ジェンダー Gender

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バングラデシュの縫製工場で輸出品の最終チェックをする女性達
バングラデシュの縫製工場で
輸出品の最終チェックをする女性達

ジェンダーとは、生物学的な性別であるセックス(sex)と区別して、社会的な性別を意味します。ジェンダーという概念は、1970年代に欧米のフェミニズム運動をきっかけとした議論の中から誕生しました。女らしさや男らしさ、女性の役割と男性の役割を、生物学的差異に由来する不変のものとして考え、性差別の存在を認めない立場に対して、フェミニズムの論者たちは、これらが社会的な現象であり、解決可能な問題として位置づけたのです。その後の議論で、ジェンダーは、異なるが対等な関係といった種類の区分ではなく、男性を標準、普遍とし、女性を差異を持つ特殊なものとする、タテ型の階層性をもつ区分として認識されるようになります。ジェンダーは、男のジェンダーと女のジェンダーという二つの項(ふたつのジェンダー)ではなく、男女の分割線、男女の社会関係(ひとつのジェンダー)として把握されるわけです。また生物学の発展を背景として、セックスが曖昧な個体(インターセックス)を含む連続した概念であるのにたいして、ジェンダーは男か女かの二分法であり、セックスにもとづいてジェンダーが規定されるのではなく、その逆であることが指摘されました。90年代になると、ポスト構造主義の影響下で、男女間の差異だけでなく、女性内部の差異が問題化されるようになります。「女性だから清廉で汚職をしない」「女性は平和を愛する」といった女性をひとくくりにする言説は批判され、民族やエスニシティ、階級、カーストなどにもとづく、女性という集団内部の差異を見ることの重要性が指摘されました。この立場によれば、ジェンダーとは、男性による女性のあからさまな支配だけでなく、男女それぞれの、これらの社会関係・集団の成員としての役割と行為を通じて構成されます。

ジェンダーは、現在も展開を続ける流動的な概念であり、さまざまな問題に新しい切り口や視点を提供してきました。途上国関係でまず思い浮かぶのは、「ジェンダーと開発」(GAD:gender and development)でしょう。1960年代の途上国援助の理念は、開発の担い手としての女性に注目しました(WID:women in development)。80年代にジェンダー概念がとりいれられると、女性の状況を改善するためには、女性自身の能力向上だけでなく、男性との関係を問い直し、女性に差別的な制度や社会システムを変えることが必要だと認識されるようになりました。

「ジェンダーと開発」は、実践的な関心にもとづくいわばジェンダー研究の応用編といえます。では、途上国社会におけるジェンダーのありように迫るにはどんな方法があるのでしょうか。ここでは一例としてジェンダーと民族・エスニシティの相関に注目してみましょう。先進国社会内部のエスニック・マイノリティや途上国社会の女性は、ジェンダーに加え、国内・国際的な階層・階級という二重のくびきにつながれていました。これらの女性の経験は、まず男性との共闘を通じてエスニック・民族集団の自律・独立を目指すという、先進国女性とは異なる経路をたどったのです。そこで必要とされたのは中産階級出身の白人女性の思想である欧米のフェミニズムとは異なるフェミニズムでした。90年代以降、ナショナリズムとフェミニズムの葛藤を背景として、近代国家の建設期に多くの社会で見られた女性の地位向上運動の再評価が行われています。一見、女性の自律性の表出にみえる運動が、実は西洋のまなざしに対抗するための手段として利用される側面をもったことが指摘されています。「遅れた」女性が民族の象徴とみなされ、女性の「近代化」を目指す運動が民族の地位向上運動に取り込まれたのです。そこではジェンダーのありようが民族によって媒介されているのです。

ジェンダーについての研究は、フェミニズムから出てきたこともあって、今まで社会科学が見過ごしてきた女性を中心とする研究が主体となってきました。しかし、男性論や同性愛論など新しい研究領域も盛んになりつつあります。