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コラム

アジアトイレ紀行

第2回 日本――トイレではない。それは、便所。

Japan: Did you expect it to be a toilet? Regrettably, I must inform you that it is, in truth, a “Benjo.”

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000006

2023年8月
(3,921字)

トイレに関する現地語講座

例文
「その辺でしてきなさい」(田舎で子どもが便意を催した時の親の対応)

頻出単語
(下品)← 便所−厠−トイレ−御手洗−化粧室 →(上品)

「便所」とは何か

いまや、日本ではトイレは家の中で一番落ち着く場所の一つとなっている。昔から「トイレで新聞を読むサラリーマン」はマンガやテレビでよく見かけたし、スマホ時代の今なら「トイレにこもってスマホ」というのは普通のことだと思う。あるアンケートではトイレは自宅内で居心地の良い場所ランキングで6位(7.4%)となり、書斎の6.1%を上回った。

日本のトイレは清潔で快適だ。例えば、日本では普及率が8割を超えている温水洗浄便座、海外では相当な高級ホテルであってもなかなか出会うことはない。自動で開く蓋、温かい便座、カモフラージュ音、さらには便器の自動洗浄機能など、日本のトイレは「おもてなし」の結晶と言ってもいいだろう。成田空港第2ターミナル出発ロビーには大手メーカーのトイレ・ギャラリーがあり、あまりの高級感、ハイテクぶりに「用を足すのも憚られる」と本末転倒な感想を抱いた人も多いはずだ。

写真1 38個ものボタンを有する温水便座のコントローラー

写真1 38個ものボタンを有する温水便座のコントローラー

しかし、それは、あくまでも「トイレ」の話である。「便所」は違う。両者を声に出して言ってみて欲しい。「トイレ」と口にするときは、ライトでフローラルな感覚を持つ人が多いだろう。一方で、「便所」と口にするとき、多くの人はなんとも言えない重さと忌避の感情が心に宿ることに気づくはずだ。「トイレ」と「便所」は似て非なるものなのである。それでは、「便所」とは何か。

筆者は1970年代初頭、島根県のとある農村で生まれた。小学校の同級生は10人で1クラスという過疎の地であった。汽車は当時から2時間に1本、近隣4村をあわせた町の人口も5000人を切っていたと思う。そうした過疎の地では、水道は川の水に塩素を入れるだけの「簡易水道」で、下水道などは影もかたちもなかった1。農村部では人口密度的に敷設や維持にコストがかかる下水道は成立しないのだ。

そうした地域では、当然、トイレはくみ取り式、いわゆる「ぼっとん便所」である。ただ、下水道がなくても、技術的には「簡易水洗」という水洗トイレは作れるし、事実、小学2年生の時に引っ越してきたFくんの新築の家はそれだった。「マンガのトイレじゃん!」と感動したのを覚えている。筆者は早速、両親に「トイレ」をねだった。しかし、それが叶うことはなかった。なぜか。

我が家の場合、家屋は対面通行の県道から、さらに田んぼの中を幅1メートルほどのあぜ道で山側に約50メートル入った場所にあった。この場合、「簡易水洗」も難しい。なぜなら、バキュームカーのホースが届かないからである。簡易水洗では、流した水も糞尿と共に槽に貯められる。バキュームカーならともかく、水でかさ増しされた糞尿を人力でくみ取ることは現実的ではない。ということで、我が家では「簡易水洗」は導入できなかった。その代わりに、母親は「和式トイレと穴をあわせて被せることで洋式化する謎のアタッチメント」を買ってきた。結果、我が家のトイレは、エセ洋式+くみ取り式というレアでキメラなものになった。

前置きが長くなったが、和式+くみ取り式、それが「便所」の王道である。逆に「トイレ」の条件は、落ち着いて新聞が読めるか、あるいはスマホをいじれるか、ということでよいと思う。つまり、洋式+水洗は文句なしの「トイレ」である。我が家のような、洋式+くみ取り式は、姿勢的には新聞が読めても、足元の糞尿と同じ空気を長く吸う気にはなれないので「便所」に分類してよいだろう。逆のケースの和式+水洗は、くみ取り式よりましだが和式の姿勢では新聞は読めないから「便所」とすべきだろう(表1)。

表1 トイレと便所の分類

表1 トイレと便所の分類

(出所)筆者作成
便所男、トラウマを語る

快適な「トイレ」に比べて「便所」は多くの欠点を持つ。筆者は幼少期から胃腸が弱く、ひとよりも長い時間を「便所」で過ごしてきた。以下に、今でもたまに夢に出てくるほど筆者の心身に染みついた便所の欠点を記す。

1.怖い

くみ取り式便所は外からくみ取る必要がある構造上、家屋の隅かつ裏側、日当たりの悪い場所に立地することが多い。暗くて湿っていて、居間や台所から離れた閉鎖空間。これだけでも怖いのに、なんとそこには、暗くて大きな穴が空いており、足元には人間が何人も入れる空間が広がっている。臭いもすれば、虫も発生する。そこには、トイレに感じる「安心感」など微塵もない。無限にくつろげるのが「トイレ」だとすれば、一秒でも早く逃げ出したいのが「便所」である2

2.しんどい

和式便所「くつろげなさ」は異常である。原因はその姿勢に尽きる。落下することを許さない危険な穴を跨いで腰を下ろし、半ズラシのズボンやパンツが足かせとなっている。どんな格闘技の大家でも、この姿勢で襲われたら反撃は難しいだろう。さらに、本人からすればその無防備な姿勢を維持するのがとてつもなくしんどいという意味不明さである。和式便所に長く座っていると、間違いなく血圧が上がる。続いて、足が痺れて立ち上がれなくなる。それでも立ち上がると、今度は起立性の低血圧で目眩がしてくるという肉体へのセルフ制裁の極致、それが和式便所である。実際、あの上杉謙信は厠で倒れて命を落としたというから、和式便所の殺傷力は戦国最強の武田軍にも勝る。

3.質・量共に不明

くみ取り式便所では排泄物は深淵へと消える。つまり、観察ができない(厳密には条件次第で観察できなくはないが、詳細は控える)。最新のトイレでは、排泄物の質や量をチェックして健康診断を行うものまであるが3、目視でもある程度の事はできる。しかし、くみ取り式便所では暗闇に落下したモノの質や量を推測する手がかりは「音」しかなく、超音波を発してその反射で周囲を「見る」イルカやコウモリでもないかぎり正確な把握は不可能だ。普段は別に困らないが、体調が悪いときは不安である。幼少期に筆者はたびたび酷い腹痛を起こしていたが、そんなときに自分の体からどんなものが出ているのか知りたいと強く思っていた。しかし、それを実際に観察できたのは、大学生になり、3点式のユニットバスのアパートで一人暮らしをはじめた時だった。

4.くみ取り、誰が?

くみ取り式便所では、誰かが定期的に糞尿をくみ取る必要がある。様々な理由からバキュームカーが使えない場合、くみ取るのは人力だ。筆者も小学校高学年からは「人力」にカウントされていた。我が家の場合、柄の長いひしゃくのようなもので槽から糞尿を汲み取り、45リットルの灰色のバケツに入れ、猫車(一輪車)で300メートルほど離れた畑まで運んで肥料として撒いていた。これは、農業の面では実はメリットでもあるが、糞尿の運搬に労力がかかるのは辛い。筆者は一度、運搬中に国道9号線でバランスを崩して横転、全部をぶちまけてしまい、川の水を汲んできて何度流しても臭うという惨事を引き起こしている。

5. 水害で大惨事

筆者は高校からは家族で阪神間の某大都市に引っ越したが、父親は何を思ったのか、築40年超の木造平屋を借家として選んだ。そこにあったのは、憧れのトイレではなく、またもやくみ取り式の「便所」だった。さすがに市のバキュームカーがくみ取ってくれたが、それでも筆者はここで便所の新たな問題を痛感することになった。それは、ひとたび水害が起これば大惨事になるということである。この家で筆者は人生初の「床上浸水」を経験するが、浸水した水は便所に流れ込み、溢れだし、あとは言わずもがなである。だから、便所+水害=疫病になる。これは、水害が頻発する途上国ではより大きな問題だろう。

写真2 和式+水洗の「便所」。

写真2 和式+水洗の「便所」。ハンドルが壁につい
ているため、足で踏んで流す輩を排除できる優れもの。
便所廃絶への道のりは遠く

SDGsの6番目の目標には、「2030年までに、女性と女児、および脆弱な立場にある人々のニーズに特別な注意を払いながら、すべての人が適切かつ公平なトイレへのアクセスを達成し、野外排泄をなくす」というものがある4。2020年時点で、世界の36億人が安全なトイレを利用できていないという。逆に言えば、世界で40億人以上はトイレを利用できていることになる。ただ、それがここで言う「トイレ」なのか「便所」なのかは定かではない。ちなみに、2008年時点でのトイレの水洗化率は、筆者が生まれ育った島根県は79.4%、全国平均で90.7%だった5。つまり、世界に冠たるトイレ最先進国の日本ですら21世紀になっても、少なくとも10人に1人は「便所」を使っていたことになる。

「トイレ」と比べて「便所」は衛生上、健康上、さらには精神衛生上のデメリットがあまりにも大きい。筆者は忘れることができない。国鉄の無人駅の木造便所で、町営運動場の使用中止になった個室で、近所の廃屋の床下で眼にした、ここに書くことができないような便所の「悲惨な光景」を。人類が目指すべきは「トイレ」であって断じて「便所」ではない。そう考えると、その道のりは果てしなく遠いように思われる。

筆者は仏教徒であり、半世紀ほど生老病死を観察した結果、来世はもうこの世界に生まれてこなくてもOKと思うようになった。だが、しかし、もしも生まれてからの18年間を「便所」ではなく「トイレ」とともに暮らすことが許されるのなら、この世界での来世をもう一度考えても良いかなと思う。憚らずに言えば、「便所」とは三途の川を迂回してこの世につながった地獄への入口である。22世紀までには、筆者のような苦しみに満ちた「便所」の記憶をもった人間が地球上からいなくなり、「トイレ」への執着から輪廻転生を繰り返してしまう人々が成仏できることを切に願って止まない。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
著者プロフィール

熊谷聡(くまがいさとる) アジア経済研究所開発研究センター経済地理研究グループ長。専門は、国際経済学(貿易)およびマレーシア経済。主な著作に『経済地理シミュレーションモデル——理論と応用』(共編著)アジア経済研究所(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア——政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)、“The Middle-Income Trap in the ASEAN-4 Countries from the Trade Structure Viewpoint. ”In Emerging States at Crossroads (pp. 49-69). Singapore: Springer (2019) など。


  1. ちなみに筆者が住んでいた町が平成の大合併で吸収された某市の下水道普及率は、半世紀後の2021年時点でも28.7%にとどまっている。
  2. やや脱線するが、学校にまつわる都市伝説「トイレの花子さん」に触れておく。内容は広く知られているとおりであるが、問題は、なぜ安心の「トイレ」が恐怖の怪談の舞台となっているのか、である。筆者の仮説では、実態は「『便所』の花子さん」であったと思われる。実際、学校の便座の洋式化は思ったよりずっと遅れている。2016年時点で43.3%(全国平均)と直近の数字でも過半を割っているのだ。一方で、家庭の便座の洋式化は早く、2003年時点で85.9%(全国平均)に達している。「トイレの花子さん」が流行した1980〜90年代、家庭の「便所」が洋式化されて言葉としては「トイレ」が定着する一方、多くの学校は「便所」のままであった。このギャップが「『トイレ』の花子さん」という声に出しやすいタイトルと「学校の『便所』」の不安感という組み合わせを生み出し、都市伝説として爆発的に広がったのではないかと推測される。傍証になるが、家庭も「便所」、学校も「便所」だった筆者のまわりではこの話は全く流行っていなかった。
  3. 『食事が偏っています』トイレが健康アドバイス TOTO、AI活用し開発へ」『西日本新聞』2021年1月16日。
  4. 持続可能な世界への第一歩 SDGs Club」UNICEFウェブサイト。
  5. 総務省統計局『平成20年住宅・土地統計調査』。

*2023年11月17日 バナーを追加しました。