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(新型コロナの韓国経済への影響と政府の対策)第3回 コロナ禍で進むセーフティーネット機能の見直しと普遍的な所得保障制度への道

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052118

2021年4月

(6,095字)

はじめに

韓国は「K(Korea)防疫」と呼ばれる独自の防疫体制によって、2020年2月から3月にかけて蔓延した新型コロナウイルス感染症の流行初期段階では早期封じ込めに一定の成功を収めた1。しかし、その後も第2波、第3波の発生が続くなか、韓国でも新型コロナ対応の長期化を余儀なくされている。コロナ禍の長期化によって、就業者数の大幅な減少や失業者数の増加といった労働市場への影響は深刻さを増している。雇用情勢の悪化は就業が不安定で低賃金の非正規職(臨時・日雇い職など)や自営業層などに集中する一方で、正規職の就業者数は前年比で伸び続けるという労働市場の二極化がみられる。

政府がこれまでに行ってきた雇用対策の中心は、在職者や休職者向けの雇用維持支援策であり、失業者に対しては求職(失業)給付や職業訓練事業および就業支援プログラムの実施など従来の失業対策が拡充されたものであった。しかし、そうした支援策の恩恵に与るには社会保険である雇用保険への加入が前提となる部分が大きく、資力調査を伴う貧困対策としての公的扶助制度に臨機応変な危機対応を求めるにも限界があった2。したがって、コロナ禍による打撃を最も受けた零細企業・事業所等の非正規労働者や自営業者といった雇用保険未加入の不安定就業者に対しては、臨時の給付金や支援金、あるいは貸付金などの緊急措置によって対応せざるを得なかった。このことは、失業や貧困問題に対してセーフティーネット機能を本来果たすべき社会保障制度の一種の限界を露呈したともいえる。

文在寅政権は発足当初から、社会保障政策の中心的課題に「包容性の強化」を掲げ、とりわけ既存の諸制度の適用範囲から漏れ落ちる弱者の救済という意味合いでの「死角地帯の解消」に重きを置いてきた。コロナ下における危機的状況は、図らずもその真意を浮き彫りにしたと同時に、社会保障改革の真価が問われる段階に至ったとも考えられる。本稿では、現在の韓国で導入が進められている「全国民雇用保険」の概要および課題や、2020年5月に全国民に対して支給された緊急災難支援金を契機として高まるベーシックインカムなどの普遍的な所得保障制度の導入をめぐる議論を取り上げる。そして、コロナ禍は韓国の社会保障制度に対して構造転換を迫るものであるのかについて考えてみたい。

写真:地下鉄の駅で消毒作業にあたる労働者

地下鉄の駅で消毒作業にあたる労働者
被用者中心の雇用保険から「全国民雇用保険」へ

1995年から導入されている韓国の雇用保険は、これまでも適用範囲の拡大によって加入率を高めてきたとともに、失業給付の引き上げやその支給期間の拡大および支給要件の緩和などの制度改善を図ってきた。しかし、韓国ではもともと自営業者の割合が諸外国と比べて高いことや、近年の産業構造の変化に伴って労働市場では非正規労働者以外にもインターネット上のプラットフォームを介して単発の仕事を請け負うようなギグワーカーやフリーランスといった労働者が増えてきたこともあり、2020年現在でも雇用保険の被保険者数(約1400万人)は全体の就業者数に対して5割程度の低い水準にとどまっている。政府は2012年から自営業者に対して任意加入可能な雇用保険を用意し、その保険料支払いを助成する制度も併せて実施しているが、保険料率は一般の被用者よりも高く設定されている。何よりも、彼らは加入することで自らの所得や資産を捕捉されることを忌避する傾向にあることから3、自営業者の雇用保険加入は全く進んでいないのが現状である。

そうした状況に鑑みて、文在寅政権は就任当初から不安定就業者に対する雇用保険の段階的適用を掲げてきたところに、現在のコロナ禍がその議論を「全国民雇用保険」の導入として一気に加速させた。2020年中に関連法令が国会で可決されたことを受けて、同年12月にその第1弾として芸術関連従事者から保険適用が開始されるに至った。今後は特殊形態職従事者(運転代行業の運転手や訪問販売員、家庭教師など)やプラットフォーム型業務に従事する労働者、そして現在の任意加入方式を改めた形で自営業者に対しても順次段階的に保険適用が拡大される予定である(図1)。その結果、2025年までに被保険者数は2100万人に達することが見込まれている。

図1 「全国民雇用保険」の適用拡大ロードマップ

図1 「全国民雇用保険」の適用拡大ロードマップ

(出所)企画財政部および雇用労働部の報道資料より筆者作成。

適用対象者の拡大もさることながら、「全国民雇用保険」の制度設計では同一個人が複数の就業や職種を兼務している状況を想定して、加入要件をこれまでの労働時間(月60時間以上)から一定水準以上の合算所得に変更することが検討されている。それによって、所得情報に基づく雇用保険体系への転換を目指すとしている。また、現行の芸術関連従事者や近く保険適用が予定される特殊形態職従事者などに対しては相対的に低い保険料率が設定され、低所得者層に対する政策的配慮や加入インセンティブの付与も行われる。

「全国民雇用保険」と並行して、2021年からはコロナ下における新たな失業対策として国民就業支援制度も導入された。同制度は雇用保険では救済されない失業者や求職者に対して就業支援サービスの提供を行うとともに、所得や資産等の審査を伴うものの一定期間にわたって求職促進手当と呼ばれる就業支援金を給付するものである4。従来の雇用保険による失業給付の対象から漏れながら、かつ厳格な扶養義務者基準等によって公的扶助からも捕捉されない失業者や貧困層に対して、その両制度の中間に位置する失業扶助制度として新たな意義を見出せるかもしれない。

このようにコロナ禍を契機としてセーフティーネット機能の強化が図られているが、そこにはどのような課題があるだろうか。まず、自営業者を対象とした任意の雇用保険で明らかになったように、不安定就業者全体の保険加入が実質的に進むのかどうかが大きな課題になる。彼らの一部は、自らの所得や資産が捕捉されることで他の社会保険を含めた保険料負担が増大することを恐れている。そうした懸念などから適用対象にあるにもかかわらず保険加入が一向に進まないのであれば、適切な所得情報に基づく「全国民雇用保険」は有名無実化してしまう。順調に保険加入が進んだとしても、断続的に就業を繰り返す傾向にある不安定就業者は被保険者期間が短くなりがちであり、いざ失業状態に陥った際に失業給付の期間や水準が不十分であればセーフティーネットとしての機能は弱まる。

また、自営業者をはじめとして必ずしも使用者との雇用関係に基づかない労働者が加入する場合の保険料負担のあり方が定まっていないことも大きな問題として残っている。保険料率の設定のみならず、原則事業主負担となる部分に関しては公費の投入や他の事業主および被保険者からの拠出による所得移転がどの程度必要となるのかについて、今後の議論を待たなくてはならない。失業者や貧困層に対するセーフティーネットを実質的に機能させるには雇用保険やそれによる失業給付のみでは不十分であり、税方式による公的扶助制度や新設された失業扶助制度、勤労奨励税制(給付付き所得税額控除――EITC)などとの連携がこれまでになく重要になってくる。しかし、それは必然的に財政支出のさらなる増大圧力として跳ね返ってくることに留意する必要がある。

活発化するベーシックインカム導入論

コロナ禍は既存の社会保障制度の見直しにとどまらず、ベーシックインカムに代表される新たな所得保障制度の導入をめぐる議論を活発化させる呼び水にもなった。その大きなきっかけとなったのは、2020年5月に実施された全国民に対する緊急災難支援金の給付であった。緊急災難支援金は当初の3月末には高所得者層を除外した世帯(所得水準の下位70%まで)に支給される方針であったが、4月半ばに行われた総選挙後に全世帯への給付に変更された経緯がある。その背景には、3~4月の時点ですでに複数の地方自治体がその地域住民に対して、少額ではあるものの独自の災難支援金の給付を先行的に実施していたことがあった。緊急災難支援金は世帯規模による差等支給になっているとともに5、クレジットカードのポイントやプリペイドカード、地域商品券などの形で給付され、期限付きで地域の零細小売店や飲食店などでの利用に限定された。そのため、現金で給付される場合と違って貯蓄には回らず、食料品や衣類・雑貨などを中心に一定の消費喚起効果があったとされている。

全国民向けの緊急災難支援金については2回目の支給を求める声はあるものの、その後は防疫体制の強化に伴う営業制限措置を受けた自営業者や所得の低い就業貧困層(ワーキングプア)などに対象を限定した臨時の支援金の給付が断続的に実施されるにとどまっている。そうしたなか、失業者や貧困層に対するセーフティーネット機能の強化のみならず所得格差の是正という観点からも、いわゆるベーシックインカムなどの普遍的な所得保障制度をめぐって政策的な関心が高まっている。その導入論を唱える急先鋒の1人に、現在京畿道知事を務める李在明がいる。彼は1人あたり年間50万ウォンからスタートして、将来的には現在の公的扶助制度における給付額に匹敵する月50万ウォンを全国民に支給するような新たな所得保障制度の導入を唱えている。彼には今回のコロナ下における自治体独自の災難支援金の給付以外にも、前職である京畿道城南市長を務めていた時期や、現在の道知事に就任後の2019年から同地域に居住する一部の若年層を対象に給付金を支給してきた実績がある。次期大統領候補としても高い人気を誇る李在明のベーシックインカム論は、国民には一定の説得力をもって捉えられている。

全国民への緊急災難支援金の給付をきっかけに、より普遍的な所得保障制度のあり方について広く与野党内で議論される機運は確実に高まったといえる。ただし、ベーシックインカムの導入については巨額の財政支出を伴うことが必至であり、その財源調達に関する議論が成熟していないことから政府内には慎重な意見がみられる。したがって、現政権下において具体的な政策として模索することは難しいと考えられる。しかし、次の大統領選挙まで1年を切った現在、コロナ禍の長期化が続くほどベーシックインカム論を含めた所得保障制度のあり方が選挙戦における重要な争点の1つに浮上してくる可能性は十分にある。

社会保障政策の構造転換につながるか?

韓国はコロナ禍を契機として、大幅な公費支援の拡大を伴う「高福祉・高負担」への道を今後歩んでいくのだろうか。1997年末に発生したアジア通貨危機で大量失業や貧困問題に直面した韓国は、その後の社会保障改革において雇用保険などの社会保険制度を拡充したり、新たな公的扶助制度を導入するなどして制度全体の体系化を図ってきた。また、税方式による基礎老齢年金(現在は基礎年金の名称に変更)や児童手当の導入および給付水準の引き上げなど、所得保障制度のカバレッジを広げてきたことも特筆される。そうしたなかで、社会保障・福祉関連の政府支出規模が大幅に増加してきたことは事実である。しかし、これまでの韓国の福祉国家化において、公費負担の増大による「高福祉・高負担」は模索されてこなかった。例えば、受益者負担や民間負担の原則に立脚した社会保険制度への制限的な財政支援が特徴づけられるとともに、医療や介護・福祉サービスの提供では民間資源の動員・参与が積極的に推奨されてきた。それはつまり、国家の財政負担を最小化しつつも、制度やシステムとしての社会保障については拡張していこうとする福祉戦略であった。

その一方で、現在のコロナ下では大規模な緊急経済対策を講じるために相次ぐ補正予算の成立を含む大型の予算編成や国債増発がなされ、巨額の財政支出による赤字拡大と国家債務の膨張に拍車がかかっている。そこには、上述したような臨時の給付金や支援金をはじめとする社会保障・雇用分野での拠出増が一役買っていることを見落としてはならない。少子高齢化の急速な進展に伴って福祉支出への増大圧力が自然に高まることが前提となるなか、ベーシックインカムのような普遍的な所得保障制度の導入議論まで広がっていることは、これまでの制限的な福祉政策にとって転機になり得るかもしれない。重要なのは、これまで財政規律や健全性を重視してきた財政運営とのバランスである。「高福祉」を享受するために、例えば増税という手段で「高負担」を受け入れる国民的なコンセンサスが形成されれば、社会保障政策はその方向に一気にドライブがかかることも考えられる。コロナ禍が韓国の社会保障制度の構造転換を後押ししていくのか、今後の大統領選の行方を含めて注目される。

写真の出典
  • Republic of Korea, Subway_station_Undergoes_disinfection_COVID-19_04 (CC BY-NC-SA 2.0).
著者プロフィール

渡邉雄一(わたなべゆういち) アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ研究員。専門は少子高齢化と社会保障の経済分析、韓国経済。最近の論文に「高齢化に挑む韓国のシルバー産業と日本の経験」(安倍誠編『日韓経済関係の新たな展開』アジア経済研究所、2021年)、"How efficient are surgical treatments in Japan? The case of a high-volume Japanese hospital," (with Haruko Noguchi & Yoshinori Nakata) Health Care Management Science, 23 (3): 401-413, 2020、「大学進学は本当にメリットがあるのか?――韓国の学歴社会を学歴収益率の変化から問い直す――」(『韓国経済研究』第17巻、2020年)。


  1. 「K防疫」の特徴や感染拡大の初期段階における対応については、以下を参照されたい。渡邉雄一(2020)「感染症対策と経済再建の両立を目指す韓国――ポストコロナに向けて死角はないのか?」『IDEスクエア』。
  2. 韓国の公的扶助制度は、古くは年齢制限のある生活保護制度であったが、2000年に全国民を対象とした国民基礎生活保障制度に刷新され、就労能力のある適用者には就業による自立を促すような制度設計になっている。
  3. 金成垣(2018)「韓国における社会保障制度の行き詰まりと新たな試み」『東亜』No. 617。
  4. 求職促進手当は1人あたり最大で300万ウォン(月50万ウォン×6カ月間)が支給される。
  5. 単身世帯で40万ウォン、2人世帯で60万ウォン、3人世帯で80万ウォン、4人以上世帯で100万ウォンが支給された。
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