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論考:南アフリカにおけるコイサン復興運動と土地政策

アフリカレポート

No.53

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■ 論考:南アフリカにおけるコイサン復興運動と土地政策
佐藤千鶴子
■ 『アフリカレポート』2015年 No.53、pp.1-12
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要 約

本稿の目的は、コイサン向け土地政策の立案・協議過程に関する考察を通じて、1990年代後半に南アフリカのカラード・コミュニティの間で生じたコイサン復興運動が主張する土地要求の内容とそれに対する政府の政策的対応について明らかにすることである。つい最近まで、コイサンの土地要求が重要な政策課題として取り上げられることはなかったが、2013年2月のズマ大統領による施政方針演説をきっかけにこの状況は大きく変化した。農村開発・土地改革省(DRDLR)とコイサンの代表者との間で「1913年を期限とする土地返還の例外」について協議をするための場が新設され、2014年4月にはDRDLRが具体的な政策提案を行うことになった。本稿では、この提案が果たしてコイサン復興運動の要求を満たすものなのかどうか、この提案の実行にはどのような課題が存在するのかについて論じる。

キーワード : 南アフリカ コイサン復興運動 土地政策 改正土地権返還法(2014年)

はじめに

2014年7月、ズマ(J. Zuma)大統領が改正土地権返還法(2014年)に署名した後の『ケープタイムズ』紙一面には、「ついにサン、コイの土地申請が可能に」という見出しが躍った[Cape Times, 2 July 2014]。だが、この見出しは誤った情報を伝えていた。改正法の目的は土地返還の申請を2019年6月末までの5年間にわたって再開することにあり、1913年以後の土地剥奪を対象とする点は変更されなかったからである。つまり、コイとサンの子孫は、ほかの人々と同様、1913年原住民土地法以降に土地を奪われた場合には土地返還を申請できるが、それ以前の土地剥奪については申請できない。これは、複数のコイサン 1 活動家が求めていた、1913年以前の土地剥奪を対象とするように土地返還事業の扱う期間を拡大するのとは異なる。とはいえ、ンクウィンティ(G. Nkwinti)農村開発・土地改革担当相は、同法に関する記者会見において、コイサンへの言及も忘れなかった。
申請期間を再開するにあたり、この過程から排除され続けているコミュニティが存在することに留意している。……コイとサンのコミュニティである。彼らの苦境を忘れたわけではない。彼らの懸念に対応するために、 1913年原住民土地法を期限とする返還事業の例外 に関する政策について現在、立案中であることを保証する[DRDLR 2014a]。
2013年2月の施政方針演説においてズマ大統領は、1998年末に締め切られた土地返還申請の再開と、現行では対象外であるコイサンの申請に対応するため1913年期限の例外について検討するつもりであることを表明した[Zuma 2013]。同年5月に改正土地権返還法案(2013年)が発表されると、申請再開の是非をめぐる議論が活性化する一方で 2 、同法案により1913年以前に土地を剥奪されたコイサンに対しても申請が認められるのではないか、との誤解と期待がマスコミ、政治家、コイサン活動家を問わずさまざまな人々の間に広がった。だが、実際には2つの政策プロセスは別個のものである。誤解の原因は、部分的にはこの問題について、多くの注目が集まっているにもかかわらず、コイサンによる土地要求がどのようなものであり、それが現在の南アフリカにおいてどう実現可能なのかがいずれも不明瞭であることによる。さらには、農村開発・土地改革省(Department of Rural Development and Land Reform: DRDLR)が開始したコイサン団体やグループ 3 との政策協議過程に関する情報が不足していることも原因であろう。そこで本稿では、2013年初頭以降のコイサン向け土地政策の立案・協議過程とその政治的背景を考察することを通じて、1990年代後半に南アフリカで生じたコイサン復興運動が主張する土地要求の内容とそれに対する政府の対応について明らかにしたい。なお、本稿が依拠するコイサン復興運動に関する知見の多くは、2013年7月~2014年9月に西ケープ州を拠点とするコイサン活動家に対して行ったインタビューおよびいくつかの会合への出席を通じて得られたものである。
1.コイサン復興運動の現在——西ケープ州ケープタウンを中心に——

歴史家も人類学者も、20世紀後半の南アフリカにはもはやコイとサンは独立した集団として存在しなくなった、と論じてきた[Elphick 1985, xviii; Barnard 1992, 27-28]。だが、1994年の民主化後、アパルトヘイト期にカラードとして分類された人々の間で、南アフリカの先住民としてのコイ、サン、あるいはコイサンを名乗る人々 4 が出現した。民主化後のコイサン・アイデンティティの発動には2つの側面があり、その第一は、これが、アパルトヘイトの終焉により自らのアイデンティティを自由に模索することが可能となったことを背景に生じた、ルーツと帰属意識を求める個人的な自己探求の道である、ということである。その一方で第二に、これは個人レベルにとどまる現象ではなく、コイサンの法的な認定を含むさまざまな要求の実現を政府に対して働きかけるコイサン復興運動でもある。コイサン復興運動は、雇用均等法(1998年)や伝統的指導者枠組み法(2003年)といった人種やエスニシティをよりどころとする政策の実施を背景に21世紀に入って拡大した[佐藤 2014]。

南アフリカにおけるコイサン復興運動の拠点のひとつが、人口の約半分をカラードが占める西ケープ州であり、同州ではケープタウンを中心とする都市部の旧カラード居住区に住む人々が運動の中心を担っている。都市化した彼らの生活や服装は周囲となんら変わるところがなく、外見上ではある人がコイサンかどうかを判断することはできない。2000年代半ば以降、コイ、サン、あるいはコイサンを自称する人々やグループの数が飛躍的に増加し、南アフリカ社会のなかでの認知度が高まったものの、コイサンの数を特定することは不可能であり、コイサン復興運動の全体像を得ることも簡単ではない。カラードはすべてコイサンであるとコイサン活動家は主張するが、実際にはカラードのなかでコイサンを名乗る人々は一部にすぎない。グリクア全国会議(Griqua National Conference: GNC) 5 のように、長期にわたるリーダーの記録と組織的な構造を有している団体がある一方で、数名程度の個人ないし親族からなるグループもある。ウェブサイトを有する団体もあるが、更新がほとんど行われていない場合が多く、情報の発信や共有、議論の手段としてはフェイスブックやワッツアップ(WhatsApp) 6 のグループチャットが主に活用されている。それでも、コイサンの代表を名乗る活動家や団体が存在し、中央政府と州政府はこれらの人々と政策的な協議を行っている。

西ケープ州、とりわけケープタウンで積極的に活動しているコイサンのグループおよび団体は、大きく3つのカテゴリーに分けることができる。第一が、あるコイ集団ないしコイの下位集団の首長(チーフ)ないし王を名乗る人々とその仲間からなるグループである。首長のなかには、歴史的に有力な家系の子孫であることを証明可能な人々もいるとされるものの、その多くは自称であり、歴史的な裏づけを持たない。自称コイ首長ないしコイサン首長急増の背景にはおそらく、伝統的指導者枠組み法(2003年)などを通じて、政府から伝統的指導者として認定されることにより得られうる利益が増加したことが関係している。コイサン復興運動の担い手のなかでは互いに王や首長と呼び合い、首長であることを示すためのヘッドバンドやハリネズミの針を頭に巻き、動物の毛皮を模した布を羽織って政府との会合に出席する人々もいる。西ケープ州の首長は男性が多いが、東ケープ州では女性のコイ首長も存在する。

第二のカテゴリーは、先住民としての権利の主張と文化の復興のために行動する活動家の団体である。たとえば南アフリカ先住民復活研究所(Institute for the Restoration of the Aborigines of South Africa: IRASA) 7 は、コイサンの先住民としての地位の認定と土地に対する先住民権の回復の提唱をメインに活動している。他方、コエ・サン・アクティブ啓発グループ(Khoe and San Active Awareness Group: KSAAG) 8 やコイサン王国(Khoisan Kingdom) 9 のような団体は、コイサン言語、遺産、儀式の回復・保護・促進といった文化的活動に力を入れている。

第三のカテゴリーは、ドレッドロックという特有の髪型で周囲との違いが容易に確認できるラスタファリアンで、少なくとも西ケープ州では、さまざまなコイサンの会合で存在感を発揮している。彼らのなかには、コイサンはそもそも、ラスタの母国であるエチオピア起源であると主張する人すらいる 10 。ラスタとコイサンの親和性は、虐げられたコイサンの歴史と南アフリカ社会のなかで異端者扱いされるラスタの状況を重ね合わせていることに加えて[Tolsi 2011]、薬草の使用や自然との調和といった標榜する生活スタイルの近接性が関係しているようである。だが、コイサン活動家のなかには、ラスタをコイサンとして認めない人々や、違法薬物であるマリファナを日常的に使用するラスタの習慣を批判する人々もいる。

上記の3つのカテゴリーは必ずしも相互に対立・競合関係にあるわけではなく、個々の団体やグループを超えた協力や連合体を結成しようとする試みも複数存在する。会合の場での発言力や政府との交渉において行動力を発揮する有力なリーダー間のコミュニケーションやネットワークも密接である。だが、コイサンのリーダーないし首長として相応しいのは誰か、政府との交渉をする権利を持つのは誰かをめぐって権力闘争が存在し、団体やグループの分裂も見られる。そのため、現状のコイサン復興運動は、一丸となって政府との交渉に臨めるような状況にはない。
2.コイサン復興運動の土地要求

次に、コイサン復興運動の土地要求の内容を見てみよう。改正土地権返還法案(2013年)の公聴会など公の場で複数の活動家によりたびたび表明されてきたのは、コイサンは南アフリカ全体ないし国境を越えた南部アフリカ地域全体の土地に対する権利を有する、という主張である。特定の土地の返還ではなく、抽象的ともいえる南アフリカの土地全体に対する権利の主張は、ケープタウンのあるコイサン活動家の言葉によく表現されている。
ここに来たものは誰であれ、どこから来たにせよ、われわれ〔コイサン〕に出会った。われわれがこの地の本来の住人である。われわれは自分たちの土地と言語が認められることを望む。土地を持つことができれば、文化的奴隷状態を終わらせることができる。ヨーロッパ人がここに来る前は、われわれは主権を持つ人民であった(Basil Coetzee, quoted in Besten[2009, 147])。
だが、コイサンは歴史的な土地の完全なる回復、コイサン・ホームランドないしコイサン国家の建設を要求しているのではない。彼はこう続ける。「すべての移民が国を離れるべきだと言っているのではない。土地は十分にある」[Besten 2009, 147]。実際、前回の土地返還申請期限(1998年末)までに、広大な土地の返還を求めて、返還申請を提出したコイサン活動家もいる。北ケープ州のあるコイサン活動家は、「北ケープ、西ケープ、東ケープ(〔旧〕ケープ〔植民地・州〕全体)」の土地返還を求めたが、彼の申請はすべて土地権返還法(1994年)の対象外であるとして却下された 11

南アフリカはコイサンの土地であるという主張は、具体的には何を意味するのであろうか。この質問に対して、ケープタウンのあるコイサン活動家は、北西州のロイヤル・バフォケン(Royal Bafokeng)コミュニティの例を挙げた。バフォケンは、鉱物資源から得られる収入のおかげで、南アフリカでもっとも裕福なコミュニティとしてしばしば言及される。この活動家は、コイサンの土地、すなわち南アフリカ全土で営まれる商業農場を含むさまざまなビジネス活動から得られうる使用料(ロイヤリティ)の見込みについて熱く語った 12 。このことは、コイサンの土地に対する要求が象徴的な意味のみならず、経済的資源へのアクセスという意味を持っていることを表している。

南アフリカ全体がコイサンのものであるとする見解は、コイとサンを南アフリカの最初の先住民(first indigenous)として憲法に明記せよとする要求と密接に結びついている。この主張は、バントゥ系アフリカ人が来る前にコイサンがこの地に住んでいたという史実に基づいており、かれらの要求には中央・州・地方のすべてのレベルの政府においてコイサンの代表権を認めることが含まれている[Le Fleur 2001]。コイとサンがバントゥ系アフリカ人の到来以前に現在の南アフリカ国土に居住していたという史実は、考古学者や歴史家の研究、南アフリカ全土に散らばるロック・アートなどに裏づけられており、疑義をはさむ余地はない。だが、今日、コイサンを自称する人々が、歴史上のコイとサンの子孫であると主張し、その先住民としての地位に基づいて政治への参加と経済的パイの分け前を求める際には、何を根拠にそうするのかが問われざるを得ない。とりわけ、都市に住むコイサンの生活スタイルはほかの人々と大差がなく、今日、南アフリカのほとんどのコイサンは言語を含む文化的制度を保持していない 13

ケープタウンのコイサン活動家の土地要求は、歴史的な結びつきを持つ特定の土地に対するものではなく、南アフリカ全土や旧ケープ植民地・州、あるいはケープタウンの大部分のような、広大な土地に対して主張されることが多い。だが、改正土地権返還法案(2013年)をめぐる議論が活性化すると、ケープタウン市内においても、ディストリクト・シックス(District Six)地区 14 やオード・モーレン・エコ・ビレッジ(Oude Molen eco-village)といった特定の土地に対して、「祖先の土地」ないし「祖先の住居(クラール)」であると主張し、占拠するコイのグループが出現した[Cape Times, 18 June 2013, 2 June 2014]。いずれも短期間に終了したこれらの土地占拠は、政府やディストリクト・シックス地区の土地返還申請人との衝突をもたらしたのみならず、コイサン活動家のなかからも批判の声が挙がった[Cape Times, 25 June 2013]。
3.コイサン向け土地政策の立案・協議過程

上記では、コイサン復興運動とその土地要求について叙述した。本稿の後半部では、コイサンの要求に対して政府がどう応じようとしているのかを考察する。

(1)1997年土地政策白書と1913年期限の根拠
まず、遡って土地返還の申請ができる期限を1913年とした根拠について振り返ってみよう。コイサンによる土地返還申請を認める際の最大の障害として、現在挙げられるのが南アフリカ憲法の規定である。同憲法は、南アフリカにおける土地返還について、原住民土地法が成立した1913年6月19日以降に人種差別的な法律ないし慣行の結果として土地を剥奪された事例のみを扱う、と明確に述べている[DLA 1997, 8]。多くのコイサンは、1913年よりはるか以前に土地を剥奪されたため、コイサンによる土地返還申請は、1994年土地権返還法の対象外となった。これに関して、多くの形態の土地剥奪が1913年以前に起こったため、遡って土地返還の申請ができる期限を1913年とするのは恣意的である、と批判する論者もいる[Cavanagh 2013, 104-109]。だが、1913年が期限として選ばれたのには少なくとも以下の3つの理由があったことを思い出す必要がある。

第一に、国民党政府とアフリカ民族会議(African National Congress: ANC)が将来の政治体制について交渉を重ねていた1990年代初頭の、アパルトヘイト撤廃後の土地改革の見通しと方法に関する議論について記憶をめぐらせるならば、当時は3つの選択肢があった。それらは、(1)ヤン・ファンリーべック(J. van Riebeeck)率いるオランダ東インド会社がケープタウンへの入植を開始した1652年、(2)原住民土地法が制定された1913年、(3)国民党が政権を掌握しアパルトヘイト政策を開始した1948年、である。これら3つの選択肢のなかから1913年が選ばれた。その理由としては、1948年では過去の不正義を是正する規模があまりにも限定的なものとなり、逆に1652年では、過去の土地剥奪と植民地主義をもっとも徹底的に是正することができるものの、土地剥奪の詳細を証明し、土地返還の対象となる人々を精査する作業がはるかに困難なものとなる、ということが挙げられる。1913年は便利な中間点であり、交渉に基づく政治的解決のなかで達成された妥協のひとつの例であった。

第二に、現在の土地返還の対象範囲と方法は、政治的交渉のもとでの妥協によってのみ定められたわけではなかった。1990年代初頭、民主化後の土地改革についての議論が始まったとき、研究者、援助関係者、将来の政策担当者の間では、何らかの土地改革が必要であるという点では合意が存在した。しかしながら、どのような種類の土地改革か、という点については一致していなかった。ANCは、1955年に採択された自由憲章のなかの「土地は耕す人々の間で分かち合うべきである」という原則について語るばかりで、具体的な提案は持ち合わせていなかった。こうした状況において、1913年の原住民土地法制定以前に土地を購入・所有していながら、その後土地を奪われた、あるいは長い間、土地剥奪の脅威にさらされてきた人々の間で、土地の返還を求める運動が生まれた。「白い」南アフリカのなかで黒人が所有する土地として、アパルトヘイト政府により「ブラック・スポット」と名づけられたこのような土地に住む人々、ならびにかつてブラック・スポットに住んでいた人々は、強制移住の執行停止を求めたのみならず、奪われた土地の返還を要求した。彼らの多くは農村地帯に居住していたが、都市に事務所を持つ土地NGOの支援を受けて横の連帯を築き、全国土地委員会を通じて全国的な運動体としてまとまりを形成しつつあった。署名や請願活動、覚え書きの締結、デモ行進、デクラーク(F.W. de Klerk)大統領との直接交渉などを通じて、土地NGOとその支援を受けた農村コミュニティは、将来的な土地改革政策の形成に直接的な影響を及ぼしていた。南アフリカの土地返還政策には、ブラック・スポット住民の経験と要求が色濃く反映されていたのである[Sato 2006]。

第三に、南アフリカの土地返還事業が、土地のもっとも正統な所有者は誰かを決めることを意図していたわけではないことを強調する必要がある。1997年土地政策白書は、それが事実上不可能であるばかりか、「破壊的な民族政治や人種政治を目覚めさせ、長引かせる」ことになる、と論じる。なぜならば、「南アフリカの土地の大部分が、サン、コイ、コーサ、ムフェング、トレッカー〔ボーア〕、英国人といった人々により次々と連続的に占有されてきたため、重層的で競合する返還申請にさらされるだろう」からである[DLA 1997, 77-78]。土地返還事業はまた、先住民権に基づく「祖先の土地の申請」に対応することを意図したものでもなかった。このような申請を考慮するならば、どのような根拠に基づき、正統な子孫をいかに特定するかという問題に直面する。多くの人々にとってこの作業は、「パンドラの箱を開ける」[Leggasick 2013]ようなものである。

とはいえ、1997年白書においては、1913年以前の土地剥奪を是正する可能性が完全に排除されていたわけではない。白書によれば、「1913年以前の土地剥奪に起因する歴史的申請は、大臣の裁量権によって対応するべきである。そのような申請に対しては土地再分配や開発事業において優先権が与えられうる」[DLA 1997, 78]。つまり、1913年以前の土地剥奪は、個別事例ごとに対応が検討されることになっていた。だがこれまでのところ、この目的のために大臣の裁量権が発動されたことはないようである。

(2)全国コイサン対話と土地政策提案
1997年白書から2013年初頭の施政方針演説まで、コイサンの土地要求に対してDRDLRが何らかの対応を検討した様子はない。だが、演説直後の2013年4月、DRDLRは、「コイとサンの子孫による土地申請に対応するために……1913年6月19日期限の例外」[DRDLR 2013a]について議論することを目的に、北ケープ州キンバリーに全国からコイサンの代表者を集めて政策協議会議を開催した。同会議の開催理由についてンクウィンティ大臣はこう述べている。
コイとサンのコミュニティが辺境部にあり続ける一方で、彼らの仲間である残りの南アフリカ人が国民形成と国民和解で中心的な位置を占めるならば、国民の結束は表面的なものに過ぎないということが、大統領と政府にとって明らかになった[DRDLR 2013b]。
大臣は、1994年以降もコイサンが周辺化された立場にあり続けることを認め、自ら率いるDRDLRがこの問題に取り組む決意にあることを表明したのである。

だが同時に政府は、コイサンの土地問題を先住民権の観点から捉えようとする意図は持っていなかった。キンバリーの政策協議会議において、コイサン・コミュニティおよび指導者の認定に関する伝統業務省(Department of Traditional Affairs: DTA)の交渉過程についてプレゼンを行ったンチェワ(T. Ntsewa)弁護士の発言に、この点がはっきりと表れている。
初めに述べておきたいのは、私が対応しているのが、いわゆる先住民コミュニティないしファースト・ネーションではないということである。なぜならば、これまでのところ、このことは確立されておらず、南アフリカのどのコミュニティも、ほかのアフリカ人コミュニティよりも自分たちがより先住民であると主張できるからである[Ntsewa 2013]。
キンバリー会議に出席したコイサンの代表者のなかには、この見解を拒否するものも多く、同会議の一部として開かれた複数の分科会の場では、コイサンを南アフリカの先住民として認定すべきであるとの主張が繰り返し表明された。とはいえ、このキンバリー会議がコイサンの土地問題をめぐる今日の政策協議の始まりとなり、翌5月には、州ごとにコイサン代表者が再び集められ、各州の代表として5人が選出された。彼らは、全国コエサン・レファレンス・グループ(National Khoe and San Reference Group: NAREG)を結成し、DRDLRによる政策提案の立案を補助する役割を担うことになった。NAREG議長には西ケープ州在住のナマの指導者、ジョン・ヴィットボーイ(J. Witbooi)が選ばれた。

NAREGとDRDLRの間の政策協議過程については資料が公表されていないが、最終的に2014年4月、DRDLRは「全国コエ・サン対話2」(キンバリーIIとも称される)と題する会議をキンバリーで開催し、全国から集められたおよそ500人のコイサンの代表者に対して、2つの政策案を提示した。第一に、1913年以前に土地を奪われたコイとサンの子孫のためにDRDLRが土地を獲得することができるように、土地再分配に関する法律を改正する。このことは、コイサンの土地要求に関して、申請の有効性を証明するために厳密な歴史調査が必要な土地返還事業ではなく、再分配事業を通じて対応するということをDRDLRが提案したことを意味する。この方法では憲法改正は不要である。第二に、墓標や埋葬地などの文化遺産サイトや歴史的ランドマークの所有権を人々が得られるように、文化遺産法を改正する。第二の提案はコイサンに限らず、すべての南アフリカ人向けであり、対象地を文化遺産サイトやランドマークとして認定した上で人々に再分配することにより実行する、とDRDLRは説明した[DRDLR 2014b]。

(3)提案の政治的背景と評価
南アフリカの土地政策をめぐるこれまでの議論においては、コイサンが特に言及されたり、コイサン向けに特別な対応が必要である、といった認識がほぼ皆無であったことを考えると、なぜ2013年になって突然、コイサンに焦点が向けられたのかという疑問が生じる。しかも厳密には、法改正や新たな政策を打ち出さずとも、大臣の裁量権により1913年以前の土地剥奪の事例に対応することが可能である。全般的な背景として、特に2000年代半ば以降、コイサン復興運動が拡大してきたことはすでに述べたが、ほかにもいくつかの要因が指摘できる。第一は、政府とコイサンの代表者の間で1999年から行われてきた、コイサン・コミュニティと指導者に対して法的な認定を与える法案(伝統業務法案)に関する協議が最終局面にあることである。第二に、原住民土地法100周年にあたる2013年には土地政策の目玉が必要であることから、コイサン向け土地政策という新たな政策が、返還申請の再開とともにその役割を果たすことになった。これら2つの政策案は、前年の2012年末に開かれたANCの第53回党大会において、原住民土地法100周年の一環として実施すべきことが決議されており[ANC 2012, 26]、コイサン復興運動の拠点のひとつである西ケープ州がANCの支持基盤が最も弱い州であることを考えると、2014年選挙を見据えた選挙対策の面もあったと思われる。第三に、副大統領時代の2001年、南アフリカで初めて開かれた全国的なコイサン会議の場でズマは開会演説を行っており[Zuma 2001]、コイサン復興運動の要求に直接触れる機会があったことも、今回、コイサンに焦点が当てられた理由のひとつであったと言えるだろう 15

以上のような背景をふまえた上で、キンバリーIIで提示された2つの政策案について、コイサン復興運動の土地要求を満足させるものかどうかと問うならば、その答えはイエスでありノーである。すでに述べたように、コイサン集団のなかには、旧ケープ植民地全土あるいは南アフリカ全土がコイサンのものとなるべきである、と主張するものもあれば、北ケープ州を中心に特定の土地に対する所有権を主張するグループもある。この政策提案は、前者のタイプの土地要求やコイサン活動家による土地に対する先住民権要求を満足させることはできないが、後者のタイプの土地要求には十分に対応することができる。これら2つの提案の関係性にはあいまいさが残ってはいるものの、DRDLRがコイサンの土地要求への対応を文化遺産サイトと歴史的ランドマークのみに限定しなかったことは注目に値する。この提案は、1913年以前の土地剥奪に関する文書記録がもっとも多く残っている北ケープ州のグリクアによる土地要求に対処することができるだけではない[Cronje 2006]。歴史的に特定可能な土地剥奪の記録を持たないけれども、現在の政治体制から取り残されたと感じているコイサンの人々の土地需要にも、この提案は応えることができる。

この提案は土地返還事業にさらなる困難をもたらし、その実行を遅らせるものだろうか。答えはイエスである。土地改革の対象範囲を拡大するためのいかなる試みも、DRDLRが、現在取り組まなければならない数以上の競合する返還申請や土地再分配プロジェクトを増加する可能性を持っていることは否めない。だが、土地権返還法と憲法の両方を改正してコイサンの土地要求に対応することに比べれば、困難は少ないだろう。現行の提案では、特定の集団による特定の土地に対する歴史的な所有権の正統性を証明するための厳密な歴史調査や家系図調査は不要だからである。過去350年間にわたって先祖の家系図を調査し、歴史的な所有者の子孫であることを証明することなどほぼ不可能だろう。加えて、DRDLRがコイサン向け土地政策を「1913年期限の例外」として位置づけてきたことにも注意が必要である。言うまでもなく、南アフリカにおいて1913年以前に土地を奪われたのはコイサンだけではない。1913年以前に奪われた土地に対する返還申請をコイサンに認めるならば、ほかの人々にも同様の権利を認めざるを得ないだろう。

この提案が正式な政策となり実施されることになった場合、最大の課題となるのは、コイサンをいかに定義するかということである。この点についてDRDLRは、伝統業務法案(2013年)により設立される予定の「コイとサン問題に関する助言委員会」に言及する。この委員会は、「コイとサンのコミュニティの認定について助言し、確認する」のみならず、「コイとサンの子孫に対する土地配分と利用の促進、およびコイとサンの文化遺産サイトと歴史的ランドマークの配分と使用の促進においてDRDLRに助言する」[DRDLR 2014b]役割を担うことになっている。誰がコイかサンかを判断し、彼らがどの土地を得るのかを決定する際に、この助言委員会は莫大な権限を持つことになる。今後のコイサン向け土地政策の立案・実施にとってきわめて重要な役割を果たすことになる同法案はまもなく国会での審議にかけられるだろうと予想されているものの、その将来は不確定であり、稿を改めて論じることにしたい。
おわりに

本稿では、民主化後に誕生したコイサン復興運動の現在と土地要求を検討した上で、それに対する政府の対応を考察した。つい最近まで、コイサンの土地要求が重要な政策課題として取り上げられることはなかったが、2013年2月のズマ大統領による施政方針演説をきっかけにこの状況は大きく変化した。DRDLRは北ケープ州キンバリーに全国のコイサン団体やグループの代表者を集めて2度にわたり政策協議会議を開催し、コイサン向け土地政策の内容を具体化させてきた。2014年4月の「全国コエ・サン対話2」では、2つの政策提案が発表された。これらの提案は、既存の土地返還事業の枠組みを大きく変更させるものではなく、1913年期限は維持され、コイサンによる土地への先住民権は認められなかった。

政府は、1913年以前の土地返還申請を一般化することにはことさら慎重である。というのも、このことは全国的な土地所有権の地図を描きなおす契機となる可能性を秘めているからである。土地返還事業ではなく、土地再分配事業を通じてコイサンの土地要求に対応するという実践的な方法を採用することにより、過去の歴史的な土地の所有ないし占有に関する厳密な歴史調査は不要である。だがその一方で、民族的なアイデンティティに基づく特定の集団を選び出し、土地を配分するためには、その集団を定義する必要がある。コイ、サン、コイサンとは誰かを定義するこの過程もまた一筋縄ではいかない、困難なものとなるだろう。

(さとう・ちづこ/アジア経済研究所)
参考文献
〈日本語文献〉
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    http://www.ruraldevelopment.gov.za/phocadownload/branch/presentations/2013/KhoiSan_15_160413/cogta_presentation_150413.pdf  2014年1月8日アクセス)
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  • Zuma, Jacob 2013. “State of the Nation Address by His Excellency Jacob G Zuma.”
    http://www.thepresidency.gov.za/pebble.asp?relid=14960  2014年1月6日アクセス)
脚 注
  1. 歴史的にはコイ(コイコイ)とサンは別個の集団として現れるが、現在の南アフリカにおいては、コイサン(Khoisan, Khoi-San)という用語がこれら2つの集団を指す集合名詞として一般に使用されており、固有名詞を除き、本稿でも基本的にこの語を用いる。なお、最近では現代ナマ語の正字法に従いコエサン(Khoesan, Khoe-San)と表記される場合もある。
  2. 土地返還申請の再開については多くの学識者が慎重な意見を表明し、土地NGOの間では意見が割れた。改正法案をめぐるさまざまな意見については、著者による「海外研究員レポート 南アフリカ、土地返還申請の受付再開へ(2014年3月)」( http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1403_satochizuko.html )を参照されたい。
  3. 後に述べるように、南アフリカにおけるコイサン復興運動の担い手は、ある程度組織的な構造を有する団体から、数名程度の個人ないし親族からなるグループまで、多岐にわたっている。
  4. コイサン・コミュニティと指導者の地位を認定するための協議が、政府とコイサンの代表者の間で過去15年にわたり続けられてきたが、現時点では、コイサンは南アフリカにおいて文化的属性を有する集団としては法的に認められておらず、コイサンの定義も存在しない。そのため、現時点では、コイサンとはあくまで自称、ということになる。ただし、政策協議の一環として1999年に政府が実施した調査により、南アフリカには5つの主たるコイサン集団——グリクア、コラナ、ナマ、ケープコイ、サン——が存在することが特定されている[DTA 2011]。
  5. グリクアは、20世紀初頭からグリクアとして認定されることを要求してきた集団であり、主に西ケープ州、北ケープ州、クワズールー・ナタール州に居住する。グリクアの人々の間にはいくつかの代表団体が存在し、GNCはそのひとつである。
  6. スマートフォンで使用する無料アプリで、リアルタイムでメッセージや画像、音声のやり取りができるほか、グループを作り、グループ内でこれらの情報を共有することが可能である。
  7. http://aboriginalkhoisan.org/  2014年7月28日アクセス。
  8. http://ksaag.wordpress.com/  2014年7月28日アクセス。
  9. http://www.khoisan.net/  2014年7月28日アクセス。
  10. コイサン活動家インタビュー、2013年10月5日、於ホートベイ(Hout Bay)。
  11. 北ケープ州土地返還委員会からの電子メールでの回答(2013年10~12月)。
  12. コイサン活動家インタビュー、2013年7月30日、於ホートベイ(Hout Bay)。
  13. 先住民の地位を主張するにあたり、コイサン活動家は「1989年の先住民及び種族民条約(第169号)」にしばしば言及する。南アフリカが未批准のこの条約は、先住民を、「独立国における人民で、征服、植民又は現在の国境の確定の時に当該国が地理的に属する地域に居住していた住民の子孫であるため先住民とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持しているもの」と定義している。この定義によれば、南アフリカではコイサンのみならずアフリカ人も先住民ということになるだろう。条約の日本語訳は国際労働機関ホームページを参照したが、英文のindigenousには「原住民」ではなく「先住民」の訳語を用いた( http://www.ilo.org/tokyo/standards/list-of-conventions/WCMS_238067/lang--ja/index.htm  2014年11月13日アクセス)。
  14. 同地区は、アパルトヘイト期の集団地域法により白人地区とされたため、1960年代に白人以外の居住者が強制的に立ち退かされ、住人の多くがケープフラッツ(Cape Flats)地区へと移住させられた。民主化後、多くの家族が土地権返還法に基づき土地返還を申請したが、さまざまな理由で返還事業はあまり進んでいない[Beyers 2010]。
  15. ンクウィンティ大臣によれば、2009年にズマ大統領から土地改革・農村開発担当相の拝命を受けた際に大統領から2つの課題を与えられた。それらは、1998年の返還申請提出期限を見逃してしまった人々と事業の対象外となっている人々の両方に対して対策を講じること、であった(2013年12月1日、西ケープ州ウェリントンで行われたナマ・フェスティバルでのンクウィンティ大臣の演説から)。つまり、大統領就任当初から、ズマはこれらの政策を考えていたようである。