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インドネシア・ジョコウィ政権の基本政策(1)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049544

佐藤 百合

2014年12月
「実行あるのみ」のジョコウィ政権

2014年10月20日、インドネシアで10年ぶりに政権が交替し、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)第7代大統領が誕生した。建国以来初めてエリートでもない軍人でもない大統領が生まれたことで、インドネシアの民主主義は新たな段階に入った(アジアの出来事「ジョコ・ウィドド新政権の発足――議会との対立を乗り越えられるか――」(川村晃一)参照)。

一週間後の10月27日、「働く内閣」と名づけられた内閣が発足した。ジョコウィ大統領は、就任式後に初閣議を開いた。その席で大統領は、本日この日からすぐに働くように、なすべき政策を直ちに実行に移すように、と新閣僚たちに指示した。

その「なすべき政策」とは何か。ジョコウィ政権の政策が文書の形で示されているのは、現在のところ、大統領選挙キャンペーンにおける「政権公約」があるのみである。前スシロ・バンバン・ユドヨノ政権は、発足当初に各界から政策提言を受けつけ、とりわけ産業界とは双方向の対話の場を設け、その内容を容れて「100日プラン」および「国家中期開発計画」を策定した。しかし、今回は違う。これまで議論はさんざん重ねられてきた、だが実行は限られていた、今はもう議論の時ではない、実行の時だ、というのが、ジョコウィの考えである。

唯一の政策文書「政権公約」

したがって、まずは「政権公約」が新政権の実行すべき政策ということになる。そこに、諸条件の変化や予算配分、タイムラインなどを加味して「国家中期開発計画2015~2019年」が2015年1月に発表される。

そこで、当面の新政権の政策指針となる「政権公約」を本稿と次稿で紹介することにしよう。「政権公約」は、正副大統領候補ジョコ・ウィドド=ユスフ・カラの選挙対策チームによって2014年5月に作成された41ページのインドネシア語の文書である。タイトルと構成は次のとおりである。

「主権を有し、自立し、個性を発揮するインドネシアへの変化の道:
ヴィジョン、ミッション、そしてアクション・プログラム」

  • -はじめに
  • -憲法の信託のうえに歩む
  • -三つの国民的主要問題
  • -思想的道程を振り返る
  • -ヴィジョン
  • -ミッション
  • -九つの優先的アジェンダ
  • -政治分野における主権
  • -経済分野における自立
  • -文化分野における個性

このうち、本稿ではヴィジョンとミッションを紹介し、「政権公約」全体の特徴を概観する。次稿では、「経済分野における自立」の項に列挙されている経済アクション・プログラムを紹介する。

ヴィジョン

「政権公約」が掲げるヴィジョンは次のとおりである。「主権を有し、自立し、個性を発揮するインドネシアを相互扶助(ゴトン・ロヨン)にもとづいて実現する」。

この文言は、その前段の思想的道程に述べられているとおり、初代大統領スカルノ(ジョコウィ大統領の出身政党である闘争民主党の党首メガワティ・スカルノプトリの実父)による「三原則(トリサクティ)」演説を踏襲している。演説の趣旨は、「インドネシアは、政治において主権を有し、経済において自分自身の足で立ち(ブルディカリ)、文化において個性を発揮する」というものである。

スカルノがこのトリサクティ演説を行ったのは1963年である。それから実に50年あまりを隔てて、今なおことさらにインドネシアの「主権」「自立」「個性」が強調されなければならないのは一体なぜだろうか。

ここからは筆者の解釈である。インドネシアは近年、有望な新興国として世界から注目される存在になった。そうした自国にインドネシア人たちは自信をもち始めている。しかし、ひとたび足元を見つめ直してみると、自国の要所は外国に押さえられている。我々はいまだに自国の主人公になりきれていないのではないか、という不安が頭をもたげてくる。自信と不安は表裏一体である。我々は自国の中心にあってしかるべきだ、いやそうあらねばならない、という、いわばインドネシア中心志向性(Indonesia Centrality)が、自信の回復とともに改めて強く認識されるにいたったのではなかろうか。

ミッション

ミッションは、次の7項目から成っている。

  1. 領域の主権を守り、海洋資源を保全しながら経済的自立を支え、群島国家としてのインドネシアの個性を反映することのできる、国家的安全を実現する
  2. 先進的で、バランスがあり、法治にもとづいた民主的な社会を築く
  3. 海洋国家としてのアイデンティティを強化するような自由積極外交を展開する
  4. インドネシア人の生活の質を高め、先進的で豊かなものにする
  5. 競争力のある国民を形づくる
  6. 自立し先進的で強固であり、かつ国益にもとづいた海洋国家を実現する
  7. 個性をもち、文化的な社会を実現する

まず目につくのは、「海洋」というキーワードである。「海洋資源を保全」「群島国家としての個性」「海洋国家としてのアイデンティティ」といった表現が連ねられている。

また、彼らの目指す国づくりの理想像が表されている。「先進的で」「バランスがあり」「法治にもとづいた」「生活の質を高め」「競争力のある」「強固で」「国益にもとづいた」といった形容詞が目指す方向性を示している。

「政権公約」にみる特徴

「政権公約」は、ヴィジョン、ミッションに続けて、優先的アジェンダを9項目、政治、経済、社会文化の3分野におけるアクション・プログラムをそれぞれ12項目、16項目、3項目挙げて文書を閉じている。文書全体を通じて見てとれる特徴を3点指摘しておこう。

第一点は、ジョコウィは「海洋」を政権の戦略に選んだ、ということである。ミッションのみならず、アクション・プログラムにも随所に「海洋」が現れる。大接戦となった大統領選を制したジョコウィは、勝利宣言をジャカルタ北岸の古い港スンダ・クラパに浮かぶ帆船の上で行った。組閣では、海事担当調整大臣ポストを新設した。

大統領就任演説のなかでジョコウィは、「我々はあまりにも長い間海に背を向けてきた」と述べている。海の大国として本来ならば強みであるはずの「海洋」をインドネシアは弱みにしてしまった、それを克服して強みに変える、という考えを表明した。ボトルネックにこそビジネスチャンスがある、と捉える企業家ジョコウィらしい発想である。

「海洋」重視は多義性をもつ。そのことは、11月13日のASEAN首脳会議における大統領演説によってより明確に示された。この演説でジョコウィは「五つの海洋ドクトリン」を発表した。そのドクトリンとは、(1)海洋文化の再興、すなわち、大洋をいかに活用するかによって民族のアイデンティティ、豊かさ、将来性が変わるという認識であり、(2)海洋資源の保全・管理・国益のための活用であり、(3)海洋インフラと連結性、たとえば、海洋高速道路、港湾、ロジスティック、造船、海洋観光の振興であり、(4)海洋外交、たとえば、密漁、領海侵犯、海洋紛争、海賊、海洋汚染などの諸問題の解決であり、(5)海洋安全保障、すなわち、インド洋と太平洋との要に位置する国家として二つの大洋海域における治安と航行の安全を護るという責任を果たしていくことである。こうしてみると、ジョコウィ政権の「海洋」戦略は、国民意識の改革から経済・インフラ開発、外交・安全保障にいたる幅広いスペクトラムをもつことがわかる。

「政権公約」にみる第二の特徴は、分配の重視である。「インドネシア人の生活の質を向上させる」目的のもとに、貧困層を対象とした無償医療サービス、義務教育期間12年間の無償奨学サービス、現金給付を含む生活保障サービスを展開し、一世帯当たり2ヘクタールを保有する自作農を450万世帯創出する計900万ヘクタールの農地改革を行い、5万軒の公共住宅を建設し、6000カ所の保健所に入院施設を整備するとしている。「生産性と競争力を向上させる」ための政策には5000カ所の伝統市場の新設・近代化が含まれ、「経済の自立性を実現する」ための政策には300万ヘクタールの水田地における灌漑整備・改修、ジャワ島外における100万ヘクタールの農地開拓などが掲げられている。多様なルートを通じて所得分配制度の設計を改変し、生産的事業あるいは人的資本への投資へと財政資金を配分することが重視されている。

第三の特徴は、インドネシア中心志向性である。政策レベルでみると、たとえば、エネルギー、鉱物資源、海洋資源などの国益に沿った活用、未加工で輸出してきた資源の国内での加工、資源産業などにおける外国依存の低減、銀行部門における外国による買収に対する制限や互恵主義、規格外・不正輸入品の制御、国産品の競争力強化などにインドネシア中心志向性が表れている。

庶民出身のジョコウィ大統領が掲げる分配政策に社会の期待は膨らむが、安定的成長やインフラ整備がなければ分配すべき果実は生まれない。また、ナショナリズムが内向きに傾けば、インドネシアの競争力向上を阻害することになるだろう。そのことを、企業家であり合理主義者であるジョコウィはよく理解していよう。新政権の政策運営には絶妙なバランスが求められることになる。