スリランカとインド・中国の政治経済関係

政策提言研究

2013年3月
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※以下に掲載する論稿は、平成24年度政策提言研究「 中国・インドの台頭と東アジアの変容 」研究会の荒井悦代委員が、研究会活動を通じて得た知見を自らの責任において取りまとめたものです。

はじめに
東南アジアにおける中国の政治的・経済的台頭が注目されている。インドがそのカウンターバランスになると目されているものの、東南アジアではベトナム等 1 の例外を除き、インドが積極的な役割を果たしているように見えない。

しかしスリランカでは、両国が競合するような状況にある 2 。そのなかで2012年、スリランカのとった対中政策がインドを刺激するような事件が頻発し、インド国内では従来の対スリランカ外交戦略を改めるべきだという国内世論が高まった。

スリランカで中国の役割が意識されるようになったのは、スリランカが内戦中に中国から武器調達を行い、内戦後も復興援助のための資金を得、外交上も中国からのサポートを得ているためである。南アジアの大国を自認するインドも、中国に対抗するようにスリランカへの関与を強め始めたことは、既に荒井(2012)で述べた。本稿では経済や政治面での両国の関係などを探る。
1. アメリカの方針転換
スリランカに注目するのはインド・中国だけではない(Mendis, 2012)。2009年のアメリカの対スリランカ外交方針の転換もスリランカをめぐる印中の競合を理解するために必要である。

「9.11同時多発テロ事件」後のアメリカは、対テロリスト戦略の一環としてテロ組織であるタミル・イーラム解放の虎(LTTE)と対峙するスリランカ政府を支援していた 3 。しかし、スリランカ政府による人権侵害と停戦合意 4 破棄(2006年)を理由にアメリカは2008年にスリランカの軍事支援を停止する。そこに中国やパキスタンが対スリランカ軍事支援を強化した。

2009年5月の内戦終結後も、アメリカや欧米諸国などの国際社会は民間人への攻撃などの戦争犯罪があったとしてスリランカ政府を批判していた。アメリカは2009年7月にはIMFの対スリランカ融資26億ドルに反対票を投じている。

しかし2009年12月にアメリカ上院外交関係委員会は「スリランカ:内戦終結のアメリカ戦略の練り直し」(Re-charting US Strategy after the war)と題する報告書を発表した 5 。ここでは、従来アメリカの政策担当者が、スリランカの地政学上の重要性を過小評価してきたと論じる。アメリカ政府は、タミル人国内避難民(IDP)問題や内戦後の和解について熱心だったあまり、アメリカの利益にもつながるスリランカの経済や安全保障の問題に投資してこなかった。その結果、スリランカを政治的にも経済的にも西側から孤立させてしまった、と断言し地政学上重要なスリランカをみすみす失うわけにはいかない、と述べて、オバマ政権に現実的な対スリランカ政策 6 を勧告している。

この報告書が指摘している、スリランカの地政学的重要性や西側からの孤立とは具体的には次のようなことである。

スリランカの地政学的重要性とは、スリランカがヨーロッパや中東と中国・アジアを結ぶ海路に近いことから来る。世界のコンテナ船の半分はインド洋を航海する。そしてアメリカのエネルギー戦略上、資源運搬ルート確保・インド洋の自由な航海は不可欠である。大量のエネルギー輸入を必要とする中国にとってもインド洋は同様に重要である。中国は、スリランカに援助などで取り入り、インド洋におけるパワーバランスで優位に立とうとしている。報告書では、スリランカにおける中国の活動によってアメリカやインドの利権が脅かされているとみる。

スリランカの西側からの孤立とは、内戦中、内戦後の困難な状況にあったスリランカに対して、欧米諸国や国際社会が厳しい態度で臨んだことにより、スリランカが非西欧諸国に活路を求めたことによる。戦争犯罪や人権問題、IDP帰還問題で国連など国際社会から糾弾されたスリランカに対して、国際会議 7 などの場で支持を表明してくれたのはアジアやアフリカの国々だった。EUから受けていたGSPプラス(一般特恵関税制度の優遇制度)の継続が、国内の人権政策などが考慮されて困難となる状況で、経済的にも危うくなったと判断したスリランカはイラン 8 、リビア 9 、中国などに助けを求めた。

スリランカの地政学的重要性においても西側からの孤立においても中国が大きく関与している。そして、南アジア・インド洋におけるこのような中国の存在はインドにとっても重大事である。

2. スリランカとインドの経済関係
アメリカ上院外交関係委員会の要旨は中国がシーレーンを強化しようと対スリランカ援助や軍事支援を行い、従来のバランスを崩したことでインドがそれまでの対スリランカ政策を見直し、アメリカもスリランカの重要性を再認識したということである。

武器を供与し内戦を終結させ、その後のスリランカの復興までも後押ししただけでなく、インドやアメリカにスリランカの地政学的重要性を認めさせたのが中国の戦略と資金力であることは間違いない。ここではスリランカと印中の経済・政治関係を紹介する。スリランカにとってインド・中国とはどのような国なのか。今後どのように関係を構築していくべきなのか。

(1)貿易
インドとスリランカは1998年12月28日にFTAを締結している。インドにとって初めてのFTAであった。しかし、両国にとって締結の動機はどちらかといえば政治的な配慮が強かったといえる。スリランカにとっては、1980年代に民族問題によって悪化したインドとの関係 11 を改善する意図があった。インドにとっては、核実験後の経済制裁に対処するためにアジアの市場を開拓する狙いがあった。そのため、FTA締結準備の話し合いはわずか4カ月ほどで不足気味であった 。調印はされたものの、実施に移されたのは2000年3月で、完全実施となったのはインドが2003年3月、スリランカに至っては2008年10月であった。

表1 スリランカとインドの交易

1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011
インドへの輸出
(100万ドル)
49 58 72 171 245 391 566 489 515 418 332 474 519
(対前年増加率)(%)   19.4 24.0 136.9 43.7 59.6 44.8 -13.6 5.3 -18.8 -20.6 42.8 9.5
インドとの取引割合(%) 1.1 1.0 1.5 3.6 4.8 6.8 8.9 7.1 6.7 5.2 4.7 5.5 4.9
インドからの輸入
(100万ドル)
512 600 601 853 1073 1439 1835 2172 2610 3447 1820 2570 4431
(対前年増加率)(%)   17.3 0.2 41.8 25.8 34.1 27.5 18.4 20.2 32.1 -47.2 41.2 72.4
インドとの取引割合(%) 8.5 8.2 10.1 14.0 16.1 18.0 20.8 21.2 23.1 24.5 17.8 19.1 21.9
全体の貿易額に占めるインドとの貿易額(%) 5.3 5.1 6.2 9.5 11.2 13.3 15.8 15.5 16.5 17.4 12.4 13.8 16.1
輸入/輸出比率 10.5 10.3 8.4 5.0 4.4 3.7 3.2 4.4 5.1 8.2 5.5 5.4 8.5
出所:Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 各年版。
FTA締結後10年以上がたつ。輸出と輸入をあわせた貿易額は、2002年には1999年の1.8倍になり、その後着実に増えている。スリランカの貿易総額に占める割合でみても、1999年には5.3%に過ぎなかったのが2008年には17.4%に達している(表1)。特に輸入に関しては1999年に日本に次いで第2位で輸入全体の8.5%だったのが2008年には24.5%を占め、第1位となるまでになった。輸入の増加に関しては、FTAによる効果もさることながらインドの経済発展やスリランカの需要増による部分も大きい。たとえばインドの輸出品である車両 12 や石油製品、農産物、紙製品などはFTAのネガティブリスト品である。対インド輸出に関しては、2000年には14位だったのが、徐々に増え、スリランカの得意とする欧米向けの繊維輸出に次ぐ位置につけている。しかし2005年の5億6600万ドルを上回ることはない。

貿易収支をみると、1999年においてスリランカの輸出4900万ドルに対して輸入5億1200万ドルと輸入と輸出の比率が10倍を超す圧倒的な入超であった。FTA 締結後は徐々に改善し、2005年には3.2倍となった( 表1 )。

貿易構造は、締結前に比べて多様化した。しかしスリランカからインドへの輸出品目を見ると、将来的にも有望な、雇用も創出するようなメジャーな産業が生まれている、というよりも、未だにFTAの利点を用いようとする(制度の裏をかこうとする)ビジネスが入れ替わり立ち替わり現れている状況である。 表2 に示すようにインドからスリランカへの主要輸出品は非常に流動的である。例としてあげられるのは、バナスパティと銅、大理石である。バナスパティとは、アブラヤシから採取されるパームオイルを原料とする植物油である。スリランカでは、植物油といえばココナツオイルが好まれており、最近までアブラヤシを商業生産していなかった。FTA締結後、主にインドの業者がスリランカに加工拠点を設けて、パームオイルを輸入し、加工後FTAのゼロ関税を利用してインドに輸出していた。しかし、インドの国内業者の反対により2006年に銅とバナスパティのスリランカからの輸出が制限された。2006年以降のスリランカの対印輸出が減少しているのはこのためである。近年は養鶏飼料などがこれに代わっている。これもスリランカ産出の原料を用いるなどの特性はなく、スリランカの産業界は自国の強みを活かせる、衣類や茶などを推進したいと考えている。

表2 スリランカからインドへの主要輸出品目

順位 1999 2005 2011
1 胡椒 銅,銅製品 点火コード
2 アレカナッツ(檳榔子) バナスパティ 養鶏飼料
3 廃合金鋼 アルミニウム製品 クローブ(丁子)
4 ドライフルーツ 電気機器,部品 その他紙類
5 クローブ(丁子) 抗生物質 家具類
6 廃紙 クローブ(丁子) 胡椒
7 グリセロール 鉄,鉄製品 ココアペースト
8 プラスチック製,衣料付属品 胡椒 船舶
9 紅茶 パルプ ニット類
10 ナツメグ 繊維板 大理石,トラバーチン,雪花石こう
(2)投資
インドからスリランカへの直接投資は1982年のアショカ・レイランドとの合弁による組立工場に始まる。しかし後が続かず、次の波は1995年まで待たねばならなかった。このときは建設、セメント、塗料、屋根板などの建設関係の事業の参入が目立った。第3の波は、FTA締結後、航空便の本数が増えて料金も安くなり、両国間の移動が容易になったこと、インド人向けのビザ発給条件が緩和されたことも影響している。65%の投資が2000年以降になされたものである。優遇税制を伴う投資(BOI法17条)が適用される分野では、6億ドルが投下されている。具体的には、CEAT, Asian Paints, Piramal Glass, Dabur、通信分野ではBharti Airtel, TATA communication, IT分野ではMphasis, Aegis (Essar Group),ホテルなどではTaj、石油化学ではIOC, Cairms Indiaが進出している。通常投資法下でもインドからの投資が3億ドル(累積)ほどみられる 13 。インドからの南アジア地域協力連合(SAARC)諸国への直接投資のうちスリランカが半分を占める。もちろんインド全体のFDIに比べれば規模は小さいが、SAARC諸国の中ではスリランカ向けFDIは突出している。

近年の統計によれば2011年には9件、1億4700万ドルの投資が認可された( 表3 )。保健サービス(病院)、教育、石油小売り、ホテル、観光、ITトレーニング、コンピューター・ソフトウエア・通信などのインドが得意とする分野における投資がなされている。さらにインドのNational Thermal Power Corp(NTPC)がスリランカ東部トリンコマリーに隣接するサンプールに500MWの火力発電所を建設する予定である。
表3 インド,中国の対スリランカ直接投資
  2007 2008 2009 2010 2011
インド 43 126 78 110 147
中国 11 27 20 4 10
全体 734 889 601 516 1066
出所:BOI.
スリランカ企業のインド進出も進んでいる。ビスケット・菓子(Maliban)、衣類(Brandix,MAS)、家具(Damro)、観光(Aitken Spence, Jetwing)およびJohn Keels Holdings(物流、総合)などの大手企業が目立つ。

インドとのFTAは、スリランカにとって、インドによって利用されているというネガティブな側面もある。しかし、FTAを契機にインドとの経済的なつながり・人や資金の交流は確実に増加した。企業にとってはスリランカの国内市場の狭さがネックになっていた。そのため成長を続ける巨大市場であるインドは魅力的である。FTAの締結は、インドとその先に広がる市場を期待すること可能にしたといえよう。

FTAがスリランカの経済にとってポジティブな面だけでなく、ネガティブな面を持つこともあり、FTAの次段階とされるCEPA交渉は進んでいない。CEPA交渉は2005年2月に始まり、2008年7月まで13回にわたって続けられた。最近になって再び俎上に上がっているが、スリランカは積極的でない。スリランカが問題視しているのは、CEPAがサービス業を包含することである。インド人専門職がスリランカを席巻し、スリランカ人を駆逐するのではないかという危惧である。既にみたように、インドからのFDIはインドの得意とするサービス分野に偏っており、スリランカにとっては、より雇用や外貨を獲得できそうな産業が望ましい。また、スリランカの財界はFTA締結の結果、制度の隙間を利用した取引ばかりが拡大した轍を踏みたくないと考えている。

(3)援助
内戦後の、インドによるスリランカ支援の一部は 表4 に示したとおりである。主に北部および東部などの内戦の被害を受けた地域の復興にあてられている。最近の動きとしては、インドは2013/14年度予算では対スリランカ援助額を前年度の29億インド・ルピーから50億インド・ルピーに引き上げることにした。2011/12年度が18億19400万インド・ルピーであったことからすると大幅引き上げである。またインドの海外援助全体の10%に及ぶ額である。

また、これまでインドは、IDPのための住宅建設などを行ってきたが、当初の予定よりも大幅に遅れている。アジア研究センターのV. Suryanarayana教授によると、スリランカ政府の非協力的な態度が原因であるという。具体的には、地方政府による建設のための土地の割り当てが遅いなどである。その一方で、スリランカ政府は中国政府に対して協力的で、結果として中国による援助の進展とインドの遅さが目立つのだという。

表4 近年のインドと中国の対スリランカ援助

合意年 支出年 ドナー 事業内容 融資 贈与 金額(100万ドル)
2011 中国 高優先度道路改善事業 500
2011 中国 ピンナドゥワ=コダゴダ間高速道路 75.1
2011 中国 コダゴダ=ゴダガマ間高速道路 63.1
2011 中国 マナー道路修復(67キロメートル) 48.4
2011 中国 マナー道路修復(113キロメートル) 73.2
2011 中国 ウヴァ州電化事業の調達 24.9
2011 インド 職業訓練センター(東部) 3.1
2011 インド 職業訓練センター(ヌワラエリア) 2
2011 インド 女性のための自立センター 1.9
2011 インド カンケンサントライ港修復 2.2
2010 中国 マータラ・ハンバントタ国際空港 190.8
2010 中国 鉄道事業にディーゼル多目的ユニット提供 102.7
2010 中国 MA60飛行機提供 41.1
2010 中国 北部州電力セクター開発プロジェクト調達 31.7
2010 中国 北部道路修復事業(A9幹線道路,Galkumaから280キロポストまで) 71
2010 中国 北部道路修復事業 42.8
2010 中国 北部道路修復事業 42.5
2010 中国 北部道路修復事業 75.4
2010 中国 北部道路修復事業(A9幹線道路,230キロポストからジャフナまで) 70.6
2010 中国 経済技術協力 7.5
2010 中国 高優先度道路改善事業 152.8
2010 インド コロンボ=マータラ鉄道事業 67.4
2010 インド 北部鉄道事業 416.4
2009 中国 プッタラム石炭発電所(ノロッチョライ) 129.6
2009 中国 ハンバントタ港開発 154.1
2009 インド コロンボ=マータラ鉄道事業 27.4
2009 インド 北・東部人権援助 17.2
出所:スリランカ財務・計画省, Annual Report 各年版より筆者作成。
(4)人的交流
インド人観光客の伸びが著しい。近年消費者としてのインド人中間層が注目されているが、インド人中間層にとってスリランカは手軽な海外旅行先として認知されているようだ。2011年および2012年には17万人あまりのインド人がスリランカを訪れている(2012年の観光客数は約100万人)。コロンボからインドの10都市に向けて週に142便 14 が就航している 15 。同様にスリランカ人によるインド聖地への巡礼なども人気を集めている。インドにとってスリランカからの観光客数はイギリス、アメリカ、カナダ、フランスに次ぐ。仏教徒だけでなく、キリスト教、ヒンドゥー教、およびサイババの聖地への巡礼などが活発だ。高等教育や医療を目的としたスリランカ人の訪問もみられる。

3. スリランカと中国の経済関係
(1)貿易
スリランカと中国の貿易をみると、中国からの輸入などは順調に増えているが、インドとの貿易額の半分にも及ばない( 表5 )。2011年におけるスリランカの輸出に占める割合はわずか1%で、中国からの輸入に関しては全体の10.3%となっている。スリランカは中国にココナツ繊維、ゴム、茶など伝統的なプランテーション作物を中心に輸出している。わずかながら、衣類もみられる。一方中国からは、建設機械・農機具などの機械類、携帯電話や電気機器、布類、衣料、車両など、中国が得意とする分野である。輸入と輸出の比率は、2006年に31.2倍であったが、スリランカ側の輸出もわずかながら伸びているため、2010年には17.2倍まで改善した。

スリランカと中国はアジア太平洋貿易協定(APTA)に加入しており、これからAPTAを利用したスリランカの輸出が期待されている。特に、宝石、水産物加工、果物などである。これらは産業構造の似ているインド市場には売り込めない。中国の拡大しつつある消費に期待するところ大である。

表5 スリランカと中国の交易

2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011
中国への輸出(100万ドル) 12 16 20 29 25 34 47 56 72 103
対前年増加率(%) 31 25 45 -14 36 38 19 29 43
中国との取引割合(%) 0.3 0.3 0.3 0.5 0.4 0.4 0.6 0.8 0.8 1.0
中国からの輸入(100万ドル) 259 329 454 630 779 924 1114 1029 1240 2092
対前年増加率(%) 27 38 39 24 19 21 -8 21 69
中国との取引割合(%) 4.2 4.9 5.7 7.1 7.6 8.2 7.9 10.1 9.2 10.3
全体の貿易額に占める中国との貿易額(%) 2.5 2.9 3.4 4.3 4.7 5.1 5.2 6.3 5.9 7.1
輸入/輸出比率 21.2 20.6 22.7 21.7 31.2 27.2 23.7 18.4 17.2 20.3
出所:Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 各年版。
(2)投資
インドの対スリランカ直接投資額は、表3に示したとおりだが、企業の積極的なコミットメントはみられない。他方中国企業は、衣類、皮革、通信(Huawei Technologies)、電気機器などの分野で投資を行っている。最近では、スリランカのAitken SpenceとChina Merchant Holdingsが合弁でコロンボ港の設計、建築、営業を行うことになった(5億ドル)。スリランカ政府はコロンボ近郊のミリガマに161エーカーの中国企業専用の経済特区を建設した。

(3)援助
中国からの援助は贈与ではなく、借款であり、金利も決して低くはない 16 。にもかかわらず好まれるのは、一般的な国際金融機関が課すようなコンディショナリティがないからだ。

2007~2011年の5年間で中国と締結した援助は25億ドル以上に及ぶ。シェアが最も大きいのは道路や橋の建設で58%、次いで電力・エネルギーの20%、そして港湾・空港などに17%があてられている(Ministry of Finance,2011)。表4に近年締結、支出されたプロジェクトについてまとめた。

表にはないが、2007年に締結したハンバントタ港の第1期工事は2010年11月に完成した。中国輸出入銀行が3億600万ドルの資金融資をしている。予定としては2014年に2期工事が終了し、2020年には第4期工事が終了して、船の修理や建造を行うドッグ、石油精製所などを備えた南アジア最大の港湾施設となる計画である。港湾の周辺には同じく中国の資金によって空港(2億900万ドル)や工場施設などの建設も予定されている。

ハンバントタ港は中国の「真珠の首飾り」(注:シーレーン確保を目指す港湾戦略。地図上でこう見えることから命名されたもの)の一環と見なされているが、中国やスリランカの公式見解としては、ハンバントタ港は商業港である。しかし、2012年の商業港としての実績はほとんどない。現在コロンボ港の拡大事業が展開しており、ハンバントタ港がコロンボに並ぶ商業港として期待されているかどうかははなはだ疑わしい。政府は、自動車の陸揚げをハンバントタ港に限定する通達を出したものの、業界の大反発を受けて選択可能とした結果、取引はコロンボに回帰している。

ハンバントタはもともと漁村であった。水深17メートルと深いとされるが、開港を目前にして湾内に船舶の進行の妨げとなるような石があることが発覚するなど、天然港という点では北東部のトリンコマリーに遠く及ばない。中東とアジアを結ぶ航路との距離が近かったこと、ラージャパクセ大統領の出身地であったこと、インドやアメリカの影響力が及ばないことを考慮したうえでハンバントタが選ばれたと考える方が妥当である。

ノロッチョライ発電所は、2006年5月に建設が始まり、中国輸出入銀行が4億5500万ドル融資している。2011年4月に稼働した。300MWの電力を供給する。第2フェーズと第3フェーズも予定されていて、最終的には900MWを供給する見込みである。

コロンボと南部のゴールを結ぶ南部高速道路なども中国によって作られた。コロンボ中心部の劇場(建設費1810万ドル、730万ドルの贈与と1080万ドルの無利子融資)、バンダラナイケ国際空港とコロンボを結ぶ高速道路の建設も急ピッチで進んでいる。この高速道路によって空港からコロンボまでの所要時間が大幅に短縮される見込みである。内戦で被害を受け、開発の遅れた地域だけでなく、スリランカが中国の資金を得て首都近郊・首都と地方をつなぐインフラ、各地のインフラを整備していることが分かる。

インフラ支援だけではなく、インドやアメリカが危惧するように、軍事面での協力も進展しそうである。2012年3月にはゴーターベ・ラージャパクセ国防次官が中国を訪問し、梁光烈国防部長と会談している。そして8月には梁光烈が国防部長としては初めてスリランカを訪れている。さらに11月にはゴーターベ国防次官が第9回中国国際航空機展示会に出席し、梁光烈と北京で再び会談した。会談では、両国の協力関係で合意がみられた。スリランカと中国の間で軍関係者の往来が盛んになっていることからハンバントタ港の軍事利用、特に中国保有の空母の寄港地となるのではないかと警戒する声もある。

(4)人的交流
一方で中国とスリランカの人の交流は始まったばかりといえよう。交流が国単位で行われているためであろう。スリランカと中国を結ぶ便は、北京、広州、上海、昆明、そして香港に限られる。香港を除くと週にわずか20便である。中国からの訪問者は2000年には2000人あまりだったのが、2006年には1万6000人ほどになったものの、その後2011年まで横ばいであった。2012年には2万5000人を超えている。政府は2012年2月、ゴールの海洋考古学博物館に鄭和の特別展示を作ると発表した。中国人の英雄、鄭和が15世紀にゴールに何度も立ち寄っているためである 17 。中国人観光客を増やそうと躍起になっている。

4. スリランカの対中国・インド関係の政治的分析
荒井(2012)およびアメリカの報告書で触れたように、内戦中および内戦後、危機の最中にあったスリランカを救ってくれたのは中国であった。内戦中、EUやアメリカが軍事援助を取りやめることによって鎮静化を狙ったのに対して、中国やパキスタンはそのギャップを埋める働きをした。内戦後、資金がなくて復興できないかもしれない、内戦に逆戻りするかもしれないという不安から救ってくれた。そのうえ、資金提供に際しては財政再建や人権状況の改善などの条件をつけることがない。また資金面だけでなく、国連の人権委員会で戦争犯罪について追及されるスリランカを援護するなど外交面でもスリランカをサポートしてくれた。スリランカ政府に中国を拒む理由はなかった。

この時期に政権についていたのがマヒンダ・ラージャパクセ(2005年11月大統領就任)であったことも中国との関係が深くなった背景にあるだろう。内戦で破壊された北部・東部の復興はもちろん必要だったが、同時に南部の開発の遅れも目立っていた。ラージャパクセは自身が南部出身で、かつ南部出身者として初めての国家元首である。内戦後は北部・東部のタミル人の多く居住する地域に復興資金を向けざるを得ないものの、シンハラ人が中心の南部も無視することはできなかった。

また、従来のスリランカの指導者は、西欧で教育を受け、政治家として西欧的な民主主義を遵守しようという姿勢があった。しかし、ラージャパクセ政権は、地元志向が強くかつ、内戦中にみられたように、反西欧的な色彩が強い。中国だけでなく、イラン、リビア、ベネズエラなどの反米を明らかにする国々と親交を深めていたこともある。

中国は比較的少ないコストでインド洋のシーレーンを確保でき、スリランカは潤沢な援助を受けることができる、国内政治的にも安定を確保できる。いわば蜜月の関係にあると言ってよいだろう。

一方でスリランカとインドの関係はより複雑である。インド中央政府としては、インド洋地域における中国の影響力に対抗するために、軍事面での協力関係を強める、スリランカのより広範囲への援助を実施する、人権面での改善要求を緩める、などの措置を実行したいところであろう 18 。しかし、それはインド南部のタミル・ナードゥ州の反対があり、困難である 19

たとえば、スリランカは国連人権委員会などの場で戦争犯罪について国際社会から追及を受けている。インドは、2009年の会議では、スリランカ支持する側に回った。しかし、2012年3月の会議では、アメリカの提出した決議案に賛成票を投じた。その背後には、タミル・ナードゥ州からのプレッシャーがあったと見なされている。そのためスリランカ国内では信じていたインドに裏切られた、という世論が高まることになった。

スリランカと中国が国防面での協力関係も着実に深めてゆくのをインドは歯がゆい思いでみていることだろう。インドで2012年11月にスリランカの軍人を訓練施設で受け入れた際には、ジャヤラリタ・タミル・ナードゥ州首相が強硬に反対した。インド中央政府がしたくてもできないことを中国はなんの障害もなく実施に移してゆくのだ。
 このような状況下で、2012年にはスリランカで起きた出来事がインドの対スリランカ感情を悪化させ、対スリランカ政策を見直すべきだとの世論が高まった。

ひとつは、コロンボの中心部、ゴールロードとデュプリケーションロードに挟まれた土地の売買である。インド大使館はその土地を購入するつもりで、書類を関係当局に提出して認可を待っていたにもかかわらず、最終段階になって中国の航空機メーカー・中国航空技術輸出入公司(CATIC)へ売却されることになったと発表された。インド側にしては寝耳に水だった。

中国漁船がスリランカ近海で拿捕されたものの、短時間で釈放されたことも、同様の問題を抱えるインドにとっては不公平な対応に見えた。

一方で、スリランカの衛星打ち上げが2012年11月に中国の西昌衛星打ち上げセンター実施された。プロジェクトはスリランカの民間企業SupremeSATと国有企業の中国長城工業(CGWIC)とSino Satellite Communications Company Ltd.の合弁であった。キャンディには宇宙アカデミーを建設する予定で総額3億6000万ドルの事業である、既に2012年8月には中国の工業情報化副大臣が起工式に参加している。インドは既に29個の衛星打ち上げ実績があるにもかかわらず、スリランカなど近隣諸国が中国に衛星打ち上げを依頼している事実をインドは苦々しく見ている 20

中国にすり寄り、インドを袖にするような行動をとるスリランカに対して、インド国内ではこれまでの対スリランカ政策を見直すべきだという世論も高まっている。

まとめ
中国の対外進出は、末廣(2012)で示されるように貿易、投資、援助、経済合作が四位一体となってなされる。一方で、インドの東南アジアにおける経済関係は絵所(2012)にみるように基本的に民間が主導であるし、進出分野もサービスセクターであり、中国と重なるところは少ない。そうなると、進出国におけるインドのプレゼンスは大きくなく、中国との対立も小さいと考えることができる。

スリランカでも中国は同様の戦略を採用している。ところがスリランカにおけるインドの役割は、東南アジアにおけるそれとは当然のことながら異なる。バングラデシュやネパールなどインドの近隣国家では一般的にみられる傾向で、インドが国家として介在する場面が多くみられる 21 。インド・スリランカ間の関係は貿易、FDIや観光客の往き来を見る限り、双方向的で、規模も大きい。比較的民間の役割も大きいが、それでもFTAの締結が政治的な動機から結ばれている。政治では、両国の関係は歴史も長く、関与の度合いも高い。関与するアクターの数も多く、解決や調整は難しいケースを多く抱えている。

それに対して中国との関係は、中国政府主導のプロジェクトが目立つ。国の規模も違うため、スリランカが一方的に恩恵を受けているようにも見える(もちろん中国はシーレーンの安定確保という十分な見返りを得ているのだが)。

つまり、中国とスリランカの間には関係を損なうような障害は今のところ見られない。ところがインド・スリランカ関係においては政治的な要因があり、インド中央政府は中国を意識した大胆な対スリランカ政策をとることができない。

現在の親中国路線を追求するラージャパクセ政権は長期政権となる可能性が高い。大統領の任期は2010年の憲法改正によって3選禁止が廃止された。その結果、マヒンダ・ラージャパクセ大統領は現在の2期目が終わっても再び大統領戦に出馬できる。マヒンダが引退したとしても、ラージャパクセ一族は安泰である。バジル、ゴーターベという弟2人は経済開発大臣と国防・都市開発次官で権力の座にある。マヒンダの息子も国会議員である。兄チャマル(国会議長)の息子も州主席大臣の地位にあるなど、後継者に事欠かない。

他方、インドとスリランカの間に横たわる政治的な問題は一朝一夕には解決しそうもない。したがって、当面はスリランカと中国の蜜月が続くだろう。その間にスリランカの経済にとってはインフラが十分行き渡ることになるだろう。政治的にもますます中国との関係は強化されるだろう。

では、スリランカにとってインドは二の次の存在になってしまうのか。そうした極端な事態もやはりなさそうだ。スリランカは今後の発展戦略として知識、商業、海路、空路、エネルギーのハブとなることを表明している 22 。そのためにはまず、最も近く、文化を共有し、市場としても大きく、成長の拠点でもあるインドとともに歩まざるを得ないはずだからである。

参考文献
荒井悦代, 2012「 スリランカの内戦をめぐる中国とインド 」(2011年度「中国・インドの台頭と東アジアの変容」研究会報告レポート)。
絵所秀紀, 2012「 アジア経済圏に接近するインド 」(2011年度「中国・インドの台頭と東アジアの変容」研究会報告レポート)。
末廣昭、2012「 中国の対外膨張と東南アジア 」(2011年度「中国・インドの台頭と東アジアの変容」研究会報告レポート)。
Adhikari, Pushpa, 2012, China – Threat in South Asia , New Delhi: Lancer Publishers & Distributors.
Mendis, Patric, “The Colombo-Centric New Silk Road”, Economic & Political Weekly , December 8,2012, Vol XLVII No.49, pp69-76.
Ministry of Finance and Planning, 2011, Annual Report .

(2013年3月5日)

脚 注
  1. インド海軍のトップは、2012年12月3日、南シナ海での権益県を確保するため、必要であれば艦隊を派遣する用意があると語るなど、中国を牽制している。
  2. Adhikariによれば、ネパールでも同様の動きが観察できるという。
  3. LTTEはアメリカ、インド、マレーシア、カナダ、イギリス、オーストラリア、EUなどからもテロ団体として指定され、国内活動禁止となっていた。
  4. 統一国民党政権ラニル・ウィクレマシンハ首相の下、2002年2月、ノルウェーなども仲介してLTTEとの間に停戦合意が締結された。
  5. http://www.gpo.gov/fdsys/pkg/CPRT-111SPRT53866/html/CPRT-111SPRT53866.htm このレポートが書かれるきっかけとなったのはカトリックのマルコム・ランジット大司教とアメリカ大使の会話だとされる。大司教は、内戦末期の戦争犯罪・人権侵害についてラージャパクセ政権を強く批判しすぎることは危険である、今、この問題でラージャパクセ政権が倒れるようなことがあれば、政治の混乱は避けられない、とアメリカの対スリランカ政策を見直すように促したという。
  6. 北・東部やタミル人問題だけでなく、南部にも配慮するように勧告している。
  7. 内戦終結直後の2009年5月にジュネーブで開催された国連人権理事会(UNHRC)では、スリランカが戦争犯罪に関わったとしてスリランカの現状について調査すべきだとする主張がなされた。しかし最終的には、スリランカの主張が賛成29、反対12、棄権6で認められた。これらの国々は西欧諸国のダブルスタンダードに反対票を入れたといえよう。テロ撲滅を主張し実際に行動しているにもかかわらず、一方で人権を振りかざして小国のテロ撲滅を阻止しようとする矛盾への拒絶である。
  8. イランはスリランカで、2008年にウマ・オヤ水系多目的プロジェクト(発電、水利)やサプガスカンダ石油精製所の拡張などを手がけている。
  9. マヒンダ・ラージャパクセ大統領は2009年4月にリビアを訪問し、5億ドルの融資を取り付けた。
  10. 1987年から90年までインドは、LTTE平定のためにインド平和維持軍(IPKF)をスリランカに派兵した。しかし、ゲリラ相手に1200人以上の兵士を失い撤退を余儀なくされた。また、1991年にラディーブ・ガンディーを自爆テロで失っている。
  11. インドとタイのFTA(2010年1月発効)には締結までに6年を費やしている。
  12. スリランカの車両輸入では、インドは日本を抜いて第1位である。
  13. http://www.sldhcchennai.org/index.php?option=com_content&view=article&id=85&Itemid=76
  14. これは、出稼ぎ労働者の往来の頻繁な中東諸国向けの便数とほぼ同じである。
  15. トゥティコリン=コロンボ間のフェリーが2011年6月に20年ぶりに再開したものの、船のサイズが適切でなく、赤字続きだった。そのため同年11月には運転を停止した。サイズの小さな船で再開しようと事業者を呼びかけたが反応がなく、同サービスは今後提供されない見込みである。
  16. 2.9~8.25%と比較的高い。
  17. http://www.priu.gov.lk/news_update/Current_Affairs/ca201202/20120203sl_build_museum_chamber_zheng_he.htm
  18. もちろん、インド中央政府としてもスリランカの民族問題の和解には重大な関心を寄せている。なぜならインドも国内に多数の民族を抱えており、スリランカのタミルと同様に独立を求めている地域もある。スリランカの火種はインド国内の少数民族に飛び火する可能性も高いからである。したがって、インドは常に自ら策定に関与した第13次改正憲法の完全実施(地方への権限付与)を常にスリランカに求めている。また、2012年チェンナイでスリランカのタミル民族の独立を主張するTESO(タミル・イーラム特別組織)が開催されるとなると、シン首相やV.ナラヤンスワミーは明瞭に不快感を示した。
  19. タミル・ナードゥ州では同胞であるスリランカのタミル人の動向に関心が強い。タミル・ナードゥ州の二大政党であるDMKとAIADMKにとって、スリランカのタミル問題も選挙民にアピールする力が強い。また、インド中央政府は、タミル・ナードゥ州選出議員らと連立を組まざるを得ないことが多く、彼らの意見を無視するわけにはいかない。
  20. この衛星はスリランカだけでなく南アジア全体をカバーできることから、中国による南アジア地域の監視に用いられるのではないかとインドは危惧している。
  21. スリランカとインドの間には、地続きの国境がない分、インドがほかの隣国と抱えるような問題は比較的少ない。
  22. 2010年1月、「マヒンダ・チンタナ—将来のためのビジョン」