文字サイズ

標準
国・テーマ インデックス
途上国の今を知る

IDEスクエア

海外研究員レポート

スーザン・シュヴェイクの歴史研究が明らかにしてきた「ふつう」の正体
――障害をもたらす「ふつう」とは何だったのか

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050411

2018年6月

1880年代から1970年代にかけて、アメリカのあちこちの都市で「見た目の悪い物乞いたち」が出現したという。彼らを取り締まるために各自治体が制定した法律は後に障害活動家らによって通称「醜陋法」(Ugly Law)と呼ばれることになるが、この対象となった人たちは要するに障害者や病者でもあった。こうした障害者・病者を公衆の面前から見えないようにするために制定されたのが「醜陋法」である。つまり、これは障害者の社会的隔離をもたらした制度の一例ということになる。開発途上国の貧困について語る時に出てくる物乞い、そしてこの物乞いたちの中に必ずといっていいほど存在する障害者を考える時、治療のための医学的隔離だけでなく、この「社会的隔離」の持つ意味を考えることは重要である。

この「醜陋法」に関する研究の転換点となったのが、障害を犯罪扱いする社会という観点から分析を行ったスーザン・シュヴェイク(Susan Schweik)の研究(Schweik 2010)である。米国で最初に制定された「醜陋法」は、1867年サンフランシスコでのものであった。それはカリフォルニアがゴールドラッシュに沸いた時期でもあった。シュヴェイクの研究は、ニューオーリンズやシカゴでも同様の現象と同様の法律がその後に作られたことを歴史資料から明らかにし、その背景を探った。この「醜陋法」の時代は、国連障害者の権利条約の原型ともなった「障害を持つアメリカ人法」(ADA)が彼らに非障害者と同等の市民権を与えたことにより、終わった。

写真:スーザン・シュヴェイク著『醜陋法』表紙

スーザン・シュヴェイク著『醜陋法』表紙

その著者シュベイクの最新の研究についての講演が、カリフォルニア大学バークリー校の彼女の所属する英語学部で行われた。“Unfixed: How the Women of Glenwood Changed American IQ, & Why We Don't Know It”(未だ回復されていないこと:グレンウッドの女性たちはどのようにアメリカのIQを変えたのか、またなぜ私たちはそのことを知らないでいるのか)と題して行われた名誉ある冠講演であるゲイリー講演(Gayley Lecture)は、聴衆で会場のホールが満員になった。今回は、その講演の骨子をシュヴェイク教授の協力と同意を得て紹介する。

カリフォルニアは上記の「醜陋法」でもアメリカの先進地域であったが、アメリカ優生学の研究でも実は先進地域であった。優生学とは、ナチスが行ったドイツ民族の優越性信奉とそれと轍を等しくしたユダヤ人ホロコーストが有名であるが、人には優秀で残すべき遺伝子と劣悪で絶つべき遺伝子とがあるとして遺伝学的に人間を改良すべきであるという考え方が元になった応用科学の一分野である。これを国家が法律の形で定めたものが「優生保護法」で、社会的マイノリティや障害者への強制的な不妊手術や堕胎を合法化していた。1909年の米国優生保護法で不妊手術を受けさせられた人たちの数は、同国全体でこうした手術を受けさせられた人たちの3分の1にも上り、2018年4月初頭に可決されたカリフォルニア州法1190号による被害者への補償では、対象者のほとんどがラテン系の人たちであったという。

シュヴェイクは、1926年にピューリッツァー賞を受賞した4年後にアメリカ人として初のノーベル文学賞受賞作家となったシンクレア・ルイス(Harry Sinclair Lewis)の『ドクター・アロウスミス』(Arrowsmith)を取り上げ、同作品で風刺されているアメリカ医学界の価値観を障害学の立場から再度、批評する。

この導入部のあと、シュヴェイクは、シンクレア・ルイスのこの小説の舞台がアイオワであったことを思い起こし、同じアイオワの著名な児童福祉研究所(CWRS)[注1]の幼い少女の写真を紹介する。ここは、普通の子どもの発達の科学的研究を行う場所であるが、1920年代には、こうした研究所は目新しく、また一方で、子どもの福祉と子どもについての科学との間の境界はさだかではなかった。この写真では、子供用エプロンを着たうつむき加減の少女が大きな測径器で測定をされている。

写真:CWRSの少女の写真が載った講演会ポスター

CWRSの少女の写真が載った講演会ポスター

シュヴェイクが注目するのは、この施設がこうした測定に熱を上げた時代のことである。アメリカの教育心理学のパイオニアとして知られ、知能検査のスタンフォード=ビネー式知能検査の開発で知られるルウィス・ターマン(Lewis Terman)が、人種差別的・優生学的なイデオロギーの騎手として分析の対象となる。このターマンの発言には次のようなものがあるという。

「バカな子守によって治療は成し遂げられ、成果があがった。」

シュヴェイクは問う。そもそもここで言う治療とは何か。「バカな子守」と彼は言っているが、それは一体、何なのか。この嫌悪感や中傷しか感じ取れない、これらの用語に彼女は注目する。

心理学者ジョン・マックヴィッカー・ハント(John McVicker Hunt)は次のような言葉を残している。

「最初の年か2年目の検査から児童個人のIQが18歳の時にどのようなものになるのか予測しようとすることは、まさに暴風雨の中で羽根がどのように落ちるのかを予測しようとするようなものだ。落下物の法則は、特定され、コントロールされた真空の環境下でのみ保たれるものなのだ。」

これは物理学を理想とした科学に心理学を近づけようとする心理学者たちが繰り返し唱えている学問の方法論を批判したものである。つまり、まだ幼い子どもの時点で知能検査をして、その子どもの発達を判定してしまうことに対する皮肉である。落下物の法則はすべてに当てはまるとしても、現実の物の落下には空気抵抗など様々な他の要因が絡むはずだということを言っている。

ある時、アイオワ大学の心理学教授にして同大児童福祉研究所のハロルド・スキールズ(Harold Skeels)が、兵士の孤児を預かる州営の施設で2人の赤子に出会った。その2人に対してスキールズがIQ検査を繰り返し行ったところ、この2人が正常のIQを示すようになったことから、のちに2人は養子として引き取られるに至った。この孤児施設は、正当な支払いがなされないボランティアによって衛生状態の悪いまま運営されていたところである。

これをきっかけに、この施設から14人の子どもたちが次々と最新鋭のセンターであるグレンウッド精神薄弱者収容院(Glenwood Institute for the Feeble-minded)に移され、早期介入教育が子どもたちに与えられた。この収容院の職員は、女性だけに限定され、女性だけで組織化されていたが、このバラックのような収容施設にいたのはジェンダー的に不整合を来したとされた人たちであった。

その一方で、これとの対照群として、別の子どもたちは孤児院にそのまま残された。つまりスキールズは、「子供たちは、バカな女性たちからの愛情を数カ月受けることによってどういった悪影響を受けていたのか?」という問題意識で研究を行ったのである。また、孤児院に残った子どもたちについても「州立の施設に残された(普通の状況下にあった)子どもたちには、一方でどのような悪影響があったのか?」と、2つの施設を比較する研究を行った。

孤児院の子どもたちの惨状は当時の新聞でも大きく取り上げられた。スキールズに反対する者たちは、「アイオワのコーン農場のIQで息をする龍を解き放った」[注2]とか、「バカは生まれつきだったのではなく、作られたのだ」と書き立てた。また、歴史家のハミルトン・クラヴァンズ(Hamilton Cravens)は「正常な子どもたちのための孤児院が知恵遅れを作り出す工場のように見えた」と書いている。

一方で、グレンウッドの収容院では、そこに移された子どもたちのIQが急上昇した。スキールズの上司で児童福祉研究所の所長であるジョージ・スタッダード(George Stoddard)が1938年にTime誌で、IQは教育によって上げられうるとして、「IQコントロール:旧来の心理学者たちは、人の知能は生まれつきのもので、IQは一生変わらないという信念を持った頑固な数人のスターのひとり」という宣伝記事を発表した。しかし、この記事中の彼の写真についた説明書きは「頑固ではないスター」というものだったという。

当時、1939年の世界恐慌に対抗する社会工学的方法としてニューディール政策が実行されていたアメリカでは、この手の人の手による社会改良を謳い上げる物語が流行していた。この頃、そうした社会風潮に乗る形で、夢を描く有名なファンタジー物語である『オズの魔法使い』が映画化されている。ただし、この施設の例でもそうであるように、登場人物はすべて白人、そして、新たな両親の揃った環境のもとで幸せをつかむというストーリーである。

しかし、このターマンが、グレンウッドで子どもたちの面倒を見た女性たちに対して「バカな子守」と言う嘲りの言葉を使ったために、この施設で行われていた知的障害児のIQを上げる治療も社会的批判を受けることとなった。このことは結果として、スキールズと同収容院の院長ハロルド・ダイ(Harold Dye)による研究を中止させることにも繋がった。

こうした知的障害者の教育については、1974年になって、別の学術研究リーダー、バートン・ブラット(Burton Blatt)が脱施設化のための革新的な主張を唱えはじめた。ブラットはこう言う。「知能というのは、学習によって発達しうるものであるという証拠はこれまでにも出ている。人は学習によって変わりうるのである。」スキールズの施設はなくなったが、そうした形で彼のやったことは形を変えて今も生き残っているのである。

しかし、シュヴェイクはそこで警鐘をならす。未だ(名誉)回復されていない人たちにグレンウッドの女性たちがいる、というのが彼女の最新刊の本でのメッセージである。障害者たち同様、グレンウッドで彼らの面倒を見た女性たちは依然として「バカな子守」と呼ばれたままであり、彼女たちの貢献によって子どもたちの教育の成果が現れたのに、そのことにきちんと注意も関心も払われないままであるというのがシュヴェイクの警告である。それは彼女たちに敬意が払われるべきだということではなく、そもそもこの成果が上がったのは、彼女たちあってこそだったということではないのかということである。「暴風雨の中の羽根」という現実に私たちはもっと眼を向けるべきだと、シュヴェイクは改めてこの事件を障害学の観点から見直すべきことを訴えかけている。

著者プロフィール

森壮也(もりそうや)。ジェトロ・アジア経済研究所海外調査員。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。開発経済学、手話言語学、障害学、「障害と開発」研究。主な著作に、『アフリカの「障害と開発」』(編著)アジア経済研究所(2016年)、Poverty Reduction of the Disabled Livelihood of persons with disabilities in the Philippines(共編著)Routledge(2014年)、『開発経済学の挑戦IV 障害と開発の実証分析-社会モデルの観点から』(共著)勁草書房(第17回国際開発大来賞受賞作,2013年)など。

書籍:Poverty Reduction of the Disabled

書籍:障害と開発の実証分析

脚注


[注1] 1917年に設立された同研究所には日本の小児科医や発達心理学研究者なども過去に留学してきている。1963年には、名称を児童行動発達研究所と変更したが1974年にアイオワ大は同研究所を閉鎖した。

[注2] アイオワは施設のあった場所、コーン農業で有名。そこでIQ信奉者を作り上げたとの意。

参考文献


  • Schweik, Susan. (2010) The Ugly Laws: Disability in Public, New York: NYU Press.

写真の出典


  • 写真上:Susan Schweik著「醜陋法:人前の障害はどう対処されたか」(NYU Press刊)表紙。
  • 写真下:Wendy Xin氏デザインによるSusan Schweik氏講演ポスター(少女の頭部を測っている男性)。University of Iowa/digital.lib.uiowa.edu/icts.