採用・募集情報

2025年度の採用について(地域研究[政治・経済]、法律)

応募を考えている皆さんへ

岩﨑 葉子(地域研究センター 中東研究グループ長)

地域研究センター 中東研究グループ長
岩﨑 葉子

こんにちは、イランの経済を専門に研究している岩﨑葉子と申します。私は大学の修士課程を終えた段階でアジ研に入所し、研究者として30年以上を過ごして来ました。大学でペルシア語を専攻し、修士でもイラン現代史に関する論文を書いたものの、就職活動の段階では「研究者になろう」と決めていたわけではありません。経済的に自立することが第一の目標で、むしろ大学に残ることは選択肢になく民間企業も視野に入れていたのです。

そんな私がアジ研に「拾って」もらって一番嬉しかったことは、お給料をもらいながら興味のある勉強を続けられること。またそれ以外にも、毎日出勤してアジ研の同僚や先輩たちと会って話し、たくさん刺激をもらえることがありました。先輩たちが誘ってくれる色々な勉強会に参加して専門外の分野の古典もたくさん読みました。それが業務としても認められるので、本当に楽しい毎日でした。きっと私には、大学院での孤独な自己研鑽生活は向かなかっただろうと今でも思っています(それが苦にならない人もたくさんいるでしょうが)。

艱難辛苦の海外派遣

とはいえ楽しい新人時代の後には、人生最大の難関が待っていました。入所から3年ほど経った1994年に「海外派遣員制度」を利用して担当国イランへ赴任しましたが、当時のイランはまだ1979年の革命とその後に続いたイラン・イラク戦争の傷跡から立ち直っておらず、外国人研究者の受け入れ体制が整っていませんでした。わずかな伝手を頼って渡航したものの当てにしていた受け入れ先がいつまでたっても必要な書類を用意してくれず「入国ビザ」を細切れに延長してなんとか滞在し続けました。当時は、制度上一時帰国は許されませんでしたし(そもそも滞在許可がないので一度出たら再入国できませんが)ネットもなく国際電話すらろくに通じない時代。滞在許可のない不安定な立場でほとんど知り合いもいない一人暮らしですから、そのストレスたるや尋常ではありません。

私はとにかくメンタルを病まないよう友人を作りまくりました。近所の人でも、その辺の店番の人でも、友人の友人でも、老若男女あらゆるイラン人と話をし、挨拶をし、誘われれば絶対に断らない。図々しくも自分から食事に混ぜてくれと電話する。こちらから家に押しかける。もちろん最低限の礼儀は守らねばなりませんが、一日誰とも会わない・話さないということがないように、必死にアポを入れまくりました。

また研究上も、この期に及んでは腹を括らざるを得ないと思い、どんなに悪条件であっても「今自分がここにいる」メリットを活かそうとフィールドワークに取り組んで、当時自分が関心を持ち始めていたイラン独自の商慣行や一線の商人たちのしきたりなど現地でしかできないデータ収集に集中しました。

1994年、友人宅の屋上でこの時だけヘジャーブを外して撮ったもの。

1994年、友人宅の屋上でこの時だけヘジャーブを外して撮ったもの。
高層ビルのない古き良きテヘランが写る貴重な一枚(Mandana Panahande氏撮影)。

人生の宝

今から思ってもかなりの窮地に陥ったイラン赴任でしたが「絶対にタダでは帰らない」と心に決め厳しい現実を受け入れて頑張ったことが、その後の(研究のみならず)人生の大きな支えになりました。ビザの延長や受け入れ機関の変更などで必要に迫られてペルシア語も大いに上達しましたし、友人たちからは普通のイラン人がどんな生活をしているのか、何が人々の関心事なのか、どうやってお金を稼いでどんなものを消費しているのか、といったイラン人の経済生活を学びました。それがその後の研究テーマに結びついたことは言うまでもありません。

この頃仲良くなった友人たちとは今でも行き来があります。誰かれ構わず友達になったのでいろんな階層、エスニシティ、職業の人がいますが、意外にもほとんどの人たちと長いご縁が続いています。私が若かったせいもあってあまり警戒もされず、本当にたくさん友達ができました。友人やそのご家族と一緒にご飯を食べたり、おしゃべりをしたりして、精神的にとても助けられました。若いうちにこうした経験をさせてもらい、日本でぼんやりと過ごしていたら決して知らなかったであろう世界を見たこと、そして何より、拙いながらも一生懸命コミュニケーションをとろうとする外国人を大歓迎してくれる懐深いイラン人とその文化に親しむことができたことは、私の人生の宝と言って良いと思います。

1994年、調査先で。遊びに来た近所の子どもたちは珍しい外国人を見て大喜び。

1994年、調査先で。遊びに来た近所の子どもたちは珍しい外国人を見て大喜び(Farbud Shokuhi氏撮影)。

異文化を知って問いを立てる

アジ研に入って、イランという一つの国と長いお付き合いをすることになりました。最初から研究者になろうと意気込んでいたわけではない私が、これまで曲がりなりにもこの職業を続けてこられたのは、こうした異文化との出会いの面白さ、奥深さに魅了されたからだと思います。

アジ研では、個々の研究者が自分で問いを立て研究を進めます。現地の人々の視点、立場、論理展開の癖などを理解することで、理論書を読むだけでは浮かんでこない重要なテーマを発見できる可能性があります。途上国に関心のあるみなさん、こんなワクワクする世界に一歩を踏み出してみませんか。応募を心からお待ちしています。

これまでの経歴

1991年に東京外国語大学大学院の地域研究(西アジア)研究科修士課程修了後、アジア経済研究所入所。1994年から1995年の在テヘラン海外派遣員、1995年から1996年の在イスタンブル海外派遣員、2009年から2011年のテヘラン大学客員研究員を経て現職(地域研究センター中東研究グループ長)。博士(経済学)。専門はイランの産業組織や経済制度。著作に『サルゴフリー 店は誰のものか――イランの商慣行と法の近代化』(平凡社、2018年、第40回発展途上国研究奨励賞受賞)、Industrial Organization in Iran: The Weakly Organized System of the Iranian Apparel Industry (Springer 2017)などがある。

研究者インタビュー

修士号取得後に採用された研究員の経験をご紹介します。


*肩書はインタビュー当時のものです。
この他にも研究者のインタビューを掲載しています。

2025年度採用 研究職員(地域研究[政治・経済]、法律)募集要項

※現在、募集は行っていません。

募集内容

地域研究(政治・経済)、法律分野における研究職員若干名︓

現代の新興国・開発途上国地域に関する社会科学分野の研究者の募集。現地の言語を習得して調査を行い、長期的に一つの国・地域を専門に研究する意欲のある方を求めます。応募時点での海外滞在経験や現地語の習熟度は問いません。

業務内容

担当国・地域の情勢分析・学術研究とその成果発信(『アジア動向年報』などの執筆、講演、レファレンス対応など)およびその他の研究関連業務(研究企画、編集、査読など)。※原則、アジア経済研究所勤務。在外研究のための海外赴任もある。

応募資格

修士号以上を有する者(2025年3月頃までに取得見込みの者を含む)。原則として30歳以下であることが望ましい。国籍は問いません。ただし日本語でも上記業務内容が遂行可能なこと。

*長期勤続によるキャリア形成を図る観点から、若年者等を期間の定めのない労働契約の対象として募集・採用します。(雇用対策法施行規則第1条の3第1項 例外事由3号イ)。

雇用形態

原則として任期を定めないテニュア研究員として採用する。

選考

書類審査、筆記試験(5月を予定)、及び面接試験(6月を予定) ※詳細は該当者に別途案内

勤務開始

原則として2025年4月1日

応募手続きなどの詳細については、こちらをご覧ください。