人身取引 Human Trafficking

グローバル経済の影を正視する

経済のグローバリゼーションの進展による国境を越えた人の移動がダイナミズムをますなかで、人の移動の最悪の形態が「人身取引」です。安全保障および人権保障の観点から、そして健全な経済社会発展のために、人身取引の撲滅と防止が求められています。

2000年の国連ミレニアム総会において、国際組織犯罪防止条約の補足議定書のひとつとして「人、特に女性および児童の取引を防止し、抑止しおよび処罰するための議定書」(採択地から「パレルモ議定書」と呼ばれています)が採択されました。以来、人身取引問題に対して、国際機関、各国政府やNGOによる努力が積み重ねられています。2010年7月には国連総会において人身取引に対するグローバル行動計画が採択されました。

パレルモ議定書は、「人身取引」を目的、行為、手段の3要素から定義しています。①搾取の目的で、②暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくは脆弱な立場に乗ずることで又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の接受の手段を用いて、③人を獲得し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することです。「搾取」とは、「他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化、若しくはそれに類する行為、隷属又は臓器の摘出が含まれ」ます。これらは例示であり搾取の形態はこれらに限定はされません。被害者の同意の有無は関係ありません。被害者が未成年の場合は、上記②の手段は使われなくても人身取引です。

「人身取引」という用語は、実はミスリーディングであると、人身取引問題に取り組む専門家や関係者らは感じています。取引(trafficking)というと、麻薬取引のように物を売買し運搬することをイメージしがちですが、人身取引問題の核は、人を取引することではなく、その結果、人を隷属状態におくこと(enslavement)にあるからです。言いかえれば、現代の人身取引の多くは、人を物理的に無理やり拉致し売買するというよりも、甘言によって騙し、売春や強制労働などの搾取の現場まで移動させ、債務を負わせたり身分証をとりあげたり、脅迫やマインド・コントロールによって、自らの意思で逃れることができない隷属状態におきます。その方法は、より巧妙になってきており、被害者が自らを被害者であると気づかないケースも多いです。例えば、身分証を取り上げるのも、紛失しないように保管してやる、監視をつけたり監禁したりするのも、警察に見つかると逮捕されるから見つからないように保護してやるという手口です。

かつて存在した奴隷貿易、人身売買が、なぜ21世紀において「人身取引」として国際社会のアジェンダになっているのでしょうか。現代の人身取引問題の直接そして間接的背景・原因としては、貧困、就労そのほかの社会経済機会の欠如、ジェンダーを要因とする暴力、差別、周辺化が挙げられます。交通・情報通信手段の発達、国境管理政策、移民労働者政策、汚職、産業構造、ローリスク・ハイリターンの人身取引というビジネスを可能にさせる構造なども関係しています。

人身取引のパターンや傾向の正確な把握は、その調査対象が、被害者、非正規移民、トラフィッカー、犯罪者という「隠された人口」であるために、そして、人身取引問題が多くの政府にとって、自国の入国管理政策、外国人労働者政策、売春に対する政策、社会構造や汚職などに関係するセンシティヴな問題であるために容易ではありません。人身取引問題を理解し解明するためには、国際法上における「人身取引」という定義の分析と同時に、「人身取引」と称される犯罪をとりまく現象に対する複数の視角からの分析が必要とされています。とくに必要な研究は、需要サイドすなわち人身取引市場を存在させる要因、人身取引を招きやすい特定の産業の構造、汚職、国内と国際人身取引のリンケージ、反人身取引対策のインパクトや効果の評価などです。

「人身取引」は、人身取引罪として規定される刑事司法制度上の問題であるのみならず、開発途上国と先進国の政治経済社会問題です。

山田 美和