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コラム

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第5話 李登輝が切り開いた台湾民主化の紆余曲折に満ちた道

李登輝(元中華民国総統[在任期間1988~2000年])2020年7月30日逝去(享年97歳)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051844

蕭 新煌

2020年10月

(3,905字)

台湾の李登輝元総統が今年(2020年)7月30日、逝去された(享年97歳)。総統府が9月19日に発した李登輝元総統を称える弔辞には、次のような一節がある。「彼の生涯を振り返るならば、台湾という土地における自由と民主の発展の過程を始動するものでした。彼は台湾人が自らの主体性を認識することが、その過程を進めるうえで持つ戦略的な位置づけを見通していました」。さらに蔡英文総統の追悼文では、「李元総統の一生は台湾近現代史の縮図です。彼は植民地統治を経験し、権威主義時代に生き、台湾の民主化の過程のなかで中心的な人物となりました」と述べられている。

李登輝が蔣経国の遺言を受け継ぎ、総統に就任した1988年から具体的な民主化のステップを推し進めた指導者であることは間違いない。台湾が彼の主導によって民主主義体制を構築した過程は、しばしば「静かな革命」として表されている。海外のメディアは彼を「ミスター・デモクラシー」と呼んでいる。

彼はどのように台湾の民主化を成し遂げたのだろうか。その複雑な行程を簡単に理解することはできないが、それを解明することは、台湾の民主主義の経験と民主化のモデルとしての要諦を明らかにする助けになるはずである。


蔣経国の晩年、台湾の権威主義的統治が自由化に向かう転機が明らかに訪れていた。蔣が自由化に舵を切ったことは、市民社会と反対勢力によるボトムアップの圧力に対応した合理的な行為であった。なかでも1987年の戒厳令解除は最も重要な自由化政策であった。

李元総統は元々、農業経済学の学者であり、農政官僚だったが、1970年代初めに中国国民党(以下、国民党)政権内から推挙があり、蔣経国を行政院長[首相に相当。以下、大括弧は訳注]とする内閣に入ることになった。1984年には蔣経国総統の抜擢によって副総統となり、国民党政権の中心に身を置く政治人生が始まった。1984年から1988年に蔣経国が死去するまでの4年間、彼は可能な限り慎重かつ謙虚な姿勢で、他のあらゆる取り巻きをほとんど信用していなかった、余命僅かな独裁者の傍らに付き従い、相当の信頼を得ていた。これは実に難しいことであった。

このような、権力を掌握する前に耐え忍ぶという処世術は、後に改革者となる李登輝が敵意に満ちた国民党の権威主義体制の内部で生き延び、地位を保つことができた知恵と心得だった。それはまた、彼がポスト蔣経国時代に権力を得て、政治をリードすることができた第1の前提だった。さもなければ、必ずや彼は国民党の保守勢力によって排除され、権力の外に置き去られてしまい、後に「李登輝党主席および総統」が生まれることはけっしてなかっただろう。

李登輝は1988年に総統に就任すると、民主化の行程を歩みはじめた。彼は1947年に中国全土から選出され、国民党政権の台湾移転にともなって長く非改選のままとなっていた「中央民意代表」[国会議員など]の退任を進め、「万年国会」[非改選議員が多数を占める国会]に終止符を打って国会の全面改選を達成するとともに、総統の直接選挙を実現した。「動員戡乱時期臨時条款」[憲法を凍結し、権威主義を可能にした憲法の追加条項]を廃止し、刑法第100条を削除して「思想反乱罪」を撤廃した。また、国家安全法を修正して政治犯のブラックリストを廃止し、警備総司令部[権威主義体制期の治安維持機関]を解体した。台湾と中国大陸の関係については、両岸人民関係条例を制定し明確にした。

これらはすべて台湾の統治の本土化[政治的な意味では、統治の根拠と範囲を台湾に置くこと]と関わっている。台湾の政治権力の主体性を確立し、それによって、元々、中国大陸で生まれた国民党が中国全土を対象として構築した統治の方式から決別した。また、現在、中国共産党の統治下にある中国大陸とも、明確に分離した。つまり、政治的民主化と、政治権力の本土化を並行して進めたのである。今、顧みるならば、このことは李登輝が台湾の民主化という大業を成し遂げるために配した極めて重要な一手だったといえる。もし本土化という基底がなければ、民主化は表面的な形式にとどまったかもしれない。

李登輝は1996年に初の総統直接選挙に当選して権力を固めた後、台湾の国家としての位置づけに関する議論を展開した。まず1998年に台湾が主権国家であり、中国が唱える一国家二制度を適用することはできないと公開の場で訴えた。続いて1999年には、台湾海峡を挟んだ中国大陸と台湾は「特殊な国と国の関係」であるとし、本土化路線を余すところなく主張している。

ここまで述べたような民主化改革を実現するために、李登輝は反動的、保守的な国民党の内部において、協力者や助力を十分に得ることはできなかった。そのため、彼は必要に応じて外部に盟友を求めた。「野百合学生運動」、反刑法100条市民運動、野党の民主進歩党(以下、民進党)は、1990年から自身が直接選挙によって総統に選出される1996年まで、国民党内の反対勢力を抑え込むために李登輝が「活用した」改革勢力である。

李登輝はこの間、党内において「民主的」で「和を尊ぶ」党主席とはいえなかった。しかしながら、それゆえに彼は台湾の民主化を始動し、実現することができたのである。もし彼が外部の民主化の流れと力、そして彼自身の剛腕と権謀術数に頼ることがなかったならば、国民党の反動勢力を抑え込むことは簡単ではなかったかもしれない。台湾の民主化を進めるために国民党内で非民主的な主席であったことは、明らかに李登輝の民主化改革の第1のパラドックスである。

李登輝は総統として権力の座にあった12年のなかで、党内に彼の民主化改革の精神と大業を受け継ぐ後継者を育成することができなかった。まず宋楚瑜が、続いて連戦が李登輝の公式の後継者と見なされた。しかし、彼らは相次いで李と反目し、敵対することになった。権力の中心からはやや外れるが、王金平、蕭萬長、江丙坤らは国民党本土派の政治家といわれた。しかし、ポスト李登輝時代になると、それぞれ改革の志を捨て、唯々諾々と妥協し、外省人[1945年以降、中国大陸から台湾に移住した人とその子孫]が多くを占める国民党守旧勢力のなかで「台湾籍の」既得権益階級となり、まったく民主化改革に寄与することができなくなってしまった。

厳しい言い方をすれば、李登輝の人を見分け、用いる能力は多くのブレーン、側近、各界の友人に対しては発揮されたものの、後継者となる人物の養成においてはうまく作用しなかったといえよう。しかし、李登輝の第2のパラドックスは、彼が国民党の内部では有力な後継者を育てず、党のエリートの計画的な養成と継承に断絶を生んだ結果、むしろ国民党の外において、優れた本土志向の政治的人材が数多く輩出されたことである。なかでも、民進党内の人材が頭角を現す機会を創り出すことになった。

李登輝の台湾民主化路線は、さらにひとつのアイロニーを生んだ。皮肉な出来事の発端は2000年の政権交代後の国民党において起きた。はじめての政権交代によって国民党が下野したことで、党内では世代を跨いで保守勢力が反撃の機会を見出すことになった。彼らは国民党の退潮は李登輝のせいであるとして責め、最後にはその党籍を剥奪した。

これが皮肉だというのは、李登輝を除名し、その民主化改革路線と袂を分かった後の国民党は、結果として党の発展方向を見失い、本土化が進む台湾社会からしだいに遊離していくことになったからである。実際に過去20年の国民党をみるならば、馬英九による「親中・統一志向」の8年の統治もあったし、1年あまりに及んだ韓国瑜のポピュリズム的な騒ぎもあった。しかし、馬と韓の一時的なブームは、反民主的で反本土的な国民党のポスト李登輝路線において生じた不幸な反動だったといえる。それは結局、国民党の活力と台湾社会におけるポジションを大きく損なうことになったのである。


今、李登輝が切り開いた台湾民主化の曲がりくねった道を振り返ると、このようなひとつの前提、ふたつのパラドックス、そしてひとつのアイロニーを容易に見て取ることができる。現在、彼の政治的民主化と自由化の路線、そして国家としての自主性を重んじる路線は、彼の出身政党である国民党では途切れてしまっている。それを引き継いでいるのは、元々は彼が対峙しなければならなかった民進党である。民進党はこれからもその道を歩み続けていくに違いない。(訳/佐藤幸人・川上桃子)

写真:現職の蔡英文総統(写真中央)と握手を交わす李登輝元総統。左は曽文恵夫人(2016年)

現職の蔡英文総統(写真中央)と握手を交わす李登輝元総統。左は曽文恵夫人(2016年)
(2020年10月15日 「蒋彦士[当時の国民党の幹部、蔣経国の側近。以下、大括弧は訳注]の推挙によって」を「中国国民党(以下、国民党)政権内から推挙があり」に修正)
写真出典
  • 中華民國總統府、總統蔡英文於就職國宴上向前總統李登輝及其妻曾文惠問好(CC BY 2.0
著者プロフィール

蕭新煌 (HSIN-HUANG MICHAEL HSIAO) 現職は台湾亜州交流基金会董事長、中央研究院社会学研究所兼任研究員、中央大学(台湾)客家研究講座教授、中山大学社会学系兼任教授等。ニューヨーク大学バッファロー校社会学博士。研究分野は開発社会学、アジアの中間層・市民社会・民主主義、環境社会学、客家研究等。近著はTaiwan Studies Revisited (co-editor, Routledge, 2019)、『面對台灣風險社會――分析與策略――』(共編 巨流圖書 2019)等。