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時事解説: 2015年ナイジェリア選挙——政権交代の背景とブハリ次期大統領の課題——

アフリカレポート

No.53

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■ 時事解説: 2015年ナイジェリア選挙——政権交代の背景とブハリ次期大統領の課題——
■ 玉井 隆
■ 『アフリカレポート』2015年 No.53、pp.25-28
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はじめに
2015年3月28〜29日、ナイジェリアでは1999年の民政移管後4度目となる大統領と国民議会の選挙が行われた。大統領選挙では、最大野党である全進歩会議(All Progressives Congress: APC)のムハンマド・ブハリ(Muhammadu Buhari)候補が53%の得票率を達成し、与党である人民民主党(Peoples Democratic Party: PDP)の現職大統領グッドラック・ジョナサン(Goodluck Jonathan)候補(得票率44%)を破り当選した。合わせて行われた上下両院の国民議会選挙においても、APCは上院60議席(議員定数109)、下院225議席(議員定数360)を獲得したのに対して、PDPは上院49議席、下院125議席を獲得するにとどまった。この結果、16年間に渡り与党の座にいたPDPからAPCへの政権交代が、民政移管後初めて実現することとなった。本稿ではジョナサンの支持率低迷、及びブハリの支持率拡大の背景を分析した上で、次期大統領ブハリが今後直面する課題について解説する 1
1. ジョナサンによる「敗北宣言」の意義
前回2011年の国政選挙では、敗北したブハリ(北部出身 2 ・イスラーム教)の支持者が主にキリスト教徒を襲撃し、800人以上の死者を出した。この暴動はブハリが北部のイスラーム教徒の若者を煽動したとされ、今回の選挙においてもこうした混乱や騒動が危惧された。しかし結果としては、確かに多くのトラブルがあったが、その規模は小さかった。例えば独立国家選挙管理委員会(Independent National Electoral Commission: INEC)により今回の選挙から導入された指紋認証付の永久選挙カード(Permanent Voter Card)の登録と発行が大幅に遅れたために、有権者登録を行えなかった人びとが多くいた。さらにINECは当初2月14日を投票日としていたが、北東部地域の3州(ヨベ州、ボルノ州、アダマワ州)では、ボコハラムによるテロ攻撃の激化のため安全上の問題が解決されないとして、投票日を3月28日に延期した 3 。選挙直後にも南東部地域のリバース州で、APC支持者が選挙の不正を告発し、選挙のやり直しを求めるデモが発生した。

しかし今回の選挙では各国政府から賞賛されているように、現職のジョナサン大統領がINECの最終の集計結果を待たずして自身の敗北を認め、ブハリ候補の勝利を直接電話で祝福した。そしてジョナサン支持者もまたこの行動を支持し、選挙結果が公開されて以降も大きな混乱や騒動が起こることは無かった。多くのメディア報道では、「勝者総取り」が起こり易い制度下にあり、かつ長きに渡る南北対立があるナイジェリアで、上述のようなトラブルが散見されたものの、基本的には「平和」に政権交代が実現したのは、ジョナサンの「敗北宣言」と支持者へのリーダーシップが主要な要因であったと分析している 4 。ブハリを含む過去の多くの政治家が、民族・宗教・地域の差異を利用(悪用)し、人びとを煽動することで争乱を引き起こしてきたのと異なり、選挙結果を素早く受け入れ敗北を認めたジョナサンは評価されてしかるべきであろう。
2. 地域・民族・宗教バランスの考慮と支持基盤の変化
上述したように、ナイジェリアの国内政治においては、地域や宗教の差異がしばしば政治的に問題となり、またそれがしばしば利用されてきた。この観点からジョナサン支持率低迷の背景状況を検討した場合、南部出身のジョナサンは以下のような経緯が故に、とりわけ北部の支持が得られ難かったのではないかと考えられる。そもそもナイジェリアでは1999年の民政移管後、大統領が南北から交互に選出される地域輪番制をよしとする暗黙の了解があった。そして、これまで与党であり、全国各地に比較的広範な支持基盤を持っていたPDPは、その綱領に、南東部、南南部、南西部、北東部、北央部、北西部の6つの地域から、南北交代で次期大統領候補を選出することとしていた。しかし実際のところ、1999年~2006年は南西部地域出身のヨルバ人であるオルシェグン・オバサンジョ(Olusegun Obasanjo)が2期8年もの間大統領を務めた。その次に北西部地域出身でハウサ=フラニ人のウマル・ヤラドゥア(Umaru Yar’Adua)が大統領に就任したが、彼は2009年に重病に伏し、2010年に死亡した。これに伴い当時副大統領であった南南部地域出身でイジョ人のジョナサンが大統領代行に就任し、さらに2011年の大統領選挙にも出馬し勝利したことで、2015年までで通算約6年間大統領を歴任した。つまり民政移管後2年間を北部出身者が、14年間を南部出身者が大統領を務めていたことになる。さらに2011年の選挙前後には、PDPの北部出身の政治家がジョナサンに反対し、相次いで離党を表明して野党に加わった。以上のような状況を踏まえれば、2015年にジョナサンが再選を目指そうにも、北部の支持を取りつけることは困難だったともいえる。

他方、北西部出身でハウサ=フラニ人のブハリが属するAPCは、主要3政党を中心とする野党がPDPに対抗するために連合して2013年に設立された政党である。彼らは連合することで、2011年の国政選挙の時と異なり、全国規模でのより広範な支持基盤を確保できるようになった。実際のところブハリは2015年の選挙において、副大統領候補を南西部地域出身のヨルバ人であるイェミ・オシンバジョ(Yemi Osinbajo)とすることで、人口の多い南西部地域のヨルバ人を中心とする人びとからもAPCの支持を得られ易いよう配慮した 5 。結果としてブハリは北部と南西部地域の多くの州で勝利を収めた。地域的なバランスを考慮した政治の実践という観点から見た場合、ブハリの方に分があったのは確かであろう。
3. 山積する政策課題
ジョナサン敗北の背景には加えて貧困解消や格差の是正、教育や医療に関する—特に女性や子どもへの—福祉サービスの提供、インフラ整備(特に電気)、安全保障(特にボコハラム)対策、汚職蔓延の阻止などの山積する政策課題に対して有効な手立てが取られなかったことが挙げられる。とりわけ最重要課題の1つであるボコハラム対策については、選挙期間を通じて、南部出身のジョナサンよりも、北部出身のブハリの方がより優れた対処が可能だとする期待感は大いに高まっていた。

また、他にもメディアを賑わせた課題として汚職をめぐる問題がある。もちろんナイジェリアにおける汚職はジョナサンだけではなく長きに渡る問題だが、ジョナサンの場合に支持率低迷に繋がったと思われる汚職事件は以下の2つであろう。1点目はナイジェリア国営石油公社により2012年1月~2013年7月の間に国庫に送金されるはずであった約200億ドルの資金が行方不明になったことである。これは2014年2月、ナイジェリア中央銀行総裁であったラミド・サヌシ(Lamido Sanusi)による指摘で発覚した。この指摘が故にサヌシはジョナサンに総裁を解任させられ、その結果ジョナサン政権に対する、特に投資家の反発を買った。2点目は2010〜12年頃における石油補助金のうち60億ドルが横領されたことである。これは2012年4月の下院調査委員会による指摘で発覚し、特に一般の人びとの反感を買った。というのも同年1月に財務大臣のンゴジ・オコンジョ・イウェアラ(Ngozi Okonjo-Iweala) 6 主導の下で石油補助金の大規模な引き下げが行われ、ガソリン価格が高騰し、全国規模での大規模なゼネストが起こったのである。人びとは、自身の生活に直結するガソリン価格を上げる前に、そもそも政治家の汚職対策をする方が先ではないかという不満を抱えることとなった。
おわりに:ブハリ次期大統領が抱える課題
以上の政治的課題は、これから政権を運営するブハリにとっても今後対処すべき課題である。なかでも特筆すべき問題は、今回の大統領選挙において、南東部地域の各州では全てジョナサンが勝利したという点である。そもそもジョナサンは南南部地域出身であり、またPDPは南東部地域に強い支持基盤を持っていた。それに対してブハリは北部出身であり、またオシンバジョは南西部地域出身である。このことから、今回の選挙でブハリが勝利した場合、南東部地域の人びとが、これまで以上にナイジェリア国内政治から見放されることを恐れたと考えられる。過去を振り返ってみても、1967~70年のビアフラ戦争以降、ブハリが軍事政権のトップにいた1983〜85年を含め、南東部地域の人びとは連邦政府に冷遇され、特に石油採掘地域の人びとは今もなお深刻な環境汚染と貧困に苦しんでいる。一部の人びとは武装蜂起も含め政府に抗戦してきたが、北部出身のヤラドゥア大統領時には武装勢力に対する弾圧が行われ、そこでは数多くの一般の市民が巻き込まれた。ブハリはそもそも2002年以降、イスラーム教徒はイスラームの候補者に投票すべきであると述べ、民族・宗教・地域の差異を政治的に利用する傾向がかなり強い。今回の選挙において南東部地域の人びとから明らかな不支持が表明されたことに対して、ブハリがいかに政治的な配慮に努めるのか、注視する必要がある。

加えてジョナサンが積み残した厖大な政策課題に対する取り組みも重要である。先述したボコハラム対策に加えて、2014年末から続く原油価格の下落への対処を含む経済対策は重要である。これについては、イウェアラ財務大臣が2004年から余剰原油口座を創設していたことで今のところ助けられている。しかしこれに加えて通貨ナイラ(Naira)下落やインフレも起こっている。こうした問題に対して、軍事政権のトップの座にいた1983〜85年の間に「失敗」と評される経済政策を行ったブハリが、いかなる対策を実行し得るのか。GDPアフリカ第1位のナイジェリアが、国内の凄まじい経済格差を是正させながら、いかに経済的な発展を遂げることができるのか、国内外からの注目が集まる重要な課題である。

(たまい・たかし/立命館大学生存学研究センター)
脚 注
  1. 本稿ではナイジェリア新聞各紙、特に VanguardPunchSahara ReportersThe Guardian とBBCの報道を参照した。
  2. ナイジェリアは36の州と連邦首都准州から成るが、植民地期から現在に至るまで、地域・民族・宗教の相違に応じた地理的な区分が政治的に問題となった。例えばヨルバ人の多い南西部、イボ人の多い南東部、ハウサ=フラニ人の多い北部という区分、あるいはキリスト教徒の多い南部、イスラーム教徒の多い北部という区分がある。これらの区分を踏まえ民政移管後は、南東部、南南部、南西部、北東部、北央部、北西部の6つの地域区分が用いられることが多い。本稿において南部と言及した場合は南東部、南南部、南西部地域を指し、北部と言及した場合は北東部、北央部、北西部地域を指す。
  3. さらに3月28日の投票では、投票所で永久選挙カードを端末で読み込むことができないというトラブルが全国各地で多発した。その結果、一部の投票所において選挙開始時間が大幅に遅れ、また、その一部で29日まで選挙が延期された。
  4. このことだけが政権交代を「平和」に行うことができた理由ではない。例えば選挙実施前に、大統領候補者が争いを助長しないことを共同で公約した。またケリー米国国務長官が1月末にナイジェリアを訪れ、ジョナサン、ブハリ両候補者に直接会い、争いの無い「平和」な選挙を呼びかけた。また市民もやはり「平和」な選挙を求めるデモ行進を度々行ったことは見逃せない。「平和」な政権交代が実現したのはなぜかという問いは、ジョナサンの今後の動向も注視しながら分析されるべき重要な課題である。
  5. 南西部地域に関しては、選挙直前になってPDPの有力政治家であるオバサンジョが、突如ジョナサンを支持しないとして離党を表明したことも、南西部の多くの州がAPC支持となった要素である。
  6. サヌシとイウェアラはいずれもジョナサン政権の経済政策を支えた重要人物である。サヌシは北西部地域出身のハウサ=フラニ人であり、中央銀行総裁を退いた後、ムハンマド・サヌシ2世としてカノのエミールに即位している。イウェアラは南南部地域出身のイボ人であり、ハーバード大学で修士号を、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得したほか、世界銀行の専務理事と副総裁を務めた異色の経歴を持つ。