ISの崩壊とシリアのクルド人の将来
アジ研ポリシー・ブリーフ
No.116
高橋 和夫
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- アメリカの支援を受けて対IS作戦で活躍したシリアのクルド人を今後どうするのか。見捨てればシリアでの足場を失う。だが支援の継続はクルド問題に敏感なトルコを怒らせる。ワシントンのディレンマだ。
トルコ軍のシリア侵攻
ISつまり、いわゆる「イスラム国」の敗北が決定的となり、その消滅が視野に入って来た。それに従い、シリア危機は新しい状況を迎えている。焦点は二つである。まず第一にIS掃討作戦で大きな役割を果たしたクルド人の取扱いである。第二にアサド政権を、血を流して陸上戦闘で守ったイランの革命防衛隊とレバノンのヘズボッラーのシリアでの将来である。
ここでは、クルド人を巡る情勢を語ろう。イラン、イラク、シリア、トルコなどの国境地帯を生活圏とするクルド人の総人口は3千万を超えると推定されている。これは、シリアの総人口の2200万人よりも多い。そのクルド人は、しかしながら自らの国をもっていない。また、一つにまとまっていない。
ところがトルコとシリアのクルド人の間には強い関係がある。というのは両国のクルド人の運動を指導してきた2つの組織が密接な関係にあるからだ。トルコの総人口8千万の四分の一程度はクルド人と推定されている。つまり実数で2千万である。そのトルコでは1980年代からPKK(クルディスターン労働者党)が独立や自治を求めて戦ってきた。
そしてシリアではPYD(クルディスターン民主統一党)がクルド人の政治的な願望を担っている。シリアのクルド人口は200万程度と推定されている。2011年にシリアが内戦に陥ると、地下組織であったPYDが公然と活動を開始してシリア北部のクルド人地域を支配するようになった。その軍事部門がYPG(人民防衛隊)だ。女性兵士の活躍でも知られる武装組織である。YPGは勇敢に戦った。
ちなみにイラクではクルド人の兵士は、その勇敢さゆえにペシュメルガと呼ばれる。「死に向かう者」といった意味のクルド語である。しかしトルコやシリアでは、この言葉の持つ「封建的」な臭気が嫌われてか、PKKやPYDのような「進歩的な」組織は、自らの兵士をペシュメルガとは呼ばない。
さて、このクルド人のYPGを中核にアラブ人などを加えた軍事組織がSDF(シリア民主軍)である。アメリカ軍は、このSDFを支援してきた。そのSDFは、アメリカ軍の支援を得てシリア北部からISを一掃した。さらにISを追って南下した。その結果、SDFは現在シリアの三分の一弱を支配下に置いている。
アメリカ軍の目的も、SDFを使ってのISの打破から、その残党狩り、特にアブーバクル・バグダーディなどの首脳部の拘束と殺害へと変わってきている。
現在シリア中央政府軍とクルド人勢力を中心とするSDFはユーフラテス川を東西に挟んで対峙している。東側がアメリカに支援されるSDFの制圧下であり、西側がロシアとイランの支えるアサド政権軍の支配地域となっている。
SDFというオブラートに包まれているとはいえ実質はYPGというシリアのクルド人勢力が大きな力を持ったわけだ。これは、隣国トルコにとっては脅威である。しかも、既に触れたようにYPGとPKKの関係が密接である。トルコに言わせれば、両者は一体である。PKKをトルコや欧米諸国はテロ組織と認定している。であるならばPYGも当然ながらテロ組織となる、というのがトルコの論理である。
シリアにおけるクルド人の力の伸長は、トルコのクルド問題を激化させる。トルコ・シリア国境地帯も、東の端からユーフラテス川までをYPGが支配している。例外はアフリンという地域であり、ここは同川の西側ながらクルド人が支配していた。いわば飛び地的な存在であった。
アメリカのYPG支援に懸念を表明してきていたトルコが、ついに1月20日にシリアへの本格的な軍事介入を開始した。孤立しアメリカ軍の顧問団のいないアフリン地域を攻撃した。しかし対戦車ミサイルなどを駆使するクルド側の抵抗は激しくトルコ軍は苦戦した。そして2月に孤立していたクルド人を支援する形でアフリン地域にアサド政権側の部隊が入った。その意味では、アフリンでのクルド人の単独支配の終焉であった。つまりシリアのアサド政権はアフリンへと支配を復活させた。背後でロシアがアサド政権とYPGの交渉を仲介したのだろうと推測される。クルド勢力とアサド政権の交渉を取り仕切ったロシアが存在感を示した展開であった。
だがトルコは、ロシアに対して不信感を深めた。トルコ軍の苦戦が続いたのであるから当然であろう。またトルコの攻撃によって一般市民の多くが犠牲になったとの国際人権団体の批判も高かった。しかもアフリンの制圧にトルコは予想以上に手こずった。やっと3月の下旬になって、トルコ軍がアフリンを制圧した。NATO北大西洋条約機構ではアメリカに次ぐ兵員数を誇るトルコ軍が、小さな都市と周辺の村の制圧に2カ月を要したわけだ。
ユーフラテスの東
しかもアフリンは問題の外堀に過ぎない。本丸は、ユーフラテス川の向こう側に広がるYPGの広大な支配領域の扱いである。アメリカの派遣軍は、クルド人への支援を続行している。2月初旬にロシア人の傭兵の部隊などがクルド人支配地域に入った際には、アメリカ軍が砲撃と空爆で撃退した。侵入した方は300名にも達する死者を出した模様である。
この事件の背景は、つまびらかではない。だがアメリカ筋は以下のように説明している。問題の部隊がクルド人の支配地域を脅かしたので、ロシアに照会したところ自国の軍ではないとの返答があった。そこで攻撃した。
ところが、この侵入部隊はロシアの正規軍ではなかったものの、ロシアの民間軍事会社の傭兵たちだったようである。というのは、死傷者の間に、かなりの数のロシア市民がいたと報道されているからである。この会社はワグナー社といいクレムリンとの密接な関係で知られている。
不明なのは、この部隊のクルド地域への侵入の決断の主体である。つまり誰が、進撃の命令を出したのかである。モスクワが、アメリカ軍の決意を探るために傭兵部隊を動かしたのか。あるいは現地レベルでクルド人が支配している油田地帯を奪取するために動いたのか。ロシアは、アメリカの動きを瀬踏みし、手痛い目にあったので、面子を守るために、現場に責任を被せているだけなのか。判然としない。
明白になったのは、シリアに展開しているアメリカの現地派遣軍のクルド人を守るという強い意志であった。アメリカ軍の兵力は、恐らく数千人ほどの限られた規模であろう。その小規模なアメリカ軍が、空爆と砲撃で傭兵部隊を一蹴してしまった。
その上、現在アメリカの顧問団はクルド人部隊の訓練の主体を攻撃から防御に移している。明らかにクルド人が広い地域を支配し続けるのを助ける姿勢である。
ところがである。アメリカのティラーソン国務長官はトルコを訪れて同国の懸念に理解を表明した。そしてPYGへの支援の制限を約束した。現地のアメリカ軍はクルド人を助け、ワシントンはトルコにすり寄っている。このアメリカの一貫性のなさが、クルド問題の見通しを難しくしている。しかも、議論の一方にいた、ティラーソン国務長官が解任された。新しい国務長官に大統領から指名されたポンぺオCIA長官のシリア政策も、現段階では明確になっていない。対外政策に関する強硬発言で知られていたが、上院の公聴会ではシリア問題の外交的解決の重要性を強調したからだ。
アメリカは、血を流してISを倒したクルド人の労に報いて支援を続けるのか、あるいはトルコとの関係を優先してYPGを見捨てるのか。これが問題の核心である。
(たかはし かずお/国際政治学者)
本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。