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コラム

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第2話 パキスタンの人権活動家

アーシュマ・ジャハーンギール(弁護士、元パキスタン人権委員会議長)2018年2月11日逝去(享年66歳)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050409

佐藤 創

2018年6月

教育を受けたいと声を上げて行動したパキスタンの少女マラーラ・ユースフザイーが、女性教育を敵視するイスラーム武装組織に頭部を銃撃された事件、そして回復後の彼女の精力的な活動と2014年度のノーベル平和賞受賞は、日本においても広く知られている。そのユースフザイーがあるパキスタン人弁護士の訃報に触れてツイートした。

「民主主義と人権の擁護者、アーシュマ・ジャハーンギールが逝ってしまいました。オクスフォードで先週会ったばかりなのに。彼女がもうこの世にいないなんて信じられません。彼女への感謝を捧げる方法は、故人が取り組んできた人権と民主主義を進めるための戦いを続けることです」1

ジャハーンギールは、パキスタンにおいて女性や宗教マイノリティの人権、そして民主主義を擁護する活動を40年あまりにわたり展開してきた社会活動家である。国内では、軍政下で民主化運動に果敢に取り組んだことでよく知られている。1983年にはズィヤー・ウル・ハック軍事政権に対して民主化を求めて投獄され、2007年にもムシャッラフ軍事政権に反対する法曹による運動を主導して自宅監禁に処された。

国際的には、ジャハーンギールは人権擁護活動において注目された2。軍政下でイスラーム化が進められ、女性差別的なフドゥード法が1979年に導入されると、これに反対する運動を展開した。たとえば、同法では姦通と強姦を同じ規定で処罰するため、強姦されたにもかかわらず一審で鞭打ちと懲役の刑に処された少女の弁護に立った。あるいは、家族から名誉殺人の対象とされた女性の離婚訴訟を担当するなど、女性の人権を守ることに努めた。

また、村のモスクに神への不敬な落書きをしたとの疑いで、涜神罪で死刑に問われたクリスチャンの少年を弁護するなど、宗教的マイノリティの権利擁護にも取り組んできた。2017年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で彼女が行ったアマルティア・セン記念講演のタイトルは、「宗教的不寛容とその民主主義への影響」である3。なお、彼女自身はムスリムである。

ジャハーンギールの父は公務員退職後に政治家となった人物であり、独裁政権下でも歯に衣着せぬ物言いで知られていた。たとえば、バングラデシュの独立時(1971年)には、パキスタン政府による独立運動の弾圧を非難して投獄されている4。また、彼女の母は、高等教育を受けたムスリム女性がほとんどいなかった時代に、ラホールにあるクリスチャン系のカレッジで学んだ初のムスリム女性であった。1970年代半ばには、当時法学部生であったジャハーンギールは、時の政権に拘禁された父を解放するための運動を始めたという。1980年代には、女性のための法曹扶助センターをパキスタンにおいて初めて立ち上げた。パキスタン人権委員会の創立メンバーでもあり、後に女性として初めてパキスタン最高裁法曹協会の長も務めた。国際的にも活躍し、国連の「宗教または信仰の自由についての特別報告者」などの要職を歴任している。

いうまでもなく、こうした人権擁護活動や民主化活動を行うことは、ジャハーンギール自身や彼女の家族の安全を危険に晒すものでもあった。しかも、ユースフザイーの例からも推測されるように、パキスタンでは、彼女が女性であるということがさらにその危険を高めた5。そうした環境のなかで活動をつづけてきた困難や恐怖を、日本で暮らす私たちが感覚的に理解することは難しいかもしれないが、彼女の勇気を想像してみることはできる。

「人権は仕事ではありません。それは信念なのです。……正義は私たちの側の世界では希少なものなのです。とても希少。それでも正義を求めて叫ぶことだけでも、(あなたの叫びが)聞かれているということによる若干の満足を、時には得るのです。そしてあなたの訴えを社会は聞かねばならない。(社会のドアを)叩き、もう一度叩き、また叩き、そして叩き、さらに叩き……そしてある日、あなたの声を社会はようやく聞くでしょう」6(括弧内は筆者補足)。

正義が歪められる限り、怒り、叫び、叩き、主張し続けるべきというジャハーンギールの声は、死してなお人々の心のドアを打ち続ける。

著者プロフィール

佐藤創(さとうはじめ)。ジェトロ・アジア経済研究所主任研究員を経て、現在、南山大学総合政策学部教授。博士(ロンドン大学)。専門は経済発展論、国際開発論、アジア政治経済。編著に『インドの公共サービス』(アジア経済研究所2017年)、Varieties and Alternatives of Catching-up(Palgrave-Macmillan, 2016)など。

書籍:インドの公共サービス

書籍:Varieties and Alternatives of Catching-up

脚注
  1. ジャハーンギールの訃報を伝えるインドの報道より(https://www.ndtv.com/world-news/pakistans-rights-activist-asma-jahangir-dies-at-66-tributes-pour-in-on-twitter-1811635)。以下、本エッセイではとくに断りがない限り、事実関係については、Sarwar(2018)のほか、パキスタンの英字紙Dawnhttps://www.dawn.com/news/1388771)、インドの英字紙The Hinduhttp://www.thehindu.com/news/international/asma-jehangir-a-symbol-of-resistance-a-votary-of-peace/article22723808.ece)などの記述に依拠している。また、The Economist誌も"No Place to Keep Quiet"という見出しで、ジャハーンギールを逝去の翌週にはObituary欄で取り上げている(https://www.economist.com/obituary/2018/02/15/obituary-asma-jahangir-died-on-february-11th)。なお、本エッセイで引用しているウェブサイトの最終アクセス日はいずれも2018年5月30日である。
  2. 国連事務総長も即座にジャハーンギール追悼の声明を公にした。"Secretary-General's statement on the death of human rights activist Asma Jahangir"(https://www.un.org/sg/en/content/sg/statement/2018-02-11/secretary-general’s-statement-death-human-rights-activist-asma)。
  3. ジャハーンギールは、LSEのアマルティア・セン記念レクチャーに呼ばれたはじめてのパキスタン人とのことである。なおレクチャー(ジャハーンギールの講演とセンのコメントおよびディスカッション)は下記で視聴可能である。https://www.youtube.com/watch?v=NMMEwiiceUg
  4. 彼女の父Malik Ghulam Jilaniは、他界後の2013年にバングラデシュ政府が外国人に授与する‘Friends of Liberation War Award’を贈られ、その関係もあり、ジャハーンギールの逝去は有力英字紙The Daily Starなどで、バングラデシュでも広く報じられている(https://www.thedailystar.net/country/pm-prime-minister-sheikh-hasina-mourns-death-lawyer-social-activist-pakistan-asma-jahangir-1533550)。
  5. 実際に、原理主義者に車を襲われたり、母の家に銃を持った侵入者が乱入したり、危険なことも多く、ジャハーンギールは安全のため子供たちを海外の学校に行かせる決断をしたという(Sarwar 2018)。
  6. ジャハーンギールは2014年に「もう一つのノーベル賞」とも呼ばれるスウェーデンのライト・ライブリフッド賞(The Right Livelihood Awards)を受賞しており、同賞を運営する組織が2017年に行った際のインタビューより。下記で視聴可能である。https://vimeo.com/225966475
参考文献

  • Sarwar, Beena (2018) "A‘Human Right Giant': Asma Jahangir (1952-2018)", Economic and Political Weekly, 53 (12).