中国の基層管理メカニズムと変容 —広東省烏坎の事例—

政策提言研究

2012年3月

※以下に掲載する文章は、平成23年度政策提言研究「 中国・インドの台頭と東アジアの変容 」第10回研究会(2012年1月18日開催)における報告内容を要約したものです。


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はじめに
「烏坎事件」とは、2011年9月から広東省陸豊市東海鎮烏坎村で発生した農民の陳情、暴動及び警官隊との衝突など一連の事件を指す。近年、土地をめぐるトラブルで農民の陳情が多発しており、烏坎事件もその一つではあるが、政府が事件解決のために農民に大きく譲歩した点はこれまでに見られなかった。事件はまだ最終的に解決できておらず、現在進行形であるが、今後の陳情、官民の利益交渉に大きな影響を与えかねない先駆的な事例であり、注目する価値がある(注:本稿では烏坎村の農民を「村民」と表記する。また「基層」とは、幅広く組織の末端を指す中国独特の概念であり、本稿では行政末端を指す)。

1.烏坎事件の経緯
烏坎村は広東省東部にある陸豊市東海鎮に位置する。人口はおよそ1万2000人で、村レベルにしては人口規模が非常に大きい。人口が多いことから土地改革の際にも多くの土地をもらい、総面積は2.5万ムー(17平方キロ-1ムーは約6.667アール)で、うち耕地が6000ムーである。土地面積が広いが経済活動の中心となっているのは農業ではなく漁業であった。また、度重なる台風により耕地の塩化が進み、農耕地としての価値が益々低くなっていた。農耕地への村民の関心も次第に薄くなり、多くの土地は使われてないままであった。

村の土地を再利用するようになったのは1990年代半ば以後である。村の経済発展を促進するために烏坎港実業開発公司(集団所有制企業)を設立し、社長は党書記が兼任した。企業の管理層には村の幹部及びその親戚が多く採用されていた。当時の党書記と村長は使われていなかった村の農耕地の使用権限を烏坎港実業開発公司の名義に変更し、会社はその土地を使って企業誘致をはかった。数年の間、村の多くの土地はこの集団所有企業を経由して、外部の企業に譲渡された。譲渡された土地には次々と新しい工場やビルが立てられた。

漁業を中心とする村民にとって土地の価格が安い時はそれほどの問題にならなかったが、土地価格が高騰するにつれ喪失感が生まれるようになった。また、譲渡過程は不透明な点が多い。村の経理記録には土地譲渡に関する詳細な収支の記載がなく、土地譲渡から得た利益は村の所得ではなく烏坎港実業開発公司のものになっていた。また、この会社は事実上、党書記・村長をはじめとする少人数の「私有会社」であり、土地譲渡の利益はこれらの少人数が得たのである。このような不透明な土地譲渡と利益配分への不満を理由に、村民は地元政府に陳情するが、満足のいく結果が得られず上級政府へと陳情を続けた。その過程で、一部の村民の陳情行為はエスカレートし、暴動化することになった。ここまでの経緯は全国各地で起きている陳情と似ており、特別な点は見当たらない。

事件が一躍注目を集めることになったのは村民が代表理事会を設立し、村の業務を行うことになってからである。党書記と村長による土地譲渡の利益配分への不満から陳情が発生し、村民委員会の事務所は暴徒化した村民によって荒らされた。これで村の党組織と村民委員会は機能不全に陥る。鎮政府の要請により村民は代表理事会を設立し、村民委員会を代行して一部の業務を行ったのである。一党支配体制下では珍しい出来事で、国内外のメディアは事件を大きく取り上げた。事件が一転するのはこれからである。地元政府(汕尾市)は暴動化していた村民の行為を抑えようと、中心人物となる数人を逮捕するが、そのうちの一人が逮捕先で死亡した。死亡の理由について地元政府と村民の主張にはずれがあるが、死亡事件は既に暴動化していた集団行動をさらに激化させた。地元政府への強い不信感から村民はバリケードを作り、政府役員と警官が村に入ることを警戒した。

事件が海外のメディアで大きく取り上げられてから、広東省政府は早期解決をはかるために、省の党副書記を筆頭とする対策グループを立ち上げ、村民との交渉に臨むに至る。ここで興味深いのは、対策グループが最初に行ったのが機能不全になった共産党組織の再建であったことで、代表理事会の顧問を党書記に任命した。新しい党書記の誕生とともに、元々の党組織は自動解散となった。また、事件を一躍有名にさせた臨時的な組織である代表理事会も事件の進展とともに自然に消滅した。

2.烏坎事件の新しい点
中国国内での農民のデモと集団事件は年を追って増加しており、メディアで報道された事件だけでも数え切れないほどだ。その中で、烏坎事件がこれほどメディアに大きく取り上げられることにはいくつかの理由がある。それは烏坎事件特有のものもあれば、他の事例では顕著に現れてない特徴もある。ここでは烏坎事件の新しい点について取り上げる。

代表理事会
代表理事会は鎮政府の要請により設立されたもので、機能不全になった村の党委員会と村民委員会の代役を務めた。臨時的な組織であるにもかかわらず、村内部の秩序を維持することに大きな貢献をした。村の元書記と村長が監査部門の調査対象となり隔離されると、党支部と村民委員会は機能しなくあり、政府と村民をつなげるチャンネルがなくなった。そこで、東海鎮政府は村民に代表組織を成立することを要求し、選ばれた代表には月1000元の給料を支払うことを約束した。代表を選ぶ基本ユニットになったのは村民小組或いは自然村ではなく、氏名に基づいた宗族であった。もちろん、宗族社会がすべてを支配するわけではない。陳情の中心人物の一人で死亡した村民が元党書記と同じ宗族出身者であることを考えると、利益配分への不満は宗族の壁を越え、村民全般に共有されていたと理解できよう。

省政府の登場
烏坎事件でも最初の段階では県レベル(陸豊市)で陳情することに留まった。村民は、陸豊市で「半月以内に回答する」約束をもらったが、一か月近く待った末にもらった市長の回答は到底満足の行くものではなかった。県レベルで満足する回答が得られなかった村民は汕尾市レベルへと陳情を続ける。しかし、集団行為が暴動化し治安維持の警官との衝突が始まってからは収拾のつかないものになった。そこで登場するのが広東省副書記を代表とする事件対策グループで、村民との直接交渉に臨むことで事件が一気に収まった。

なぜ、県レベル、市レベルでは解決できなかった問題が省政府の登場により鎮静化したのか?ここでは陳情する村民と問題解決に乗り出した省政府の思惑が一致していた。村民の陳情行為はあくまでも損失した利益への補償であり、政治的な抗議運動ではない。抗議したとしてもその矢先は「基層」(ここでは村・県・市)レベルにおける不正行為に止まっている。自分の主張が一旦政府に受け入れられたら陳情の目的は達成でき、それ以上の何かを求めることはない。烏坎事件の場合、基層レベルで満足できる回答が得られず、その怒りと焦りが暴動化につながった。このまま続くと、いずれは社会治安を妨害した理由で政府による弾圧が来ることは容易に予想できる。この時に、村民が望んだのは身の安全の確保と主張を聞き入れてくれることであって、それを受け入れてくれたのが省政府であった。基層レベルの強硬姿勢と違って省政府の対応は柔軟であった。省政府から見れば、この問題が省レベルで解決できず中央にまで持ち上げられると広東省地方官僚の管理能力が疑われることになるので、何としても自力で解決したかっただろう。また、事件がすでに国内外のメディアで大きく取り上げられた以上、力で抑え込むことは予測不可能な方向に進むことを恐れ、ひとまず村民の主張を受け入れ、陳情を組織した中心人物の身の安全を保障した。

3.今後のゆくえ
このように烏坎事件は他の事例には見られなかった新しい特徴がみられるが、事件が収束したわけではない。本当の交渉はこれから始まるのである

村民の陳情内容を見ると、大きく三つに分けることができる。一つ目は譲渡された土地を回収すること、二つ目は土地譲渡利益を再配分すること、最後は村民委員会選挙の不正行為を摘発することである。三つ目の不正選挙については当事者の責任を追及すれば済むことで処理しやすい。二つ目の土地譲渡利益の再配分になると解決は難しくなる。書記、村長及び村弁企業の幹部の財産を公開し、村民全員に均等に配分するのか。それとも土地を購入した企業・業者にまで土地譲渡利益を求めるのか。革命時代のように金持ちの財産を皆が分かち合う手法を現代社会で実施するには無理がある。たとえそうしたとしても1万人を越える村民に均等に配分したら大した金額にならない。可能なシナリオとしては烏坎村・東海鎮・陸豊県(場合によっては汕尾市まで)が一定の割合で負担し、村のインフラ建設をはじめとする様々な社会サービスを提供することであろう 1 。しかし、そもそも経済的に遅れている地域であるので政府にそれほどの財政余裕があるとは思えない。最終的には、その負担は地域住民に行くのではないだろうか。

一番難しいのが譲渡された土地を回収することである。不正に取引された部分については取り戻すことは可能であるが、正式な手続きを踏んで取引された土地を取り戻すのは無理があるだろう。筆者が思うに、烏坎事件で一番重要な問題が土地回収である。どのような手続きで土地を回収し、どのように事後処理するのかは村民委員会選挙以上に重大な意味合いを持つ。なぜなら全国各地には烏坎のような土地問題を抱えている地域が数多く存在し、過去の土地譲渡に対し不満を抱えている住民も大勢いる。したがって、烏坎事件での土地譲渡問題の解決方法は一気に全国に広がる可能性がある。一歩でも間違えたら、全国に誤ったシグナルを送ることになるので、基層政府は極めて慎重に進めなければならない。

4.おわりに
烏坎事件での基層政府の対応について人民日報の時評は次のように述べた。「基層政府が犯した最初のミスは村民の合理的な利益主張に目を向けていないことであり、これを理由に理性的な陳情が過激な行動にエスカレートしたのである」 2 。また、省政府を代表して事件解決に乗り出した広東省の副書記は村の党書記について次のように述べた。「烏坎村の党書記は既に41年も勤めており、常に模範であった。しかし、模範であるがゆえ、県・鎮レベルの党・政府機関はその人の仕事ぶりを信頼していた。その結果、行き届いてない部分が多く大きな問題を引き起こした」。

激しい競争を勝ち抜くために基層レベルの官僚は任期が終わる前にいち早く実績をあげて昇進しなければならない。実績として一番やりやすいのが土地を再開発し、そこに企業誘致と不動産開発を行うことである。都市部では使える土地に限りがある上、収用費用も高いので、自然に都市周辺地域にある農村の土地を使おうとする。烏坎事例を見ると、陸豊市は1990年代の半ばから経済発展を促進しようと農村の土地を徴収して東海経済開発区を設立し、外部からの企業誘致をはかった。激しい競争環境の中で任期が短い基層幹部に対し、村落レベルの党書記・村長は任期が長期化しており、書記と村長は自然に村落の有力人物となる。基層政府が農村部の土地を収用するには村落政治における有力人物の協力無しでは進まないので、常に村の指導者に頼ることになる。次第に、両者の相互協力は基層レベルにおける「発展」と「安定」をはかる上で不可欠なものとなり、烏坎事件の背景となったと考えられる。

参 考
  1. 一部の報道によると、地元政府は新たに10万平方メートルの土地を烏坎村に与え、住宅建設用地にするというが、その進展状況については本稿を作成する時期まで依然不明である。
  2. 『人民日報』2011年12月22日。