中東・南アジア政策提言研究の出発——3つの激動を眼前にして

政策提言研究

鈴木 均
2011年5月

2011年5月

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2011年の春、我々の耳目を奪うような3つの激動が立て続けに起こった。それを象徴する3つの日付をここで改めて記憶に留めておこう。一つ目は2月11日のエジプト、ムバーラク大統領の退陣である。二つ目は3月11日(午後2時46分)の東北関東大震災と、これに続く福島第一原子力発電所の大事故である。三つ目は5月1日の米軍特殊部隊によるビンラーディン殺害である。

これらは全て、今後長年月にわたって我々の住む世界を根底的に揺るがすだけの衝撃を内包した歴史的事件である。これからの日本の中東に対する政策の指針を考える際に、これらの事件はそれぞれに極めて重要な意味をもっていると言わなければならない。

先ずエジプトの政変に代表される中東アラブ世界の民主化に向けた政治的な激動である。この激動は2011年の年頭以来先ずチュニジアで起きたが、その後エジプト、リビア、バハレーン、シリアとアラブ各国に連鎖的に波及していった。この政治的変革の要求とその歴史的な意味を我々がどのように理解するかは極めて重要な問題である。

これらの一連の政治変動の将来的展開について、米国を中心とする外国メディアはイスラーム主義勢力の影響拡大、イスラエルの外交的な立場の侵害ないし失墜、イランの影響力拡大の可能性といった諸点を特に注視しているように見受けられる。だがむしろ今回の一連の動きのなかで、こうした従来の政治的メッセージが市民を動かしたのではなく、独裁的な体制を許してきた自らの現状に対するより根源的な危機感であったという点は特筆すべき事実としてここで改めて強調しておくべきであろう。

このことと関連して5月1日のビンラーディン殺害は、明らかに2001年9月11日以来の米国の対テロ戦争における軍事的な勝利を意味している。対パキスタン関係の悪化を賭してまでビンラーディンの殺害を実行した米軍は、これでようやくアフガニスタンにおける10万人規模の駐留米軍を「勝利」の旗のもとで撤収させる条件が整ったといえる。これは恐らく年頭以来の中東アラブ世界における民主化の波と無関係ではない。市民の政治的な要求が軍事独裁体制を打倒した国々において、アルカイダらの反米テロ戦略が浸透する条件はほとんど考えられないからである。

むしろアルカイダが今後活動を活発化させていく地域としては、パキスタンやアフガニスタン、イラン、イラク、湾岸諸国、中央アジア諸国など、いまだ市民の民主化要求が抑圧されている国々が標的とされる可能性が高いのではないだろうか。

最後の東北関東大震災とこれに伴う原発事故は、こうした中東から南アジアを覆う政治的・軍事的な激動に対して、我々日本人がどう向き合っていくかをめぐる根本的な条件を改めて突き付けることになった。それは我々が今後とも長期間にわたり中東産の石油を中心とする化石燃料に依存せざるを得ず、石油の安定供給が日本の対中東政策の根幹であり続けるであろうという事実である。

原子力発電の技術によって石油への依存を脱却しようとする道が断たれた今、再び必要とされているのは中東から南アジア・中央アジアを包含する広大な地域においてどのような潮流が芽生えており、そこに米国や中国、ロシア、欧州各国の政策がどう関わろうとしているのかという全体的・俯瞰的な見取り図であろう。

この激動の春に発足したアジ研の政策提言研究が、この課題に十分応えることができるかどうかはまだ分からない。だが我々としてはこれまでの地域研究の蓄積と現地からの情報を背景にしつつ、メディア上やネット上において支配的な論調に惑わされることなく適正な情勢判断の基準となるような分析論稿の発信を心掛けたいと願っている。

その際我々の政策提言研究が特色として掲げたいと考えるのは、以下の2点である。一つは現在政治的な激動の起きている中東アラブ世界の動向を、湾岸地域からイラン、アフガニスタン、さらにパキスタンやインド、中央アジア諸国といったより広域的な地域設定の中で位置づけて考えるという視点である。これは一面で日本の中東政策にとって最も重要な要因である米国政府の最大の軍事的・外交的関心が、当面アフガニスタン情勢をひとつの軸にして展開するという理解に基づくものである。これは日本にとってアフガニスタンの支援を今後どう考えていくかという現実的な問題にある程度の見通しをつけるという意味からも必要な観点であると思う。

もう一つは資源エネルギー問題からの接近である。上述のように、日本は今後とも引き続き長期間にわたって中東の石油や天然ガスへの依存を続けていくことになるであろう。だがそうであればこそ、政治的激変を遂げつつある中東の現実に対して柔軟かつ適切に対応していくための明確な視点がなお一層求められているのではないか。

そのために我々に求められているのは交通整理され秩序づけられた情報であり、常に的確かつ迅速な判断の基準となりうるような戦略的な分析であろう。もとより我々がジャーナリズムのような速報性を追求することはできない。それにはすでに専門的な多数のメディアが存在するし、我々の側にそれに伍していくだけの準備がある訳でもない。むしろ我々に求められているのは全く別の次元の言説、その時々に生起する事態に即応しながら情勢分析の基準として永く参照されるような考察であろう。それが具体的にどのような形をとっていくかは、今後とも随時掲載されていくであろうこのページの分析論稿をお読みいただきたいと思う。
(2011年5月11日脱稿)