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(2019年タイ総選挙)特集にあたって――タイは民主主義とクーデタのサイクルから抜け出せるのか?

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050711

2019年2月

(4,001字)

2019年3月下院総選挙

2019年、タイでクーデタ後はじめての選挙が行われようとしている。スケジュール通りに進めば、3月24日に投票が行われ、5月には約5年ぶりに議会政治が復活する。2014年から軍事政権下にあったタイが、民主主義国としての体裁を再び整える、その決定的なステップが3月の選挙である。

表1 2019年下院総選挙の予定(2019年2月4日現在)

表1 2019年下院総選挙の予定(2019年2月4日現在)

(出典)Khom Chad Luek 2019年1月23日より筆者作成。
選挙をめぐる紆余曲折

タイでは、2005年頃からタクシン・チナワット首相による強硬な政治運営の是非をめぐり政治混乱が続いてきた。2006年9月にタクシンがクーデタで追放されると、争点はタクシン政治から選挙民主主義の是非へと移った。選挙こそが国民の平等な政治参加を可能にする手段だと考える人々と、投票による政治参加は票の売買を招き、不公正に繋がると考える人々の対立である。数で劣る後者の人々は、選挙で政権を取ることができない。そこで彼らは、国王の権威を用いて自分たちの主張を正当化した。彼らは国王の政治介入を前提とした「国王を元首とする民主主義」の護持を謳い、民選政権を打倒するべく、裁判所や国軍の介入を誘い出そうと激しい街頭行動を繰り返した。2014年のクーデタは、こうした政治混乱を収拾するという名目で決行されたのである。

クーデタを率いたプラユット・チャンオーチャー陸軍司令官兼国家平和秩序維持評議会(NCPO)議長は、国軍の統治が一時的なものであることを強調し、暫定政権樹立後ただちに民主化ロードマップを提示した。しかし、民政への道程は紆余曲折を経て長引いた。民政の礎となる新憲法の起草は、選挙制度や首相の選出方法をめぐる対立で難航を極めた。さらにその間、2016年10月にラーマ9世プーミポン国王が逝去した。政府は先王への服喪・葬儀と皇太子の即位を最優先したため、憲法の公布は2017年4月までずれ込んだ。憲法施行後も、選挙実施に不可欠な法律の審議が進まず、政府は2018年2月に選挙の延期を決定した。下院議員選出法が公布されたのは2018年9月であり、政府は12月に投票日を翌年2月24日と発表した。しかし、2019年元日に新国王ラーマ10世マハー・ワチラロンコーン王が戴冠式を5月に実施すると発表したことを受け、政府は選挙日程を延期する。憶測が飛び交うなか選挙管理委員会が投票日を3月24日と発表したのは、1月23日であった。

写真:2007年12月の下院総選挙で学校に設けられた投票所の様子(筆者撮影)

2007年12月の下院総選挙で学校に設けられた投票所の様子(筆者撮影)
政党支持と首相支持のねじれ

ここで今回の選挙の概要を整理しておこう。

2017年憲法の規定により、首相指名選挙は上下院合わせた750人で行われる。首相に選出されるには、その過半数である376名以上を確保する必要がある。定数は下院が500、上院が250だが、憲法の規定により上院議員は事実上NCPOの任命となる。つまり軍部は議会の1/3をすでに掌握していることになる。このため、政党が単独で自らの候補を首相にするためには、下院議席の75%を確保しなければならない。地滑り的勝利がなければ不可能な数字である。

しかも、今回用いられる小選挙区比例代表併用制では、政党が単独で圧勝するのはむずかしいといわれている。この制度は、日本の衆議院選挙で用いられている小選挙区比例代表並立制とは異なり、有権者が投票するのは小選挙区候補のみであり、比例区候補を直接選ぶことができない。比例区の議席は小選挙区での得票率を反映して配分される。議席占有率が小選挙区での得票率を上回ることはないため、大勝しづらい制度である。多数派形成には、政党間の連立が鍵となるだろう。

政党には親軍政派と反軍政派があるが、世論調査では反軍政派に支持が集まっている。国立行政開発研究所(NIDA)が2019年1月2-15日に全国の18歳以上のタイ人を対象(回答者2,500人)に実施した調査によれば、タクシン系政党であるタイ貢献党を支持するとした人が全体の37%を占め、親軍政派の国民国家の力党、反タクシン・反軍政を掲げる民主党、反軍政の新未来党がそれに続く(図1)。

図1 どの政党を支持するか?という問いへの回答

図1 どの政党を支持するか?という問いへの回答

(出典)NIDA (2019)をもとに筆者作成。

他方、首相候補者の支持を見ると状況は異なる。NIDAが行った調査では、タイ貢献党のスダーラット氏が肉薄しつつあるものの、プラユット首相がほぼ一貫して最も支持されている(図2)。今回の選挙で、各党は立候補者と別に首相候補者を3名登録する。プラユットは政党には所属していないが、親軍政派の国民国家の力党の筆頭首相候補となった。2017年憲法は、政党が推薦する候補者から首相を指名できなかった場合、非民選の候補を指名すると定めており、その方法でプラユットが首相となることもあり得る。

こうした選挙戦以前に、選挙自体がつつがなく行われるのかという不安も否定できない。2月第1週には、現国王の姉がタクシン派政党の筆頭首相候補となることを自ら公表し、直後に国王が彼女は王族に等しくその政治参加を望ましくないとの声明を出すという出来事が起きた。

選挙が果たしてつつがなく行われ、数年来続く政治混乱と国軍の支配終止符が打たれるのか、あるいはさらなる混乱と対立が続くのか。選挙の帰趨は、タイ国外からも注目を集めている。

図2 首相候補者として望ましいのは誰か?という問いへの回答の推移

図2 首相候補者として望ましいのは誰か?という問いへの回答の推移

(出典)図1に同じ。
2019年選挙を読み解くための二つの視座

本特集は、本稿を含む三つの記事からなる。次回と次々回では、タイの下院選挙をめぐる状況を長期的な視点から理解し、詳細に読み解くための二つの視座を提供する。

第一の視座とは、歴史的な視座である。1932年の立憲革命以来、タイは議会政治とクーデタによるその崩壊を繰り返してきたことで知られる。その過程では、「民主主義」の名のもとに様々な試みがなされてきた。1960年代は、西欧式議会制民主主義を否定し、有徳の指導者が国民を独裁的に指導するという「タイ式民主主義」を唱えた軍政の時代だった。1973年には、民主化要求の市民デモを国王が支持したことを契機として、議会政治が実現する。王室と国民の同盟に支えられた議会政治は、1976年の左派活動家虐殺事件で終焉を迎えるが、「国王を元首とする民主主義」ということばはその後歴代の憲法に明記されるようになった。近代タイ政治を研究するトンチャイは、これを「王党派民主主義」と呼ぶ(Thongchai 2019)。その後、タイは1980年代を通じて議会選挙と議会の外から首相を選ぶ制度が併存する中間的な政治体制を経験した。1990年代に入ると、反軍政デモの弾圧を契機に民主化が実現し、民主主義の実践に向けた政治改革が行われる。学者や元官僚、NGO代表らが国民の代表として新たな憲法を起草し、その憲法のもとで首相が選出された。それがタクシンである。しかしながら、その後タクシン政治への批判を契機として、選挙民主主義と王党派民主主義の対立が先鋭化したのは、すでに述べたとおりである。

こうした歴史を踏まえて見た場合、今回の選挙は、過去何度も繰り返されてきた民主主義の実験とクーデタの新たな変奏のようにも見える。果たして実際にそうなのか。それとも、これまでとは異なる局面に入ろうとしているのか。こうした問題を考えるためには、今回の選挙とそこに至る経緯を過去の経験と比較し、どこが同じでどこが違うのかを確かめ、それぞれの時代における「民主主義」の内容を整理する必要がある。

また、これまでの歴史的経緯を把握する作業と並んで必要なのは、選挙自体を分析し、選挙によって成立する政治体制を分析するため視座である。そのために、本特集では制度的視座を提示する。すでに述べたように、2019年選挙は、選挙民主主義の是非をめぐる議論の末に編み出された制度に基づいている。2017年憲法、その附属法である選挙管理委員会法、政党法、上下院それぞれの議員選出法といった制度の特徴を示し、現行の選挙が誰によってどうデザインされ、何を目指しているのかを明らかにする。

以上のように本特集の目的は投票日前に選挙の見どころを示すことにあるが、選挙後には投票結果と新体制の構成、政策について改めて当研究所のウェブサイトにおいて報告する予定である。

著者プロフィール

青木まき(あおきまき)。アジア経済研究所地域研究センター研究員。主要な論文は、「メコン広域開発協力をめぐる国際関係の重層的展開」(『アジア経済』第56巻2号、2015年6月)、「人身取引対策の脱安全保障化と官民連携 : タイを中心としたメコン流域の人身取引対策協力を事例とした考察」(『アジア経済』第59巻2号、2018年6月)。

参考文献