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論 考: 革命後チュニジアの政治的不安定

アフリカレポート

No.51

PDFpdf (1.20MB) (2014年7月7日に正誤表第2版付きPDFを公開しました)

論 考: 革命後チュニジアの政治的不安定
最新刊 ■ 論 考: 革命後チュニジアの政治的不安定
渡邊 祥子
■ 『アフリカレポート』2013年 No.51、pp.63-78
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要 約
アラブ革命の震源地となったチュニジアでは、2011年1月の政変によってベン・アリー体制が崩壊したのち、イスラーム政党「ナフダ運動」を中心とする新連立政権が誕生した。しかし、ナフダ政権はその後閣僚の辞任、野党政治家の暗殺、サラフィー主義の台頭などの問題に見舞われ、早くも危機に直面している。 ナフダ政権の不安定は、よく言われるような、「世俗主義」対「イスラーム主義」の対立が政治と社会を二分する状況に起因するというよりは、チュニジアにおける政党政治の成熟度と関わっている。すなわち、反体制の社会運動として始まり、30年の非合法活動を経て、革命によって一躍与党となったナフダの背景を考慮した時、同党の不安定性は、新興民主主義国の政党に特有の問題として浮かび上がってくる。本論では、ナフダのどのような特性が政権不安定へとつながっているのかを指摘し、構造上の問題が政策決定上の障害として表れた事例として、2013年2月のジバーリー首相辞任の過程を分析する。




はじめに
2011年1月14日のベン・アリー(Zayn al- ‘Ābidīn ibn ‘Alī)大統領の亡命とともに、「アラブ革命」の先頭に立ったチュニジアが、政治的不安定にあえいでいる。2つの臨時政府を経て、2011年10月23日にチュニジア史上最も公正な国政選挙が行われた結果、217名の議員から成る制憲議会が成立した。この選挙で89議席、得票率にして37%を獲得し、第1党となったイスラーム政党「ナフダ運動(Ḥarakat al-nahḍa、以下ナフダ)」は、第2党の「共和国のための会議(Congrès pour la république: CPR)」(29議席、得票率9%)と、第4党の「労働と自由のための民主フォーラム(al-Takattul al-dīmuqrāṭī min ajl al- ‘amal wa al-ḥurrīyāt、以下タカットル)」(20議席、得票率7%)と連立を組み、2011年12月に三頭制(トロイカ)と呼ばれる政権を実現した1。議席の数と内部結束の強さからナフダが与党3党のうち圧倒的な優位に立っているものの、3党の政治家が3つの重要な政治ポストに就任したことで、均衡が実現したように見えた。すなわち、ナフダからハンマーディー・ジバーリー(Ḥammādī al-Jibālī)が首相となり、CPRからはムンスィフ・マルズーキー(al-Munṣif al-Marzūqī)が大統領に任命され、タカットル代表のムスタファー・ベン・ジャアファル(Muṣṭafā ibn Ja ‘far)が、制憲議会の議長に選出されたのである[Ben Yahmed 2012]。

しかし、その後トロイカ政権は、政権内の意見不一致を背景にした閣僚の辞任に悩まされている。2012年6月30日には、首相付き国務大臣(行政改革担当)であったムハンマド・アッブー(Muḥammad ‘Abbū、CPR)が、権限不足と内閣内の意見不一致を理由に辞任した。さらに、7月27日には、財務大臣フサイン・ディーマースィー(Ḥusayn al-Dīmāsī、無所属)が、やはり閣内意見不一致を理由に辞任した。ディーマースィーは辞任の理由として、直前の7月18日に中央銀行総裁が更迭された際、人事に関する相談を受けなかったことに対する不満のほか、閣僚たちが国家予算を次期選挙のための対策に費やすような政策に走っていることを挙げ、後者の例として、旧政治犯(その多くはイスラーム主義者)に対する賠償案を、国の経済状況を無視した集票行為であると批判した2。革命後のチュニジアは国際収支の悪化、海外からの投資の減少などの問題に苦しんでいる(図1図2を参照)。こうした中で、閣僚の辞任、特に財務大臣の長期不在3は、チュニジアの対外イメージに少なからず打撃を与えた。さらに、2013年2月6日に左派政党指導者のシュクリー・ベルイード(Shukrī Bil ‘īd)4が自宅近くで暗殺される事件が起こり、政治的暴力の蔓延に対し適切な対策を取ってこなかったとされたナフダへの批判が集中した。新内閣の組閣を呼びかけたものの、受け入れられなかったジバーリー首相は、2月19日に辞任した。その後、3党連立を基本としつつも、重要ポストにより多くの無所属閣僚を任命したアリー・ラライイド(‘Alī al-‘Urayyiḍ)内閣が任命された。しかし、同年7月25日に2件目の政治的暗殺事件であるムハンマド・ブラーフミー(Muḥammad Brāhmī)暗殺事件が起こったことで、ラライイド内閣の無所属閣僚の1人である教育大臣のサーリム・ラブヤド(Sālim al-Abyaḍ)が辞任を表明した5

なぜこのような不安定性が生じているのだろうか。ベルイードやブラーフミーの暗殺事件がいわゆるサラフィー主義者6によるものとされていることから、イスラーム主義と世俗主義のイデオロギー対立を背景に挙げる報道が多いが、政権の構造そのものにある不安定要因を取り上げた論考は少ない。そこで、本論考では、トロイカ政権の直面する課題と政党政治の現状を概観したうえで、サラフィー主義台頭や政治的暴力などの問題に対する政策の不十分さが、トロイカ政権が抱える構造的問題によって生じていることを述べ(第1節)、特に政権の中心であるナフダに注目しながら不安定性を生み出す諸要因を指摘する(第2節)。最後に第3節では、第2節で述べた構造が政策決定上の障害として現れた事例として、2013年2月のジバーリー首相辞任に至る政治過程を取り上げ、分析を行う。



図1 チュニジアの国際収支(1994~2012年)
 (単位:100万チュニジア・ディーナール)

図1 チュニジアの国際収支(1994~2012年)
(出所)CBT [2013a; 2013b]より筆者作成。2012年の数値は最初の4カ月間のもの。

図2 チュニジアへの直接投資(1994~2012年)  (単位:100万チュニジア・ディーナール)
図2 チュニジアへの直接投資(1994~2012年)
(出所)CBT [2013a; 2013b]より筆者作成。2012年の数値は最初の4カ月間のもの。

1.トロイカ政権の課題と政党政治の現状
トロイカ政権の課題は、制憲議会による新憲法制定(2013年6月1日に最終草案が完成し、同14日に起草委員会の報告が行われたが、7月25日のブラーフミー暗殺事件以降、制憲議会での審議は中断している)と選挙(大統領、国政、地方選挙)の実施、新政権へのすみやかな権力移行である。このほかにも、前政権から引き継いだ問題である失業対策、地域格差の是正、腐敗・汚職の追放、革命後に悪化した経済状況の立て直しなど、数多くの政治・経済問題への取り組みが待たれている。相次ぐ閣僚の辞職は、このような課題に政権が安定した姿勢で取り組むための大きな障害となっている。

政党の激しい再編成による議会政治の混乱も、政治的不安定性の一要因である。制憲議会選挙後に数々の新政党が結成され、36%の議員が所属政党を変えた結果、制憲議会の構成は大きく様変わりした7。議会内党派(ブロック)のうち、当初の当選議員がそのままブロックを形成しているのは第1勢力の「ナフダブロック」(89名)のみである。第2勢力の「民主主義ブロック」(35名)は、「進歩民主党(Parti démocrate progressiste: PDP)」(制憲議会選挙では16議席、4%の票を獲得)の一部議員を中心に、中道左派政党・グループの議員で構成されている。与党のCPRとタカットルは多くの党員がブロックから離脱したため、他党や無所属の議員も合わせて、ブロックとしてはそれぞれ15名、12名の勢力にすぎない。「自由と尊厳ブロック」(10名)は、制憲議会選挙ではタカットルをしのぐ第3党となっていた「自由・公正・発展のための民衆請願(al- ‘Arīḍa al-sha‘bīya li al-ḥurrīya wa al- ‘adāla wa al-tanmiya)」(26議席、得票率7%)が分裂後、同党からの離脱者が中心となって作ったものである8

このように、トロイカ政権成立後のチュニジアの政党政治は、ナフダを例外として、分裂と新党結成が繰り返される混乱状態にある。選挙後に成立した政党としては、2011年11~12月の臨時内閣の首相を務めたベージー・カーイド・セブスィー(al-Bājī Qā’id al-Sabsī)が2012年6月に設立し、旧政権のテクノクラートらを集めた「チュニジアの呼びかけ(Nidā’ al-Tūnis: Nida Tunis)」が有力な反ナフダ勢力と見なされている。「チュニジアの呼びかけ」は、中道左派の政党とともに、反ナフダの政治連合「チュニジアのための連合(Union pour la Tunisie: UT)」を形成している。最左翼には、共産主義、社会主義、アラブ・ナショナリスト諸政党の政治連合である「人民戦線(Front populaire: FP)」9がある。人民戦線は、議員数8名と少数派ながら、チュニジアの社会運動において並はずれた動員力を持つ「チュニジア労働総同盟(Union générale tunisienne du travail: UGTT)」を支持基盤としており、鋭い政府批判と、その社会的影響力から無視できない勢力となっている10。大まかに言って、今日(2013年8月)のチュニジア政治の3大勢力は、ナフダを中心に3与党から成るトロイカ政権、「チュニジアのための連合」に代表される反政権・中道勢力連合、「人民戦線」が代表する左翼連合である(図3参照)。


図3 チュニジアの主な合法政党と政治連合
図3 チュニジアの主な合法政党と政治連合
(出所)各種報道より筆者作成。 (注)点線は政治連合、政党略称下の数字は創設年、カタカナは指導者名。政党の略称については、付表を参照。

付表 政党略称(アルファベット順)
付表 政党略称

「チュニジアの呼びかけ」や人民戦線の批判は、政治的暴力の蔓延に対するトロイカ政権の無力に向けられている。例えば、武装民兵集団「革命防衛団(al-Rābiṭa al-waṭanīya li ḥimāyat al-thawra)」による「チュニジアの呼びかけ」党集会への攻撃により同党員1人が死亡した事件(2012年10月)、やはり革命防衛団によるとされたUGTT本部前集会の襲撃事件(2012年12月)11において、革命防衛団がナフダの支持者を中心とした勢力と見なされていることから、ナフダ批判が起こった。さらに、前述のベルイード暗殺事件においては、ベルイードが総書記を務めていた人民戦線が政治的暴力に対するトロイカ政権の責任を指摘した12ほか、国際NGOからもチュニジアの政権、司法、警察の中立性に対する懸念の声が上がった13。これらに加え、チュニス近郊の都市マルサーで行われた美術展の展示物がイスラームの教えに反するとされ破壊された事件(2012年6月)、アメリカで撮られた「イスラーム冒涜映画」14に抗議する米大使館・アメリカンスクール前のデモと治安当局の衝突により死者4名を出した事件(2012年9月)、サラフィー主義集団「アンサール・シャリーア(Anṣār al-sharī ‘a)」のカイラワーンにおける全体集会が、これを禁止する政府の警告にもかかわらず決行され、治安部隊と衝突した事件(2013年5月)、アルジェリアとの国境部のシャアーンビー山脈において、イスラーム主義武装勢力によると見られる地雷の爆発事件や、軍とイスラーム主義武装勢力との戦闘が相次ぎ、10人以上の軍人が死亡している事件(2013年5~7月)など、サラフィー主義者による暴力事件の増加15 に有効な対策を打ち出せないトロイカ政権に非難が集まっている。

政権内の緊張と閣僚辞任、与野党間の対立、社会におけるサラフィー主義者の暴力という、レベルを異にする諸問題は、しかし、ともにナフダの組織構造上の不安定の問題とつながっている。すなわち、政党組織としては未成熟状態にあるナフダが、党と支持者の利益上の紐帯(パトロン・クライアント関係)形成を、社会的・経済的課題に対する実効的な政策の施行よりも優先していることが、一方で他の政党・グループの不満と離反につながり、他方でサラフィー主義者などの台頭と社会不安を生んでいるのである。次節では、ナフダが抱える構造的問題を指摘し、現政権の不安定性の原因を解き明かしてみたい。


2.ナフダの構造的問題
1989年の創設以来、非合法団体でありつづけたナフダが政党として認可されたのは2011年3月であり、2011年1月の政変から数えても10月の制憲議会選挙まで9カ月ほどしかなかった。この短期間のうちに、ベン・アリー政権による弾圧から逃れ、長らくイギリスに亡命していたナフダの著名な指導者、ラーシド・ガンヌーシー(Rāshid al-Ghannūshī)の20年ぶりの帰国、恩赦法16による活動家の釈放、合法政党としての組織再建が行われた。ナフダには1989年の国政選挙の際に唯一の選挙参加経験があるが、この時も政党としては認可されず、活動家は無所属候補として参加することを強いられ、しかも不正選挙のために1人の当選者も出なかった[Sadiki 2002]。革命以前から合法的に認可され、野党として活動してきた進歩民主党(1981年に「進歩的社会主義者連合-Rassemblement socialiste progressiste: RSP」として創設、1988年に認可。2001年に進歩民主党と改称。革命後の2012年に「共和党(Parti républicain: PR)」に統合された)やタカットル(2002年創設、2008年認可)、90年代から野党第1党として議員を輩出していた「社会民主主義運動(Mouvement des démocrates socialistes: MDS)」(1978年創設、1983年認可)などの政党と比べ、ナフダは選挙、議会活動において未経験であり、合法政党としての組織形成自体が初めてである。こうした状況のため、ナフダの組織はいわばにわかづくりである。

クライエンタリズムと政党戦略に関するキッチェルトとウィルキンソンの研究によると、権威主義体制下でも民主主義体制においても、政党はクライアントに対する利益分配に基づくクライエンタリズム政治か、政策に基づくプログラム政治、あるいは両者の組み合わせを通じて集票を行うが、資源配分の実現に十分な組織的インフラストラクチャーを欠いてはクライエンタリズム政党になることはできず、それよりもコストが低いプログラム政治のためにも、政党の共通プログラムの練り上げのためにはある程度の組織力が必要である。従って、政党が歴史的に練り上げられた組織力を有していない民主主義の初期段階においては、政治家たちは完成された組織的インフラストラクチャーを利用できないため、クライエンタリズム政党もプログラム政党もすぐには現れることがなく、投票は過去の短期的な業績評価または個人的資質(「カリスマ」)に左右される[Kitschelt and Wilkinson 2007, 24]。

チュニジア革命後のナフダは、まさしく民主主義初期の段階特有の困難に直面している。すなわち、一方で、時間と費用をかけてその組織を充実させ、そのクライエンタリズム政治を有効に機能させようとしているが、この方針が政権内のナフダ以外の政治家の離反を生んでいる。さらに、図1図2が示す経済状況、図4図5が示す汚職に対する国民の認識に明らかなとおり、ナフダの「短期的な業績評価」は芳しくない。残る可能性はカリスマによる集票だが、思想家として高名なガンヌーシーは、確かに大衆的な人気を誇っている。しかしながら、公的ポストに就いていないガンヌーシーがナフダ代表として政策決定にたびたび影響を及ぼすという、ナフダの構造に起因する例外的な状況を危険視する人々がいることから、ガンヌーシー人気が政党の集票にはつながらない可能性がある。以下ではナフダの抱える諸問題を、①政党組織、②社会的基盤、③政権の置かれている制度的状況、に整理して指摘する。


図4 過去2年間において腐敗/汚職の程度はどう変わりましたか?
図4 過去2年間において腐敗/汚職の程度はどう変わりましたか?
(出所)TI[2013]より筆者作成。 (注)チュニジア人1000人に対するアンケート結果。

図5 現政府は、どの程度自分たちの利益しか考えていないと思いますか?
図5 現政府は、どの程度自分たちの利益しか考えていないと思いますか?
(出所)TI[2013]より筆者作成。
(注)チュニジア人1000人に対するアンケート結果。

(1)政党組織
ナフダの第1の問題は、イスラーム運動組織と政党組織が区別されていないことである。エジプトのムスリム同胞団系「公正自由党」などのいわゆるイスラーム政党は、母体となったイスラーム運動体と政党とが、組織上別の団体として立ち上げられている場合が多い。これに対し、ナフダは社会運動組織がそのまま政党を兼ねている形態である。現在のナフダは、選挙で選ばれる代表、党員150名で構成されるシューラー議会(「シューラー」はアラビア語で「協議」の意味)の2つの常設決定機関があり、執行機関として執行部が任命され、民主的な分権体制を形作っている17。トロイカ体制成立時に首相に任命されたジバーリーは執行部の長(al-amīn al‘āmm)という地位にあり、これは総書記(Secretary General)と訳されることもあるが、「党首」に該当するのは彼ではなく、代表(al-ra’īs)の地位にあるガンヌーシーである。ガンヌーシーはナフダの精神的指導者として大きな影響力を持っているが、何らの公的な役職にも就いていない。

他地域のイスラーム政党に関する研究がすでに指摘しているように、イスラーム運動体が非合法組織や野党という立場にとどまらず、合法政党として選挙に参加し、議員や閣僚を輩出して政策決定過程に参加するようになった場合、イスラーム政党の政治行動は、母体であるイスラーム運動の意向だけでなく、他政党との関係や、体制の構造、選挙戦略に影響される。その結果、イスラーム政党の権力への接近に伴って、イスラーム政党の政策的方向性と、母体であるイスラーム運動組織のそれとの間に乖離が生じる現象がしばしば見られる[Schwedler 2006, 95-96; Wegner 2011, xxxix-xli, 32-71; Wickham 2004, 207]。社会運動と政党組織が分離されていないナフダの場合も、閣僚として他の連立与党とともに政策決定に携わる党員と、それ以外の党員との間には、政治行動を規定する条件に差異が生じている。この差異は、ナフダ内部の理念派と対外協調派の対立として表れている(次段落を参照)。この内部対立が、ジバーリーのテクノクラート内閣提案(2013年2月)が多くの与野党の支持を得たにもかかわらず、ナフダがこれを拒否するという事態を引き起こすことになった。

第2の問題は、組織内部における対外協調派と理念派の緊張があり、さらに、末端レベルの活動が中央(代表、執行部、シューラー議会)によって統制されていない事実である。ジバーリーや、ガンヌーシーとともにナフダの前身MTI(注1を参照)の創設者の1人であり、ナフダの副代表でもあるアブドゥルファッターフ・ムールー(‘Abd al-Fattāḥ Mūrū)といった対外協調派(政権全体の利益を優先する現実路線を取る)は、サーディク・シュールー(al-Ṣādiq Shūrū)、ハビーブ・ルーズ(al-Ḥabīb al-Lūz)などの理念派(シャリーアの実現などのイデオロギーの保全を重視するサラフィー主義に近い立場)と対立関係にある18。代表のガンヌーシーは、発言内容は対外協調派に近いが、ジバーリー辞任の際に見られたように、理念派としばしば行動をともにしている。末端の活動についていえば、制憲議会選挙において、ナフダの活発なローカルなネットワークが集票に有利に働いた[Gana, Van Hamme and Ben Rebah 2012, 16]反面、活動が中央集権化されておらず、末端において革命防衛団のような民兵組織とのつながりや、サラフィー主義者との協同関係が指摘されている[ICG 2013, 38-39]。2013年5月のカイラワーンでの集会禁止の際、アンサール・シャリーアとナフダのラライイド内相(当時)は、互いに厳しい批判の言葉を投げ合った19が、指導部の意向はどうあれ、末端のレベルでは両者の活動が依然として未分化なのである。

対外協調派が理念派を抑えられず、中央が末端を統制しきれない状況は、政党としてのナフダの統率の取れた行動を阻害している。


(2)社会的基盤
2011年10月の制憲議会選挙は、ナフダが特定の地域や社会階層を基盤としておらず、都市部でも農村でも票を集めており、かつかなり広い社会層の支持を得ていることを明らかにした[岩崎 2012; Gana, Van Hamme and Ben Rebah 2012]。革命時の大衆蜂起が最も激しかった(死者が多かった)地域であり、チュニジアで最も貧しい地域に当たるスィーディー・ブーズィード県出身の実業家が創設した「自由・公正・発展のための民衆請願」(注8を参照)は、スィーディー・ブーズィードや近隣のカスリーン県などを中心にした選挙キャンペーンを行い、公共交通の無償化などの具体的な公約を打ち出して人気を得た点で、特定の地方的基盤と支持層を持った政党と言える。CPRも、党首マルズーキーの家族の故郷であるケビリー県で得票率が高かった。これらの例に対して、ナフダの得票には地域的な偏りがなかった20。社会層においては、ナフダの得票は、都市部では富裕な地区より庶民的地区ないし混合地区で支持が厚い傾向にあった。CPR、タカットルが大都市の富裕な人々が住む地区から票を得ている事実と対照的である。

合法的な政治活動の経験が全くないナフダは、制憲議会選挙で第1党となったことで、非常に広い地域と社会層を支持基盤として意識せざるを得ないことになった。それゆえ、トロイカ政権成立後のナフダが取った方向性は、イスラーム主義者を中心とする旧体制による犠牲者—地域や社会階層は様々—の支持を意識したポピュリズム政治であった。これは例えば、ナフダの党員を知事に任命することや21、2011年の恩赦法の対象となった旧政治犯の圧力団体に対して国家的な補償の実施を約束する22、といった形で表れた。これらはいずれも、ナフダによる不正・汚職として他党の閣僚や政治家からの批判を受け、ディーマースィー財相辞任の理由にもなった。支持者からの期待や圧力に応えた資源配分を行うことは、経済状況が厳しく国家資源が目減りしつつある革命後の状況においては、かえってナフダの政策に対する反発を生む結果につながっている。現に、不正・汚職は国民にも広く認識されている。国際NGOのトランスパレンシー・インターナショナルが2012年9月~2013年3月に実施した調査結果では、チュニジア人回答者の66%が政党は「非常に腐敗している」、ないし「腐敗している」と答えており[TI 2013]、79%が過去2年間において腐敗・汚職が「非常に増えた」、または「少し増えた」と回答している(図4参照)。現政府が自分たちの利益しか考えていないと考えるかどうかという質問に対しては、76%が「完全に利己的」、「かなり利己的」、「いくらか利己的」と回答した(図5参照)。

このように、ナフダは特定の社会層を意識したプログラム政党となるには支持社会層・地域が広すぎるが、クライエンタリズム政党になろうとすると、連立政権ゆえに政権内部から離反を生み、さらに腐敗に批判的な国民の支持も失うというジレンマを抱えている。


(3)政権全体の構造
トロイカ政権は連立政権であるゆえ、ナフダの政策は他の連立与党との関係にも左右される。前述のとおりCPRとタカットルは分裂によって勢力を半減させてしまっている。また、ナフダの突出に対する2党の反発は強く、ナフダ出身の閣僚を削減して与党間の勢力バランスを再調整する内閣改造を2党から要求されたことが、2013年2月の政権内部の緊張につながった(第3節参照)。

先に述べたとおり、イスラーム主義政党であるナフダと、中道左派の2党が連立している事実は、ナフダ内部の理念派が志向するような「シャリーアの実現」といったイデオロギー色の強いイスラーム主義を実行に移すためには、障害となりうる。しかしながら、このことが政権内部で大きな争いの原因になったことはほとんどなく23、争点になっているのはむしろ権力分有の問題である。

与党3党の間の緊張は、トロイカ政権の外部に、3党を結束させるような大きな脅威がないことも関係している。この点は、軍が政界外部から大きな影響力を行使しているエジプトの状況と異なる。第1節で述べたとおり、主要な野党勢力に左派連合の人民戦線、反ナフダ連合の「チュニジアのための連合」があるが、いずれもトロイカ政権にただちに取って代わるような圧倒的な影響力は持っていない。むしろ、一部の野党に対するトロイカ政権の排他的な姿勢が、批判の的となっている。例えば、ナフダとCPRが中心となって2012年11月に提出された「革命保護法案」は、旧体制の与党であった「立憲民主連合(Rassemblement constitutionnel démocratique: RCD)」の党員を一律に政界から排除するものであり、旧RCD党員を含む「チュニジアの呼びかけ」が反対しているほか、特定の政治勢力の法による排除という手続きの非民主性を国際NGOに指摘されている[HRW 2013]。

上に挙げた3つの状況が、ナフダの党としての政策決定を困難なものにしている。クライエンタリズム政治とプログラム政治の2つの政党戦略のうち、ナフダの政策はクライエンタリズム政治に傾きながら、その利点を活用できていない。支持者や圧力団体の歓心を買うべく政策を行っても彼らを満足させられず、かえってテクノクラート官僚や国民から汚職の批判を浴び、支持を低下させてしまっているからである。政府の社会・経済政策上の業績は悪く、国民は失望している。

次節に述べるジバーリーの辞任プロセスにおいて議論になった「テクノクラート内閣」案は、こうした状況を打破するための代替案だった。次節では、本節で述べたナフダの党政策決定の3レベルの障害を踏まえたうえで、ジバーリー案が頓挫した原因を分析する。


3.ジバーリー辞任の過程
2013年2月のジバーリーによる「テクノクラート内閣」の提案と、この提案が頓挫したことによる引責辞任は、上述のとおり、2月6日のベルイード暗殺事件をきっかけに、ナフダが国内外から非難されたことが直接の引き金となった。しかしながら、ジバーリーの内閣改造案は、それ以前から存在した、ナフダ以外の与党2党による政権内パワー・バランス是正要求に原型があり、暗殺事件後は、ナフダとトロイカ政権が党派主義そのものを捨て去る決意を見せることで、与野党からの支持の再取り付けを試みる意図が新たに加わった。ジバーリー案の失敗は与野党から一度得た支持を離反させてしまったがゆえに、トロイカ政権の安定性にとってネガティブな影響を与えた。以下では、報道24を基にジバーリー辞任のプロセスを再確認することで、この主張を実証する。

そもそも、ナフダの閣僚(26大臣中14人)を減らす形での内閣改造の要求は、ベルイード暗殺事件以前から他の与党2党によって提起されてきた。2013年1月には、野党を新たに政権に参加させて連立を拡大する交渉もなされていたが、この交渉は失敗に終わる[BBC-MME 2013a; 2013b]。ジバーリー首相はこの時から内閣改造に意欲を示していたらしく、2月1日には、同じナフダの首相府付き国務大臣のルトフィー・ザイトゥーン(Luṭfī Zaytūn)がジバーリーの推し進める内閣改造に抗議し、辞任した[BBC-MME 2013c]。ナフダ内部の反対のため、ジバーリーは内閣改造に慎重にならざるを得なかった[BBC-MME 2013f]。ナフダの反応が悪かったことに業を煮やしたCPRは、2月3日に、ナフダ所属の外相と法相が1週間以内に辞任しなければCPRは連立を脱退すると、最後通牒を突きつけた[BBC-MME 2013d]。

ベルイード暗殺が起こったのはこの3日後の2月6日である。つまり、暗殺と同日に行われたジバーリーの「テクノクラート内閣」組閣の呼びかけは、ベルイード暗殺以前にもあった内閣改造案を、政権に対する批判が強まったタイミングで再提起したものだった。ジバーリー案の目的は、党派主義を乗り越えた挙国一致内閣の樹立であった。

その後数日をかけて、ジバーリーは野党と与党の一部から支持を取り付けた。CPRは11日に連立脱退の「凍結」を表明[Reuters News 2013; BBC-MME 2013g]、翌12日には、タカットルがジバーリー案に支持を表明した[BBC-MME 2013h]。「チュニジアの呼びかけ」、共和党、「社会民主主義の道(al-Masār al- dīmuqrāṭī al-ijtimā‘ī: Masar)」ほかの野党も交渉を通じ支持を表明した25。しかしながら、最も強固な反対がナフダ内部から現れた。ジバーリーの提案はその日(2月6日)のうちに党執行部に拒否され[Maḥjūb 2013]、15日付のナフダ機関誌『ファジュル(al-Fajr)』は、ジバーリー案を「選挙結果の合法性を覆す行為(inqilāb ‘alā shar ‘īyat al-ṣandūq)」と批判した26。その後、16日から17日にかけ、ナフダのシューラー議会による検討の結果、ジバーリー案は正式に却下された27。代表のガンヌーシーは16日に、数千人の支持者を集めたデモをチュニスで行い、選挙で選出された政府の正当性を強調し、ジバーリー案を否定した[BBC-MME 2013l]。これに対し、ジバーリーはぎりぎりまで諸政党との交渉を続けるが、ナフダの拒否が主因となって19日についに辞任を発表する。ナフダ内でジバーリー案に理解を示した活動家にムールーがいたが[BBC-MME 2013k; 2013m]、ムールーはクライエンタリズム政治よりも経済・社会政策における業績を優先すべきとする少数派であり、党内政治において孤立していた28

ジバーリー辞任後任命されたラライイド首相は、ジバーリー案に反対したナフダ幹部の1人と見られており、人民戦線などの野党の支持を取り付けることができなかった[BBC-MME 2013n]。3月8日に発表されたラライイド新内閣は、ナフダの閣僚を大幅に減らして無所属テクノクラートを新たに入閣させており(表1、表2を参照)、その意味ではジバーリーの主張した「テクノクラート内閣」の方向性に沿ったものと言える。しかしながら、大同団結による危機の乗り越えを訴えたジバーリー案が、現政権の既得権の正当性に対する批判を許さないガンヌーシーら党中枢部から否決されたことから言っても、ナフダ内部の党派主義は一向に克服されていないことは明らかだった。ジバーリーやムールーが示唆した業績重視の志向(ここに、プログラム政党への転換の可能性がある)を実現することに、ナフダは失敗したのである。


表1 ジバーリー内閣(26大臣)とラライイド内閣(25大臣)の所属政党別閣僚数
  ジバーリー内閣 ラライイド内閣(注1) 増減
ナフダ 14 9(0) -5
タカットル 3 1(0) -2
CPR 3 3(0) ±0
無所属 6 12(9) 6
(出所)各種報道より筆者作成。
(注1)首相府付き国務大臣、各省次官を除く。
(注2)カッコ内は閣僚のうち新規入閣者の数。

表2 ジバーリー内閣とラライイド内閣の主要閣僚と所属政党
ポスト ジバーリー内閣 ラライイド内閣
名前 所属政党 名前 所属政党 留/新(注)
首相 ハンマーディー・ジバーリー  ナフダ アリー・ラライイド ナフダ
国防相 アブドゥルカリーム・ズバイディー 無所属 ラシード・サッバーグ 無所属
法相 ヌールッディーン・ブハイリー ナフダ

ナズィール・ベン・アンムー

無所属
内相 アリー・ラライイド  ナフダ ルトフィー・ベン・ジッドゥー 無所属
外相 ラフィーク・アブドゥッサラーム ナフダ ウスマーン・ジャランディー 無所属
(出所)各種報道より筆者作成。
(注)留:前内閣でも閣僚(同一ポストないし別ポスト);新:新規入閣。


結論
制憲議会選挙後から現在(2013年8月)に至るチュニジア政治の不安定性は、第1党であるナフダが、非合法のイスラーム運動から政権与党への転換をうまく実現できていない点に、主な原因があると言っても過言ではない。 首相を辞任したジバーリーだが、党内執行部の長の地位は保持しており、かつ次期大統領選挙に出馬する可能性も指摘されている(ただしナフダの代表としてなのか、個人としての立候補なのか不明)。ジバーリーが大統領に立候補し、選出された場合は、ナフダ内の対外協調派がこれによって活路を見いだす可能性もあるが、その場合にも政党としてのナフダ(閣僚たちを中心とする)と社会運動としてのナフダ(ガンヌーシーがその指導者)が分離されない限り、両者の間に政策をめぐる齟齬が生じる可能性は高い。ナフダが次の選挙で負けた場合、反ナフダの旧体制テクノクラートを集めた「チュニジアの呼びかけ」が与党になる可能性が指摘されており、閣僚の顔ぶれが革命以前に逆戻りしてしまうことも考えられる。組織的問題を克服しつつ、「クライアント」に限らない、有権者全体に向き合った政治への転換を果たせるか否かが、ナフダの次期選挙における勝利を左右しそうだ。
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* 本テキストは、PDF版に添付した正誤表に基づく訂正を施したものである(訂正日:2014年4月15日、2014年7月7日)

(わたなべ・しょうこ/アジア経済研究所)


脚 注

  1. 政党設立はナフダが1981年(「イスラーム志向運動-Mouvement de la tendance islamique: MTI」として設立)、CPRが2001年、タカットルが2002年だが、革命以前に合法化されていたのはタカットル(2008年に認可)のみ[Akacha 2011]。
  2. Cavaillés [2012]。アッブーは当時CPRにいたが、2013年6月に自身の政党「民主主義潮流」を立ち上げた。ディーマースィーは経済学者で、財務大臣辞任後の2012年9月に新党「チュニジアの呼びかけ」(後述)に加わる。
  3. ディーマースィーの辞職後、財務大臣補佐のサリーム・ベスベース(Salīm Basbās)が臨時に財務大臣を務めた。その後、2012年12月19日よりタカットルのイルヤース・ファフファーフ(Ilyās al-Fakhfākh)が現職である。
  4. 学生時代よりチュニジア学生総同盟(UGET)で学生運動に携わる。マルクス主義結社の「民主愛国運動」の指導者を務めるかたわら、弁護士として人権擁護のために活動。チュニジア革命後は新たに「統一民主愛国党(Parti unifié des patriotes démocrates: PUPD)」を設立して党首となり、同党が参加する左派連合「人民戦線」(後述)では総書記を務めた。暗殺時48歳。
  5. PT[2013]。殺されたブラーフミーと同じ政治グループ「進歩愛国主義潮流」に属していたことがラブヤドの辞職の背景にあると見られる。ブラーフミーはナセル主義政党「人民の運動(Mouvement du peuple: MP)」党首。2013年4月に同党は左派連合「人民戦線」に加入したが、暗殺直前の2013年7月に党が分裂して人民戦線を脱退、ブラーフミーはこの時脱党していた。
  6. 現在のチュニジアで「サラフィー主義」とは、ナフダなどの穏健で合法的な活動を志向するイスラーム主義の諸潮流とは一線を画し、シャリーア(イスラーム法)の実現、民主主義やナショナリズムの否定などを思想的特徴とする諸グループを指す。サラフィー主義は世界的な現象でもあり、様々な潮流を内包しているが、行動手段として平和主義を貫く潮流と区別して、武装闘争路線を取る潮流を特に「ジハーディー・サラフィー主義」と呼ぶことがある。アルジェリア、マリなどで活動する「イスラーム的マグリブ諸国のアル=カーイダ」は、ジハーディー・サラフィー主義の集団である。サラフィー主義についてはMeijer [2009]を参照。
  7. 制憲議会ウェブサイト(http://www.anc.tn/site/main/AR/docs/groupes/liste_groupes.jsp)を参照。
  8. 「自由・公正・発展のための民衆請願」は、スィーディー・ブーズィード県出身のイギリス在住青年実業家ムハンマド・ハーシミー・ハーミディー(Muḥammad Hāshimī al-Ḥāmidī)が革命後に創設した政党である。2011年10月の制憲議会選挙においては、公共交通無料化や全ての国民に対する無料医療サービスなどの政策を公約として、スィーディー・ブーズィードなどチュニジア内陸諸県の貧困層を惹きつけ、第3党となった[岩崎2012, 47; Gana, Van Hamme and Ben Rebah 2012]。しかし、ハーミディーの指導姿勢に対する不満から、同年12月に10人の議員がブロックから離脱し、政党としての活動にも困難をきたすようになった[PT 2011]。ハーミディーは2013年4月に同党の解散を宣言し、5月に新政党「同胞愛潮流(Tayyār al-maḥabba)」を創設した。
  9. 2012年10月設立、スポークスマンは「労働者党(Parti des travailleurs: PT)」のハンマ・ハンマーミー(Ḥamma al-Hammāmī)。
  10. チュニジア革命において、UGTT、特にその地方支部がデモやストライキの組織を通じて大衆動員に大きな役割を果たした[Mizouni 2012]。
  11. [PT 2012]。なお、チュニジア革命時には旧体制派の追放を叫ぶ様々なイデオロギー傾向の小グループが、各地で自生的に結成された。革命防衛団は、これらの小グループのうち、特にイスラーム主義色の強いグループを再編成して、制憲議会選挙後の2012年6月に市民団体として結成された[Auffray 2013a]。
  12. 人民戦線を構成する労働者党のハンマーミーは、ベルイードが脅迫を受け、危険な状況に置かれていたにもかかわらず、何らの措置も取らなかった現政権を批判した[BBC-MME 2013e]。ベルイードは、2011年10月にチュニジアの民間テレビ会社「ネスマTV」が反イスラーム的な場面を含む映画を放映したとされ、聖なるものの冒涜と公共秩序撹乱の罪に問われた事件において、弁護士として表現の自由を擁護してネスマTVを弁護していた。この訴訟をめぐっては数百人のサラフィー主義者によるネスマTV本部の襲撃未遂事件や、同局局長自宅への火炎瓶での襲撃事件が起こっており、ネスマTV側を弁護したベルイードはサラフィー主義者に敵視されていた[Auffray 2013b]。
  13. 例えば、AI [2013]。
  14. エジプト出身のコプト教徒監督によってアメリカで2012年に製作された映画「イノセンス・オブ・ムスリム」の予告編がインターネット上に流れ、その内容がイスラームの預言者ムハンマドを侮辱しているとされたことから、2012年9月に中東、東南アジア各地で広範な抗議行動を引き起こした。アメリカ公館などに対する暴力事件も起こり、リビアではサラフィー主義者によるベンガジ領事館への攻撃により、大使を含む外交官4人が死亡した。
  15. サラフィー主義者によるものとされている一連の事件については、若桑[2013]を参照。
  16. 2011年2月19日の大統領令2011 -1号。
  17. ナフダの現行の組織については、ナフダのウェブサイト(http://www.ennahdha.tn)に公開されている「ナフダ運動の基本組織(第9回集会における修正後)」(Niẓām al-asāsī li Ḥarakat al-nahḍa-ba‘da tanfīḥi-hi min al-mu’tamar al-tāsi‘)を参考にした。第9回集会は2012年7月12~16日に行われている。3つの機関の分権から成る組織構造は、90年代のナフダの組織[Tamimi 2001, 74]を基本的な下敷きにしていると考えられる。
  18. シュールー、ルーズについてはICG[2013, 15, 28, 30-34, 37-38]を参照。2人は、ガンヌーシー亡命中はナフダの代表を務めたことのある幹部であり、制憲議会議員である。
  19. 5月19日にカイラワーンで予定されていたアンサール・シャリーアの集会を内務省が禁止したことを受け、同組織の指導者アブー・イヤード(Abū ‘Iyāḍ)は、チュニジアの為政者たちを「邪神ども(al-ṭawāghīt)」(ここでは、イスラームの教えに背く為政者たちの意味)と批判した。集会が強行された結果、アンサール・シャリーアと治安部隊とが各地で衝突、多数の逮捕者が出た。ラライイド内相は集会が非合法であったことを強調し、アンサール・シャリーアの指導者の一部がテロ活動に従事していると批判した[Jazīra.net 2013; Naẓīf 2013]。
  20. ただし、南部諸県の保守性とナフダへの支持の高さとの関連も指摘されている[Gana, Van Hamme and Ben Rebah 2012]。
  21. 前出のアッブーは、ナフダが他の与党に相談せずに党員を知事に任命していると批判している[BBC-MME 2012]。
    2012年にはスィーディー・ブーズィード、シリアナ両県において、2013年にはスース県において、現政権支持者で実務に無能と見なされた知事の更迭を求める労働組合や地元住民の抗議行動が起きた。
  22. 2012年4月ごろから、旧政治犯に対する国の補償を求める制憲議会や首相府前での座り込み運動が断続的に起こった。これに対し、ナフダの議員や閣僚たちは好意的に対応していた[Ahra‘ 2012; Maḥjūb 2012]。補償は、収入の安定しない旧政治犯への生活支援を規定した人権省の省令2799号(2013年7月9日)という形で具体化したが、政治犯や圧力団体はこの措置に満足せず、首相府前での座り込み行動を続けたため、治安部隊が介入した[Khefifi 2013; Mahroug 2013]。
  23. イスラームについての論争はいずれも新憲法をめぐる問題であり、イスラーム法を法源として規定するか否か、また、男女の地位を異なるものと解釈するか否かなどであった[若桑2013; JA2012]。
  24. 主に用いる資料は、ナフダ機関誌『ファジュル(al-Fajr)』と、BBC Monitoring Middle East(BBC-MME)サービスが要約したカタールのアル=ジャズィーラ放送の報道内容である。ジバーリー辞任前後のチュニジアの動きは連日ジャズィーラ放送で報道され、さらに多数の政治家がインタビューに応じた。
  25. このほか野党「労働党(Parti du travail)」、「イニシアチブ党(Ḥizb al-mubādara)」、政治連合「民主主義連合(Alliance démocratique)」(野党「改革と発展党」などを中心に2012年11月に創設)も支持を表明した[BBC-MME 2013i]。BBC-MME [2013j]によると、UGTT、チュニジア人権連盟、弁護士連盟もジバーリー案を支持した。議会内ブロックのうち反対したのはナフダ、2012年にCPR元党首のアブドゥッラウーフ・アヤーディー(‘Abd al-Ra’ūf al-‘Ayādī)が設立した「ワファー運動(Ḥarakat al-wafā’: Wafa)」、「自由と尊厳」の各ブロックであった。
  26. Nāṣir[2013]。inqilābは「クーデタ」の含意がある強いニュアンスの言葉である。
  27. シューラー議会の70%が反対に回ったとの報道もあった[Levinson 2013]。
  28. 後日2013年6月のナフダの設立記念集会の際、ムールーは党内の反対者たちの罵声を浴び、演説を中断させられている[Dami 2013]。