IDEスクエア
世界を見る眼
第5回 特恵関税停止のインパクトは?
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051578
2020年2月
(3,981字)
ポイント
- EUのEBA協定の停止は、カンボジアの輸出を大きく減らす。
- 縫製産業において、工場の閉鎖や労働者の解雇が起こる。
- 工場で働いている地方出身の貧しい女性労働者に大きな影響をもたらす。
特恵関税停止の決定について
最終回の今回は、EUが決定した特恵関税の部分的停止について、カンボジア経済がどのような影響をうけるのか、みていきたい。
2020年2月12日付けで、EUがカンボジアに対するEBA協定を一部停止することを決定した1。欧州議会と欧州理事会の反対がなければ、一部停止の措置は2020年8月12日に実施される。
具体的には、次の4品目に対する特恵関税が停止される。
- 一部の縫製品(高付加価値の縫製品は引き続き無関税)
- 一部の靴製品(特定の靴は引き続き無関税)
- 旅行用製品
- 砂糖
これらの品目を合計すると、EU市場向けのカンボジア輸出のうち2割弱にあたる10億ユーロ(約1200億円)分が影響を受けることになる、といわれる。
このEBA協定の一部停止がカンボジア経済に与えるインパクトは、研究者も政策担当者も大きな関心を持っている。例えば、EBA停止によって、縫製品輸出はどのくらい減少するのだろうか。
縫製品輸出に対する影響
はじめに、理論的に考えてみたい。EBA協定が停止されると、カンボジアからEU市場に縫製品を輸出する際、約12パーセントの関税を支払うことになる。
2018年時点で、カンボジアは、約42億米ドル(約4600億円)の縫製品をEU市場に輸出している。これらの縫製品の一部に関税が課されることになるが、どの縫製品の品目で関税が課されるのかは、具体的には公表されていない。しかしながら、関税負担額を単純に計算すると、1000億円分の縫製品輸出に対して、約120億円を追加的に支払うことになる。莫大な金額である。
この関税は、直接的には輸入者が支払うことになる。追加的な費用は、縫製品の製造企業や、EUにおける縫製品の販売企業、そして購入する消費者なども最終的に負担することになる。企業が関税負担をすべて小売り価格に転嫁すれば、消費者がカンボジア産の衣料品の価格上昇を負担することになる。
ヨーロッパで売られるカンボジア産の衣料品が高くなれば、消費者はより安い他の衣料品を購入するようになるだろう。販売が減れば、カンボジアから輸入する衣料品は減り、カンボジアで生産される縫製品が減る。そして、生産の減少によって、利益がでない工場は閉鎖され、労働者は解雇される。また、売上が減少した工場は、生産調整のため労働者を解雇する。
一方、カンボジアの縫製工場は、EU以外の海外市場に販路を求めることができる。EU市場で売れなくなった縫製品を、他の市場に代替的に輸出して、生産減少の穴埋めができるかもしれない。
経済インパクトの予測
実際にどの程度のインパクトがあるのか、予測するために経済学が役に立つ。
例えば、世界銀行カンボジア事務所は、予測レポートを公表している2。このレポートは、先行研究で推定された輸入と価格の関係から、関税率の上昇によるEUの輸入額の減少率を推定している。例えば、EU市場向けの縫製品の輸出額は、最低で8.7パーセント、最大で10.4パーセント減少する、と予測されている。
タイのクルンシー・リサーチ(Krungsri Research)は、世界貿易分析モデルを使って予測している3。この予測では、EU市場向けの縫製品の輸出額は、最低で11.8パーセント、最大で13.4パーセント減少する、と見込まれている。
しかしながら、いったいどの予測値が正しいのだろうか。
インパクトの大きさは、予測の基礎となる仮定に強く依存しがちである。例えば、代替の弾力性や輸入需要の弾力性など、予測に必要な設定値を変えると、予測値の大きさも変わる。こうした場合、経済予測の信憑性が疑われてしまう。
ミャンマーからの教訓
EBA協定停止の影響については、ミャンマーの経験が参考になるかもしれない。EUは、強制労働の問題を理由に、ミャンマーに対する特恵関税を1997年に停止した。その後、政治環境の改善をうけて、EBA協定を2013年に再開した。
最近の縫製産業が関税の変化にどのように反応するのか、ミャンマーにおける2013年以降の縫製品輸出に着目すれば、仮定を置かないで現実の変化をみることができる。
図5-1は、EUROSTATデータベースを活用して、EUにおけるミャンマーからの縫製品輸入を示している。ミャンマーがEUの特恵貿易の対象ではない期間、ミャンマーにおける縫製品企業は通常の関税率で輸出していた。
図5-1 EUにおけるミャンマーからの縫製品輸入
(出所)EUROSTATのデータをもとに筆者作成。
2013年にEBA協定が再開されて以降、ミャンマーからEUに無関税で輸出される縫製品の輸出額は、驚くほど急拡大している。無関税の輸出額は、たった6年間でゼロから15.5億ユーロ(約1860億円)に急増した。
データからみえてくるのは、EUの関税率が縫製品輸出に大きく影響しており、縫製品の生産地は、国境を越えてすぐに移転する可能性である。つまり、カンボジアにおける一部の縫製工場は、EU市場の関税上昇によって、撤退する可能性が高い。カンボジアに対するEBA協定の一部停止の影響は、厳密には対称的ではないだろうが、ミャンマーの経験はいい教訓を与えてくれる。
誰に影響するのか?
最後に、EBA協定の停止が誰に影響するのかを考えてみたい。
第1に、縫製品輸出の減少は生産と利益の減少につながり、縫製工場の縮小や閉鎖を引き起こす。一般的に、縫製工場は投資規模が小さいため、投資の回収期間が短いといわれる。十分利益を得た経営者は、工場設備を売却、または貸出することもできる。そうした経営者は、カンボジアでの生産をやめて、他の国に工場を移転するだろう。
第2に、縫製工場の閉鎖は、大量の縫製労働者の失職につながる。EU市場向けの輸出拡大によって、多くの女性労働者が縫製産業で雇用されている。工場で働いている地方出身の貧しい女性労働者は、失職しても他の産業でいい仕事をすぐに見つけることが難しいかもしれない。また、縫製工場で得た賃金は、労働者の家族を支える貴重な収入源である。労働者が支える家族は、大きな影響をうけるであろう。
カンボジアの発展のために
最後に、筆者の個人的な感想を述べて、この連載を終えたい。
第1に、先進国の特恵関税は、原産地ルールを緩めることで、途上国の輸出産業を支援し、貧しい現地の労働者によい仕事を提供している。先進国の途上国に対する特恵関税では、生産の実態に合わない厳しい原産地ルールを緩和していくべきである。
しかしながら、簡素な原産地ルールは迂回輸出を引き起こす可能性がある。迂回輸出が増えると、便益を受ける途上国の輸出や雇用が十分に増えないかもしれない。原産地の証明は煩雑であるが、途上国でこのルールがしっかりと守られているか、先進国が定期的に査察などを行い、途上国政府の原産地証明を支援していくべきである。
第2に、特恵関税の停止は、貧しい労働者などの経済的弱者に対する事実上の制裁に近い。一方、経済的強者である経営者や政治家に対して、どれほど効果があるのか不明である。ミャンマーの事例をみれば、途上国の人権の尊重や民主化支援に対する制裁の効果が出るまでに、長期間にわたり多大なコストを払わねばならないことがわかる。特恵関税の停止ではなく、経済制裁の対象を個人に限定すべきである。
(完)
写真の出典
- ILO Asia-Pacific, Factory Assessment in Cambodia(CC-BY-NC-ND 3.0 IGO).
著者プロフィール
田中清泰(たなかきよやす) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門は国際経済学、開発経済学。最近の著作は、"Agglomeration Economies in the Formal and Informal Sectors: A Bayesian Spatial Approach" (with Yoshihiro Hashiguchi) Journal of Economic Geography, Vol.20, Issue 1, 2020, "Do International Flights Promote FDI? The Role of Face-to-face Communication"Review of International Economics, Volume 27, Issue 5, 2019,など。
注
- 次のプレスリリースを参照。European Commission, "Trade/Human Rights: Commission decides to partially withdraw Cambodia’s preferential access to the EU market," February 12, 2020.
- 次のレポートを参照。World Bank, "Cambodia Economic Update," 2019.
- 次のレポートを参照。Krungsri Research, "Economic impact of the EU's suspension of its trade preferences on Cambodia," 2019.
この著者の記事
- 2020.08.06 (木曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)リモートワークで出社勤務はなくなるか?――集積経済の視点
- 2020.06.12 (金曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)新型コロナウイルスと新興国インバウンド観光
- 2020.05.26 (火曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)新型コロナウイルスと海外ビジネス展開――国際線フライト運休の影響
- 2020.02.28 (金曜) [IDEスクエア] (EU対カンボジア――特恵関税をめぐる攻防――)第5回 特恵関税停止のインパクトは?
- 2020.02.21 (金曜) [IDEスクエア] (EU対カンボジア――特恵関税をめぐる攻防――)第4回 特恵関税はやめていいのか?