特集 図書館と障害者サービス 情報アクセシビリティの向上 特集にあたって 澤田裕子 ●国内外の背景について 本特集は図書館とその利用に障害のある人々を主なテーマとし、特に近年注目を集めている情報アクセシビリティの問題に焦点をあてたものである。まずは基本的背景を概観したい。 二○一三年、モロッコのマラケシュで開催された世界知的所有権機関(WⅠPO)の外交会議で「盲人、視覚障害者および通常の印刷物では読めない障害のある人々による出版物へのアクセスを促進するためのマラケシュ条約」が全加盟国の合意を得て採択された。この条約は加盟国に対し、著作権者の権利の制限または例外化によってアクセス可能な形式の出版物の複製、頒布、および提供を許諾する国内法の制定を要請するものである。また、二○○六年に採択された国際連合の障害者権利条約は、障害のある人の基本的人権と固有の尊厳を促進・保護する国際的原則として、知識と文化へのアクセスを保障する重要な法的枠組みとなる。これらの条約により、国際標準に基づいて著作物が複製され、開発途上国を含む各国で共同利用できるようになれば、情報格差の解消に繋がると期待されている。 日本は二○○七年に障害者権利条約に署名し、国内法の整備を進め、二○一四年一月に批准した。障害者権利条約に謳われる合理的配慮の考え方が導入され、障害を理由とした差別や権利の侵害が禁止されるとともに、社会的障壁を取り除くための配慮が求められるようになった。二○○九年、二○一二年には著作権法も改正され、図書館サービスの利用対象者、製作・提供できる資料の幅が広がり、提供方法も多様化した。 図書館も認識を新たに、サービスの新機軸を打ち出す好機と捉えている。二○一四年一〇月の日本図書館協会全国図書館大会では、障害者サービス分科会が著作権と障害者権利条約に関する二つのセッションを持ち、一一月には図書館総合展で「公共図書館の電子書籍サービスの新展開障害者差別解消法と読書アクセシビリティ」フォーラムが開かれた。 ●各論考について 本特集は国際動向、国内事情、各国事情の三部から構成されている。順に紹介したい。 世界各国の障害当事者、関連機関の専門家の絶え間ない努力と葛藤が、迅速で組織的な活動を生み出し、情報アクセスを保障する社会基盤の構築を実現してきたことは間違いない。森稿によると、二〇一三年、支援機器・技術等を提供するアクセシビリティ・センターが国連本部に創設され、国連総会・会議管理局の手話通訳設置などに加え、国連自身によるモデルとなる取り組みとして評価されている。野村稿では、国際図書館連盟(IFLA)の二つの分科会による図書館における障害者の情報へのアクセスと著作権に着目した活動が紹介されている。分科会のひとつはDAISYコンソーシアムの設立にも関わっているという。DAISY(Digital Accessible Information System)とは、視覚障害者や通常の印刷物を読むことが困難な人々のための電子書籍の国際標準規格のことである。DAISYコンソーシアムは、DAISY規格の開発・維持・普及のために設立され、近年では、DAISY版防災マニュアルの製作と避難対策に取り組み、東日本大震災では、障害者を救援対象ではなく、防災活動の担い手として見直す国際的根拠を与えたという(河村稿)。国際組織が発信するガイドライン等は、障害者サービスを実践する団体にとって重要な指針となり、その先進的活動は国際社会の新たな潮流を形成している。 情報環境の変化とともに、国内図書館も障害者サービスを模索し続けている。天野稿のとおり、一九四○年に設立した社会福祉法人日本点字図書館(日点)は、ニーズの拡大や著作権法の改正、IT技術の進化に直面し、新たなサービスビジョンの構築を目指している。南稿では、著作権法の権利制限規定の沿革、および各種サービスと著作権の関わりが解説されている。松延稿は、日本図書館協会障害者サービス委員会を中心とした公共図書館の障害者サービスの実践を報告している。 国別論考では韓国、中国、シンガポール、マレーシア、バングラデシュ、インド、アラブ地域、スーダン、南アフリカ、ブラジルの例を挙げた。以下、概要を述べる。 助成金に頼りつつ、一九九四年から始まった日点のアジアへの国際協力事業は情報環境やニーズの変化に対応しながら現在も続いている(田中稿)。障害者には優しいが経済的支援が不足していたマレーシアでの一人の著者の実感のとおり(東川稿)、各国の情報機器・設備の改善の背景には、多くの国際協力と支援活動とがある。国が主導する様々な取り組みも報告されている。韓国では二○一二年に改編された国立障害者図書館が、障害者の読書環境の構築と普及を目指して水準の高いサービスを提供している(崔(チェ) 稿)。中国では二○○八年に中国点字出版社、国家図書館、中国障害者連合会情報センターによる中国盲人電子図書館が、二○一二年に国家図書館と中国障害者連合会情報センターによる中国障害者電子図書館が、バリアフリー設計されたウェブサイトとして開設された(小林稿)。シンガポールに目を移すと、一八二三年にまで歴史を遡るシンガポール国立図書館を中心に、世界初の無線LANを備えた移動図書館サービス等が展開されている(ヤプイーミアン稿)。バングラデシュのダッカ中央図書館では、二○一三年に制定された「障害者の権利と保護法」を機に障害者用コーナーの新設計画が始まった(金澤稿)。インドのデリー大学点字図書館は障害を持つ学生へのサービスを一九七○年代から提供している(坂井稿)。アラブ地域では国主導で生産、推奨される、イスラム教の教えに関する図書が多く提供されている(アブディン・福地稿)。一九一九年に始まる国立南アフリカ点字図書館は点字・録音図書の提供のほか、デジタル図書館として技術研究・普及に努めている。一方、南アフリカで情報へのアクセスが整備されるには、現地の当事者団体が地域の情報センターの役割を担い、社会的機能を果たすことが期待されている(鷺谷稿)。中国のNGOの例でも障害当事者本人が希望、選択する情報へのアクセスを保障することが重要であるという。バングラデシュやスーダンの当事者へのインタビューでも音声資料に加えて点字が必要とされ、就業を目的とした基礎的な識字能力を獲得するための質の高い基礎教育が切実に求められている。 また、アクセス可能な電子書籍の提供には、データと再生環境の両方が整備される必要がある。利用できるコンテンツの偏りや、アクセス支援機器の性能・価格、利用者の知識・スキルに課題が多い中、スマートフォンの活用も注目されている。オープンアクセスが普及するブラジルではオンラインでの資料提供が進んでいる(則竹稿)。障害者向けアクセシビリティを備えつつ、あらゆる利用者を対象とした事例は、今後のサービスの方向性を示唆するともいえる。サービスの提供側が情報インフラの整備を進め、障害者サービスの専門知識と情報通信技術を備えた人材を確保する責任があることは重要な指摘として肝に銘じたい。 視覚、聴覚による認識に支障がある人々に対する障壁を中心に情報アクセシビリティの現状をみてきた。各国の状況は様々で、全体としては未だ発展途上に思われる。本特集で論じられた取り組みが効果的に繋がり、将来に向けた相乗効果を生み出すことを願う。 最後に、当研究所出版物(統計関係を除く)のPDFファイルは、購入者の申請により、紙媒体で読むのに障害のあるすべての人に無償で提供され、さらに営利を目的としない点訳・音読・拡大写本への複製が可能である旨を付け加えたい。 (さわだ ゆうこ/アジア経済研究所図書館) アジ研ワールド・トレンドNo.234(2015. 4) p.2-3