column マレーシア ささやかな体験への追想   東川繁 ●マラヤ大学での「事故」 「あっ!」という声を出したときにはもう遅かった。もう少しで、白い杖をついた華人らしい若者を地面に押し倒すところだった。ここはクアラルンプール郊外にあるマラヤ大学の構内。在外研究のため一九八七年に同大学を訪問した、まさに初日の出来事だった。さいわい彼に怪我はなかったが、平謝りに謝ったことはいうまでもない。校舎を見上げているうちについ周囲への注意を怠ってしまったのだ。しかし、大学構内になぜ盲人がいるのだろうか?尋ねてみると、マラヤ大学の学生だという。特別枠による入学制度があるという。そのことに驚き、また日本より進んでいると感心した。また、「マレーシア盲人協会」という団体がYMCAの近くにあることも教えてもらった。その日はそれで終わった。 大学からは図書館内のキャレル(個人用閲覧室)を使用できる便宜を図ってもらったが、ある日盲人の学生が隣のキャレルで晴眼者(せいがんしゃ)から専門書の対面朗読を受けているのがみえた。構内で盲人学生のための対面朗読をするボランティア募集の張り紙をみたことを思い出した。後で気がついたのだが、筆者がみたボランティアはすべて女性だった。男性もいたのかもしれないが、みたことはなかった。 ●盲人協会を訪問して 日がたってから、マレーシア盲人協会を訪ねてみた。以前の華人男子学生の白杖(はくじょう)がみすぼらしい竹でできていたことがずっと気になっていたからである。協会の話では、マレーシアは障害者には優しい社会だが、経済的支援が足りていないとのことであった。協会の図書館もみせてもらった。点字図書と朗読を録音したカセットテープ(録音図書)が主な所蔵資料だったと記憶している。最後に協会への貢献を申し出たところ、意外にも「近くの雑居ビルに盲人のマッサージ室があるから、そこの常連客になってもらいたい」とのこと。確かに、一時的な寄付より有益と思われた。というわけで、マレーシア滞在中はずっと通うことになった。マレー人、華人、インド人もここではみな仲良く働いているようだった。ある日、マッサージの最中に突然の停電に襲われた。窓もない部屋のなかであわてたが、担当のマッサージ師が手を引いて外に連れ出してくれた。今となっては楽しい思い出である。 その後、協会を訪問することはなかったが、二〇一二年末に再訪の機会を得た。情報機器を活用した支援が多面的に行われているようであった。また、出入りする視覚障害者は軽金属あるいはグラスファイバーと思われる杖を使用しており、以前のような竹製のものはまったくみられなかった。国内外の支援が拡大したことで、施設・設備の改善が可能になったとのことであった。日本からの支援もあったという。なんとなく晴れやかな気持ちで協会を後にすることができた。 (ひがしかわ しげる/アジア経済研究所 図書館資料企画課) 《写真》 ①マラヤ大学図書館。大学のウェブサイトによると、館内にある53のキャレルのうち 21が視覚障害者用とのこと(筆者撮影) ②マレーシア盲人協会。マレー語では Perastuan bagi Orang Buta Malaysia、英語では Malaysian Association for the Blind。マレー語名が正式名称だが、英語名の略称 MABが呼称として使われることが多い。マレーシア盲人協議会(NCBM)の傘下組織の1つ(筆者撮影) アジ研ワールド・トレンドNo.234(2015. 4) p.30