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EU対カンボジア――特恵関税をめぐる攻防――

第1回 EUの要求とカンボジアの反発

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051540

2020年1月

(3,209字)

ポイント
  • カンボジアでは政治活動の抑圧や人権侵害が続いており、欧州連合(EU)は、カンボジアに対する特恵関税制度であるEBA協定の停止を検討している。
  • EUはカンボジアにとって最大の輸出市場である。EBA協定の停止は輸出産業に大打撃を与えるため、カンボジア政府は対応を迫られている。
カンボジア経済の怪しい雲行き

カンボジア経済は、近年目覚ましい成長を遂げてきた。一人当たり国民総所得は、2018年に1390米ドルまで上昇している1。急速な経済成長を支えているのは、ヨーロッパや米国、日本など、先進国市場向けの縫製品輸出である。

その一方で、カンボジアではここ数年、政治活動の抑圧や人権侵害が深刻化している2。こうした問題の改善を求めて、欧州連合(EU)は、カンボジアに対する特恵関税制度であるEBA協定の停止を検討し始めた。2019年2月にEUが停止措置の準備に入ったと公表して以降、カンボジア経済の先行きに暗雲が立ち込めている3

この事態に対して、カンボジア政府は対応を迫られている。カンボジア経済財政省は、「EUがカンボジアに対するEBA協定を停止した事態に備えて、政府はおよそ30億米ドルを準備している」と述べている4。とはいえ実際にEBA協定が停止されれば、カンボジア経済に深刻な打撃を与えることになろう。

最重要のEU市場

近年、カンボジア経済における国際貿易は急激に拡大してきた。輸出総額は2000年の13.9億米ドルから、2016年に101億米ドルに増加した。一方、輸入総額は2000年の14.4億米ドルから、2016年に124億米ドルに増加している(UN COMTRADE)。

貿易の拡大とともに、主要な貿易相手国も変化してきた。2000年時点では、米国向け輸出が輸出総額の54.0%を占めていたが、そのシェアは2017年には21.3%まで減少した(カンボジア経済財政省)。

他方、EU市場のシェアは、2000年の16.9%から2017年には39.3%にまで高まった。EUにおける主要な輸入国は、ドイツ、イギリス、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアなどである。

EU市場向けの輸出では、縫製品が大きなシェアを占める。貿易統計では、縫製品はHS番号61の衣類(Knitted Garments)と、HS番号62の衣類(Woven Garments)として記録される5。例えば、前者にはTシャツ、後者にはジャンパーがある。

これらの縫製品を合計すると、縫製品輸出の重要性が分かる。2016年時点で、ドイツ向け輸出に占める縫製品のシェアは75.7%である。イギリス向け輸出では79.1%にも達する。主要な輸出産品として、近年は自転車やコメなども伸びてきたが、依然として縫製品が圧倒的なシェアを占める。

カンボジアの反発

EU市場向けの縫製品輸出の拡大は、カンボジア経済の成長を支える原動力となった。縫製産業の発展により、多くのカンボジア人に雇用が生まれた。EUは、カンボジア経済にとって最重要の輸出市場であり、その要求は簡単には無視できない。

カンボジア縫製業協会(GMAC)は、特恵関税制度が停止されるとカンボジア人労働者とその家族は深刻な打撃を受けると主張し、EUに対してEBAの維持を強く求めている。

カンボジア政府は、EUの要求に対応する姿勢を見せながら、EBAの停止措置を再検討するよう求めている。またカンボジアのフン・セン首相は、EUの要求はカンボジアの内政干渉にあたると非難した。

対するEUは、特恵関税制度の停止に関する報告書を、2019年11月にカンボジア政府に提出した。カンボジア政府の対応を見ながら、2020年2月に最終的な結論を出す予定である。

写真:カンボジアのフン・セン首相(2015年)

カンボジアのフン・セン首相(2015年)
EUとカンボジアのホンネは?

この問題を調査するため、2019年12月に筆者は、カンボジアの首都であるプノンペンに向かった。現地での聞き取り調査を通じて、EUとカンボジアのどちらも本音では関係悪化を望んでいないにもかかわらず、譲れない建前のために対立を深める構図が見えてきた。

第1に、EUは、EBA協定の停止によって一般のカンボジア人労働者が大きな打撃を受ける事態を望んでいない。しかしながら、EUは特恵関税の適用条件として、相手国に人権の尊重を求めてきた。カンボジア政府の政治的弾圧などは、特恵関税の条件に違反しており、停止措置に向けて動かざるを得ない。

第2に、カンボジア政府は、EBA協定の多大な恩恵をよく分かっている。その恩恵がなくなる事態を、カンボジア政府は望んでいない。しかしながら、自国における政治状況や政府の対応に対するEUの要求は、独立した国家の政府として容易には受け入れ難い。

EUの要求と、カンボジア政府の反発は、すぐに解決する問題ではないようだ。

連載で考えていくこと

この連載(全5回)では、EUとカンボジアの特恵貿易をめぐる対立とその背景について解説する。次回からは、筆者の実証分析に基づきながら、以下の疑問について解き明かしていきたい。

  • EU市場向けの縫製品輸出はどうして急拡大してきたのか(2月7日掲載予定)。
  • EU市場向けの輸出拡大は、カンボジアの貿易投資、雇用に対してどのような影響を与えたのか(2月14日掲載予定)。
  • なぜEUはカンボジアに対するEBA協定を停止することができるのか(2月21日掲載予定)。
  • もしEUがEBA協定を停止した場合、カンボジアの縫製産業はどうなるのか(2月28日掲載予定)。

(以下、次号)

写真の出典
  • Alex Willemyns, Prime Minister of Cambodia, Samdech Hun Sen met with Sam Rainsy in 2015 to resolve their differences(CC-BY-SA-4.0[https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/]).
著者プロフィール

田中清泰(たなかきよやす) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門は国際経済学、開発経済学。最近の著作は、"Agglomeration Economies in the Formal and Informal Sectors: A Bayesian Spatial Approach" (with Yoshihiro Hashiguchi) Journal of Economic Geography, forthcoming, "Do International Flights Promote FDI? The Role of Face-to-face Communication"Review of International Economics, Volume 27, Issue 5, 2019,など。


  1. 世界銀行のWorld Development Indicatorsデータを引用。
  2. カンボジア政治社会の動向について、以下を参照。初鹿野直美「2018年のカンボジア――最大野党排除のままの総選挙実施と選挙後の懐柔策」アジア経済研究所編『アジア動向年報2019』2019年、241~260ページ。
  3. 欧州委員会が2019年2月11日に発表したプレスリリースを参照。EBAはEverything But Armsの略語で、武器以外の全品目において関税も輸入割当も撤廃する特恵関税制度である。
  4. "$3 billion in reserve ahead of possible EBA withdrawal," The Phnom Penh Post, November 28, 2019.
  5. HSとは、"Harmonized Commodity Description and Coding System"の頭文字を取った呼び名である。
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