途上国日本の開発課題と対応:経済史と開発研究の融合

調査研究報告書

有本寛 編

2015年3月発行

表紙 / 奥付 (105KB)
はじめに / 目次 (100KB) / 有本寛
第1章
本稿では、最近(2010年以降)国際学術雑誌に発表された農業技術の採用・普及に関する論文を中心に、特に途上国の小規模農家を対象とする実証研究を概観した。その結果、研究対象となる地域の重心が、アジアからサブサハラ・アフリカへと大きく移動していること、また、開発経済学の流れと並行して、この分野の研究においても、因果関係の同定を強く意識した研究が増加していることがわかる。特に、ランダム化比較実験などの手法を用いて、技術採用の決定要因やその因果効果の厳密な推定を試みるもの、ネットワーク分析や空間計量経済学の手法を用いて、新技術の採用における社会学習(social learning)の役割を探求するものなどが多く、そうした方面で研究の進展が見られる。こうした流れは、実証的に因果効果を測定し、より政策効果の高い政策を見つけ、研究の知見を政策提案に役立てようとする研究が増えていることの表れである。

第2章
本稿は、近代日本におけるレモン肥料問題(不正肥料の横行とそれへの対応)について論じたものである。途上国の農業技術普及問題には、適正・優良なインプットを供給し、効果をあげる仕組みをどのように保障していくのかという問題がある。本稿では、途上国におけるレモン肥料問題の参考に供するため、途上期日本におけるレモン肥料排除の仕組みとその努力について検討する。

近代日本におけるレモン肥料対策の基本は、公的機関による肥料取締法と肥料検査官制度であった。本稿では、近代日本における肥料取締法と肥料検査官制度について検討し、サプライサイド(人造肥料メーカー商品のブランド化と特約取引の拡大)と農民サイド(産業組合などによる肥料共同購入の拡大)のレモン肥料抑制態勢について分析を加えた。近代日本おけるレモン肥料対策は、明治中後期には十分に効果が出なかったが、大正期を経て昭和期にはその効果が明瞭に表れたといえる。その要因を、上記の公的機関による対応策と民間のサプライサイド、農民サイドによる対応策から論じた。

第3章
本稿では、近現代の日本において農家の再生産を確保するために存在したフォーマルないしインフォーマルな社会的制度と、その最も近代化されたシステムとしての農業保険にかかわる経験を整理することを課題とする。取り上げる制度は、伝統的な備荒貯蓄制度としての義倉・社倉・郷倉、国家による罹災者救助のための備荒儲蓄法、罹災救助基金法、保険類似の機能を担った無尽・頼母子講、および農業保険である。そこでは、不十分なリスク保障制度が、在地の相互扶助的な取り組みと補完しあいつつ、発展ないし消滅していく過程が跡づけ、その意義と限界が明らかにされる。

第4章
農地灌漑の便益を高め、水資源の持続的な管理を実現することは、農業部門の発展にとって重要な課題である。本章の目的は、(1)大規模灌漑事業の影響評価、(2)灌漑施設の維持管理における分権化、(3)地下水灌漑への民間投資、という三つのテーマに沿って、開発経済学の研究動向とその含意を整理することである。大規模灌漑事業に関する研究では、農地灌漑が農業生産に正の影響を与える一方、流域内の水資源配分やスピルオーバーの効果を通じて、分配面の複雑な影響をもたらすことが明らかにされている。また、灌漑施設の維持管理における分権化や地下水灌漑に関する研究は、水資源管理における、政府、水利組織、市場の機能に、それぞれ限界が存在することを明確に示している。こうした研究成果に基づきながら、今後の課題として、水利組織に関するより詳細な分析の必要性といくつかの分析視点を提示した。

第5章
本稿は、「途上国」時代の日本の農業・農村開発について、土地改良事業に関わる研究史の検討から「日本の経験」を整理・紹介することを課題とする。まずマクロ的にみて、日本の土地改良事業は持続的に展開していったことが統計的に確認できる。続いて事例研究として、(1)明治期の土地所有者による事業実施、(2)戦間期以降の国家による事業への政策的補助と大規模土地改良事業の実施における問題点、(3)水利権売買慣行が存在した地域、などの点について整理・検討した。特に大規模土地改良事業の実施については、事業の担い手や費用負担といった点で不明な点が多く、「日本の経験」のさらなる検証が求められることを指摘した。そこで新潟県亀田郷の土地改良事業を事例に、実施過程における事業の担い手や費用負担の実態の一端にアプローチした。亀田郷の事例からは、〔1〕行政の存在、〔2〕事業実施における資金確保、労働力・資材調達といった事業の費用負担を可能とした制度、の2点が重要であったことが指摘できる。最後に、土地改良事業に関する「日本の経験」は外国の研究者からも参照されており、日本の事例は新たな制度設計や政策立案を模索するための政策的含意をもつと認識されていることを紹介した。

第6章
本稿は、農産物市場を機能させ、食料を効率的に流通・配分することをゴールとして、その課題と改善策に関する現代発展途上国と近代日本の経験をレビューする。このため、農産物の円滑な流通と配分を阻害する要因として、(1)価格情報の伝達、(2)輸送網の整備、(3)サーチ・マッチングの摩擦、(4)契約履行、の4つの問題を取り上げる。このうち、価格情報の伝達については、現代途上国でも携帯電話網の整備によって、問題は軽減されつつある。一方、輸送インフラや、サーチ・マッチングの摩擦と契約履行の問題を緩和する、取引制度や法の整備等の「ソフトのインフラ」の整備が不十分であることが課題である。近代日本では、鉄道網と電信・電話網などの「ハードなインフラ」の整備が、農産物市場の統合に寄与したと考えられる。同時に、サーチ・マッチングと契約履行問題を緩和する「ソフトのインフラ」として、安全で確実な代金回収制度(荷為替)と農産物の標準化(米穀検査)が存在したことが特筆される。


第7章
本稿ではタイにおけるコメの格付け・検査制度とその前提となるコメ流通制度を概説した。政府による格付け・検査制度が確立するのは、1950 年代に政府がライスプレミアムという一種の輸出税を徴収するようになり、コメの品質に見合った輸出税をとる必要に迫られたからである。輸出取引以外の取引では、こうした政府の介入や規制がないため、基本的に取引主体間で商品にかかる情報を交換し、取引がおこなわれてきた。情報は中間商人やブローカーによってもたらされた。輸出米については現在も格付け(スタンダード)はあるが、1980 年代半ばにコメの輸出関税がなくなり、現在では実際に取引されるコメのサンプルによって品質情報を伝達する形が増えている。その場合、政府の定めた格付けは、取引の意思決定をする上で、あまり意味を持たない。

Chapter 8
Reducing the risk of infant mortality is one of the most important issues in developing countries. In today’s developed countries, lowering the infant mortality rate was a major issue during the periods of economic development. Hence, reviewing studies that have analyzed the decline in infant mortality rates in developed countries can provide meaningful suggestions for developing countries. This study outlines the decline in infant mortality rates in Japan, and organizes and discusses the issues associated with the decline in infant mortality rates in other developed countries. Previous studies have focused on a number of factors that can be attributed to declining mortality rates, including studies on the effects of improvements in living standards, on private initiatives aimed at improving the hygiene of individuals and households, and on public health interventions. Recent studies tend to focus more on the third factor. In other words, they emphasize the effects of public and institutional interventions. However, multifarious factors are responsible for the decline in the risk of infant mortality in developed countries. Moreover, we must consider the synergistic effects of various public institutions and programs in the private sector. The most important point is to accurately clarify the questions surrounding the setups employed for the implementation of various interventions, the reasons institutions performed well in interventions, and the extent to which the system impacted infant mortality rates. I believe that accumulating such historical evidence is both a necessary and a valid means for providing meaningful suggestions to today’s developing countries that are grappling with the issue of persistent, high infant mortality rates.