オセアニアの知と権力

調査研究報告書

塩田 光喜  編

2008年3月発行

この報告書は中間報告書です。最終成果は
塩田 光喜 編著『 知の大洋へ、大洋の知へ!太平洋島嶼国の近代と知的ビックバン Modernity and Intellectual Big Bang in the Pacific Islands 』彩流社アジア経済研究所オセアニア研究シリーズ、2010年1月発行
です。
総論
知と権力の人類史 序説 (822KB) / 塩田光喜
はじめに
第1節 知は力なり
第2節 「知」と「力」を定義する
第3節 権力と家族
第4節 祭司権力と神権国家の発生
第5節 文明と権力
第6節 王とは何者か?
第7節 法の支配と牧人王
第8節 各章の紹介
おわりに


本論は、第1章から第7章までの各論を貫く大きな主題、すなわち、「知と権力」を深層において支える概念群を呼び起こし、その概念の布置(constellation)の中に各論を配し、本書に統一した知的遠近法(perspective)を与えるために書かれた。本論はそのために、「知と権力の人類史」という結構(design)を取った。その根本的発想は、肉体的には弱い人類が、地球上で圧倒的な力を揮うに至った原動力はその知にあるという洞察に淵源する。人類史のはじめから今日に至るまで、知と力は緊密に連関しながら人類史を展開してきたのである。そして今日、近代文明の到来とともに、オセアニアの諸社会の知と権力の様相を大きく転換せしめたものは文字の出現であったことが論証される。

第1章
はじめに
第1節 知識・技術を巡る交渉
第2節 キルトスペルマ栽培法
第3節 知識・技術の実体化
おわりに —権力胚胎の集団的抑制—


中部太平洋キリバスの一村落において、知識・技術(rabakau)は秘匿されるべきと言われる。村において、知識・技術は多様な領域に及び、それをもつと見なされる人物が数多くいる。キルトスペルマ栽培や手芸品製作といった生産、カヌー操船や踊り等の身体技法に関わる事柄があり、生産されたモノや身体所作という可視的な形で人々の前に現れ、評価されて評判を生む。知識・技術の獲得を巡って人々は交渉を行い、拒否されたり継承される。その秘匿や行使は、微細な権力関係を生み出す。しかし、イモの集会所への供出や他者からの懇請による手芸品の生産等、知識・技術の行使は個人の次元を超えた村人への貢献が求められる。また秘匿しようとしても、拒否しがたい懇請によって伝授を余儀なくされることもある。すなわち、知識・技術は個人的な権力を生み出しうるが、その発生を抑制する集団的制御が作動し、それが異なる次元の権力を常に生み出しているのである。

第2章
はじめに
第1節 前回調査の概要と今回の作業仮説
第2節 介入の過程
第3節 生活条件—2006年調査の分析結果—
第4節 介入状況と隠された交換関係
第5節 開発援助主体の予期せぬ結果 —ローンと「隣人」の登場—
おわりに


本稿では、フィリピン、ミンダナオ島、ダバオ市のサマ(Sama)、通称「バジャウ」(Badjao)に生活条件について、2006 年に実施した質問紙調査(世帯悉皆調査、183件)の結果に基づき、一次的な分析をした。前回調査(1998年~1999年)の結果と照らしながら、「開発援助主体」の介入の実態と影響について検討し、つぎのような仮説を検証した。(1) 開発援助主体の介入により経済生活はあまり変わらなかったが、宗教生活は少なくとも表面上は激変した。(2) 介入した開発援助主体は複数だったが、各々異なる目的と指標をもつため、相互協調はなく、援助項目に偏りが生じた。(3) 開発援助主体の介入は生業支援という意味では「失敗」した。しかし、各々の開発援助主体、サマ(バジャウ)ともに何らかの「隠された交換関係」を達成した。(4) 開発援助主体の介入は予想外の結果として、サマに「隣人」の登場をもたらした。

第3章
はじめに
第1節 サイラス・エトとキリスト教の邂逅
第2節 聖霊の働きと宗教的熱狂
第3節 「新しい生活」を目指して
第4節 考察
おわりに-今後の課題と展望-


本稿の目的は、ソロモン諸島のクリスチャン・フェローシップ教会(CFC)の形成史をカリスマ論の視点から考察をおこなうとともに、同教会の教祖エトが依拠ないし創造した知識と権力構造を明らかにすることにある。ウェーバーのカリスマ論の特徴として、カリスマの革命力と日常化を指摘できる。教祖エトは聖書的知識に精通し、やがて神の啓示をとおして、聖霊を獲得したとされる。この聖霊は、CFCの信仰においてエトの資するカリスマとみなすことが可能である。エトが自在に操るという聖霊は、その革命力によって憑依現象および宗教的熱狂を巻き起こし、彼の名をニュージョージア島全域に轟かせた。しかし運動の伸展とともに、聖霊は、信徒たちの生活を見守る身近な霊的存在として日常的文脈に馴化されることとなった。それはまた、エトおよびその子息を行政的かつ宗教的な組織の頂点とする神権統治の出現とも軌を一にしていた。このようなCFC の歴史的展開は、カリスマの革命力から日常化への変遷を示しているのである。

第4章
はじめに
第1 節 調査地の社会経済的背景
第2 節 扶養費請求訴訟制度の概観
第3 節 権力を知った女 —サプックの事例-
おわりに


本稿の目的は、植民地期に導入された近代的な法システムの検討を通じて、パプアニューギニアにおける新たな権力の実態を明らかにすることである。具体的には、筆者の調査地マヌス州クルティ社会に生きる女性が、離別した相手男性に対して養育費を請求する訴訟(扶養費請求訴訟)に焦点を当てる。現金収入源が恒常的に欠如しながらも、日常生活における現金の需要が高くなっている地域社会の経済状況のなかで、この訴訟は女性たちに現金収入活動の一環として利用されている。本稿は、こうした扶養費請求訴訟を、男性にその意思や選好に関わらず、金銭の支払いを強い、自らの生活保障をはかる権力資源と捉え直し、男性に対する女性の権力行使実践として記述・分析する。

第5章
はじめに
第1節 1950~60年代の統治方針における慣習法の位置づけ
第2節 土地政策における慣習法の扱い
第3節 1950~60年代のヤップの土地裁判
第4節 統治政策の転換と慣習法の排除
おわりに —まとめと今後の課題—


本稿は、アメリカ統治下のヤップで、高等法院が土地問題をどのように扱ってきたのかを、当時の行政文書や裁判資料に基づいて論じたものである。伝統と慣習の尊重を掲げた1940~60年代には、高等法院は住民同士の土地紛争を慣習に基づいて解決すべく、判例の積み上げによって慣習を法化することを目指した。ところが1960年代に同化政策へと転換し、土地委員会が土地の私的所有権確定作業を進めるようになると、高等法院は土地委員会の上訴審となり、土地紛争を直接扱う機会は激減した。しかも、慣習に基づいた紛争解決は放棄され、1970 年代には慣習は法としての地位を失った。慣習をめぐる高等法院のこの転換は、アメリカの統治方針の転換をそのまま反映している。このように、統治下のミクロネシアの法は、アメリカの統治方針に忠実な「支配の道具」だったことが窺える。

第6章
はじめに—地図・知識・権力—
第1節 アンダーソンの地図論
第2節 『ローラ・レポート』の成り立ち
第3節 メイソンの地図作成作業
第4節 重層する地図化の作業
おわりに


本論は、1967年にハワイ大学教授レナード・メイソンがミクロネシアのマーシャル諸島マジュロ環礁ローラ島で作成した地図に着目し、その作成過程と再生産過程の分析を通じて、近代における地図(=部分化された知識形態)と権力の関係に関する予察を行うことを目的とする。結果、「そこの眼」による表象と「そとの眼」による表象の間にある相互補完と拮抗の関係の考察から、「そこの眼」による表象と「そとの眼」による表象の節合と亀裂が生み出した「複視」の一形態として地図を理解する重要性を指摘した。また、メイソンの地図がそれ以前の地図との共鳴=再生産関係のうえに成立し、それ以降の地図にとっては新たな共鳴=再生産関係の連鎖の起点となったことを指摘した。そして、新たな共鳴=再生産関係においては、原図の単純な反復再生産ではなく、原図を意図的に部分化・ロゴ化して、多くの「化身」を生産することが逆に原図の正当性を高め、「空間的現実」を予見的に規定してしまう地図の力を生み出していることを見い出した。