IDEスクエア

世界を見る眼

バングラデシュの後発開発途上国卒業がもたらす経済的影響――シミュレーションによる分析

Economic Impact of Bangladesh's Least Developed Country Graduation: A Simulation Analysis

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000867

2024年3月

(4,818字)

後発開発途上国卒業が近づくバングラデシュ

2021年11月、バングラデシュがラオス、ネパールとともに後発開発途上国(Least Developed Country: LDC)のステータスから卒業することが、国連総会で決議された。バングラデシュは2026年11月にLDCのステータスから卒業することが予定されている。これにより、バングラデシュは輸出時にLDC向けの特恵関税率を利用できなくなり、輸出先市場で価格競争力を失う可能性がある。とくに、バングラデシュの主要な輸出品目である衣料品に対しては、輸入時に相対的に高い一般税率を掛けている国が多く、これまではLDC特恵関税率を利用することでこうした高関税率を回避してきた。これに対し、LDC卒業後も関税上の優位性を維持するために、主要な貿易相手国と自由貿易協定(FTA)を締結し、FTA特恵関税率という新たな特恵アクセスを得るべきだといった意見もある(寺島2023)。

本論では、アジア経済研究所で開発を行っているシミュレーションモデルを用いて、バングラデシュがLDC特恵関税率を利用できなくなることで、どれほどの経済的損失を被るのか、また、主要な輸出先の国々とFTAを結ぶことでそうした損失をどれだけ最小化できるのかを分析する。

LDC卒業の影響が大きいバングラデシュの縫製工場で働く女性

LDC卒業の影響が大きいバングラデシュの縫製工場で働く女性

分析のシナリオ

経済地理シミュレーションモデル(IDE-GSM)は、空間経済学に基づく計算可能な一般均衡(CGE)モデルの一種である。2007年に東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)の支援を受けてアジア経済研究所で開発が開始された。IDE-GSMは関税・非関税障壁も含むさまざまな貿易コストに焦点を当て、国よりも1つまたは2つ下の行政区画レベルでの分析を行うことができるなどの特長を持つ。これまでにIDE-GSMは、ERIAによるアジア総合開発計画(Comprehensive Asia Development Plan: CADP)などの立案に活用されてきたほか、アジア開発銀行(ADB)や世界銀行などの国際的なインフラ開発における経済効果分析にも使用されている。

IDE-GSMでは、基本的に2度シミュレーションを行って、各国・各地域別に産業レベルのGDPの差分をとることで、経済効果の分析を行う。まず、現在の状況を再現した「ベースライン・シナリオ」に基づいてシミュレーションを実行し、続いて特定の事態を想定した「比較シナリオ」に基づいてシミュレーションを実行し、将来のある時点で両シナリオのGDPの差分をみることで、それを特定の事態が引き起こした経済的影響であると考える。

本稿では以下のようなシナリオに沿って分析を行う。まずベースライン・シナリオでは、バングラデシュがLDCを卒業し、2027年から輸出時にLDC特恵関税率を利用できなくなる状況を想定する。具体的には、日本、インド、中国、EUなど18カ国・地域1への輸出において、LDC特恵関税率が利用できなくなり、最恵国待遇(MFN)税率やGSP特恵関税率など、その他の関税率のなかで、最も低い関税率が用いられるとする。さらにインド向けでは、南アジア特恵貿易協定(SAARC Preferential Trading Arrangement: SAPTA)のLDC向け税率も利用できなくなり、SAPTAの一般税率が適用されると仮定する。

シミュレーションでは、3種類のシナリオについて分析を行う。シナリオ1は、2027年以降もLDC特恵関税率を利用し続けることができる場合である。これとベースライン・シナリオを比較することで、LDC特恵関税率を利用できなくなることの経済的影響を試算する。シナリオ2は、LDC特恵関税率を利用できなくなる2027年に、バングラデシュと日本、中国、韓国、インドそれぞれとの二国間FTAが発効した場合である。FTA関税率は、2026年におけるそれぞれのMFN税率の水準から、2035年にゼロになるように2027年から均等に低下すると仮定する。ただし、GSP特恵関税率など、既存の関税率のほうがFTA関税率よりも低い場合、既存の関税率が利用され続けると仮定する。この比較は貿易商品分類の6桁レベルで行われている。シナリオ3は、これら4カ国のすべてと二国間FTAが2027年に発効する場合である。このシナリオとシナリオ1を比較することで、主要な輸出先国とのFTAによって、LDC卒業前の状況を回復、または上回ることができるのかを分析する。

LDC卒業の関税面での影響

表1は、2027年時点の、シナリオ1とベースライン・シナリオにおける、バングラデシュから各国への輸出時の関税率の差を示している。つまり、LDCを卒業することによって、輸出先でどれだけ関税率が上昇するかを産業別に示している。例えば、中国やインド向けの輸出では幅広い産業で大きく上昇することが分かる。繊維・衣料では、中国向けで5.4パーセントポイント、インド向けで8.2パーセントポイント上昇する。またEUや日本向けでは、農業、食品加工業、繊維・衣料産業で相対的に大きな上昇が発生する。一方、MFN税率が低いか、その他の特恵関税率が利用可能であることから、LDC卒業の影響がほとんどみられない輸出先(スイスなど)や産業(電子・電機など)もある。

表1  2027年における実行関税率(単純平均)の上昇(パーセントポイント)

表1  2027年における実行関税率(単純平均)の上昇(パーセントポイント)

(出所)World Integrated Trade Solution(WITS)を用いて筆者らによる計算

LDC卒業の影響は繊維・衣料産業に集中

表2はベースライン(LDC卒業)の経済的影響をシナリオ1(LDC特恵関税利用可能)と比較して国別・産業別に示したものである。2035年時点でのバングラデシュへの影響はGDP比で-0.13%となっている。産業別にみると、繊維・衣料(-0.68%)が他産業と比較すると突出して大きくなっている。これには、繊維・衣料産業向けのLDC特恵関税率がその他の関税率に比べて低かったこと、繊維・衣料産業では他国との価格競争が激しいことが影響していると考えられる。他の産業ではサービス業(-0.08%)、農業(-0.07%)、自動車(-0.02%)、鉱業(-0.01%)がマイナスの影響を受けており、食品加工(0.06%)、電子・電機(0.05%)、その他製造業(0.04%)はわずかながらプラスの影響を受けている。LDC特恵関税率の適用除外によって、現在その恩恵を主に受けている繊維・衣料産業に大きなマイナスの影響がある。さらに、繊維・衣料産業に強みを持つバングラデシュの世界に対する比較優位の変化をうけて、他の産業にも小幅ながらプラスとマイナスの異なる影響が出ているものと考えられる。一方で、バングラデシュ以外の国への影響は総じて小さい。これは、バングラデシュは約1億7000万人の人口を抱える一方で、そのGDPの規模はほぼシンガポールと同じ、日本の10分の1程度しかないためである。

表2  LDC卒業(ベースライン)の経済的影響(対シナリオ1、2035年、GDP比%)

表2  LDC卒業(ベースライン)の経済的影響(対シナリオ1、2035年、GDP比%)

(出所)IDE-GSMによる試算

図1は表1に示した2035年時点でのバングラデシュについての経済的影響を県(district)別に示したものである。負の影響が大きいのは、首都で経済の中心でもあるダッカ(−2億9800万米ドル)、バングラデシュ第2の都市で同国最大の港湾を擁するチッタゴン(−4000万米ドル)、繊維産業が盛んなナラヤンガンジ(−3200万米ドル)、新興工業都市のガジプル(−2500万米ドル)などである。経済的影響は、各県の繊維産業の規模とほぼ比例するかたちになっている。

図1 LDC卒業(ベースライン)の経済的影響
(対シナリオ1、2035年、100万米ドル)

図1 LDC卒業(ベースライン)の経済的影響(対シナリオ1、2035年、100万米ドル)

(出所)IDE-GSMによる試算

FTAの影響は総じてプラス

表3はシナリオ2、すなわちLDC卒業と同時にバングラデシュが主要輸出先4カ国と個別に二国間FTAを結んだ場合のそれぞれの産業別経済効果を、ベースライン・シナリオとの比較において示したものである。2035年時点で、こうしたFTAを結ばなかった場合と比較したGDP比の影響は、対中国のFTAの締結が最も大きく(0.33%)、以下、対インド(0.15%)、対日本(0.04%)、対韓国(0.01%)の順となっている。これは、バングラデシュと各国との貿易額の大きさの順位と一致している。

産業別にみると、対中FTAでは自動車(1.02%)、繊維・衣料(0.62%)へのプラスの影響が大きい一方で電子・電機(-0.95%)、食品加工(-0.38%)への影響はマイナスとなっている。表1から分かるとおり、LDC卒業は自動車産業における対中関税率を大きく上昇させる。FTAによって関税の上昇を防ぐことで、大きな経済効果を得ている。同じくLDC卒業が大きく対中関税率を上げる農業や食品加工で経済効果が小さいのは、これらの産業ではバングラデシュの対中関税率が高いため、FTAにより関税が引き下げられることで逆に中国からの輸入が急増することを反映している。対インドFTAでは繊維・衣料(0.50%)と鉱業(0.30%)へのプラスの影響が大きい一方で、食品加工(-0.15%)などへの影響はマイナスとなっている。

表2において、バングラデシュにおけるLDC卒業の影響はGDP全体で0.13%減、とくに繊維・衣料で0.68%減であったことを考えると、表3に示された対中国と対インドFTAの経済効果は、繊維産業だけに注目するとLDC卒業の負の影響を完全に補えない一方で、GDP全体でみるとLDC卒業の負の影響を単独のFTAでも相殺できていることが分かる。

表3 主要輸出先とのFTAがバングラデシュにもたらす経済的影響
(対ベースライン、2035年、GDP比%)

表3 主要輸出先とのFTAがバングラデシュにもたらす経済的影響(対ベースライン、2035年、GDP比%)

(出所)IDE-GSMによる試算

FTAでLDC卒業の負の影響を覆すことは可能

表4はシナリオ3、すなわち主要輸出先4カ国との二国間FTAがすべて2027年に発効した場合と、シナリオ1、すなわち2027年以降もLDC特恵関税率が利用し続けることができる場合を比較して、国別・産業別の経済効果を示したものである。2035年時点でのバングラデシュへの影響はGDP比で0.40%となっており、LDCを卒業しなかったケースと比較して、4カ国と同時にFTAを結ぶことでLDCを卒業しても経済的な利益が得られることを示している。産業別にみると、自動車(0.72%)、鉱業(0.53%)、繊維・衣料(0.49%)、サービス業(0.49%)、農業(0.26%)にはプラスの影響が、電子電機(-0.95%)、食品加工(-0.48%)、その他製造業(-0.23%)にはマイナスの影響があることが分かる。こうした産業別の影響の正負は、バングラデシュと主要輸出先4カ国との間の産業別の競争力の違いから生じていると考えられる。

表4 シナリオ3(主要輸出先4カ国すべてとのFTA)の経済的影響
(対シナリオ1、2035年、GDP比%)

表4 シナリオ3(主要輸出先4カ国すべてとのFTA)の経済的影響(対シナリオ1、2035年、GDP比%)

(出所)IDE-GSMによる試算

図2は表4の2035年時点での経済効果を県(district)別に示したものである。経済効果が大きいのは、ダッカ(8億4500万米ドル)、チッタゴン(1億2200万米ドル)、ガジプル(4900万米ドル)、ナラヤンガンジ(4800万米ドル)などである。この4県はIDE-GSMによる予測で2035年時点での県別GDPの上位4県でもあり、FTAの経済効果は概ね各県の経済規模に比例するかたちになっている。

図2 シナリオ3(主要輸出先4カ国すべてとのFTA)の経済的影響
(対ベースライン、2035年、100万米ドル)

図2 シナリオ3(主要輸出先4カ国すべてとのFTA)の経済的影響(対ベースライン、2035年、100万米ドル)

(出所)IDE-GSMによる試算

LDC卒業をチャンスに

本稿では、バングラデシュのLDC卒業の影響と、主要輸出先4カ国とのFTAの経済効果をシミュレーション分析によって明らかにした。2027年に予定されているバングラデシュのLDC卒業は、主に繊維産業に比較的大きな負の影響を与えることが分かった。同時に、主要輸出先4カ国とのFTAの経済効果は、LDC特恵関税が利用できなくなることの負の影響を上回ることが分かった。

バングラデシュは今回のLDC卒業を契機とし、主要輸出国とのFTA締結などを通じた経済改革を進め、中所得国入りに向けた経済の転換を目指すべきであろう。本稿では分析シナリオに含めていないが、LDC特恵措置とは異なり、FTAの締結は、サービス分野の自由化や非関税障壁の削減を進める効果もあろう。積極的なFTA締結により貿易促進を図りつつ、繊維・衣料産業に依存した輸出産業の多様化や競争力向上を行い、持続可能な成長基盤を築くことが必要である。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
参考文献
著者プロフィール

早川和伸(はやかわかずのぶ) アジア経済研究所バンコク研究センター主任研究員。博士(経済学)。専門は国際貿易、アジア経済。主な業績として、“What Goes Around Comes Around: Export-Enhancing Effects of Import-Tariff Reductions,” Journal of International Economics, 126 (2020, Ishikawa, J., Tarui, N.との共著)、“Impact of Free Trade Agreement Use on Import Prices,” World Bank Economic Review, 33(3) (2019, Laksanapanyakul, N., Mukunoki, H., Urata, S.との共著)などが挙げられる。

熊谷聡(くまがいさとる) アジア経済研究所開発研究センター経済地理研究グループ長。専門は、国際経済学(貿易)およびマレーシア経済。主な著作に『マレーシアに学ぶ経済発展戦略──「中所得国の罠」を克服するヒント──』(共著)作品社(2023年)、『経済地理シミュレーションモデル──理論と応用』(共編著)アジア経済研究所(2015年)、“The Middle-Income Trap in the ASEAN-4 Countries from the Trade Structure Viewpoint,” In Emerging States at Crossroads (pp. 49-69). Singapore: Springer (2019) など。


  1. バングラデシュがLDC特恵関税率は利用できなくなると想定する18カ国・地域は以下のとおり。オーストラリア、ベラルーシ、カナダ、スイス、チリ、中国、EU、英国、インド、イスラエル、日本、カザフスタン、韓国、ノルウェー、ニュージーランド、ロシア、トルコ、台湾。このうち、例えばEU向けは2027年12月末までLDC特恵関税率が利用できるが、本シミュレーションでは一律に2027年から利用できなくなると想定する。
この著者の記事