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アジ研ポリシー・ブリーフ

No.186 グリーン政策の目標と実際 ──インドネシアのニッケル産業振興政策

2024年4月17日発行

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  • 資源ナショナリズムを背景に導入されたインドネシアのニッケル産業振興政策は、EV産業が関連するグリーン成長政策や通商政策とも結びついている
  • 同政策がニッケル鉱石の輸出規制を通じて国内加工を促した結果、原料から加工品への輸出シフトが進むと同時に、供給網の構造に変化が生じている
  • ニッケル産業にかかわる労働問題や土壌・水質汚染のような環境問題の発生といった負の側面の課題解決が必要である

EV産業と電池産業は多くの国でグリーン成長政策の柱であり、ニッケルは重要な原材料となっている。ここでは、ニッケル鉱石の世界最大の生産国インドネシアにおける、ニッケル産業振興政策の現状と課題を概観する。

資源ナショナリズムとグリーン成長政策

インドネシアは2009年鉱物・石炭鉱業法により、国内で産出する鉱物資源の高付加価値化を義務付けた。この政策は、資源ナショナリズムの高まりを背景に、資源の国内加工を通じた川下産業育成の推進を目的としていた。そして、2020年にニッケル、2023年にボーキサイトの輸出が禁止され、今後も銅などが禁輸対象になるとみられる。加えて、大統領令(2019年第55号)は、温室効果ガス削減のためEV産業振興を国家の優先政策に位置付けた。ニッケルの精錬から始まる自動車産業のエコシステムを国内に構築し、経済成長の起爆剤とする意図がある。

ニッケル鉱石から加工品への輸出シフト

インドネシアのニッケル鉱生産量は2020年以降増加している。近年の鉱石の主要な輸出仕向け先は中国であったが、輸出量はインドネシア政府の輸出規制に大きく左右されてきた(図1)。2014年の禁輸の後、2017年に規制が一時的に緩和され輸出が復調した。しかし鉱石の枯渇が懸念され、2020年に再び禁輸措置が導入された。一方で、中国向けには、フェロニッケル(HS72)のほか、電池用中間製品となるニッケルマットなど(HS75)の輸出が急増した(図2)。このように、成長戦略に沿った形で原料から加工品に輸出のシフトがみられる。この背景には通商・産業政策を受けて、2014年の規制以降、加工工程への投資が進んだことが挙げられる。さらに中国や各国のEV生産増と期待に後押しされ、ニッケルの高付加価値化は進展している。

図1:中国のインドネシアからのニッケル鉱石輸入

図1:中国のインドネシアからのニッケル鉱石輸入

図2:インドネシアの対中国ニッケル製品輸出

  1. 図2:インドネシアの対中国ニッケル製品輸出
  2. 注:図1は中国の輸入統計、図2はインドネシア輸出統計を利用
    出所:Global Trade Atlasから著者作成
ニッケル鉱振興政策の経済への影響

ニッケル鉱振興政策は国内の経済成長に寄与している。インドネシアのニッケル生産は主にスラウェシとマルクで行われている。図3は最新の企業センサス(2016年)を用いてニッケル鉱採掘事業所の位置を示し、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権下での地方自治体別にみた経済成長率(平均値)をまとめたものである。図からは採掘事業所の置かれている地域では他の地域と比較して、経済成長率が極めて高くなっていた様子を確認できる。

図3:ニッケル鉱採掘事業所の位置(赤色の×印)と地方自治体別経済成長率(2014~2022年の平均値)

図3:ニッケル鉱採掘事業所の位置(赤色の×印)と地方自治体別経済成長率(2014~2022年の平均値)

  1. 出所:統計庁のデータをもとに筆者作成。
ニッケル加工産業の供給網への影響

ニッケル加工産業への海外直接投資の大半は中国企業による投資である。このため、国内加工の推進は、インドネシアに中国企業の供給網を構築する結果となった。2014年の規制導入以降、中スラウェシ州のモロワリ工業団地で中国の世界最大のニッケル・ステンレス企業である青山集団が投資を行った。またEV電池向けニッケルの増産が急務となり、北マルクで2021年以降中国の合弁会社ハリタニッケルが操業を開始した。インドネシアのニッケルの高付加価値化は中国企業への依存を伴っており、インドネシアの供給網にとって経済安全保障面の脆弱性につながるリスクがあろう。

さらにアメリカのテスラはマレーシアを販売拠点に選び、中国のBYDはタイに工場を設置するなど、ジョコウィ大統領主導のEV川下企業誘致は思惑どおりには進んでいない。国内EV市場の育成を急ぐ政府は、将来の国内生産を条件に、2025年末まで関税と奢侈税を免除して完成車の輸入を認めた。また国営電力会社PLNが充電ステーションを提供するなどEVの利用環境を整えている。しかし、これらの通商・産業政策が今後国内のEV生産の増加に結びつくかはまだ見通せない。

環境や労働者・住民への影響

ニッケルを含む鉱物資源の採掘はこれまでもインドネシアで深刻な環境破壊を引き起こしてきた。ニッケル産業は森林破壊、土壌や水質汚染、近隣の農業と漁業被害、またスラグなど廃棄物の問題があり、近隣の住民と環境に負の影響を与えてきた。さらに、インドネシアのニッケル鉱石を電池向けに加工する工程は二酸化炭素排出量が多いことに加え、エネルギー源に石炭を利用していると言われる。このため、インドネシアのニッケル産業関連のグリーン成長政策が負の環境影響を生じさせていないか、温室効果ガス排出減に貢献するかは注視が必要である。

問題は環境面にとどまらない。ニッケル産業の上流では多くの採掘活動が不法に行われ、住民の事前同意を得ない土地の収奪が報告されている。またニッケル工場を操業する企業では、地元と海外労働者の諍いや、人権侵害の訴え、賃上げの要求、暴動と死者の発生、警察の介入と労働者の逮捕など多くの課題が継続して発生している。安全管理の問題もあり、モロワリ工業団地では爆発事故で死傷者が発生し、安全対策を求める労働者の抗議が行われた。このように低賃金と不十分な規制のもと、性急なグリーン政策が労働・人権課題を引き起こしている。持続可能性に寄与する経営が不可欠である多国籍企業にとって大きなリスクとなろう。

国際状況と今後

EUはインドネシアのニッケル輸出禁止措置をWTO違反であるとして提訴した。WTOのパネルではEUに有利な議論となっているものの、上級委員会は機能しておらず、最終結論は出されていない。この間、インドネシアはグリーン・通商・産業政策の三位一体の戦略を強気の姿勢で推し進めている。2024年10月に発足する新政権もこの基本政策は踏襲するとみられる。しかし、ニッケル振興政策は同産業振興地域の環境に大きな負の影響をもたらしているとみられ、さらに温室効果ガス削減への貢献も不明瞭である。労働面でも軋轢が生じている。ニッケル産業振興は地域の域内総生産増をもたらしているが、今後のEV市場や技術、企業行動の動向を引き続き注視していく必要がある。

みちだ えつよ/新領域研究センター
ひがしかた たかゆき/地域研究センター)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

©2024年 執筆者