アフリカ政治 African Politics

比較によって固有性をあぶり出すアプローチ

セネガルのバオバブの木
セネガルのバオバブの木

アフリカ の年」といえば、アフリカ諸国が続々と独立を遂げた1960年のことを指す表現ですが、これになぞらえて、2005年は「第二のアフリカの年」と呼ばれました。グレンイーグルズ・サミットで対アフリカ支援策が本格的に協議されたことや、国連の「ミレニアム開発目標」(通称MDG)の中間評価でアフリカに焦点が当てられたことを契機として、サハラ以南アフリカ諸国が直面する、貧困、HIV/AIDSなどの感染症、紛争などの深刻な問題に国際的な関心が集まりました。他者理解を旨とする地域研究の立場からいえば、アフリカに関する関心の高まりと新聞・テレビ等などでの報道の増加は、積極的な意義があるといえます。しかしながら、悲惨な問題にのみ焦点が当てられることで、アフリカに関する一面的なステレオタイプが流布する危険性があることは指摘しておかねばなりません。サハラ以南アフリカには49の独立国(島嶼国含む)が存在しており、それぞれが固有の歴史と特徴を持っています。多様性と共通性双方に目を配った理解こそが、アフリカという地域を理解する際の望ましい態度であるといえます。

アフリカにおける政治現象の理解に関しても同様のことがいえます。一般的に言って、援助供与国や国際機関などは、アフリカの政治に関して、ガバナンスの欠如、独裁、腐敗、紛争、多民族社会ゆえの不安定性といった「問題」を強調しがちですが、アフリカ諸国の政治現象は、こうした紋切り型の理解への還元を許さない、各国それぞれの固有性を備えています。その点を掬い取ることがアフリカ政治研究に求められているといえます。例えば、近年のアフリカ諸国の政治に関するもっとも重要な現象として、民主化—1990年代に入って、ほとんどすべてのアフリカ諸国が軍政ないし一党制を放棄し複数政党制を導入した—が挙げられます。民主化の過程で政治が不安定化した国(例えば、コートディヴォワール)がある一方で、自由・公正な選挙を数度にわたって平穏裡に実施して、民主主義が定着している国(ケニア、ザンビアなど)が確かに存在します。紛争に関しても、長期にわたって断続的に継続する国(例えば近年までのリベリア、ブルンジなど)がある一方で、ポスト紛争期の国民和解に一定の成功を収めた国(例えばルワンダ)があります。こういったことは、地域研究的なアプローチに基づく、各国ごとの綿密な政治の分析と、アフリカ諸国間の相互比較を通してこそ、はじめて明らかになってくることです。

ただここで、相互比較に関しては、比較対象をアフリカ諸国に限定する必要はないのではないか、という疑問があるかもしれません。もちろん、アフリカの国とアフリカ以外の国の比較は重要なアプローチだといえます。しかしながら、アフリカ諸国相互の比較には重要な方法論的な意義があるのです。そもそも、比較政治学を含む政治学は第二次大戦以後に急速に発展を遂げ、理論的にも洗練されてきました。しかし、この理論化は、1960年以降に独立を遂げた新興アフリカ諸国の経験を取り込んでは来ませんでした。このため、政治学理論とアフリカ諸国政治の実態の間には大きな隔たりが生じてしまっています。アフリカ政治研究者の多くが、政治学の理論的な蓄積を、アフリカ諸国の分析に即座に適用できないというジレンマに直面しているのです。いわば、アフリカの現実が理論枠組みを拒否した格好ですが、同時に、政治学理論の側からアフリカの経験を無視する動きも出てきてしまっています(その例は、西欧型の民主化や市民社会が「不在」であることをもって、アフリカ悲観論を主張する論者に見られます)。

「アフリカ政治」という概念は、政治学理論とアフリカの政治の実態の間の齟齬を埋めるための、中範囲の問題領域として好適なものだと考えられます。アフリカ諸国間で比較をし、そこに通用する中範囲の理論化を進めながら、各国の固有性をあぶり出していく。いわば、地域研究の地道な再構成を活かしながら、政治学理論への接合のための、研究蓄積を行っていく。「アフリカ政治」は、そのための議論の場であり、アプローチであるといえます。

佐藤 章