々を描いた映画である。同映画について、映画祭審査員の一人は、「シンプルで説得力に溢れている」4と評している。なお脚本は、ブーイ・キム・クイ5とルオン・ディン・ズン監督の脚本を読んで感動したというアメリカの脚本家ピラー・アレッサンドラ6が、無償で編集を行った。

ストーリー

映画のストーリーを少し紹介したい。

深い緑に覆われた山の合間を土色の川が流れている。父子は、その川の畔に建てられた木造りの家で暮らしている。妻であり母である女性は既にこの世にない。

ゴー・テェー・クアン(後述)が演じる父親のモックは漁師。小さな木造の手漕ぎ船で川に出て、投網で魚を獲って暮らしを支えている。ド・チョン・タン(後述)が演じる一人息子を、彼はカーと呼んでいた7。映画の序盤、家族の生業を紹介するように、モックが移動販売船でやってきた商売人に獲った魚を3万8000ドンで売り、3万ドンで少し大きめの黄色のセーターをカーに買う場面がある。その時カーは、一羽の小鳥を手に入れた。  

夜中、カーは鳥の巣を探すため、モックに黙って家を出て、叢に覆われた山肌を一人彷徨う。やがて疲れてカーは眠ってしまい、降り続いた雨でずぶ濡れになってしまう。夜が白み、横たわる彼の視界に入ったのは、草の額縁が捉えた空を横切る飛行機だった。彼はそれを「鉄の鳥(chim sắt)」と認識していた。  

目が覚めて、カーがいないことに気づいたモックは、そのまま家を出て、辺りを探し回り、カーを見つける。2人は家に戻った。

雨が降り続いた。彼らの木造りの家は雨漏りし始める。モックとカーは、荷物を整理し、山道をしばらく登った地点にある木造家屋に移動する。その家屋に集まってきた他の家族らと共に、切り出してきた竹などで家屋の修復を行い、大勢での共同生活が始まる。なかには、ハー・ヴァン・ヒュウ(後述)の演じる、子どもたちが慕う目の不自由な巨躯の青年もいた。カーと子どもたちは、青年を囲んで話を聞くのを楽しみにしていた。カーの心に残り続ける、天まで届きそうな建物がある煌めく都市の話は、彼から聞いたものだった。母の居場所として、カーは「天」を意識していたのではなかろうか。  

雨の時期が過ぎ去り、2人は家に戻る。しかし、カーの体調が思わしくない。モックはカーを都会の病院に連れて行くことを決意する。船を漕ぎ、バスに乗り継いで、大都市の病院に向かう。病院に辿り着いた2人は、身分証明書、医療保険証も持っていなかった。しかし、病院側の配慮で、カーは診察を受けることになる。診断の結果は、急性白血病であった。暫定的にカーが入院した部屋には、同じ病の子どもたちがいた。カーは、ミットと呼ばれる少年と仲良くなる。ミットの両親は既に亡くなり、祖父がミットの世話をしていた。

ある日、カーが故郷から連れて来て、モックが病院の庭で世話をしていた小鳥を、ミットの祖父が絞めて調理してしまう。現場にいたモックは怒ってやめさせようとしたが、ミットに食べさせたいと泣きながら懇願する祖父を止めることができなかった。間もなく、そのミットも亡くなる。大都会での不安定な闘病生活の中で、父子の頭に浮かぶのは、山があり、川が流れる故郷の情景だった。

ほどなく、病院側からこれ以上カーをケアし続けることはできないとモックは告げられる。必要な額は、8億ドン(本稿執筆時のレートで約386万円)。桁が大きすぎて、実感を持って金額を捉えることができないモックは、会計担当者に「魚一匹5000ドンだけど、何匹とればいいんだい」と尋ねる。電卓をはじいた会計担当者は、「16万匹」と答えた。

病院を出た2人は、カーが仲間たちと病室からよく眺めていた高層ビルに向かう。カーは、窓越しに見えるこの高層ビルを、かつて故郷で目の不自由な青年から聞いた、天にも届かんとする建物と重ねてイメージしていた。

高層ビルに辿り着き、中に入ろうとする2人の前に守衛が立ちはだかる。そこに病院で親切にしてくれた看護婦がやって来る。ミットの祖父から2人にと託された自転車を届けに来たのだ。

看護婦が守衛に事情を説明し、守衛の配慮で2人は建物内に入る。ドアを開けて目の前にあったのは、終点の見えない階段だった……。

写真:撮影で使用されたホーチミン市のビテクスコ フィナンシャルタワー。

撮影で使用されたホーチミン市のビテクスコ フィナンシャルタワー。
出演者に求められたもの

父親のモックを演じたのは、ゴー・テェー・クアン。かつてホー・クアン・ミン監督の「はるか遠い日(Thời xa vắng)」(2003年)で主役を演じた。ゴー・クアン・ハーイ監督の「モン族の少女 パオの物語(Chuyện của Pao)」(2006年)に出演した後、映画から遠ざかっていた。「私はプロの俳優ではない」8と語るクアンは、普段、編集デザインに従事し、東洋医学専門家としての顔も持つ。

モックの子カー役を演じたド・チョン・タンは、ルオン・ディン・ズン監督がイエンバーイ省、ライチャウ省、ゲアン省、ホアビン省、ターイビン省、ターイグエン省、タインホア省などに暮らす数百人の子どもたちの中から見出した。タンは、フートォ省ヴィエッチーにある孤児や家族のケアを受けられない子どもたちへの支援・養育活動を行うSOS子ども村9で暮らしていた。故郷のシーンで出演したその他の4人の子役もSOS子ども村の子どもたちである。そして、病院でのシーンに出演した子どもたちのうち2人は、実際の患者であった。撮影開始前、クアンとタンは、撮影地ハーザン省で約1カ月共に過ごした。  

都会で事故に遭った過去を持ち、天にも届きそうな建物がある煌めく都市の話を、カーたちに語る目の不自由な青年を演じたのは、ハー・ヴァン・ヒュウ。ヒュウは、身長192センチ、体重125キロの巨躯を持ち、東南アジア競技大会(SEA Games)のレスリングで金メダルを獲得したアスリートである。  

ルオン・ディン・ズン監督は、プロの俳優を選ぶことを求めてはいないとの趣旨の説明をしており、出演者に対して、演技というよりも、役そのものを生きることを求めていたのではないかと思われる。

厳しい撮影環境

故郷での暮らしを描く山岳地域での撮影は、東北地方のハーザン省とトゥエンクアン省、都市部での撮影は、紅河デルタ地方に位置する首都ハノイと南部東方地方に位置する経済都市ホーチミン市で行われた。撮影監督は、ベテランのリー・ターイ・ズン10が務めた。亜熱帯性気候の東北地方における撮影では、雨、洪水シーンの撮影が予定されていた。そのため、雨が最も多い7月、8月に撮影が行われた。暮らしの背景となる自然の映像に満足できず、撮影を一通り終えた後、撮影クルーはハーザン省に3度戻り撮影を行った。父親のモックを演じたゴー・テェー・クアンは、毎日山に登り、撮影終了後下山するという日々が続き、朝通ることが出来た箇所が夜には浸水しているといった過酷な撮影現場の状況を、エピソードとして紹介している。もし撮影があと2日延びていたら、深刻な洪水に巻き込まれていたという。結局撮影は、予定日数の2倍の約80日に及び、製作費は180億ドン(約8400万円)に上った11

撮影終了後、映画の完成までさらに1年余りかかっている。その背景の一つには、映画音楽の作曲を韓国の李東峻(Lee Dong-june)に依頼したことがある。李東峻は、日本映画「イン・ザ・ヒーロー」(武正晴監督、唐沢寿明主演、2014年)の音楽を担当した韓国の映画音楽作曲家であり、2カ月かけて「子を背負う父」の楽曲を完成させた。穏やかな滋味を含む李東峻のメロディーは、力強く映画を支えている。

おわりに

ベトナムでは、西暦2000年以降毎年5%を超える経済成長が続いている。しかし、例えば映画「子を背負う父」で都市部の撮影が行われたハノイ市、ホーチミン市と、山岳地域の撮影が行われたハーザン省における一人当たり1カ月収入(2016年)を比較した場合、ハノイ市はハーザン省の約2.7倍、ホーチミン市で約4.1倍となっている12。また、高い医療レベルを持つ大病院は大都市に集まる傾向があり、そうした病院の過重負担が問題となっている13。そして、家族14、隣近所、コミュニティの構成員に対する保護・ケア機能の低下が指摘されており15、児童虐待16など、さまざまな社会問題に直面している。

この映画に悪役は登場しない。しかし、ひたむきに生きる父子の日々を淡々と描くことで、人々が自身の力では変えられようもない、ベトナムの社会状況の厳しい側面も浮かび上がらせている。カーとモックは、父と子の、そして天にいる妻であり母である女性との「絆」に支えられた素朴な精神力で、静かに困難と向き合う。経済的には貧しくとも、彼らの人生を貧しいなどと感じないのはなぜだろう。

写真の出典
  • 筆者撮影
著者プロフィール

寺本実(てらもとみのる)。アジア経済研究所地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ。専門はベトナム地域研究。主な編著に、『現代ベトナムの国家と社会――人々と国の関係性が生み出す〈ドイモイ〉のダイナミズム』明石書店2011年。主な著作に、「ベトナムの枯葉剤被災者扶助制度と被災者の生活――中部クアンチ省における事例調査に基づく一考察――」(論文『アジア経済』第53巻第1号、2012年1月)、「ベトナムの障害者の生計に関する一考察――タインホア省における、取り巻く環境との関係性に関する事例研究を通して――」(研究ノート『アジア経済』第54巻第3号、2013年9月)、"Vietnamese Families and the Lives of Family Members with Disabilities: A Case Study in a Commune of the Red River Delta." IDE Discussion Paper, No.720, 2018など。


  1. ストーリーを除く本映画に直接関わる諸情報については、特に記さない限り、Nhân Dân(人民)、Tiên Phong(先鋒)、 Thanh Niên(青年)、 tin tức(ニュース)、VnExpress、 Zing.vn、 Soha、Thế giới điện ảnh(映画の世界)といった、ベトナムのウェブサイトに掲載された諸情報にもとづいて記す。なお、発言の一部を引用した箇所については、注で当該URLにリンクを張った。
  2. 1973年生まれ。詩や物語の作成からキャリアを開始。この映画は彼が書いた小話が下地になっている。映画作りを本格的に学ぶ前に、金採掘、メカニック、荷役作業者などさまざまな人生経験を積んだという。
  3. この受賞に先立ち、2017年にアメリカのアリゾナ映画祭で最優秀外国映画賞、最優秀撮影賞、ボストン国際映画祭でIndie Spirit Best Story Line Award、ミラノ国際映画祭で最優秀撮影賞を受賞している。
  4. Sohaサイトにアクセス。
  5. 1983年生まれ。2011年の香港映画祭で最優秀脚本賞を受賞するなど、ベトナムの新進気鋭の女流脚本家、映画監督
  6. アメリカでOn the Pageという脚本・台本の執筆などを指導する教室を運営。ベトナム含め、世界各地での指導も行っている。
  7. ベトナム語で「カー(Cá)」は、「魚」の意。
  8. Thanh Niênサイトにアクセス。
  9. SOSは、オーストリアの慈善家ヘルマン・グマイナー(1919-1986年)により設立された、困難な環境にある子どもの支援を目的とする国際NGO。ベトナムにおいては、1987年に労働・傷病兵・社会問題省と協定を結び、活動を行ってきた。ベトナムの北部、中部、南部に施設を設置し、孤児、親に育児放棄された子ども、特別困難な状況下にある子どもたちのケア、養育、教育活動を行っている。6~10人の子どもを母親役の女性がケアし、「家族」として生活するというアプローチをとっていることに特徴があるという。
  10. 1964年生まれ。ベトナムを代表する映画撮影家。長年の功績により、2016年に国から人民芸術家(nghệ sĩ nhân dân)の称号を贈られている。
  11. この映画は独立映画であり、特別なスターが出演などしていない映画としては、ベトナムでは高額の製作費だという。
  12. Tổng cục thống kê(統計総局)2017. Niên giám thống kê 2016(2016年統計年鑑). Nhà suất bản thống kê(統計出版社): 776, 778.
  13. ベトナムでは2008年に医療保険法が制定され、医療保険の普及への取り組みが続けられている。2019年6月までに国民の89.6%が医療保険制度に参加している。6歳未満の子どもには無償で医療保険証が発行されることになっており、もしカーが6歳未満であったならば、手続きさえすれば、医療保険証を所持できていたはずである。
  14. 現在、ベトナムの家族については、出生数の低下、規模の縮小、構成員に対する教育・ケア機能の低下など、さまざまな「変容」傾向が指摘されている(Nguyen Duc Chien 2017. "The Impact of Modernization on the Basic Functions of Traditional Vietnamese Family." In Minoru Teramoto,Nguyen Duc Chien,Misaki Iwai, Bui The Cuong 2017. The Vietnamese Family during the Period of Promoting Industrialization, Modernization and International Integration. IDE-JETRO).
  15. Đặng Nguyên Anh(ダン・グエン・アイン)2018. "Thực trạng và giải pháp chính sách đảm bảo an sinh xã hội cho gia đình hiện nay(現在における家族の社会保障を保全するための政策手段と実態)."Tạp chí Xã hội học(社会学ジャーナル)Số 2(142): 9.
  16. Nhân Dân(人民), 2018年8月17日付。
【連載目次】

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