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ミャンマー総選挙とその後(6) 新内閣の特徴

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049570

2011年4月

2011年3月30日、ミャンマーに新政権が誕生した。2010年の総選挙に基づき1月31日に招集された連邦議会の通常会期の最終日(第18日目)となったこの日、テインセイン首相が大統領に、ティンアウンミンウー1国家平和発展評議会(State Peace and Development Council:SPDC)第1書記、および少数民族のシャン族出身のサイマウカン氏の2人が副大統領に、それぞれ就任した。連邦議会における投票で2月4日に既に大統領、副大統領に選出されていた3人は、3月30日の連邦議会における就任式において、キンアウンミン連邦議会議長の前で、憲法に基づき次のように宣誓した。

私、(名前)は、ミャンマー連邦共和国とその国民に対し忠誠心を持ち、連邦の分裂阻止、民族の団結および国家主権の堅持を常に念頭に置き任務を遂行する。私は、この国の憲法を擁護・遵守し、法律を尊重する。自らの義務を誠実に正しく全力を尽くして実行する。ミャンマー連邦共和国内に、法の下の平等・自由・平等の理念が行き渡るよう任務を遂行する。私は、ミャンマー連邦共和国の利益のため、国家に自らの生命と身体を預けることを宣言し、誓う(ミャンマー連邦共和国憲法第65条)。

この宣誓に先立ち、キンアウンミン連邦議会議長は、SPDCが立法、行政、司法の3権を連邦議会が選出・承認した人物に移管し、SPDCを解散することを記したSPDC布告5号(2011年3月30日)を読み上げた。ここに1988年9月18日にクーデターによって登場した軍事政権は終わった。22年6カ月におよぶ長期政権であった。

テインセイン大統領を首班とする新政権は、どのような特徴をもち、なにを目指すのであろうか。そこには変化は期待されるのであろうか。ここでは、新内閣の顔ぶれを見つつ、新政権のゆくえを考えてみたい。

テインセイン大統領は就任前の2月9日に、既に連邦議会へ新政権で入閣する30人の閣僚名簿を提出しており、承認を得ていた。但し、この時点では誰がどのポストに就くのかは不明であった。テインセイン大統領は就任後直ちに、大統領令第4号(2011年3月30日)により30人の閣僚を各ポストに任命した(表1)。これにより、テインセイン首相を首班とする新内閣が発足した。

表1 閣僚名簿(2011年3月30日現在)


役職名 名前 前職 *1 国軍における階級 *2 議員/軍人/民間人 *3 年齢(概算)*4
  大統領 Thein Sein 首相 大将(退役) 議員(人民) 66
  副大統領 Tin Aung Myint Oo SPDC第1書記 大将(退役) 議員(人民) 61
  副大統領 Sai Mauk Kham 医者 軍籍なし 議員(民族) 61
1 国防相 Hla Min 国軍南部軍管区司令官 少将 軍人 55
2 内務相 Ko Ko 国軍第3特別作戦室長 中将 軍人 55
3 国境相 Thein Htay 国防副大臣 少将 軍人 56
ミャンマー産業発展相 国防省国防産業局長
4 外務相 Wunna Maung Lwin 大使(ジュネーブ国連代表部) 大佐(退役) 民間人 59
5 情報相 Kyaw Hsan 留任 准将(退役) 議員(人民) 63
文化相
6 農業灌漑相 Myint Hlaing 空軍司令官 中将(退役) 議員(人民) 58
7 林業相 Win Tun ミャンマー木材公社総裁 中佐(退役) 民間人 59
8 財政歳入相 Hla Tun 留任 少将(退役) 議員(人民) 60
9 建設相 Khin Maung Myint 留任 少将(退役) 議員(人民) 60
10 国家計画・経済発展相 Tin Naing Thein 商業相 准将(退役) 議員(人民) 57
畜水産相
11 商業相 Win Myint 商工会議所(UMFCCI)会頭 軍籍なし 議員(民族) 57
12 通信・郵便・電信相 Thein Tun 通信・郵便・電信副大臣 少将(退役) 議員(人民) 64
13 労働相 Aung Kyi 留任 少将(退役) 議員(人民) 65
社会福祉・救済・復興相 連絡担当相 *5
14 鉱山相 Thein Htaik 国防省監察局長 少将(退役) 議員(人民) 59
15 協同組合相 Ohn Myint 国軍第6特別作戦室長 中将(退役) 議員(人民) 57
16 運輸相 Nyan Tun Aung 運輸副大臣 空軍大佐(退役) 議員(人民) 63
17 ホテル観光相 Tint Hsan 建設会社社長 軍籍なし 議員(人民) 55
スポーツ相
18 第1工業相 Kyaw Swa Khaing 第2工業副大臣 少将(退役) 議員(人民) 63
19 第2工業相 Soe Thein 海軍司令官 海軍中将(退役) 議員(人民) 63
20 鉄道運輸相 Aung Min 留任 少将(退役) 議員(人民) 62
21 エネルギー相 Than Htay エネルギー副大臣 准将(退役) 議員(人民) 57
22 第1電力相 Zaw Min 留任 大佐(退役) 議員(人民) 60
23 第2電力相 Khin Maung Soe ヤンゴン電力供給委員会議長 不明(退役) 議員(人民) 61
24 教育相 Mya Aye マンダレー大学長 軍籍なし 議員(人民) 60
25 保健相 Pe Thet Khin マンダレー医科大学長 軍籍なし 民間人 55
26 宗教相 Myint Maung 留任 准将(退役) 議員(人民) 70
27 科学技術相 Aye Myint 国防副大臣 少将(退役) 議員(人民) 63
28 入国管理・人口相 Khin Yi 警察長官 准将(退役) 民間人 59
29

 

大統領府 Thein Nyunt 国境地域少数民族発展相 大佐(退役) 議員(人民) 63

 

(ネーピードー評議会議長)   (ネーピードー開発委員会議長)
30 大統領府 Soe Maung 国防省法務局長 中将(退役) 議員(人民) 59

(注) *1 直近の前職が分からない場合は、判明している最後の役職。
    *2 退役している場合は、退役時の階級。
    *3 議員(人民)は人民代表院、議員(民族)は民族代表院の民選議員。軍人は国軍司令官の指名による入閣。民間人は議員ではない文民。
    *4 2011年から生まれた年を引いた年数。2011年中にこの年齢になるという意味で、現時点ではこれより1歳若い可能性がある。
    *5 2007年10月8日に政府とアウンサン・スーチー氏との連絡を取るために新設。
(出所)大統領令第4号(2011年3月30日)、『アジア動向年報』(アジア経済研究所)各年版、各種報道等より作成。

新内閣は大統領と2人の副大統領を含めて、33人から構成される。全員が男性で、平均年齢は60歳である2。2011年現在で、70歳のミンマウン宗教相、66歳のテインセイン大統領、65歳のアウンチー労働相が比較的高齢であるが、その他は60歳前後の人が多い。他方、最も若い人でも55歳で、すでに若手と呼べる年齢ではない。基本的には、国軍や政府機関で経験を積んだベテランで、5年間の任期を全うできる人物を選んだといえよう。

新内閣の顔ぶれをみると、安定性と継続性を重視した手堅い人材配置になっているとの印象を受ける。権力の移行期にあって、混乱が起きることがないように慎重に人事が行われた様子がうかがえる。

まず、テインセイン前首相が大統領に就任したことが、新政権が安定性と継続性を重視している証左である。テインセイン大統領は1967年に、国軍幹部養成のための士官学校(Defence Service Academy:DSA)を卒業(第9期生)しており、おそらく新内閣において最も先輩にあたるエリート将校である。テインセイン大統領は1997年11月15日に、軍事政権が国家法秩序回復評議会(State Law and Order Restoration Council)からSPDCへと組織変更した時に、委員として参加した。以降、2003年8月にSPDC第2書記に、2004年10月にはSPDC第1書記に就任した。2007年5月に当時のソーウィン首相がシンガポールの病院に入院した時に、首相代行となった。同年10月12日にソーウィン首相が死去したのに伴い、同月24日に首相に就任し、今回大統領に就任するまで首相を務めた。2010年総選挙で勝利した連邦団結発展党(USDP)の党首でもある3

テインセイン大統領は行政や外交において豊富な経験をもっており、温厚な性格で、比較的汚職が少ないと評価されている。タンシュエSPDC前議長の信頼も厚いといわれる。ただし、テインセイン大統領は心臓に持病を抱えていることもあり、本当は激務で、任期が5年と長い大統領職には就きたくなかったといわれている。このように、経歴、性格、年齢、健康上の理由から、良きにつけ悪しきにつけ、テインセイン大統領が積極的にリーダーシップを発揮し、大きな変革に取り組むとは考え難い。しかし、むしろこうした慎重な姿勢こそが、実務上も、また権力の表舞台から引退するタンシェエ前議長4に対しても安心感を与え、大統領に選ばれたともいえるだろう。この点は、軍内の実力者で、大統領就任の下馬評が高かったにもかかわらず、結局、人民代表院議長という名誉職的なポストに祭り上げられたシェエマン元三軍統合参謀長との違いである。

安定性と継続性の重視については、新閣僚の前職を見ても分かる。表1の前職の列に色づけをした閣僚は、留任、他の省からの横滑り、副大臣からの昇格、関連性の高いポストからの異動などによって就任した人物であることを示している。こうした人事は、全閣僚33人のうち23人におよんでいる。例えば、ティンアウンミンウー副大統領は新内閣において経済分野を担当すると見られているが、彼は軍事政権時代に経済政策の決定を担ってきた貿易評議会(Trade Council)の議長であった。国軍司令官の指名により任命された国境相には、国防副大臣が就任した。国境相は新設されたミャンマー産業発展相を兼務するが、これは彼が国防省において国防産業局長であった経歴と関係していると思われる。外相にはジュネーブ国連代表部の大使、林業相にはミャンマー木材公社の総裁、通信・郵便・電信相には同省の副大臣が、それぞれ昇格した。マンダレー大学長とマンダレー医科大学長が、それぞれの所管官庁である教育省、保健省の大臣に就任したケースも内部昇進と見てよいだろう。ヤンゴン電力供給委員会の議長が第2電力相に就任した人事も、業務の関連性が高い事例に含まれる。さらには、閣僚人事ではないが、大統領府のテインニュン大臣はネーピードー評議会議長を兼任するが、彼は元々ネーピードー開発委員会の議長でもあった。このように新内閣は、軍事政権からの継続性を重視した人員配置となっている。

このような人事により、当然のことながら、閣僚の多くを退役軍人が占めることとなった。現役の軍人は憲法において国軍司令官が指名すると規定されている国防相、内務相、国境相の3人のみである。退役軍人は25人で、全員が少なくとも大佐以上の階級で退役している。軍籍をもたない閣僚は、サイマウカン副大統領(医者)、ウィンミン商業相(ミャンマー連邦商工会議所連盟会長)、ティンサン・ホテル観光相兼スポーツ相(建設会社社長)、ミャエイ教育相(マンダレー大学長)、ペーテッキン保健相(マンダレー医科大学長)の5人である。それでも、SPDC解散直前の内閣では、31人の閣僚のうち純粋な文民は教育相と保健相の2人のみであったので、文民大臣の人数は増えたことになる。政治的意味合いの強いサイマウカン副大統領を除くと、商工会議所の会長が商業相という重要ポストについたことが評価される。これまで、軍事政権は民間セクターの意見に耳を傾けず、「経済音痴」であると批判をされてきた。ウィンミン商業相の誕生により、実業界の意見が新政権の経済政策に反映されることが期待される。

なお、33人の閣僚のうち、人民代表院の議員は24人、民族代表院の議員は2人、国軍司令官に指名された軍人(軍人議員ではない)が3人、(議員でない)民間人が4人であった。民間人4人は2010年11月の総選挙の時点で、公務員として業務に携わっており、議員に立候補できなかった人たちである5。この中には、アウンサンスーチー氏の問題を取り扱っていたキンイー前警察長官も含まれている。但し、いずれにしても大統領、副大統領、閣僚は、就任と同時に議員および公務員を辞任しなければならない。また、政党メンバーであった場合も、任期中は政党活動をしてはならない(憲法第63条、64条、232条)。

以上、新閣僚の顔ぶれを見つつ、内閣の特徴をみた。新内閣は安定性と継続性を重視する布陣となっており、軍事政権の時代から大きな政策の変化は期待できないだろう。しかし、それでも商業相への実業家の登用など、限定的ではあるが、変化を感じさせる人事もある。今後、新政権のゆくえを注意深く見守っていく必要がある。

【注】
  1. 彼の名前はティーハトゥーラ・ティンアウンミンウー(Thiha Thura Thin Aung Mint Oo)と記されることが多い。しかし、前半のティーハトゥーラは勲功をあげた軍人に授与される名誉称号であり、彼の本来の名前はティンアウンミンウーである。本稿ではこの称号を省略して記す。
  2. 表1に示した年齢は、2011年から誕生年を引いた数字である。すなわち、2011年中に達する年齢という意味で、実際には誕生月日によってこれよりも1年若い可能性がある。また、ミャンマー政府は閣僚の公式な経歴を発表していないため、誕生年についても必ずしも確認が取れていない場合がある。
  3. 但し、2008年憲法は大統領の政党活動を禁止しており(第64条)、テインセイン大統領はUSDP党首を辞任する可能性が高い。
  4. 2011年3月30日に連邦議会で行われたテインセイン大統領の就任式には、ミンアウンフライン大将が国軍司令官として、ソーウィン中将が国軍副司令官として出席した。これにより、タンシュエ上級大将およびマウンエイ上級大将補は、それぞれ国軍司令官および国軍副司令官を退いたと見られる。
  5. 憲法の規定で公務員は被選挙権を持たない(憲法第121条他)。