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コラム

文化ののぞき穴

 
第3回 抹茶が結びつける日台の縁

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050442

2018年7月

多くの外国人観光客が近年日本を訪問している。彼らが購入するお土産の中で、抹茶が入っているお菓子などの食品が人気である。また、抹茶が入ったドリンクもコーヒーショップなどで人気を博している。こうした食品や飲料は日本人にも人気であり、日本ではかつてないほどの緑茶ブームが起きているともいわれている1。しかも、今回のブームは日本国内だけではなく、海外市場にも広がっているという意味でこれまでのブームとは違っている。例えば、2017年における日本産緑茶の海外への輸出状況を見てみると、4641.8トン、143.6億円であった2。10年前の2007年の輸出が1625トン、32.2億円であったことを比較すると、輸出量で2.9倍、輸出金額では4.5倍となり、急激に輸出が増えたことが理解できよう。

その緑茶の主要な輸出先のひとつが台湾である。背景として考えられるのは、台湾では普段の飲み物がお茶であること、2001年に台湾企業が日本産緑茶の茶葉を輸入して抽出したお茶をペットボトルで販売したところ人気が出たことなどが挙げられよう。また、1895年から50年間、台湾は日本の植民地であった。その植民地時代には台湾でも緑茶を製造していたという。日本が台湾の統治を開始した翌年の1896年には後の製茶試験場(1903年設置)の初代場長になる藤江勝太郎が緑茶の試験栽培をしたという記述がある(須賀、2018)。こうしたことから、台湾では緑茶を受け入れやすい状況であったということができよう。

それを裏付けるために、図を見ながら2000年以降の日本産緑茶の輸入状況について台湾の輸入統計から見てみよう。台湾では2013年以降急激に日本産緑茶の輸入量が増加している。2000年から2012年まででもっとも多い輸入量であったのが2007年の122トンであり、それ以外の年は100トンを超える年は全くなかった。しかしながら、2013年には266トンに急増し、2014年以後も増加を続け、2017年には1000トンを超える輸入量となった。

日本産緑茶の輸入状況(単位:トン)

図:日本産緑茶の輸入状況(単位:トン)

(出所)台湾財政部貿易統計より筆者作成。

この急激な緑茶の輸入拡大の要因として考えられるのは、2010年10月に日本の日本茶専門店が台北のデパートに抹茶スイーツ店を出店したことであると指摘されている(『朝日新聞』2017年4月22日)。この店の名前は「辻利茶舗」である。この店の本店は北九州市にある。この新聞記事を見たとき、ひとつの疑問がわいたのである。実は、この「辻利」という屋号は茶道をたしなんでいる人にとっては有名な日本茶(あるいは抹茶)専門店のひとつであり、本店は京都にあるはずなのに、北九州市が本店とは一体どういうことなのかという疑問である。また、記事にはこの店のルーツは1923年に開業した「辻利一本店」の小倉支店であり、戦後独立したと書かれている。

しかも、日本の植民地時代には台湾製緑茶の生産が行われていた以外にも、日本本土から専門店が台湾に進出していた。張(2007)を見ると、1899年9月21日に『臺灣日日新報』で掲載された「辻利茶舗」の広告が掲載されている。この辻利茶舗(辻利兵衛商店)は1899年5月に台北に支店を開設したものであり、植民地時代の辻利茶舗と2010年に台湾に進出した辻利茶舗は同じ店なのか、あるいは何らかの関係があるのか、という疑問がわいた。これに対するひとつの答えが1902年12月26日の広告である。この広告の中に三好徳三郎という名前が出てくる。この人物を調べていくと、意外なことがわかってくる。

この三好徳三郎は台湾で辻利の台北支店を開設するために24歳で訪台した日本人であり、初代支店長と位置付けられる人物であった。また、三好徳三郎は民間総督といわれ、台湾の政財界に大きく影響を与えた人物であったようである(このことについては、波形編(2002)で詳しく分析されている)。辻利(辻利兵衛商店)は彼の父である三好徳次郎とその兄である辻利右衛門(幼名:二代仙助、その後利兵衛、利右衛門と改名)が1860年に京都・宇治で開業した日本茶専門店である。この辻利は日本産緑茶を代表する玉露を開発した茶製造業者であり、販売業者であった。徳次郎は辻利が開業した後の1869年、22歳で京都宇治の茶農家であった三好家へ婿入りし、その後二代目当主となった。婿入り後も辻利の経営に大きく関与していたと考えられるという(波形編、2002)。父が辻利の経営に関係したことによって、その息子である三好徳三郎は台湾で茶業を発展させるために辻利茶舗台北支店を開業したと考えるのが妥当であろう3

植民地時代の辻利茶舗と北九州にある辻利茶舗との関係性を見ると、創業者である辻利右衛門は同じであるものの、現在では直接の関係はない。辻利という屋号を使用している日本茶専門店はいくつかあるが、これらはのれん分けや分家の独立などで設立されたものであり、創業者はすべて辻利右衛門となっている。辻利という屋号は使っているが、経営母体の点でいうと、それぞれが独立しているのが現状である。

台北支店を開設した三好徳三郎は1939年に台北で死去したが、この辻利台北支店は徳次郎が亡くなる前の1934年に息子である三好正雄に継承され、その後も台北で営業が続けられた。しかし、日本の敗戦によって、台湾に暮らしていた日本人は日本に引き上げる必要が出た。1946年3月に辻利台北支店は閉店という形になり、台湾から撤退したのである。その後、三好正雄はいとこである辻利一(辻利右衛門の孫)の協力を得て1948年1月に京都祇園で祇園辻利茶園を再開させた。この店は通常「祇園辻利」と呼ばれる。

祇園辻利は日本茶専門店であり、玉露や煎茶をはじめとする京都・宇治産の日本茶を扱っている。また、この店は多くの抹茶も取り扱っている。この抹茶の中には、茶道流派のトップである家元(あるいはそれに近い地位にいる宗匠)が好む抹茶も多く含まれている。その数を祇園辻利のウェブサイトから見ると、表千家5、裏千家10、武者小路千家2などとなっている。これら以外の抹茶も取り扱っており、その数は30を数える。そのため、茶道の世界で、あるいは茶道をたしなむ者にとっては、「辻利」といえばこの祇園辻利を指すのである。台湾で始まった辻利茶舗が戦後京都で祇園辻利となり、茶道で使われる抹茶を多く製造、販売しているのである。

この祇園辻利については、現在日本や海外で人気が出ている抹茶スイーツでも先駆的な役割を果たした。というのは、祇園辻利は今から40年前である1978年に茶寮都路里(つじり)を開店させ、抹茶アイスクリームやパフェなど今よく食べられている抹茶スイーツを日本茶専門店としてかなり早い段階から開発、販売してきたのである。今でこそ抹茶を使った食品や飲料は当たり前となっているが、この祇園辻利が開発した抹茶スイーツが広がって、今では日本で、世界で人気を博しているのである。

北九州市にある辻利茶舗の成功によって、台湾では台北を中心に抹茶スイーツを取り扱う店は増加している。辻利茶舗の進出前から一部の洋菓子店などでは抹茶を使ったスイーツを取り扱ってきた。また、辻利茶舗の成功で、台北では新たに抹茶スイーツを専門に扱う店がでてきている。その出店形態は日本で抹茶スイーツを全国展開している店が台湾に進出、あるいは地元資本で日本から抹茶を輸入して出店、さらには創業150年を超える宇治の老舗が出店している場合など様々である。そして、辻利茶舗を含めてほとんどは台湾で開業して10年に満たない店であり、その意味ではこの抹茶スイーツ店はまだまだ新しい業態のひとつといって良い。そのため、台湾に抹茶文化が本当に根付くかどうかは、まだわからない。

そうはいっても、抹茶文化は浸透しているようにも感じられる。近年では台湾の方々が多く日本へ旅行に来ている。その台湾人に来てもらうために、日本の多くの都市が積極的に台湾で紹介活動をしている。紹介活動のひとつに呈茶席を設けて抹茶を飲んでもらう機会もある。下の写真は2017年3月に大阪観光局と堺市観光コンベンション協会が台北郊外のアウトレットモールで観光紹介をするために呈茶席を設けたときの1枚である。その風景は日本と全く変わらないものであり、台湾では抹茶文化はすでに定着しているかもしれない。

写真:三井林口アウトレットモールでの呈茶席の様子

三井林口アウトレットモールでの呈茶席の様子(2017年3月18日)。
翌日も行われ、2日間で約300人に対して抹茶を振舞った(筆者撮影)。
戦前に開業した辻利茶舗台北支店が戦後京都で祇園辻利となって多くの抹茶を製造販売し、この祇園辻利から抹茶スイーツが生まれ、今では多くの人に親しまれるものになった。辻利茶舗台北支店は開店後2回ほど店舗を移転したが、最後の移転先の建物は残っていて今はスターバックスの店舗として使用され、そこでは抹茶を使った飲み物も提供されている。祇園辻利は台湾で現在のところ店を展開していないが、台湾で流行している抹茶スイーツなどの抹茶文化を考えるとき、日台の縁がこんなところにもあるのだと感じずにはいられない。

写真:台湾スターバックス重慶店

台湾スターバックス重慶店。この場所にかつて辻利茶舗台北支店があった。外見は当時のままという(Google Earth ©2018 Google)。
著者プロフィール

池上寬(いけがみひろし)。アジア経済研究所開発研究センター経済統合研究グループ長代理。専門は台湾経済、台湾を中心としたアジアの国際物流。いつか台湾茶の研究をしたいと目論んでいる。主な編著に『アジアの航空貨物輸送と空港』アジア経済研究所、2017年。

書籍:アジアの航空貨物輸送と空港

参考文献
  • 祇園辻利ウェブサイト(http://www.giontsujiri.co.jp)。
  • 須賀努(2018)「台湾茶の歴史を訪ねる 第七回 (7)日本統治時代 台湾にも緑茶があった?!」(『交流』vol. 927、6月、14-18ページ)。
  • 波形昭一編著(2002)『民間総督三好徳三郎と辻利茶舗』日本図書センター。
  • 謝國興ほか主編(2015)『茶苦來山人の逸話:三好德三郎的台灣記憶』台北、中央研究院臺灣史研究所。
  • 張宏庸(2007)『臺灣茶廣告百年』台北、遠足文化出版。

  1. お茶は発酵度合いによって、6種類の色に分類される。そのなかで発酵させていない茶(不発酵茶)は緑茶と呼ばれる。この緑茶には発酵を止める方法として、蒸す方法と釜炒りする方法の2つがある。日本で製造される緑茶はほとんど前者の方法で行われる。日本で製造される緑茶には主に煎茶、玉露(煎茶の中で最高級の品質をもつ)、抹茶、番茶などが含まれる。
  2. 輸出入統計品目番号(HSコード)では煎茶、抹茶といった分類はされておらず、緑茶には「発酵していないもので正味重量が3キログラム以下の直接包装したものに限る」と「その他の緑茶(発酵していないものに限る)」の2つしか分類がない。
  3. 三好徳三郎は手書きの詳細の記録『三好茶苦来山人の逸話』を残しており、それは波形編(2002)に収められている。また、手書き原稿、写真などの文書類は台湾側でデジタル化が進められ、台湾・中央研究院臺灣史研究所の臺灣史檔案資源系統で公開されている。また、謝國興ほか主編(2015)は手書き原稿を日本語と中国語で出版したものである。