アジア長期経済成長のモデル分析

調査研究報告書

植村 仁一  編

2016年3月発行

第1章
本章は、本プロジェクトが開発するアジア長期経済成長のモデルの意義と特徴を明らかにするため、その前段階の作業として、各種の実用経済モデルの系譜を示し、本プロジェクトが目指すモデルがその系譜の中でどのように位置づけられるかを明らかにすることを目的とする。

経済モデルは、経済のメカニズムを概念的に記述する理論モデルと、実際のデータを使って理論モデルを検証するための実証モデルに分類される。また、実証モデルの目的についても、(1)現実の経済のメカニズムを明らかにする(経済理論の検証)、(2)経済予測・シナリオ分析を行う、(3)経済政策を分析・評価する、など様々なものがあるが、本プロジェクトで開発するモデルが主として経済政策の評価のために用いられることを想定しているため、本章では、経済政策の評価のために活用されているモデルを「実用経済モデル」と呼び、これに焦点を当てて各種モデルの系譜を解説することとしたい。

なお、本章は、それぞれのモデルについて、その優劣を示すことに目的があるわけではなく、それぞれに一長一短があり、それがどう活用されるかは、活用される用途や目的に依存する—いわゆる目的に合わせて複数のモデルを使い分けるというSuite of Modelsの考え方(一上他、2008)—というスタンスを取っていることを最初に付記しておく。

第2章
日本は2007年に65歳以上の人口が21%を超えた超高齢社会に入った。一方、周辺のアジア諸国・地域をみていくと、香港がすでに14%を超えた高齢社会に入っているほか、韓国、台湾、シンガポール、タイ、中国、マカオなどが7%を超えた高齢化社会に既に入っている。大泉[2007]は、こうした状況を『老いていくアジア』と形容し、一冊の書籍にまとめている。

ただし、ほとんどの国では、高齢化社会に入るまで、多産多死の時代から、医療などの進歩により多産少死の時代を迎え、その後女性の教育機会の増加や女性の社会進出、教育費の増大などにより少産少死、そして少子化の時代といった経路を辿っている(大泉[2007:16-32])。そうしたなか、少子化が進み始める過程で、一時的ながらその上の世代の若年労働力が膨張し、それによる労働力人口の膨張が、より大きな投資や労働生産性、経済発展の基礎として、「人口ボーナス」をもたらす(大泉[2007:52-53])。前述の通り、一部の国は高齢化社会に入ったものの、ASEAN諸国のなかには、まだ人口ボーナスの恩恵をしばらく受けるであろう国々も少なくない。

他方で、アジアには人口13億人の中国、12億人のインドといった人口大国が存在し、こうした巨大な人口を抱えるアジアの国々が経済成長し、人々の購買力が向上することにも期待が集まる(経済産業省[2010:185])。とりわけ中国やASEANなどでは、農村部から都市部に若年労働力が移動することで、農村部では前述の人口ボーナスの効果が早期に薄れる一方で、大都市ではその効果を集中的に受ける(大泉[2007:108-109])。かつては途上国における大都市への人口移動は都市の貧困をはじめとする「過剰都市問題」を引き起こしてきた。ところが、タイのバンコクおよびその近郊など中国やASEANの大都市では外国投資を受け入れることで、こうした問題を克服し、消費市場として生まれ変わってきている(大泉[2011:45-66])。こうした状況を大泉[2011]は『消費するアジア』として、同様に一冊の書籍にまとめている。

長期的にASEANを含む東アジア諸国・地域が高齢化に向かうことは確かであるが、ASEAN諸国のなかには人口ボーナスの恩恵を受ける国もまだ存在し、その恩恵はいつまで続くのか。実はアジア経済研究所では、1970年代から東アジア諸国・地域のマクロ計量モデルを構築し、経済予測を毎年発表していた。経済予測の発表は2007年度を区切りとして終えたものの、これまでマクロ計量モデルに携わってきた野上・植村はこの問いに答えるべく、
  • 平成21年度基礎理論研究会「政策評価のためのマクロ計量モデル研究会」
  • 平成22年度アジア経済研究所・研究事業「アジア長期経済成長のモデル分析(I)」
  • 平成23年度アジア経済研究所・研究事業「アジア長期経済成長のモデル分析(II)」
  • 平成24年度アジア経済研究所・研究事業「アジア長期経済成長のモデル分析(III)」
などの研究事業を通じて、人口構成による消費への影響を反映させたマクロ・モデルの構築に取り組んできた。

本章では各国・地域の人口ピラミッドを概観した後(第1節)、東アジア諸国の高齢化および人口ボーナスの状況(第2節)と都市化の経緯と現状(第3節)を明らかにし、最後にこれまでアジア経済研究所で行ってきた人口構成による消費への影響を反映させたマクロ・モデルの研究成果をレビュー(第4節)することで、人口を考慮した消費関数についての研究の足跡を振り返ってみることとしたい。

第3章
前プロジェクト「アジア長期経済成長のモデル分析」研究会(I~V、2010-2014年度)では、各国マクロモデルを貿易構造で相互に接続する「貿易リンクシステム」及びその総体としての「東アジア地域モデル」を構築してきた。その貿易構造は、各国の貿易財区分を「一次産品」「石油製品」「製造業品」という、国連の商品コード(SITC)の一桁分類でのものであった。すなわち、貿易財全体を「一次産品(SITC分類0、1、2、4)」「石油製品(同3)」「製造業品(同5-9)」に分類し、この分類ごとの各国間の相手国別輸入関数を組み込んだモデルである。
2015年度からの2年研究会「東アジアのモデル分析」では、昨今の付加価値貿易の議論の高まりを踏まえ、財分類を従来の3分類から、国連BEC(Broad Economic Categories)分類に準拠した「素材」「中間財」「最終財」という生産段階別の切り口(以下「財種別」と呼ぶ)に変更し、同様の分析を試みるものである。本報告書第6章は同分類での輸出入価格を求める手順と例を示している。なお、この分類変更により、根拠とする国連貿易分類がSITC-Rev.3 となる。このため、データ利用可能期間が最長でも1988年以降のみとなっている。

本章の構成は以下の通りである。第1節では国連が提示している上記3財分類を解説する。第2節では上記分類での各国別・相手国別貿易額データの作成とそれに伴う問題点及び解決策を述べる。第3節では貿易リンクシステムの前バージョンとの相違を解説し、今回構築したリンクシステムの動作状況を検討する。

第4章
本章では、「東アジア地域モデル」の部品となる各国モデルの構築およびデータ更新に関する作業報告を行う。東アジアの各国モデルでは、渡辺[2013, 2014]などで韓国と台湾における一般的な需要先決型(ケインズ型)マクロ計量モデルが作成されてきた。本章では、植村[2010]を参照にしながら、あらためて需要面での制約を重視したケインズ型マクロ計量モデルとして、韓国モデルと台湾モデルの再構築を試みる。

第5章
マクロ計量モデルとは、マクロ経済学の理論にもとづき、構築される数量モデルの一種である。マクロ計量モデルの用途は、おもに経済予測と経済計画がある。両者は密接な関係にあるが、厳密には同じことではない。前者が構築されたモデルを用いて、将来の経済状況を予測するのに対し、後者はモデルから達成したい将来の経済状況に必要な投入、政策などを明らかにすることである。ここでいう経済計画は、1960年代から1980年代にかけ、いわゆる中央集権的な計画経済を採用した経済体制で行われたものではない。マクロ計量モデルにもとづく経済計画が、計画経済と決定的に異なることは、データ、統計学や経済理論など学術的な根拠がある点である。実際、市場経済体制を採用し、工業化に成功した市場原理を導入した国の方が、マクロ計量モデルの構築と利用が発達している。例えば、学術的にも、実務的にもマクロ計量モデルは、アメリカや日本など市場経済国家で発達してきた。後にアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞したクライン博士は、1944年にコウルズ委員会から、アメリカの最初のマクロ計量モデルを構築する依頼を受けた(Bjerkholt 2014)。日本では学会を中心に1950年代からマクロ計量モデルが構築されている(木下など1993)。アセアンでいえば、インドネシア、マレーシア、タイ、シンガポールなどの創立メンバーにおけるマクロ計量モデルの構築は、1960年にさかのぼる(Toida 1985)。具体的には、1965年までにインドネシアでは、ECAFEシリーズの比較的に小さなマクロ計量モデルが構築された(Fukuchi 1968)。ECAFEの最初のバージョンは、8本の方程式と定義式で構成されている。マレーシアのマクロ計量モデルの構築は、1960年代の後半からスタートしている(Imaoka 1990)。1975年に計画経済を採用し、本章の焦点でもあるラオスにおいては、マクロ計量モデルが構築され、そして、実際の政策の参考や立案に採用されるのは、アメリカのクラインモデルから半世紀以上経った2000年代に入ってからである。

本章の目的は、以下の二つである。第一は、実際に構築されたラオス経済のマクロ計量モデルをレビューすることにより、マクロ計量モデルの構築や活用の歴史を簡潔にまとめることである。第二は、今後のラオスにおけるマクロ計量モデルの構築や利用を展望するため、モデル構築の前提となるデータの整備状況を整理することである。本章は次のように構成されている。本節に続く第2節では、ラオス経済のマクロ計量モデルが構築、利用されるまでの動向を整理するため、ラオスにおける広義の経済計画の歴史を跡付ける。第3節は、これまで構築されたラオス経済のマクロ計量モデルを調査し、概説する。なお、マクロ計量モデルの構築には、統計データが必要不可欠であることを踏まえ、続く第4節では、今後マクロ計量モデルがどのように構築、または利用していくかを展望するため、ラオスにおいて、これまで整備され、または近い将来整備される統計データに関するリストを作成し、考察する。第5節は、ラオス経済のマクロ計量モデルの構築と利用について、本章で明らかになった点を整理し、今後のマクロ計量モデルの構築と活用を展望する。

第6章
2010年度から2014年度の5年間で実施された「アジア長期経済成長のモデル分析」研究会では、各国マクロモデルを貿易構造で相互に接続する「貿易リンクシステム」及びその総体としての「東アジア地域モデル」を構築してきた。その中に組み込まれている各国間の貿易構造は、財の区分を「一次産品」「石油製品」「製造業品」という、国連の商品コード(SITC)の一桁分類でのものであった。すなわち、貿易財全体を「一次産品(SITC分類0、1、2、4)」「石油製品(同3)」「製造業品(同5-9)」に分類し、この分類ごとの各国間の相手国別輸入関数を組み込んだモデルである。同事業では、石油製品は各国で外生変数扱いとしたものの、一次産品と製造業品の財別相手国別輸入関数、財別(対世界)輸出価格関数を推定し、マクロモデルに組み込むことによって、リンクシステムを通じて各国相互間の有機的なつながりを表現する「東アジア地域モデル」が構築された。
引き続く2015年からの2年研究会「東アジアのモデル分析」では、昨今の付加価値貿易の議論の高まりを踏まえ、財分類を従来の3分類から「原材料」「中間財」「最終財」という異なる切り口で分類し、同様の分析を試みようとするものである。この目的のため、かかる分類での各国間輸出入(額)及び輸出入価格が事前にデータベース化されている必要がある。

本章では国連貿易データベース(国連ComTrade)のデータから上記の新分類に従った輸出入価格(対世界)の作成について、その方法論、及び結果として得られた財種別輸出入価格の提示・検討を行う。
本章の構成は以下の通りである。第1節では国連が提示している上記3財分類を解説する。第2節では実際の作成手順とプログラムのコンセプトを示し、第3節で作成された価格指数についていくつかの国を例に検討する。第4節では、各国の「競争者価格」について解説する。

各国別の財種別輸出入価格指数、財種別相手国別競争者価格指数は一部のみ資料篇5に公開する(すべての国のデータ公開は2016年度の最終報告終了後とする)。

データ編