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ライブラリアン・コラム

特集

ウェブ資料展:途上国と感染症

インドと感染症――植民地時代の飢饉と疫病、そして現代の希望の船

坂井 華奈子

2020年9月

今回紹介する資料
末尾に「※」印が記載してある資料はアジア経済研究所図書館で所蔵しています。リンクを開くと蔵書目録(OPAC)がご覧になれます。
感染症の宝庫――インド

新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)流行以前から、インドは感染症の宝庫1といわれ様々な感染症のリスクがある。蚊が媒介するマラリアやデング熱、結核のような空気感染のもの、ガンジス川デルタ地帯が起源とされる2コレラなど飲食物を介して経口感染する消化器感染症も注意すべきとされている3。インドでも患者の多いマラリア、結核、HIV/エイズは世界三大感染症であるとされるが、それだけではない。

インドに海外派遣員として2年間赴任する機会があった。渡航前には南アジア長期滞在者に推奨されているワクチンを両腕に何度も注射した。しかしそれでもすべての感染症が防げるわけではない。現地では気を付けているつもりでも食べ物や水にあたることはよくある。野良犬や猿などの狂犬病を持っている可能性のある野生動物も街中に多く出没し、友人知人が狂犬病の暴露後接種4を受けた話や、マラリアやアメーバ赤痢になった話も身近であった。赴任中の2015年にはデング熱の大流行があり、罹患して39度を超える熱を出し鋭い頭痛と体中の関節の痛みに耐えながら寝込んだ経験もある。流行を受け、滞在先の研究所でデング熱を媒介する蚊を予防する殺虫剤の噴霧があり、直前に知らされたため白い煙の中をノートPCを抱えて逃げ惑ったことも今となっては思い出である。出張や赴任中の感染症のエピソードには事欠かない。

上に挙げた感染症は日本ではなかなか接することのない病気が多いが、デング熱や狂犬病は世界保健機関が定める「顧みられない熱帯病(NTDs)」に含まれる。それらは10億以上の貧困層に深刻な健康被害をもたらし、また、経済的発展の停滞を招くとされる。COVID-19のような世界規模の感染症とは異なり、NTDsはアジア、アフリカ、中東、ラテンアメリカなどの途上国、熱帯地域に多く発生する寄生虫や細菌、ウイルスによる疾病であるため、健康面でも社会経済面でもそこに暮らす貧困層にとって大きな問題となっているにもかかわらず、先進国や都市部の人々からは自分たちとは関係ない疾病とみなされ、顧みられない状況になっているという5

この機会にインドにおける感染症問題に関する資料を調べてみた。しかし、感染症を扱った文献は当然ながら医学的見地から書かれたものが多く、当館が専門とする社会科学資料に限定すると、保健、公衆衛生や医療事情のなかで感染症に触れたものやHIV/エイズに関するものなど、感染症を中心的主題として扱っているものはそれほど多くない。

ここでは当館の蔵書からインドの感染症に関連する図書を2冊とりあげて紹介し、最後にインドにおけるCOVID-19の状況を知るための日本語情報源について簡単に触れてみたい。

脇村孝平著『飢饉・疫病・植民地統治――開発の中の英領インド』

本書は英領インド時代の19世紀後半から20世紀初頭までの飢饉と疫病の多発とその人的被害について、なぜ疫病と飢饉が頻発し、植民地政府はどう対応したのか、という2つの課題から、飢饉と疫病を社会経済史の内部に位置付け、この時期のインドがどのような社会経済的変容を遂げていたのか、またその変化が当時の人々の生活水準にどう影響していたのかを以下に示す4つの視角と、アマルティア・センの「エンタイトルメント6」および「潜在能力7」という概念を手掛かりに分析している。

本書は二部構成をとり、第I部では対象の時期には経済成長が起こっていたにもかかわらず飢饉と疫病が頻発したというある種パラドキシカルな事態について検討している。第一の視角は英領インド期の飢饉と疫病という現象を「生活水準」という概念を関連付けて究明すること、第二の視角は、疾病史を環境史の文脈で位置づけなおす方法であるとしている。第II部では植民地政府がこうした問題にいかに対応したかを扱い、第三の視角として「災害管理」に着目し、第四の視角としては「帝国医療」という問題設定からこの時期のインドにおける疫病への対応を考えることであるとしている。災害管理については英領インドの飢饉委員会報告書の分析を通して飢饉救済政策について考察している。帝国医療については、西欧の植民地主義にとっての感染症問題の歴史を振り返りながら英領インドのケースを位置づけ、また、日本統治期台湾における公衆衛生政策と英領インドでのそれとの比較により、その限界を指摘している。

飢饉とは、何らかの理由で食糧不足が起こり多数の死者が発生するような状態を指す。自然災害であろうと人口過剰であろうと、飢饉の原因は食糧不足にあると考えがちだが、センのエンタイトルメント理論によれば、社会一般の食糧供給の不足によるというより、一定の社会集団や階層が所有できる食糧が不足する、食糧エンタイトルメントの不全が真の原因であるとされる。食糧がないことは飢饉の理由のひとつにはなりえるが、すべてのケースがそれだけで説明できるものではないというのである。

著者は当時の英領インド社会の状況と農業生産統計や食糧作物の輸出入、食糧需給推計、カースト別の死因分類などのデータを用い、当時の飢饉は特定の階層の食糧エンタイトルメントの問題と考えるべきであると指摘する。植民地化によって農業が商業化し、わずかながらも経済成長が起こっていた時期にもかかわらず飢饉が発生したのはなぜだろうか。データは、その時期にインド農村社会の一定階層、下位カーストに属する土地を持たない農民や職人など、農村貧困層の生活水準が著しく悪化した可能性が高いことを示している(第5章)。

この話が感染症とどう関わるのだろうか。この時期の人口動態をみると、飢饉で直接的な餓死者が増加したというより、食糧不足により栄養状態が悪化し、そこに併発して流行する疫病との関係で死亡率が上昇したと考えられる。

疫病、すなわち感染症のうち特に悪性の流行病、伝染病は多数の死者をもたらすものである。本書で主に扱われている疫病は、1918年にパンデミックを起こしたインフルエンザと、マラリアである。1918年のインフルエンザはいわゆる「スペイン風邪」であるが、藩王国も含めるとインドでの死者数は1700万人に達する規模であり、世界全体の約半数を占めたという推計が示されている(114ページ)。インフルエンザを除き、コレラ、天然痘、マラリア、ペストといったインドにおける当時の主な疫病による死亡者数を比較すると、マラリアによるものが圧倒的に多く、該当時期の人口変動に大きな影響を与えていた。

本書で用いられているもうひとつのセンの理論は、人間の「福祉(well-being)」や生活水準を経済学で測る際に、効用や所得ではなく潜在能力という次元で測るものである。たとえば工業化にともない経済成長が起こったが、付随する急激な都市化で生活環境や衛生状態が悪化したとする。そこにいる人(または集団)の所得は増えたとしても、疾病環境の悪化によって健康状態が悪化すれば、潜在能力の次元では生活水準は低下している。しかし、この状況を所得のみで見た場合にはむしろ生活水準は向上したことになる。飢饉の経済学的分析に疾病という要因を導入するために、潜在能力という概念が有効なのである。

感染症の原因となるウイルスや細菌などの病原微生物と人間の関係は、それを取り巻く環境と人間の関係であるとされる。当時の英領インドでは鉄道や海運の発達による人の移動の増加、都市の衛生環境の悪化、鉄道、灌漑用水路の建設による自然排水路の攪乱など、開発により社会環境が大きく変化し、それが疫病の発生や伝播にかかわる「疾病環境」の悪化につながった。このような開発による環境の変化や社会の変化により発生する疾病を「開発原病」と呼ぶことがある。著者は、疫病マラリアは植民地開発に起因する形で起こった可能性が高いことを指摘し、開発原病の一典型として詳しく検討している(第3章)。

前述のように、飢饉と疫病で死亡したのは主に農村の貧困層であった英領インドでは、公衆衛生政策が社会の末端にほとんど介入することがなく、少数者であるイギリス人と大多数を占めるインド人の社会では死亡率の動向が対照的であるという二重構造がみられた。一方、伝統的な村落の治安・行政制度であった「保甲制度」を利用し、社会管理的な方法によって対人的防遏法をとった台湾では、伝染病対策は比較的末端まで行き届き、台湾人と日本人の死亡率は、水準に差はあれどほぼ同様の趨勢で低下していった。この背景の詳細はぜひ本書を読んでみてほしいが、著者は、比較を通して見えてくる英領インドの公衆衛生政策の特質は、統治者と被統治者との間の「懸隔」であるという。

経済史や植民地統治、開発の過程とのかかわりのなかで飢饉と感染症を論じている点が興味深い。本書は第6回「国際開発研究大来賞」受賞作である。

Goswami & Hazarika eds. Hope floats : the boat clinics of the Brahmaputra

2017年11月、インド北東地域8に関する研究プロジェクトの現地調査で研究者らと共にアッサム州を訪れたときのこと。現地でお世話になったCentre for North East Studies & Policy Research(C-NES)が運営するボート・クリニック事業をぜひ見ていってほしいと勧められ、診療に同行することになった。その名のとおり船に医療従事者や医薬品などを乗せて医療設備のない遠隔地の村へ無料で医療サービスを提供する事業9である。本書は、その際に寄贈していただいたこのプロジェクトの軌跡や活動の様子をまとめた書籍である。

地図 インド北東地域。中央あたりの黄緑色の部分がアッサム州。

地図 インド北東地域。中央あたりの黄緑色の部分がアッサム州。

本書によれば、アッサム州を流れるブラフマプトラ川10は枝分かれした網状河川で、その支流の間には現地の言葉でcharまたはsaporiと呼ばれるたくさんの島々があり、250万もの人々が暮らしている。そして、こうした島々の村の多くは、医療だけでなく学校、電力、道路、水道などの基本的なインフラやサービスも整っていない経済的後進地域である。そのうえ、雨季には洪水の被害も受けやすい。川は恵みももたらすが、ときには洪水で土地や家屋を押し流し、増水時には村人の利用する小舟では容易に渡ることができない。川の向こうの病院へたどり着けず命を落とした若い妊婦の悲劇に心を動かされた編者の一人、ハザリカ氏によって発案されたこのユニークな取り組みは、川を利用して道なき村に船で医療を届けている。

写真1 筆者らが乗船したボート・クリニック

写真1 筆者らが乗船したボート・クリニック。
医師、看護師、薬剤師、検査技師 等の乗組員と医薬品を乗せ、病院のない村に無料で医療を届ける(2017年)。

Akha――アッサム語で「希望」と名付けられた最初のボート・クリニックは、2005年5月25日の全国予防接種デーに処女航海に出た。はじめは村のコミュニティになかなか受け入れられなかったものの、定期的な訪問と粘り強いコミュニケーションにより、苦労を重ねながら徐々に人々の信頼を得ていった。本書に記されたその様子や実際にあった様々なエピソードからは、Akhaから始まったボート・クリニックがもたらした希望の物語が伝わってくる。本書では、この事業の経緯や実態について写真やデータなどを交えて紹介している。診療や治療だけでなく、公衆衛生、水を介した感染症やマラリアを防ぐ方法、予防接種の重要性を伝える活動、石鹸で手洗いをするデモンストレーションなど、島の生活に身近な感染症予防の知識を伝える啓発活動もボート・クリニック事業の一環として行われている。

特に、死亡リスクの高い妊婦や乳幼児など母子の健康に力を入れているとのことで、筆者らが同行した日も、村の診療小屋にたどり着くとたくさんの小さな子どもを抱えた母親たちが予防接種のために集まっていた様子が印象的だった。

写真2:診療小屋での予防接種の様子写真3:診療小屋での予防接種の様子
写真2・3 診療小屋での予防接種の様子。台帳を使って ワクチン接種履歴などを管理していた(2017年)。
コロナ禍とボート・クリニック

COVID-19の流行のなか、ボート・クリニックのクルーたちやブラフマプトラ川の島に暮らす村人たちは現在どうしているだろうか。C-NESのウェブサイト11にアクセスしたところ、ニュースレターなどでCOVID-19 に立ち向かいながら医療サービスを届ける彼らの様子を知ることができた。社会的・物理的距離を保ちながらの通常の診療に加え、手洗い、マスクなどの予防対策とCOVID-19の症状、特徴について情報提供を行っている様子が紹介されていた。

COVID-19下のボート・クリニックの活動の様子(Mongabay-India, 2020/05/13)
インドにおけるCOVID-19を知る情報源

インドでもCOVID-19は猛威をふるい3月24日から急遽ロックダウンが行われたが、7月16日には感染者数は100万人を超え、8月6日には200万人を、22日には300万人を超え12、ついに9月5日には400万人を超えたことが報じられた13。そもそも13億人という世界第2位の人口を抱えるインドであるが、徐々に感染者数増加のスピードが増している14。現在ではブラジルを抜き、米国に次ぎ世界で2番目に多い感染者数となった15。未曽有の事態であり新聞などの現地メディアでは連日関連する報道が行われている。現地紙のウェブサイトでは最新情報は無料でアクセスできる場合が多く比較的情報も取りやすい。一方、日本語紙では短くインドの概況を知らせる新聞記事や通信社系の翻訳記事はあるものの現地紙ほどの情報量はないことが多い。

日本語で書かれた社会科学系論考をいくつか紹介してみる。公益財団法人日印協会の発行するウェブ版の学術的機関誌『現代インド・フォーラム』No.46(2020年夏季号)ではインドにおける新型コロナウイルス問題を特集している。『国際開発ジャーナル』2020年6月号(当館所蔵雑誌)には当研究所との連載企画 IDE-JETRO×Country Reviewの一環として辻田研究員による『インド:新型コロナで浮き彫りになる医療政策の課題――看護師不足を助長する海外流出も深刻化』が掲載されている。また、当研究所ウェブサイトでも「アジ研 新型コロナ・リポート」についての特集ページを設けており、インドに関しては湊研究員の「『世界最大のロックダウン』はなぜ失敗したのか――コロナ禍と経済危機の二重苦に陥るインド」が掲載されている。

新聞やウェブでは日々更新される最新情報が取得できるが、臨時の特集ページなどは事態収束後にも残されるとは限らない。のちにこの問題を振り返るためにも、今後の分析と図書などのまとまった形での刊行が待ち望まれる。

地図・写真の出典
  • 地図  Jeroen, Locator map of the Seven Sister States and Sikkim in India(CC BY-SA 3.0 NL).
  • 写真 すべて筆者撮影
参考文献(末尾に※が記載してある資料はアジア経済研究所図書館で所蔵。リンク先は蔵書目録OPAC)
著者プロフィール

坂井華奈子(さかいかなこ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は南アジア。最近の著作に「インドの異色なローカル引用索引データベース――Indian Citation Index」(『アジ研ワールド・トレンド』2017年4月)「グローバル社会における企業と人権問題」(『アジ研ワールド・トレンド』2017年8月)「インド北東地域と日本――インパール作戦の戦跡をたずねて(フォトショット)」(『IDEニュース』2019年3月、共著)など。

  1. 世界の医療事情 インド(外務省ホームページ)を参照。
  2. ホッテズ (2015) p.94 
  3. 気候と気をつけたい病気 国別情報:インド」(厚生労働省検疫所FORTH)を参照。
  4. 狂犬病に感染した動物に咬まれるなど、感染の疑いがある場合には、その直後から連続したワクチンを接種(暴露後ワクチン接種)することで発症を抑える。「狂犬病に関するQ&Aについて」(厚生労働省)参照。
  5. 実際、筆者もリストのうちインドで身近だったもの以外については耳にしたことがない病気ばかりだった。なお、ホッテズ(2015)収録時のNTDsのリストは17疾患だが、その後追加され、2017年には20の疾患がNTDsとして定められている。詳細についてはホッテズ (2015)や「結核、マラリア、顧みられない熱帯病の根絶を目指して:UNDPと日本政府の取り組み」(国連開発計画[UNDP]駐日代表事務所)、「20の疾病(群)」(Japan alliance on Global NTDs)などを参照。
  6. セン(2000)の『飢饉と貧困』訳者まえがきでは、エンタイトルメント(Entitlement, 権原)とは、ある社会において正当な方法で「ある財の集まりを手に入れ、もしくは自由に用いることのできる能力・資格」、あるいは、そのような能力・資格によって「ある人が手に入れ、もしくは自由に用いることができる財の組み合わせの集合」を意味する、とされている。
  7. セン(1999)の訳者まえがきによると、潜在能力は”capability”の訳であり、「機能」の集合として表される。「機能」とは、人間の福祉(暮らしぶりの良さ)を表す様々な状態(〇〇であること)や行動(〇〇できること)を指す。例えば、「適切な栄養をとっている」「健康である」「教育を受けている」など。
  8. 地図に州名が表示された7つの州はセブン・シスターズと呼ばれる。2002年からはシッキム州も加わり8つの州がインド北東地域とされる。
  9. 2004年に世界銀行から資金を得て2005年に始まったこのプロジェクトは、現在ではアッサム州のNational Health Missionが船以外の資金や医薬品を提供しており、また企業、慈善家らから船にかかる資金などの提供を受けている。
  10. チベットからヒマラヤ山脈東端を横切り、インドのアッサム州とバングラデシュを流れ、ガンジス川本流と合流してベンガル湾に注ぐ。長江、黄河、インダス川に次ぐアジア第4の河川。ブラマプトラ川とも呼ばれる。『南アジアを知る事典』より。
  11. そのほかにもボート・クリニック関連の複数の動画リンクが掲載されている。
  12. India Covid-19 numbers explained: Journey from 15 to 20 lakh cases has taken just nine days”、”India Coronavirus Numbers Explained: Journey from 25 to 30 lakh cases has taken eight days”などを参照。
  13. India takes 13 days to cross 40 lakh Covid-19 cases from 30 lakh; record 86,432 infections reported in a day”などを参照。
  14. 最新の感染者数等の数値データは、現在は臨時的にインド政府の保健家族福祉省のトップページにも掲載されている。
  15. Coronavirus numbers explained: With 41 lakh cases, India is now ahead of Brazil”などを参照。