特集 図書館と障害者サービス 情報アクセシビリティの向上 【国際動向】 DAISYとEPUBを活用したインクルーシブな知識アクセスの開発 河村宏 ●視覚障害者のニーズが創ったDAISY 画像・テキスト・音声が一体となって再生されるマルチメディアに関する研究開発は、企業と研究機関が活発に行っており、すでに無数の特許が登録されている。そのなかで、無償でありアクセシビリティが担保されていることが、DAISY( Digital Accessible Information System:デイジー)とEPUB3(イーパブ・スリー)をユニークな存在にしている。 DAISYとその最新版であるEPUB3は、Webによる出版技術を基礎にして、ネットワーク環境のないところでも、多様な表示装置で、障害のある人も無い人も同等の「読書」が可能になるように開発されてきた。 二〇世紀末にリリースされたDAISYは、視覚障害者と本を手で持つことが困難な身体障害者やディスレクシア等の認知に障害がある人々(persons with print disabilities:読書障害者)の支持を得て世界中で普及が続いている。二〇一三年には世界知的所有権機関(WIPO)のマラケシュ条約が制定されて、これらのDAISY図書の国際交換が法的に保障されようとしている。特にアメリカでは、連邦政府が就学前から高校までのすべての教科書教材のDAISY規格の電子ファイルの提出を教科書出版社に義務付け、三万種にせまる教科書教材のDAISYファイルの集積を完了している。 一九九五年の国際図書館連盟(IFLA)イスタンブール大会で、当時東大総合図書館に勤務しIFLAの盲人図書館セクション(Section of Libraries for the Blind:SLB)の常任委員会議長を務めていた筆者は、世界の視覚障害者サービスを担う主要な図書館に対して、カセットテープの終焉の後も録音図書の国際交換を保障するために、デジタル録音図書の国際標準規格を二年以内に開発するので、それまで各国独自のシステムの採用を自粛するように要請した。この要請を行うために臨時に公開で開催した常任委員会では、アメリカで成果を挙げていたテキストファイルを音声合成装置(TTS)で読むサービスをしているグループから、録音図書の必要はなくなるという意見が出た。さらに録音図書では綴りを確認したいときに困るという意見も出た。それに対して、主としてヨーロッパからTTSが得られる言語は限られているから英語圏だけに通用する解決では困るという意見や、数式や化学式は当時のTTSでは読めなかったので、人が読み上げる録音図書でないと科学技術文献に対応できないという指摘もあった。 議論百出の後で、それぞれ特許で武装した独自のデジタル録音図書が乱立すると国際交換は不可能になるという危機感が共有され、とにかく二年後にデジタル録音図書の国際標準規格の提案があるまでは、各国で独自のデジタル録音技術の採用は控えようという合意が得られ、筆者の要請は承認された。言語に依存しない自然の音声に着目するか、書かれた文字を電子ファイルにしてTTSで読ませるか、というデジタル録音図書の国際標準化における本質的な問題がここで議論された。この議論は、国際標準規格の開発期限直前にスウェーデンのシグツナで開催したグローバルな技術会議に継続された。結論は、読み上げや点字や大きな文字で読めるという現在のマルチメディアDAISY図書の機能を標準規格に求め、その機能を実現するために、公開されている標準技術であるWebの技術を基礎に、文章(テキスト)、図表、数式等と読み上げるための音声を同期して提示できるものとした。 また、DAISY図書を将来世代にも引き継ぐために、規格を構成する要素技術のそれぞれを、すでに広く受けいれられている公開された標準技術とすることを原則とした。従って、当時まだ存在しなかった文字および画像と音声を同期させるW3Cの標準技術であるSMIL(Synchronized Multimedia Integration Language:スマイル)の開発に全力を集中し、その完成を経てDAISY規格を完成させることになった。 ●国際標準化という戦略 スイスに国際非営利団体としての法人格を持つDAISYコンソーシアムが生み出すものは、無償の「規格」というノウハウである。この法人の年間約一億円の予算のほとんどは、スイス、フランス、スウェーデン、イギリス、アメリカ、インドに住む技術開発スタッフの給与に充てられている。一方、スイス法が定める法人の責任者である会長と出納責任者は、理事の互選で選ばれ、無給である。 二〇一五年に日本DAISYコンソーシアムが国際DAISYコンソーシアムに払う年会費は四〇〇万円を超える。現在の日本DAISYコンソーシアムの正会員は、公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会、社会福祉法人日本ライトハウス、特定非営利活動法人支援技術開発機構(ATDO)、特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会である。日本DAISYコンソーシアムは、これら正会員の他に準会員と賛助会員企業で構成される。 一九九六年の国際DAISYコンソーシアムの設立から今日までに日本のメンバーが払ってきた会費は、総額七〇〇〇万円に及ぶ。規格と製作および再生ツールの開発には、この年会費のほかに作業部会や理事会に参加して規格を本当に役に立つものにするための膨大な労力の提供が必要だ。特に、日本の特殊事情であるボランティアによるDAISY図書の製作や、縦書きやルビなどの日本語独自の組版への対応には、多くの関係者の貢献が必要だった。 無償で国際規格を開発し標準とするのだから、当然、「タダ乗り」もある。多大の資源を投入して開発した規格だから、「タダ乗り」させない工夫をするべきだという声も国際DAISYコンソーシアムの会員のなかにはある。それに対しては、DAISY規格を開発し普及する目的は、世界中の読書障害者が出版物にアクセスできるようになることにあるという整理がされてきた。特に、会費を払うことができない途上国の人々にも等しく成果が届くように努力すべきであるという視点は確立されている。 DAISYコンソーシアムの正会員の多くは国立図書館であるが、スペインやイギリスのように視覚障害者団体が正会員になっている国もある。日本のように、複数の非営利のDAISY関係団体がコンソーシアムを作って正会員として登録している国も少なくない。 DAISYの趣旨に賛同する企業は賛助会員になることができるが、読書障害者にアクセシビリティを保障する国際標準開発団体が特定の企業に支配される危険を排除するために、同コンソーシアムの規約は、理事会と総会で投票権を持つ正会員団体は、非営利団体でなければならないと規定している。非営利団体は、会費が正会員の十分の一で投票権を持たない賛助会員になることもできる。趣旨に賛同する個人には個人会員の制度もある。 DAISYの評価を高めた決定的要因はユーザーの支持である。日本からは、政府資金であるテクノエイド協会の資金を活用してプロトタイプ再生機を作り、三十余国で視覚障害者に実際にサンプル図書を読んでもらって国際評価試験を実施するという重要な貢献をした。採算を度外視して規格の共同開発に参加したシナノケンシ株式会社の貢献も大きい。この開かれた評価試験が、開発者とユーザーが直接向かい合うDAISY固有の開かれた研究開発スタイルを可能にしたのである。 DAISY3規格はアメリカの ANSI/NISO規格として認証され、そのメンテナンスの責任はDAISYコンソーシアムが負っている。規格は無償で公開され、今では世界中の数々のメーカーがこの規格に基づく商品を提供している。これから本格的に活用が始まるDAISY4規格は、製作用の規格と利用者に提供するときの規格を分離して、製作用の規格を ANSI/ NISOに登録し、配布用にはDAISYコンソーシアムが会長団体を務める国際デジタル出版フォーラム(IDPF)と共同開発しているEPUB3規格を用いることにした。この戦略はこれまでのところ成功し、DAISY規格の最新版でもあるEPUB3は、世界の主要な電子出版産業が採用し、HTML5が確定した時点でISO規格となる見込みである。 ●浦河べてるの家とDAISY 日高の昆布と競走馬の肥育を主な産業とする北海道浦河町を、DAISYコンソーシアムのスタッフとW3C/SMIL作業部会のメンバーが二〇〇五年五月に訪問した。訪問の目的は、同町における津波による人的被害ゼロを目標に据えて、その実現のために新規に開発すべき技術のユースケース(活用事例)を探り、DAISYとSMILのそれぞれの改訂すべきポイントを明らかにすることだった。結論からいえば、この訪問の結果、広い意味での防災活動に様々な障害者が参加するためには、アクセシブルな動画コンテンツの活用が必須であり、そのためにSMILの改訂から着手することになった。SMILの改訂が完了したのは二〇〇八年一二月、その改訂版SMILを活用したDAISYの改訂版がEPUB3としてリリースされたのは二〇一一年一〇月である。  二〇〇五年に浦河に来て地域で暮らす多くの精神障害者を含む地域住民と防災について交流したDAISYコンソーシアムの五人の開発者は、二〇一五年二月現在も、盲ろう者もアクセス可能なビデオを導入することを見据えて、すべての地域住民のアクセシビリティを保障するためのEPUB3の開発を続けている。その中心人物の一人は全盲のIDPF会長G・カーシャーである。 浦河は、第二次大戦後、平均四年に一回ずつ計一六回震度五以上を記録し、うち五回は震度六だった。しかし、これだけの地震があっても、戦後浦河町で地震による犠牲者は出ていない。だからといって津波が来ない保証があるわけではなく、アイヌ民族の伝承の分析や地質調査を通じて過去の津波の痕跡を探る努力も続けられている。いずれにしても現在は最大で一二メートルの津波浸水が予想されているので、浸水予測地域の人々は、地震後直ちに避難を開始しなければならない。津波浸水予測地域に暮らす住民のなかには避難所への避難が難しい住民も多い。そこで、役場としては予め災害時要援護者登録をしてもらい、近隣住民による相互支援態勢を作って、適切な避難支援を行うことを目指している。 二〇〇五年の時点では、浦河町役場は北海道庁の最大浸水予測四メートルという予測に沿った防災計画を持っていた。住民のほとんどが標高四メートル以上に住んでいたので、公式には、あまり深刻な津波災害は無いことになる。しかし、住民の多くは半信半疑で、特に海沿いのグループホームに暮らす精神障害の人々のなかには、「津波がきたらもうおしまい」と思っている人が多かった。筆者は一九九七年に活動拠点を財団法人日本障害者リハビリテーション協会情報センターに移して、厚生労働省の補正予算でDAISY録音図書の日本全国の点字図書館への導入に取り組んだ。この事業がほぼ一段落した後、前述のような浦河町の特徴に着目した筆者は、二〇〇三年から国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所を拠点にして、災害の犠牲になりやすい障害者、とりわけ精神障害等の認知に困難がある人々にもわかりやすいアクセシブルな防災マニュアルの研究開発に着手した。 この研究は科学技術振興調整費という国の大型研究費を受けて、浦河べてるの家、浦河町役場、浦河町内自治会の皆さんを含む国際的な共同研究態勢をもって実施された。「浦河べてるの家」は、一九八四年に設立された精神障害等をかかえた地域に住む人々の地域活動拠点である。一〇〇名以上のメンバーが活動しており、「住まい」「働く場」「ケア」の三つのサービスを提供している(参考ウェブサイト①)。 研究の主な成果は、先に述べたEPUB3の開発に直接つながる技術的なものの他に、津波避難を事例にして、精神障害者が災害リスクとそのリスクの軽減方法を理解し、避難グッズの用意と避難訓練に繰り返し参加することによって実際にリスクを軽減するスキルを身に着けたことにある。さらに一定の時間内に避難を完了することを目標に訓練を行い、訓練のつど振り返りを行って避難の質を向上させることによって、達成感と「避難できる」という安心を手に入れ、重度の精神障害者が率先避難者の一員として地域の防災に貢献できることを示したことである。 ●知識と防災―新たな展開 東日本大震災の際の浦河町の津波の最大浸水高は二・八メートルで、水産関係施設の大きな被害と共に数十台の車が流されたが、幸い人的被害はゼロだった。浦河べてるの家のメンバーは訓練どおり地震の直後に各グループホームと活動拠点からの津波避難を開始し、地域の率先避難者となったことで、それまでの訓練の効果がはからずも浮き彫りになった。 DAISY版マニュアルの役割は、混乱しやすかったり、幻聴や服薬により集中することが困難な浦河べてるの家のメンバーの関心を引き付け、津波に関する科学的な知識をベースに、直近の避難場所と正しい避難経路を示し、タイムリーな避難の決断をするために必要な知識と判断能力の獲得を支援することだった。簡潔で明瞭な文章、適切な絵や写真、親しみやすい朗読音声、具体的な途中の目標(ランドマーク)を含む避難経路の提示、季節・天候・昼夜等の避難時の環境等々を考慮しつつ、集中が持続する数分間の間にこれらの必要な知識と情報がすべて理解されることが求められた。DAISY版マニュアル製作技術は浦河べてるの家に移転され、一部を編集することによってそれぞれの作業所と主要なグループホーム用に最適化されたマニュアルが作られ、避難訓練の際には、まずそれを皆で見て直ちに訓練に入るという短時間で必要な知識の確認が行える方法が採用された。 それぞれのグループホームの住民自身がマニュアルに登場することは特に好評だった。避難訓練は、活動や生活の場所ごとに、夏冬各一日それぞれ昼夜に一回ずつストップウオッチで時間をはかりながら真剣に行われてきた。二〇〇五年から積み上げてきた浦河べてるの家の障害者自身による防災力強化の取り組みの成果は、東日本大震災の日に遺憾なく発揮され、障害者を救援活動の対象ではなく地域の防災活動の担い手として見直す国際的な動きに重要な根拠を与えつつある。それにともなって、DAISY版マニュアルに対しても二〇一四年ZERO Projectによる評価等、海外からも高い評価が与えられた。 二〇一五年三月に仙台で開催される第三回国連世界防災会議の主要なテーマのひとつが、インクルーシブな防災である。すべての人の命を守るインクルーシブな防災は、一人一人が災害リスクに対処する方法をとり、定期的に防災訓練に参加して必要なスキルを身に着け、警報を理解してタイムリーな避難の決断をするという障害者も含む住民自身の一連の取り組みを必要とする。 浦河べてるの家と協力自治会、浦河町役場の防災における協力の柱のひとつが、被災地との交流である。代表が津波等の被災地に行って被災の状況と現在の対策を学んで戻り、浦河では訪問先から講師を招いて防災講演会を開催してきた。その中で、浦河の人々は、被災した人々の体験から多くのことを学んだ。 災害は地域ごとに大きく態様が異なり、コミュニティごとに、十分な知識と情報をもって瞬時に的確な判断をする住民の能力を向上させることによって、より生存率を高めることができる。知識・情報・コミュニケーションやモビリティに障害を持つ障害者、高齢者、乳幼児、外国人、非識字者等々の災害時にリスクの高い人々に配慮したアクセシブルでわかりやすい災害に関する知識と情報の共有は、人の命を守り抜くための防災に必須である。 被災地においては、被災者自身が表現手段(テキスト、口述、点字、手話を含むビデオ、絵、等々)を選択し、自らの著作としての被災体験をEPUB3形式で集積することで、アクセシブルな被災体験アーカイブを地域で共有できるようになる。復興の基盤であるこの被災体験の共有の活動を、幸い被災しなかった図書館は、ネットワーク等を通じて様々に支援できる。 DAISYとEPUB3は、フィリピン等の被災地で、この分野でも大きな役割を果たそうとしている。 (かわむら ひろし/特定非営利活動法人支援技術開発機構副理事長・DAISYコンソーシアム前会長) 《参考文献・ウェブサイト》 ①http://urakawa-bethel.or.jp/ bousai/About_Bethel.html. ②河村宏「デジタル・インクルージョンを支えるDAISYとEPUB」『情報管理』第五四巻六号、三〇五―三一五ページ、二〇一一年九月。 アジ研ワールド・トレンドNo.234(2015. 4) p.8-11