第11回 「近代化」の中のジェンダー(2)
秩序としての混沌—インド研究ノート
インド
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もちろん、「先進国」と呼ばれる国々においても、女性が社会的に不利な立場に置かれていることにかわりはない。例えば、国内の政治や経済に関するニュースを思い浮かべてみればすぐにわかるように、日本の政界・官界・財界などで中心的な役割を担っているのはほとんど男性ばかりである。そして、大臣などの重要ポストへ女性が登用されたとしても、それが「サプライズ人事」とか「目玉人事」とみなされてしまうこと自体、女性の社会進出が一向に進んでいない日本の現状を何よりも如実に物語っている。また、様々な分野で女性が活躍していると考えられているアメリカでも、女性の社会進出をめぐる問題は依然として重要な議論の的なのである(例えば、大きな話題を呼んだ議論として、 参考文献(1)を参照)。
しかし、日本やアメリカなどと比べて、インドの女性たちが社会のなかで受けている不利益は、その性質や深刻さがまったく別次元のものであるといわざるをえない。なぜなら、それは女性の生存——さらには、そもそもこの世に生を受けられるかどうか——というあまりにも根本的な問題を孕んでいるからである。
女性に対する深刻な社会的差別が存在するかどうかを測るための尺度として、男性と女性の人口比である「性比」(sex ratio)がよく用いられる。なぜこのような指標が使われるかというと、男性に比べて女性が極端に少ないアンバランスな人口分布は、女性への根強い差別や偏見が社会にあることを強く疑わせるからである(本稿では、男性1000人あたりの女性の人口を性比と呼ぶことにする。したがって、性比の値が1000よりも大きければ、男性の人口よりも女性の人口の方が多いことを意味する。ただし、男性人口と女性人口のどちらが分母または分子になるかなど、文献によって性比の定義は異なる)。
男性1000人あたりの 女性人口 | 1人あたり 国民総所得 | ||
---|---|---|---|
2001年 | 2011年 | (2010年) | |
南アジア | |||
インド | 931 | 938 | 1,340 |
パキスタン | 953 | 969 | 1,050 |
バングラデシュ | 949 | 976 | 640 |
ネパール | 1,008 | 1,016 | 490 |
スリランカ | 1,008 | 1,028 | 2,290 |
中国・東南アジア | |||
中国 | 931 | 927 | 4,260 |
マレーシア | 965 | 972 | 7,900 |
フィリピン | 984 | 977 | 2,050 |
インドネシア | 1,000 | 1,004 | 2,580 |
ベトナム | 1,033 | 1,024 | 1,100 |
タイ | 1,033 | 1,037 | 4,210 |
先進国 | |||
アメリカ | 1,037 | 1,024 | 47,140 |
イギリス | 1,049 | 1,033 | 38,540 |
ドイツ | 1,049 | 1,041 | 43,330 |
フランス | 1,071 | 1,053 | 42,390 |
日本 | 1,045 | 1,053 | 42,150 |
(注) 1人あたりの国民総所得は、米ドルを単位としている。
表1は、(1)南アジア、(2)中国・東南アジア、(3)先進国という3つのグループごとにいくつかの国を取り上げ、それぞれについて性比と一人あたりの国民総所得を示したものである。この表から、以下の3つの点を読み取ることができる。
第一に、日本や欧米諸国では、性比の値は一様に1000を超えており、女性が全人口の半数以上を占めている。この背後には、生物学的な理由から女児よりも男児の方が若干多く生まれるものの、女性は病気などに対してより強く長生きする傾向にあるため、全体的には女性の人口が男性の人口を上回るというメカニズムが働いている( 参考文献(2) )。
第二に、先進国以外でも性比の値が1000を超える国がある一方で、一部の途上国では、全人口に占める女性の割合が極端に小さい。そのため、同じグループ内であっても、国によって男女比に大きな違いがみられる。特に、インドと中国という2つの人口大国はともに性比が930~940前後と異常に低く、その突出ぶりが際立っている(中国の男女間格差については、 参考文献(3) を参照)。
第三に、人口に占める女性の割合と経済水準がともに高い先進国を除くと、性比と一人あたりの国民総所得の間にはっきりとした関連性は認められない。図1は、この点をより明瞭な形で表している。
(出所) http://data.worldbank.org/のデータを基に著者作成。
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次に、インド国内の地域間で性比を比較してみることにしよう。図2は、インドの主要な州を北部・東部・西部・南部という4つのグループに分類したうえで、1961~2011年の間に行われたセンサスのデータを用いて、性比の推移を地域ごとに表したものである(ちなみに、インドのセンサスは10年に一度、西暦の下一桁が1の年に行われる)。
(出所) Census of Indiaのデータを基に著者作成。
(注) 各地域を以下の州によって構成されてる。南部(4州):ケーララ州、タミル・ナードゥ州、アーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、西部(2州):マハーラーシュトラ州、グジャラート州、東部(4州):西ベンガル州、ビハール州、ジャールカンド州、オリッサ州、北部(7州):パンジャーブ州、ハリヤーナー州、ウッタル・プラデーシュ州、ウッタラカンド州、ラージャスターン州、マディヤ・プラデーシュ州、チャッティースガル州。 |
まず目につくのが、地域間に顕著な格差が存在するということである。とりわけ、性比が極端な「南高北低」の傾向を示していることが一目瞭然である。実際には、それぞれの地域内にもさらにばらつきがあるため、州ごとにデータをみることで、インド国内により大きな性比の隔たりがあることがわかる(さらに、一つの州のなかにも格差があることはいうまでもない)。例えば、2011年のデータによると、南部のケーララ州の性比は1084と先進国並みの値を示している一方で、パンジャーブ州とハリヤーナー州という経済的に豊かな北部の2州では、性比がそれぞれ893と877と極めて低く、ケーララ州との差は約200ポイントにも及んでいる。
また、過去20年間で(西部を除いて)全体的に男女比のアンバランスが少しずつ解消されつつあるという点も注目に値する。例えば、インド全体の性比に目を向けてみると、男性1000人あたりの女性の人口は、1991年には927、2001年には933、そして、2011年には940と着実に改善する傾向にある。
(出所) Census of Indiaのデータを基に著者作成。
(注) 図2を参照。 |
ところが、驚くべきことに、0~6歳の子どもの性比(child sex ratio)はまったく異なるパターンを描きながら推移している。つまり、図3ではっきりと示されているように、過去50年間にわたって子どもの性比は大きな地域差を伴いながらも一様に低下し続けており、悪化に歯止めがかかっていないのである。
(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)
- Slaughter, Anne-Marie (2012) “Why Women Still Can’t Have It All,” Atlantic , July/August.
( http://www.theatlantic.com/magazine/archive/2012/07/why-women-still-cant-have-it-all/309020/ ) - Sen, Amartya (1990) “More than 100 Million Women Are Missing,” New York Times Review of Books , December 20.
- World Bank (2006) Gender Gaps in China: Facts and Figures .
( http://siteresources.worldbank.org/INTEAPREGTOPGENDER/Resources/Gender-Gaps-Figures&Facts.pdf )
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