『中国・インドの台頭と東アジアの変容』の目指すもの

政策提言研究

白石 隆
2011年6月

※以下に掲載する文章は、平成23年度政策提言研究「 中国・インドの台頭と東アジアの変容 」第1回研究会(2011年6月15日開催)における報告内容を要約したものです。

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本研究会の関心は、「中国とインドの台頭」という現象の全体像をどう捉まえるべきかという基本に戻った知的作業を行うことである。そこから政策面での色々なインプリケーションが出てくるのではないかと考えている。今日はその導入として、第1に、主に政治学、国際関係学の専門家が中国の台頭や東アジアの変容についてどのようなアプローチを採っていて、そこにはどのような問題があるか、第2に、それに代わる分析のフレームとしてはどのようなものが考えられるか、第3に新しい分析フレームを使う場合、どういうことを少なくとも見なければならないのか、ということを中心に話したい。

1.既存のアプローチとその問題点
中国の台頭を扱う研究は既に数多く存在する。それらの研究がどのような枠組みで中国の台頭を見ているかといえば、大きく分けて3つあると思う。

第1に、安全保障研究(security studies)に傾斜している人たちのアプローチである。パワー・トランジション(power transition)をキーワードにして、たとえば中国の防衛政策やアメリカの防衛戦略、ひいてはこの地域全体における勢力均衡政治(balance-of-power politics)を見ていく、という立場である。

第2に、特に国際関係、地域研究の専門家が多く採用するアプローチとして、主に歴史的観点から何らかの二国間の関係に注目する立場がある。たとえば中・日だとか、中・韓だとか、中・ベトナムといった、特定の二国間関係を取り上げ、それが時間とともにどのように変わってきたかを見る。例えばシンガポールのInstitute of Southeast Asian Studies(ISEAS)等で行われるセミナーは、ほとんどがこの範疇に属する。ただ、それらの研究は、定義上、中国をハブにしての議論なので、どうしても中国中心的な(Sino-centric)議論になりかねない。つまり、現実がそうだということではなく、そもそもそういう見方でやっているということである。

第3に、国際政治経済(international political economy)のアプローチがある。そこには、たとえば影響圏という概念を用いて中国が貿易や経済協力を通じて影響力を拡大していく現象を分析するものもあれば、中国の地域向けの貿易、投資の量的拡大という現実を踏まえて、中国が地域の秩序、あるいは地域の仕組み形成に如何に関与(engage)しているかを分析するものもある。後者のタイプの議論は非常に多く、例えばASEAN+3とか、ASEAN+6というプロセスの中で中国は非常にうまくやってきた、という議論がつい最近まで行われてきた。

実は、私はこういうアプローチ全体に対して非常に不満である。中でも一番大きいのは、特にパワー・トランジションの視点、あるいは二国間の国際関係分析における中国の捉え方に対する不満である。地域化、またはリージョナリズム(地域主義)という場合、そこで「中国」とは一体何かといえば、実は必ずしもはっきりしない。たとえば中国とミャンマーのあいだで経済協力という名で行われている事業、ガスパイプラインの建設、発電所の建設等において働いている国家の意思とは、北京の中央政府の意思なのか、雲南省の意思なのか、それとも国営企業の意思なのか。「中国」とは何か、という問題について、国際関係の多くの専門家はきわめて無邪気に方法的国家主義をとりがちだが、それが方法的にはたして妥当なことかどうか、私は相当に疑問を持っている。つまり、中国の台頭と言ったときに、色々な形で中国が拡大して行き、それがこの地域を変容させていくという、分析的には整然としてないにせよ、そうした漠とした全体像をどう捉まえるかということをまずクリアに考えないと、既にある多くの研究にまた一つ付け加えるだけに終わってしまうのではないか、というのが私の基本的な問題意識である。

2.シニサイゼージョン(Sinicization)と五つの検討領域
では、その全体像をどう捉まえるか。一つ参考になるのが、P. Katzensteinが最近提起した、シニサイゼーション(中国化)という概念である。シニサイゼーションとは、中国政府、国営企業、国民、あるいは個人といった、中国の色々な人達が自分達にとって行動しやすいミリュー(milieu)、環境を中国の国境の外で造ろうとする、そしてその結果中国の外で何かが起こり、またそうした働きをする中国の何かも変わっていく、というような活動の総体である。言い換えればかつてアメリカや日本が、たとえば東南アジアで、自分たちに都合のよいミリューをつくっていった、それをアメリカ化、日本化という概念でつかまえるのと同じようなやり方で中国の台頭も分析できるのではないかという発想である。もちろんこの概念を使うかどうかは重要でない。とりあえずそのような発想で中国の台頭がどの程度分析できるかを考えてみることにしたい。そうすると、五つくらいの検討領域が浮かび上がる。

第1は、国際関係の通常の議論対象となっているグローバルならびに、リージョナルなシステムがどう変わるかという領域である。

第2は国家間(inter-state)関係で何が起こっているかのレベル。このレベルの分析は、ASEAN総体についてはあっても、ASEANの個々の国々に対しては、バイの関係を分析したものは多いけれども、比較論的なものは実はあまり多くない。たとえばタイとミャンマー、ベトナムとインドネシアの行動を比べて、その異同を論じるものはほとんどない。私は、国家行動の違いは、地域の安全保障上の位置、世界経済への統合の度合い、そしてどんな国家を目指しているかというグランド・ストラテジーに基づくと思うが、いずれにせよ、各国がいかなる行動をとり、その違いはどこから出てくるのかを説明するのは十分意味のある知的作業であろう。

第3にもっと興味深いのは、トランスナショナルな、つまり国家とはあまり関係のないレベルで起こる影響である。例えば、タイ産のジャスミン米の需要が高まり、中国広東省でニセのジャスミン米が生産されたり、ミャンマーの発電所の殆どが中国製となった、などの新しい動きである。特に経済協力と絡んで起こるポリティクスが主な検討対象となる。   

第4に、別次元のトランスナショナルな影響として、フィリピンのアヤラ財閥が最近になってその出自が華僑であったことを宣伝するようになったことに代表されるような、中国の台頭により東南アジア諸国の中で、チャイニーズに対するまなざしが変わり、結果として国内政治も変化する、といった現象がある。

3.政策提言に向けて
これらのレベルを全部合わせて考えると、国益を定義する上でのパラメータ(parameter)そのものが変わっていく、ということも十分ありうる。それが第5の検討領域である。もしそのようなことが起きるとしたら、今までわれわれが前提にしてきたような国内政治の物の見方そのものが変わってくる可能性があるので、そこをきちんと抑えたような息の長い分析をしておかないと、長期的にこの地域の将来を理解するのは難しい。

以上で述べたような論点は、まだはっきりと頭の中で整理できているわけではない。だが、こうしてかなり広く構えて、様々なレベルを見て、また様々な議論をやっていく中で、「中国の台頭」という巨象の輪郭がぼうっとでもいいから見えてきたとしたら、この研究会の目的はある意味で達成されたといえるのではないか。

(以上、第1回研究会での発言を整理したもの 2011年6月15日 於ジェトロ本部)