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コラム

アジアトイレ紀行

第6回 ベトナム――奥深き農村トイレ文化

Vietnam: Profound Rural Toilet Culture

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000789

2024年1月
(3,319字)

トイレに関する現地語講座

頻出単語
Nhà vệ sinh ニャー ヴェッシン (独立した)トイレ
Phòng vệ sinh フォン ヴェッシン (家のなかの)トイレ
Toilet トイレッ トイレ
トイレを意味するベトナム語にはnhà vệ sinh(nhàが家、vệ sinhが衛生の意味)またはphòng vệ sinh(phòng が部屋、vệ sinhが衛生の意味)があるが、都市部ではToiletでもほぼ通じる。ただし、Toiletの発音は英語や日本語と異なり、「トイ」ではなく「レッ」にアクセントが付く。

例文
Toilet ở đâu? トイレッ オー ダウ  トイレはどこですか?
Bị tiêu chảy./ Đi ngoài. ビ ティウチャーイ/ディー ゴアイ  下痢をしています。

外国人観光客から酷評されるベトナムの公衆トイレ

ベトナムの公衆トイレは、かねてより外国人観光客からの評判が悪かった。状況を改善するため、政府は観光客用トイレの設備・衛生基準を定めたり1、基準に違反したトイレの設置者に罰金を課したりと、一応の対策を講じてきた。また、最近ではホーチミン市で全自動公衆トイレが導入されるという画期的な動きも出てきている2。しかし、問題解決への道のりはまだまだ長そうだ。ベトナムの公衆トイレの設置数は最大都市であるホーチミン市やハノイ市においてすら諸外国の主要都市に比べて著しく少なく3、また「とんでもなく汚い」という外国人観光客からの悪評も根強い4

ただし、観光客が多く集う都市部のトイレ事情は、実は農村に比べればまだ断然よい。公衆トイレがダメでも、ホテルやレストラン、ショッピングモールなど、比較的清潔な水洗トイレが設置された場所がいくらでもあるからだ。しかし農村には、そうした旅行者のトイレ拝借ポイントとなりそうな場所はない。農村を主な調査フィールドとしてきた筆者は、以下にみるような奥深いトイレ文化の洗礼を避けて通ることができなかった。

2000年代前半の農村トイレ事情

筆者がベトナムの農村で調査を行うようになったのは2000年代初頭のことである。農村に行き始めた当初、筆者は日本でお腹を壊すことがほとんどなく、生活のなかでトイレに割く時間があまり長くなかったこともあり、多少の不便には難なく適応できるだろうと高をくくっていた。しかし、2000年代前半のベトナム北部農村で様々なトイレ難を経験するにつれ、慣れない方式での排泄が続くことは結構なストレスになるものだと身に染みて感じるようになった。当時、筆者が直面したトイレ問題は、以下のいずれかに当てはまるものだった。

(1)トイレがない
まず、トイレ自体が少ないという問題があった。調査中、数少ないトイレを逃すことのないよう、村役場、大きめの食堂、裕福な農家など、トイレがありそうな場所に立ち寄った時には必ず「トイレの有無の確認→拝借」の作業を怠らないようにはしていた。それでも、当てが外れることもあった。たとえば、北部山地の農村で調査をしていたときのこと。わりと大きな農家での聞き取り調査を終えたあと、すかさずトイレをお借りしたいと願い出たら、裏山の方へ行くよう促された。言われた方向にしばらく歩いたがトイレらしきものは見当たらず、ようやく山の中で用を足せということだと理解した。草木が生い茂るなかで用を足すのは、人目こそ気にならなかったものの、無防備な臀部を虫に刺されるのではないかと気が気でなかった。

(2)トイレはあるけど使い方がわからない
トイレがあったとしても、形が想定外であるために使い方に悩むということもあった。当時の農村で何度か出くわしたトイレに、コンクリート張りの区画に小さな穴が空いているだけのものがあった(正式な呼び名が分からないため、ここでは仮に角穴トイレと呼ぶ)5。図1に示すように、穴は非常に小さく(たしか直径5センチくらい)、また区画のかなり端のほうに位置していた。角穴トイレには、区画の広さが1メートル四方程度と小さく、周囲が壁に覆われた個室型と、広さが個室型の倍以上あり、建物の裏手に配置されてはいるものの周囲を覆う壁がないオープン型とがあった。オープン型のほうは、なんと複数名で同時に使用することも想定されていた。一人で使ったときには使用法が分からずに困った角穴トイレだが、後にベトナム人の調査補助員と一緒に用を足すことになって初めて、床面が穴に向かって緩やかに傾斜しており、用を足したら備え付けの水槽の水を柄杓で流して使うものだということを知った。固形物が出た場合にはそのまま放置され、後ほど誰かが肥料・飼料用に回収する仕組みのようだった。使い方が分かったのはよかったが、他人と一緒に用を足すというのは、お互いに背を向けた状態ではあったものの、なんとも気まずかった。

図1 角穴トイレ

図1 角穴トイレ

(出所)筆者作成

(3)使い方は分かるけど安心して使えない
使い方は分かるものの使うのが怖い、あるいは使うのが不快なトイレというのもあった。そのひとつが、さきほどのオープン型の角穴トイレの脇に大きな豚が鎮座しているというものだ。人間の排泄物を豚に餌として与える「豚便所」の仕組みはベトナム以外の国でも見られるものだが、至近距離からこちらの動向をうかがう豚の迫力は無視できない凄まじさだった。その状況で落ち着いて用が足せるほどの度胸を持ち合わせない筆者は、「餌は出さないから、こっちに来ないで!」と念じつつ、そそくさと用を済ませてトイレから退散した。また、どこかの食堂で借りたトイレは形こそトイレらしいものだったが6、あまりに汚かったため、人に見られたとしてもトイレの外で用を足したほうがましだと思った。もちろん、そうすると先方に迷惑がかかるので、泣く泣くトイレ内で用を足したのだが、かなりの苦痛だった。

以上のような問題は、筆者が女性であるがゆえ、排尿のみの場合にも無防備な状態にならざるを得ないという事情や、少し神経質なほどに汚れや臭いが気になるという筆者個人の特性も相まって、深刻さが倍増したのかもしれない。ともあれ、筆者は2000年代前半の北部農村で直面したトイレ難がトラウマとなり、いまでも農村調査に行くときは渡航の1週間前から腸内環境を整えるために整腸剤を飲み、農村に行く当日は朝から飲食を控え、できるだけトイレを使わなくて済むように気をつけている。

量・質ともに改善をみせる農村のトイレ

ただし統計によれば、ベトナム農村のトイレを取り巻く状況は、この20年でかなり良くなっているようだ。まず、トイレがないという問題について、図2の野外排便率(都市・農村人口のうち野外で排便している人の割合)の推移を見てみたい7。筆者が農家の裏山で用を足さざるをえなかった2000年代前半の農村では、野外排便率が20%前後にも上り、都市との格差もかなり大きかった。しかし、2000年代から2010年代半ばにかけて農村で急速にトイレが普及し、2016年には農村の野外排便率は3.9%まで低下した。もはや都市とも大差のない状態だ。

図2 ベトナムにおける野外排便率の推移(%)

図2 ベトナムにおける野外排便率の推移(%)

(出所)World Development Indicators

次に、トイレの質について見てみよう。図3には、トイレ種類別の世帯所有率の推移を示した。ここから、2010年から2020年の10年間で、浄化槽・下水管つきの水洗トイレを所有する世帯の比重が、都市のみならず農村でも顕著に高まっていることが見て取れる。2010年時点で、都市ではすでに水洗トイレ所有世帯の割合が89%に上っていたが、農村では45%に過ぎなかった。それが、2020年には農村でも84%の世帯が水洗トイレを所有するようになっている(都市では97.7%)。農村のトイレ事情は、量だけでなく質の面でも改善の方向に向かっているといえるだろう。

図3 トイレ種類別にみた所有世帯の割合(%)

図3 トイレ種類別にみた所有世帯の割合(%)

(出所)GSO(2021)

なお、図3に示された水洗トイレ以外のトイレのうち、「屎尿分離コンポストトイレ」とは尿と便を別々の穴に集めて、たい肥化するトイレで、主に北・中部の農村で用いられてきた(小椋2002)8。また、「養魚池トイレ」は養魚池に屎尿を直接落として魚に餌として与えるというもので(写真)、水産養殖が盛んなメコンデルタ農村で広く使用されてきた。いずれも現地の農水産業との関わりのなかで形成された重要なトイレ文化である。しかし、筆者は使ったことがないので推測の域を出ないものの、排泄の利便性だけを考えるなら、おそらくどちらも使いやすいものではないだろう。屎尿分離コンポストトイレでは尿と便を別々の穴に出し分ける技が要されるし9、養魚池トイレではトイレまでの渡し木を渡るのにも池の上に設置された木箱のようなトイレで用を足すのにも、バランス感覚や足腰の強さが求められそうだ。そうしたことも影響してか、いずれのトイレも水洗化の波におされて、所有世帯数はこの10年で大きく減少している。

メコンデルタの養魚池トイレ(2022年12月ハウザン省)

メコンデルタの養魚池トイレ(2022年12月ハウザン省)

2000年代から2010年代にかけて全国的に家庭へのトイレの普及とその水洗化が進み、とりわけ農村のトイレ環境は大きく改善された。もしかしたら、いま農家でトイレを使わせてほしいと願い出れば、案外普通の水洗トイレを拝借できたりするのかもしれない。とはいえ、統計上で水洗トイレとされているものが本当に筆者の想定している水洗トイレなのかどうか懐疑的なところもあるし、またそもそも、よそのお宅でトイレを拝借するという行為は、積極的にやりたいことではない。農村調査でトイレを避ける努力は、実はもう必要ないことなのかもと思いつつも、やはり今後も続けることになりそうだ。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • Nguyen Van Nay氏撮影
参考文献
  • 小椋健二2001.「アジア調査報告 ベトナム、ホーチミン市とその近郊のトイレ事情」『月刊下水道』Vol.24, No.12。
  • 小椋健二2002.「アジア調査報告 ベトナムのトイレ事情──屎尿分離コンポストトイレ」『月間下水道』Vol.25, No.15。
  • GSO (General Statistics Office) 2000. Viet Nam Living Standards Survey 1997-1998. Hanoi: Statistical Publishing House. 
  • ―――― 2021.Vietnam Household Living Standards Survey 2020. Hanoi: Statistical Publishing House. 
著者プロフィール

荒神衣美(こうじんえみ) アジア経済研究所 新領域研究センター研究員。専門はベトナム地域研究。農村経済や社会階層について研究してきた。おもな著作に、『多層化するベトナム社会』(編著、アジア経済研究所、2018年)、“Diversifying Factors of Income Inequality in the Rural Mekong Delta: Evidence of Commune-Level Heterogeneity,” The Developing Economies, 58(4), 360-391, 2020など。


  1. 例えば、衛生面の基準としては、臭いがない、床が乾いた状態に保たれている、ゴミを適切に処理しているといった点が挙げられている(2012年文化・スポーツ・観光省 観光総局225号決定)。
  2. ホーチミン:1区に全自動の公衆トイレを整備、無料で利用可能」『VIETJO』2023年5月10日。
  3. Lien Hoang, “Vietnam ranks among worst tourist hubs on bathroom wall of shame,” Nikkei Asia, January 21, 2023. 記事では、イギリスの浴室用品サプライヤーQS Suppliesが発表した世界主要69都市の公衆トイレ設置数ランキングにおいて、ホーチミン市は67位、ハノイ市は66位であったと報じられている。
  4. Xanh Le, “Foreign tourists distressed by public restrooms in Vietnam,” VnExpress, February 15, 2023.
  5. 小椋(2001)が南部農村に特有のトイレとして紹介している「傾斜トイレ」は、おそらく筆者が経験した「角穴トイレ」と仕組みがよく似たものだ。ただし、小椋(2001)によれば、「角穴トイレ」と違って「傾斜トイレ」の汚物排出口は床面ではなく壁面にある。
  6. 記憶が曖昧だが、たしか簡易トイレと呼ばれる、金隠しがない便器に柄杓で水を流すものだったと思う。簡易トイレについては、小椋(2002)において写真付きで解説されている。当時の北部農村では、このタイプのトイレが最も多く普及していた(GSO 2000)。
  7. 一般的には、排便率ではなく排泄率が検討されることが多いようだが、ここで使用したデータは項目名defecation(排便)から見るかぎり、排便のみに注目しており、排尿も含むexcretion(排泄)とは異なるものと考えられる。
  8. 前出の「角穴トイレ」も屎尿を分離して固形物だけを肥料や飼料として利用する仕組みであったことを考えると、統計上は「屎尿分離コンポストトイレ」に分類されている可能性もあるのではないかと推察する。
  9. 実際にこのトイレを使ったとみられる小椋(2002)も、この作業には熟練がいると感じたと述べている。