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コラム

文化ののぞき穴

第14回 映画『ベトナムを懐う』を思う――TVニュースのある報道を知って――

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051906

2020年12月

(6,760字)

朝のテレビニュースでの「不適切表現」

南北ベトナムが戦ったベトナム戦争終結45周年を迎えた2020年、国営テレビのニュース番組で使用された「不適切表現」がベトナム国民の間で話題となった。8月17日(月)、ベトナム国営テレビ(VTV1)1 の朝の金融・ビジネスニュースにおいて、ベトナム南部ホーチミン市の路上で商品を売り歩く行商の人たちのことを「寄生虫」(ký sinh trùng)とアナウンサーが表現したのだ。報道の枠組み自体は、「新型コロナウイルス感染症により、これまで外国人観光客2 などで賑わってきたホーチミン市内の通りから人影が消えた。そのために収入源が奪われた行商の人たちは、どのように生きていくのだろうか」という、行商の人たちの生活を憂慮する観点からのものではあった。しかしながら、「元々これらの通りの寄生虫と見られている行商人」というような言葉を、ベトナム国営放送のなかでも中心的存在であるVTV1のニュース番組でアナウンサーが用いたことに、視聴者から多くの批判の声が巻き起こった。まだ若い同アナウンサーは、「不注意により、読み間違えてしまった」と自身のFacebook上で状況を説明するとともに、個人的に謝罪した3

VTV1は、8月19日(水)の朝、キャリアを積み、落ち着いた番組運びで定評のある同テレビアナンサーのトゥー・フォンを通じて、「編集過程と生放送上の不注意」により「(アナウンサーが)相応しくない、意に沿っていない」言葉を用いてしまったと説明し、謝罪を行った4 。詳しい真相は未だ明らかにされていない。

貧富格差の広がりと新型コロナウイルス感染症

ベトナムでは、1986年12月に開催された第6回ベトナム共産党大会で市場経済への移行を目指すドイモイ路線が採択されて以降、経済発展が基本的には順調に進み、今や都市部ではモダンな巨大建築物が建ち並ぶようになった。他方、不平等度を測る指標として用いられるジニ係数は0.4を超えており、同係数のスタンダードな解釈に従えば、貧富の格差がきつく、社会不安への懸念が残るレベルにある5 。ベトナム人口9648万4000人のうち、64.95%が農村部で暮らしているが(以上、いずれも2019年暫定値)、2017年には農村部のジニ係数が0.4を超えた6 。このような状況において、当局による取り締まりもあり、地方から出て来て路上で昔ながらの商いを営む人たちの居場所は、減少傾向にある。

そのうえ、2020年に入り、コロナ禍が起きた。外国人観光客も姿を消し、行商の人たちは貴重な収入源のひとつを失った。新型コロナウイルス感染症は人を介して感染する。そうである以上、不特定多数の人に声をかけ、直接向き合って仕事をする行商の人たちが感染していれば、感染拡大の要因になり得る。残念ながら、コロナ禍下では、どの国の行商の人たちも、社会の安全に対する「脅威」として誤って認識されかねない脆弱な立場に置かれてしまう。コロナ禍下で人々が感染への不安を抱え、余裕を失いがちの世相の下で、広い視野を保ちつつ冷静に物事について認識し、判断することは、さほど容易なことではないのかもしれない。

写真1 ホーチミン市内における行商の一風景(2015年2月18日)
写真1 ホーチミン市内における行商の一風景(2015年2月18日)
写真2 ハノイ市内で見かけた行商の女性(2017年12月19日)
写真2 ハノイ市内で見かけた行商の女性(2017年12月19日)
ふと頭に浮かんだベトナム映画

ベトナム赴任中だけでなく、ベトナムを訪れる度に、路上で働く人たちの姿に励まされてきた筆者は、この朝のニュースの一件について知り、ショックを受けた。そして、ある映画で描かれた祖父と孫娘のやりとりのシーンがふと頭に浮かんだ。その映画とは、グエン・クアン・ズン監督の『ベトナムを懐う』(2017)である7 。この映画の原タイトル『夜鼓懐郎(Dạ cổ hoài lang)』8 は、音楽家カオ・ヴァン・ラウ(1890-1976)により生み出された、ベトナムの南部を中心に親しまれている歌舞劇カイルオン9 における名歌の曲名であり、戦争に行った夫を偲ぶ妻の心情を歌ったものである10 。以下、少しだけストーリーを記してみたい。

1995年冬のニューヨーク

舞台は1995年冬のニューヨーク。本映画の主人公は、亡くなった妻ウットの遺した言葉に従い、ボートピープルとして国外に脱出した息子グエンの暮らすアメリカに移住してきた老人トゥーである11 。トゥーは一兵士としてベトナムで戦争を経験している12 。息子家族と離れて、養護ホームで暮らしていた。亡き妻ウットの命日を迎え、トゥーは法要のために養護ホームを抜け出して、息子グエンの家に帰る。トゥーが家に辿り着いた時、孫娘のタムは恋人ハリーと逢瀬の最中だった。ハリーの誕生日だったのだ。その家の壁には、ウットの写真が架けられていた。タムの名付け親は祖母のウットだった。タムの正式の名前であるミー・タム(Mỹ Tâm)は、「美しい心」を意味する。トゥーの息子グエンは仕事に出ていた。「自分の家」と思って帰宅したトゥーは、孫娘のタムに「もうあなたの家ではない」と言われてしまう。続いて、トゥーが公園で捕まえてきた鴨をめぐってひと悶着。「天の恵み」と理解するトゥーと、「違法行為であり、鴨を早く返さなければ」と考えるタム。育った国・社会、世代の異なる二人の間には、明らかに物事に対する認識にギャップがあった。

トゥーは、同じくアメリカで暮らすナムを家に呼ぶ。ナムはトゥーとウットの幼馴染で、かつてウットに思いを寄せていた。彼の両親がウットの両親に結婚を申し込み、結ばれることになっていたが、ウットがトゥーを好きなことを知って、身を引いたのだった。

トゥーは妻ウットの法要のため、黒色のベトナムの民族服に着替え、部屋に自身が白布に炭で描いた絵を飾った。故郷南部ベトナムの農村の風景だった。そして、タムが恋人のハリーのために作った誕生日ケーキをウットの遺影の前に供え、ろうそくに火をつけ、線香を立て、二人はウットの魂に語りかけた。ナムの求めに応じて、トゥーは「夜鼓懐郎(Dạ cổ hoài lang)」を歌う。その後冥銭13 に火をつけたところにタムが来る。驚き怒ったタムは、火がついた冥銭を水の入ったボールに投げ込み、ケーキも取り戻す。そしてトゥーの絵も床に引きずり落としてしまう。

彼女にとって、そのケーキはあくまでも恋人ハリーのために作ったものであり、彼女の祖母の命日のために作ったものではなかった。事ここに至れり、と判断したトゥーは、タムの本音を聞く覚悟を決める。タムは、父グエンと彼女の母親がトゥー夫婦への送金や、トゥーのアメリカ移住をめぐって喧嘩となり、離婚してしまったことなどを伝える。自室の部屋のドアを開けたまま寝てしまったタムにトゥーが毛布をかけたことでさえ、プライバシーを侵害する行為と彼女は感じていた。自身の孫娘タムの気持ちを知ったトゥーは、ナムと共に家を出ていく……。

アメリカと縁深き喜劇俳優が主演、準主演

この映画の監督グエン・クアン・ズンは、ベトナムの南部の中心都市ホーチミン市で1978年に生まれた。映画『無人の野(Cánh đồng hoang)』(1978)のシナリオや短編小説『象牙の櫛(Chiếc lược ngà)』(1966)で知られる作家グエン・クアン・サン(1932-2014)を父に持つ14 。ズン監督の「輝ける日々に(Tháng năm rực rỡ)」(2018)は、第31回東京国際映画祭でも上映されている。また、2021年の公開を目指して、ベトナムで最も有名な音楽家の一人であるチン・コン・ソン(1939-2001)の人生を映画化することで話題となったプロジェクト(ファン・ザー・ニャット・リン監督)で、彼はプロデューサーを務めている15 。そのズン監督が2年をかけて完成させたこの映画では、フラッシュバックの手法が巧みに用いられている。トゥー、ナム、そしてウットが若かりし頃の物語も丁寧に描かれ、美しいベトナムの農村風景がふんだんに登場する。直接的にはアメリカのニューヨークで暮らす「ベトナム人」を描きながらも、観客は登場人物の心の船に乗り、彼らが暮らした戦前、戦中、戦後のベトナムと1995年冬のニューヨークの間を旅することになる。

主役トゥーを演じたホアイ・リン16 、準主役の幼馴染ナムを演じたチー・ターイ17 は、共に実力派喜劇俳優である。ベトナム戦争で敗れた南ベトナム(ベトナム共和国)で生まれた二人は、共にアメリカ移住を経験している。南ベトナム軍の大尉であったホアイ・リンの父は、ベトナム戦争後、改造刑務所18 に収容されていた。多才で、多くのテレビ番組、コマーシャルに出演しているホアイ・リンは、2015年に国から優秀芸術家(nghệ sỹ ưu tú)の称号19 を与えられた。この二人にとって、故郷ベトナムを想いながらアメリカに暮らす老人役は、まさに適役だったといえる。ホアイ・リンは1969年生まれ、チー・ターイは1958年生まれと11歳の年齢差があるが、映画を離れても盟友である二人は、幼馴染役を実に自然に演じている。そしてホアイ・リンを相手に堂々と孫娘役を担ったのは、ショートコメディなどでも活躍するトリッシュ・レー。祖父に厳しい言葉を投げかけながらも、どこか優しさを残すタムを好演している。

知ることから始まる――映画の続き――

映画には続きがある。トゥーとナムが家を出た後、トゥーの息子グエンが帰宅し、父親として、自身がボートピープルとなり祖国を離れた時のことや両親の話をタムに語る。トゥーとウットは、グエンからの送金に一切手をつけず、所有していた田畑も売却した。彼らが貯めたお金は、タムの学費に使われていた。またトゥーは、親を残してベトナムを離れた息子を許し、励ます言葉を日記に書き残していた。タムは、これまで知らなかった事実を知り、トゥーのこと、自身のルーツについて、理解し始める。


「もし互いの本当の事情や思いを知り、学ぶ機会が得られるなら、たとえ育った社会的、文化的な背景や世代が異なろうと、理解し合うことは可能である」というのが、この映画が伝えるメッセージのひとつだと筆者には思われる。

冒頭でVTV1における「不適切発言」問題について記した。詳しい真相は未だ明らかにされておらず、その社会的背景と構造的要因の検証、分析が待たれる。そして今回の一件が、この報道に携わった人たちだけでなく、南北ベトナムのすべての人たちが、時流や社会の趨勢に流されずに一度立ち止まり、他者の存在を理解する際、相手のことを本当に知ったうえで自身が「相手を理解している」と判断しているかどうかを、見直す好機になればと心から願う。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
参考文献
  • 鈴木康央1999「カイルオン」、石井米雄監修、桜井由躬雄・桃木至朗編『ベトナムの辞典』同朋舎、95頁。
  • 坂川直也2019「グエン・クアン・ズン――娯楽映画でベトナムの抑圧されてきた時代・人々・音楽を表現――」、石坂健治・夏目深雪編著『躍動する東南アジア映画――多文化・越境・連帯――』論創社、116-117頁。
  • 澁谷由紀 2019「映画『ベトナムを懐う』と『夜鼓懐郎』」。
  • James M. Freeman, Nguyễn Đình Hữu 2003. Voices from the Camps: Vietnamese Children Seeking Asylum. Seattle and London: University of Washington.
  • Lê Kim Sa(レー・キム・サー)2020.Xây dựng nhà nước kiến tạo hướng đến một xã hội trung lưu ở Việt Nam(ベトナムにおけるひとつの中流社会に向けた建設的国家建設). Tap chí Xã hội học(社会学ジャーナル)Số 2 (150): 31-39.
  • Tổng cục thống kê(統計総局)2020. Niên giám thống kê 2019(2019年統計年鑑).Nhà xuất bản thống kê(統計出版社).
著者プロフィール

寺本実(てらもとみのる) アジア経済研究所地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ研究員。単著に『ベトナムの社会誌』風響社ブックレット2020年、主な編著に『現代ベトナムの国家と社会』明石書店2011年、最近の論考に“Vietnamese Families and the Lives of Family Members with Disabilities: A Case Study in a Commune of the Red River Delta.” IDE Discussion Paper No.720, June 2018、「ベトナムにおける医療保険制度の骨格」(『健保連海外医療保障』No.125、2020年3月)など。

  1. VTV1は、全国ニュース番組など、ベトナム国営テレビでも中心的存在である。その他に、VTV2(科学技術・教育関連)、VTV3(娯楽関連)、VTV4(在外ベトナム人、ベトナム在住外国人向け)、VTV5(少数民族向け)、VTV6(青少年向け)、VTV7(学習関連)、VTV8(中部・中部高原地域向け)、VTV9(ホーチミン市、東南部地域向け)がある。
  2. コロナ禍以降、筆者はベトナムを訪問できていない。2019年までにホーチミン市中心部で行商の人たちが外国人観光客相手に売っている商品として筆者がよく見かけたのは、ヤシ汁などの飲料品、お土産類などであった。
  3. Tuổi Trẻ online 2020年8月17日付など。
  4. Tuổi Trẻ online 2020年8月19日付など。
  5. ベトナムでは、今後の方向性として、中間層の拡大と国家建設に対するその積極的な意義を主張する論考(Lê Kim Sa 2020)も出てきている。
  6. Tổng cục thống kê 2019:99, 857.
  7. 日本で上映された際のタイトル(秋葉亜子訳)をそのまま使用する。ちなみに秋葉先生は劇中で同歌タイトルに「夜恋夫歌」という訳をあてている。タイトルと共に見事な訳だと思われる。
  8. この歌については、澁谷2019で興味深く紹介されている。
  9. カイルオン(cải lương)は、漢語「改良」のベトナム語読み。主として宮廷で演じられた古典劇トゥオン(13世紀末の元寇の際に捕らえた元軍の捕虜によってもたらされたと伝えられる)の改良を源流として、20世紀初頭に創出された歌舞劇。柔軟性に富み、伝統的要素だけでなく、多くの外来要素を取り入れている(鈴木1999)。
  10. 原タイトルがカイルオンの名歌と同名であることを強調したが、本映画は多くのベトナム人に親しまれてきた同名の演劇を大元として、映画用のシナリオが形づくられている。
  11. ベトナム難民の発生には、以下の3つの波があったとされる。1つめは、1975年のサイゴン陥落以降に南ベトナム側の多くの人が国外に脱出したとき。2つめは、1978年末のベトナムによるカンボジア侵攻と、その後の中越戦争勃発による対中国関係の緊張が、中国系の人たちの暮らしに大きな圧力をかけたとき。3つめは、1978~1982年に経済危機、政治的抑圧に直面するなかで多くの人たちが国外脱出を試みたとき、である(James M. Freeman, Nguyễn Đình Hữu 2003:6-12)。トゥーの息子グエンのケースは、状況からして第1の波に該当すると推測される。
  12. 経緯から判断して、ベトナム戦争で敗れた南ベトナム(ベトナム共和国)の軍に参加したものと推測される。
  13. 紙幣を模したもので、亡くなった人があの世でお金に困らないようにと焚かれる。
  14. Wikipedia tiếng Việt. 2020年10月16日アクセス。
  15. グエン・クアン・ズン監督については、坂川2019が詳しい。
  16. Wikipedia tiếng Việt. 2020年10月16日アクセス。 ホアイ・リンは、筆者が2度目のベトナム赴任中(2013年3月~2015年3月)、テレビ番組に頻繁に出演していた。普通に話していてもどこかコミカルな独特の語り口で、最も印象に残ったベトナムの芸能人の一人だった。
  17. Wikipedia tiếng Việt. 2020年10月16日アクセス。
  18. 南ベトナム側の軍人らを収容した再教育などを目的とした刑務所。
  19. 15年以上の芸術活動歴に加え、受賞歴があること。国家に忠実であり、道徳的に優れ、才能を持つなど、いくつかの要件を満たした者に国から与えられる称号。
【連載目次】

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