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論考:ガチャチャ裁判が命じた賠償をめぐる当事者の交渉――ルワンダ・ジェノサイドに関連する罪の赦しと和解――

アフリカレポート

No.57

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050712

論考:ガチャチャ裁判が命じた賠償をめぐる当事者の交渉――ルワンダ・ジェノサイドに関連する罪の赦しと和解――

■ 論考:ガチャチャ裁判が命じた賠償をめぐる当事者の交渉――ルワンダ・ジェノサイドに関連する罪の赦しと和解――
■ 片山 夏紀
■ 『アフリカレポート』2019年 No.57、pp.22-33
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要約

ルワンダ・ジェノサイドに加担した民間人の罪を裁くガチャチャ裁判は、ローカルレベルにおける移行期正義の取組みであり、和解の促進もひとつの目的であった。被害者と加害者が同じ村で暮らし、日常的に顔を合わせる状況で、裁判が促す赦しや和解の可能性についても先行研究で議論されてきた。本稿の目的は、裁判閉廷から6年が経過した現在、農村における赦しや和解がどのように行われているのかを明らかにすることである。窃盗や器物損壊罪の賠償をめぐって「賠償」という語句を用いず、被害者は「赦す」(-babarira)、加害者は「赦しを求める」(-saba imbabazi)という語句を用いて交渉することが独特であり、本稿はその点に着眼した。このような交渉からみえてきたのは、当事者同士が関係を断たずに保とうと努めていることであり、筆者はそれを現実的な和解と捉える。本稿では、先行研究が論じた和解の理念という視点を変えて、ジェノサイド後の和解を考察する。

キーワード : ルワンダ・ジェノサイド ガチャチャ裁判 賠償 赦し 和解

はじめに

本稿の目的は、ガチャチャ裁判(Inkiko Gacaca)が命じた賠償をめぐる被害者と加害者の交渉から、当事者の和解を考察することである。ジェノサイドに加担した民間人の罪を裁いたガチャチャ裁判がローカルレベルで施行され、窃盗や器物損壊罪には賠償が命じられた。貧困などの理由で支払いが難しい場合、加害者が被害者に減免を求める事例が多数ある。被害者は要求に応じて、賠償金を減額する、賠償請求を放棄する、あるいは労働に代替する、といった対応をとる。このような賠償をめぐる個人間の交渉には「赦す」(-babarira)、そして「赦しを求める」(-saba imbabazi)という語句が使われている。  

賠償をめぐる減免を「賠償」という語句を用いず「赦す」と表現することは、当事者の和解を考察するうえで示唆的であり、後述する現状からも裏付けられる。現地調査を行う前の時点で筆者は、Clark[2011]が主張したように、当事者の交流が持続すれば被害者は加害者を赦し、双方は和解できると想定していた。現地で聞き取りを始めると、ガチャチャ裁判に関して「赦す」という言い回しを頻繁に耳にするようになり、これだけ多くの人々が驚くような早さで赦しに至ったのかと初めは感嘆した。ところが聞き取りを重ねるうちに、賠償金の減額や賠償請求の取りやめを「赦す」と表現すること、その表現には想定していた赦しのニュアンスとは異なる現実的な意味合いが含まれていることが分かってきた。被害者のなかには、たとえ不本意でも-babarira「赦す」と述べて、罪を赦したように振る舞う者もいる。賠償を引き継ぐ加害者家族のなかには、被害者が知り合いならば減免を受け入れてくれるという期待を込めて、-saba imbabazi「赦しを求める」と述べる者もいる。そこからみえてきたのは、想定していた道徳的な赦しや和解よりも、当事者が生活を営むうえで関係を維持するための和解が重視されているということである。  

本稿の流れは以下のとおりである。第1節では、ガチャチャ裁判が命じる賠償に関する問題を中心に、研究の背景を述べる。第2節では、本研究のキーワードである-babarira-saba imbabaziの意味と用法を解説する。第3節では、ガチャチャ裁判における赦しや和解を分析した先行研究を検討し、筆者の立場を明らかにする。第4、5節では現地調査の方法と調査地について概説する。第6節では被害者が賠償を減免する事例、第7節では加害者が賠償の減免を願い出る事例から、賠償における当事者にとっての赦しの意味合いを分析する。

1.ガチャチャ裁判が命じた賠償をめぐる問題

ルワンダ・ジェノサイドに関連する罪に問われた民間人を裁くガチャチャ裁判は、ローカルレベルにおける移行期正義の取組みである。移行期正義とは、軍事独裁政権や紛争後の社会が、民主的な社会に「移行」する際に、過去の人権侵害行為に対処する措置であり、「正義」を追及する一連の取組みである1[望月 2012, 1]。

ガチャチャ裁判の制度を概説する前に、ルワンダ・ジェノサイドについて触れておく。ルワンダでは、人口の8割強をフトゥ(Hutu)、1割強をトゥチ(Tutsi)、1%程度をトゥワ(Twa)が占め、同じバントゥー系言語(ルワンダ語)を話し、信仰する宗教にも顕著な差はなく、混じり合って居住する2[武内 2009a, 83-84]。3つのエスニシティは、ドイツとベルギーによる統治以前から存在し、ルワンダ王国の中心部ではトゥチがフトゥを支配したとされるが、周辺部においては、トゥチ、フトゥというアイデンティティはそれほど重要なものではなかった3[武内 2009a, 102]。ルワンダは、第1次世界大戦以前はドイツの保護領になり、第1次世界大戦後はベルギーの委任統治および信託統治下にあった。統治期にトゥチを優遇する政策がとられたため、支配集団としてのトゥチ、被支配集団としてのフトゥ(およびトゥワ)という観念が、ルワンダ人に内化されていった[武内 2009a, 128]。しかし、1959年の万聖節の騒乱を機に社会革命が始まり、トゥチは国外へ追放される。1962年にルワンダが独立すると、トゥチ・エリート中心の政治体制に代わってフトゥ・エリートが国家権力を握った[武内 2009a, 210]。国外追放されたトゥチ難民の第二世代は、武装勢力「ルワンダ愛国戦線」(Rwandan Patriotic Front: RPF)を結成する。1990年に祖国解放を掲げたRPFがルワンダに侵攻し、ハビャリマナ(Habyarimana Juvénal)政権との内戦が始まった。1994年4月6日にハビャリマナ大統領が搭乗した飛行機が撃墜されたことも引き金となり、フトゥの急進派勢力は、トゥチと穏健派フトゥを標的にしたジェノサイドを扇動した(死者は50〜80万人と推定される)。同年7月18日に、RPFがルワンダを制圧してジェノサイドは終結した。同勢力は与党になり、現在まで政権を握っている。

ジェノサイドに関連する罪は、以下4つの裁判で審理された。①ルワンダ国際刑事裁判所、②ルワンダ国内の裁判所、③普遍的管轄権にもとづく欧米諸国の裁判所、④ガチャチャ裁判である4。①②③はジェノサイドを謀って扇動した者、④はジェノサイドに加担した民間人を対象にした。移行期正義を追及する過程で批判されてきたのは、RPFの勝者の正義(victor’s justice)である。フトゥ中心の旧政府が犯した罪が裁かれる一方で、RPFの軍事部門(Rwandan Patriotic Army)による民間人の傷害や殺害が報告されているが、訴追は軽いものに止まっている[Human Rights Watch 2008, 89-90]。

本稿が焦点を当てるのは、④のガチャチャ裁判である。ガチャチャは、ルワンダ語で「芝」を意味する。レインチェンスの調査によれば、ベルギーの統治期から内戦が始まるまでのガチャチャでは、隣人が芝に座って住民間の日常的な揉め事(誹謗中傷、傷害、土地問題など)を話し合って解決していた5。ジェノサイド後のガチャチャ裁判は刑事裁判に改変され、1990年10月1日〜1994年12月31日のジェノサイドに関連する罪と人道に反する罪を審理するために、2001~2012年の12年間にわたり、全国の末端行政機構のセクター(umurenge)とセル(akagari)で施行された6。以下では、ガチャチャ裁判の制度を概説しておく7。ガチャチャ裁判は、セクター・ガチャチャ法廷、セル・ガチャチャ法廷、控訴審・ガチャチャ法廷に大別される。セクター・ガチャチャ法廷は、ジェノサイド時の殺人や暴行罪に懲役と公益労働を科した。セル・ガチャチャ法廷は、窃盗や器物損壊罪に賠償を命じた。控訴審・ガチャチャ法廷はセクターレベルに設置され、被疑者が異議を唱えた判決を再審理した。3つの法廷は、それぞれ総会(General Assembly)、判事団(Seat)、調整委員会(Coordination Committee)で構成される。セル・ガチャチャ法廷総会の構成員は、当該セル居住者のうち18歳以上の全員であり、総会から判事団7人(補欠2人)が選出される。被害者や住民による証言および加害者の自白をもとに、総会構成員が被疑者リストを作成する。リストにもとづいて被疑者が法廷に召喚され、判事団が罪状を確定した[武内 2008, 323-324]。全国で100万3227人が裁かれ、195万8634件が審理されたうち、窃盗と器物損壊罪が132万554件で圧倒的に多い[NSGC 2012, 34, 37]。

窃盗と器物損壊罪に命じられた賠償は、ガチャチャ裁判閉廷後も清算されていない事例が多い。国家ガチャチャ法務局(National Service of Gacaca Courts: NSGC)とルワンダ大学の紛争マネージメントセンター(Centre for Conflict Management: CCM)が行った聞き取り調査によれば、賠償を命じられた回答者のうち未払いは40%で、賠償金を期限内に滞りなく受け取ったと回答した被害者は8%に止まっている8[CCM 2012, 139]。賠償をめぐる問題は、当事者に不安や緊張をもたらす深刻なものであると指摘されている[CCM 2012, 139]。したがって、本稿の議論は賠償を主たる対象とする。


2.-babarira-saba imbabaziの意味と用法

ガチャチャ裁判の賠償をめぐる被害者と加害者の交渉には -babarira「赦す」あるいは -saba imbabazi「赦しを求める」という表現が頻出するため、それらの文法構造と意味内容を簡単に説明する。「ジェノサイドで牛を盗まれて、加害者から賠償金をいくらもらいましたか?」という問いに、被害者はしばしば「ナラムババリエ」(naramubabariye「私は彼をすでに赦しました」)と返答する。「私は彼をすでに赦しました」という日本語訳からはnaramubabariyeがひとつの文のように見えるが、これはもともと -babarira「赦す・許す」という動詞の活用形である。ルワンダ語の動詞は膠着性が高く、主語や目的語に一致する呼応接辞や時制などを表す接辞が動詞語根に付加されて構成される。naramubabariyeは、動詞語根 -babarir- に、一人称単数主語と三人称単数目的語に一致した接辞、過去完了を表す諸接辞が加えられた活用形で、以下のように構成されている。

n-a-ra-mu-babarir-ye > naramubabariye(音韻規則により語根末のrは脱落する)
主語(私)-過去-完了-目的語(彼)-赦す-完了

つまりnaramubabariyeは、動詞 -babarira「赦す・許す」が、一人称単数主語・三人称単数目的語・過去完了に活用した形である。同時に、「私は彼をすでに赦した」という独立した文としても用いられる。賠償をめぐって使われる -babariraは、被害者が加害者の賠償請求を取りやめること、賠償金を減額すること、あるいは労働に代替することを意味する。ルワンダ語には「賠償」を意味するindishyi、ingurane、ubwishyuといった単語があるが、ガチャチャ裁判の賠償について話をする場合には、これらはあまり用いられない。また、「ジェノサイドで牛を盗んで、被害者に賠償金をいくら払いましたか?」という問いに対して、加害者は「ナサビェ インババズィ」(nasabye imbabazi.「私は赦しを求めました」あるいは「私は謝罪しました」)と返答するのが一般的である。賠償をめぐって使われる -saba imbabazi「赦しを求める」という表現は、加害者が被害者に賠償請求をあきらめてもらうこと、または賠償金を減額してもらうこと、あるいは賠償金支払いを労働に代替してもらうことを意味する。-sabaは「求める」という意味の動詞、imbabazi「赦し」は動詞-babarira「赦す」から派生した名詞である。

-saba imbabazi「赦しを求める」という表現は、賠償以外にキリスト教の儀礼や対人関係の修復などに用いられる。宗教儀礼の懺悔では、信者が司教や司祭に罪を告白し、罪を認め、罪を悔い、赦しを求めれば、神から赦される。懺悔はガチャチャ裁判の減刑制度にも適用されており、殺人や暴行罪の被疑者が自白し、罪を認め、罪を悔い、赦しを求めれば、懲役や公益労働の刑期が短縮される9。また、相手と揉めた場合は、謝罪して関係修復をするためにこの表現を用いる。

3.先行研究の検討

本節では、筆者の立場を明らかにするために、ガチャチャ裁判における当事者の赦しや和解に関する先行研究を検討する。代表的な先行研究にクラークの著作があり、彼の議論のポイントは次の2点に集約される。1点目は、ガチャチャ裁判によって、当事者は赦しと和解のプロセスのスタートラインにつくことができたと主張した点である[Clark 2011, 306, 341]。被害者が加害者への恨みを断って復讐をあきらめ(赦しの出発点)、当事者が同じ村で暮らし(和解の出発点)、対話や交流が継続すれば将来的には壊れた関係を修復できるとした。2点目は、キリスト教の教えがガチャチャ裁判における赦しと和解を推進したと主張した点である[Clark 2011, 283-289, 297-298, 302-303, 309, 319-325, 341]。キリスト教系組織や聖職者は、当事者の対話を促すためにクリスチャン・ガチャチャと呼ばれる場を設けたり、刑務所を訪問したりして、加害者には罪の自白と謝罪を、被害者には赦しを説いた。キリスト教の教義の普及にともなって、裁判で和解が追求されるべきというポジティブな認識が広まったという。クラークの先行研究の意義は、ガチャチャ裁判における被害者の赦しや当事者の和解の理念を示したことである。彼が農村で調査を行った時期は、ガチャチャ裁判が始まって間もない2003〜2006年であり、裁判が促す赦しや和解に大きな期待が寄せられていたことが窺える。

クラークの議論を受けて筆者は、裁判閉廷後から現在まで、赦しや和解がどのように行われてきたのかを補う必要があると考える。クラークの調査から約10年が経過した時点で、筆者は現地調査を実施した。その結果、裁判の賠償をめぐる現実的な赦しや和解が、生活に根ざして行われていることが分かってきた。被害者と加害者が近隣で暮らす状況では、家族の安全を守る、危険を回避する、体裁を保つ、住民との揉め事を避けるなどの利害関係が生じ、当事者は互いの関係を調整しながら生活を切り抜けている。先行研究をふまえ、筆者の立場は、このような現実的で具体的な赦しや和解の要因を補足することである。

4.調査方法

調査方法は、聞き取りと裁判記録の閲覧が中心である。2014〜2016年までの2年間現地に滞在し、3セクターに4〜8ヶ月ずつ住み込んで、5つの村(umudugudu)で聞き取りを行った。ルワンダで調査する者は、教育省の科学技術研究局長(Director General of Science, Technology and Research in the Ministry of Education)から調査許可を取得するよう省令で定められており10、筆者はルワンダ大学CCMと提携して許可証を取得した。長期にわたって農村に住み込む場合は、地方行政官や住民とのトラブルを避けるため、筆者は調査地を包括する郡長(Mayor)、セクター長(the executive secretary of the Sector)、セル長(the executive secretary of the Cell)および村長と面会し、調査内容や滞在期間を説明し、許可証のコピーを提出してから調査を始めた。

政府の公式な許可証を取得したとはいえ、ジェノサイドの凄惨な過去に触れる聞き取りは容易ではなかった。なぜなら、調査協力者はジェノサイドの陰惨な記憶に蓋をし、政府からの弾圧を恐れて口を閉ざし、ときに研究者を警戒するためである。そのような調査協力者に対して、調査目的や身分をできる限り説明して理解してもらえるよう努めた。センシティブな聞き取り内容ゆえに調査協力者に居留守を使われたときは、彼の親友が彼の人柄と付き合い方を丁寧に教えてくれた。これは、調査目的を汲み取ってくれた住民に助け船を出してもらった一例であり、このような積み重ねで聞き取りが実現した。聞き取るうえで最も重要なのは住民との関係づくりであり、農作業を手伝わせてもらったり、井戸端会議に入ったり、冠婚葬祭に参加させてもらったりした。調査地に徐々に馴染んでくると、調査協力者の人柄や生活習慣が少しずつ分かるようになり、会話が噛み合い始めて聞き取りが進むようになった。

もう1つの方法は、調査協力者の語りとガチャチャ裁判の裁判記録を突き合わせて補完したことである。ジェノサイド時の犯罪は集団(ibitero)で行われ、加害者、被害者、遺族は広範囲に派生しており、関係者1人1人に聞き取った。その結果、語りに齟齬が生じる、あるいは事件の状況が掴みにくい場合は裁判記録と比較した。ガチャチャ裁判の裁判記録は、首都キガリ(Kigali)市内警察本部に保管されており、記録を管轄する反ジェノサイド国家委員会(National Commission for the Fight against Genocide)との長期にわたる交渉の末に閲覧許可を取得した。

5.調査地概要

ジェノサイドの被害状況には地域差があり、それにともなって賠償をめぐる問題にも差が出てくる。筆者は、被害者が多い地域と加害者が多い地域を基準に、南部・東部・西部州に位置する調査地を選定し、被害者、加害者、双方の家族、ガチャチャ裁判の判事を中心に97名に聞き取りを行った。本稿では、賠償の問題が深刻であった西部州ルツィロ郡(Akarere ka Rutsiro)XセクターYセルを取り上げる。賠償に関する情報を集約するセル長の協力で、賠償を完済されていない被害者と賠償を支払い終えていない加害者のリストを閲覧できた11。被害者リストによれば、Yセル在住の被害者5名が現在も賠償を請求し続けている。加害者リストによれば、Yセル在住の加害者47名が現在も賠償未払いのままである。加害者47名のうち21名は亡くなり、その家族が賠償を引き継いでいる。

Yセルには7つの村があり、筆者は7つのうち1つのZ村に住み込んで調査を行った。調査時の人口は1216人(254世帯)で12、被害者と加害者は隣り合って暮らし、農作業、市場、礼拝、冠婚葬祭、集会、カバレと呼ばれる酒場などで日常的に顔を合わせる。Z村のジェノサイドでは他村から来た集団による殺害が多く、殺害に加担した加害者とその被害者遺族が近隣に住む事例は1例に限られている。窃盗や器物損壊罪に関しては、被害者1名に対して複数名の加害者がおり(Z村または他村在住)、賠償をめぐる被害者の対応は、それぞれの加害者との交渉で異なってくる。交渉の結果、賠償をめぐる被害者と加害者の関係は以下のようになる。①ガチャチャ裁判で命じられたとおりの賠償金を全額受け取る、②赦しを求められて賠償金を減額する、③赦しを求められて賠償請求を放棄する、④赦しを求められて労働に代替する。ただし、赦しも求められず賠償も放置され交渉されないケースもある。Z村在住の被害者7名のうち6名は、それぞれの加害者と上記のうちいずれかの関係になる。赦しを求められると被害者は加害者の要求に合わせて対応するが、被害者7名のうち残り1名は赦しを求められても減免せずに賠償を請求し続けており、このような珍しい事例についても後述する。一方、Z村在住の加害者は10名で、うち殺人や暴行罪のみで裁かれたのは2名、窃盗や器物損壊罪のみで裁かれたのは2名、両方の罪で裁かれたのは6名である。殺人や暴行罪には懲役と公益労働のみが科されて賠償は命じられないため、窃盗や器物損壊罪の賠償を支払っているのは8名である(うち2名が死亡し、その家族が賠償を引き継いでいる)。この8名はそれぞれ複数の被害者への賠償を命じられており、すべての被害者の賠償金を完済したのは5名、未払いが残っているのは3名である。

6.被害者の-babarira

本節では、Z村在住の被害者7名のうち、3名の賠償をめぐる赦しの事例を取り上げる。まずは、加害者全員を赦して賠償請求を全額あきらめた被害者をみていく。被害者Rさん(60代男性)は、農業を生業にする13。ジェノサイドで家族を亡くし、空腹に苛み、貧困に喘ぎ、筆舌に尽くし難い哀しみを味わったと述べた。母親、妻、4人の子どもと共にルツィロ郡南部に隣接するカロンギ郡(Karongi)に逃げ、バラバラに身を隠していたが、Rさん以外の家族は殺害され、彼は家族を殺害した加害者を知らない。カロンギ郡から隣国コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo: DRC)の難民キャンプに一旦逃れてZ村に戻ると、自宅は破壊され、家財も盗まれていた。盗まれたのは、セメント入りの煉瓦と屋根、マット1枚、テーブル2台、椅子9脚、ベッド2台、衣服、毛布2枚だった14。Rさんの財産を略奪したZ村に住む加害者が、ガチャチャ裁判で裁かれた。判事は財産の総額を査定し、加害者たちに賠償支払いを命じたが、彼は賠償請求をすべて取りやめた。彼は「ジェノサイドで家族を失い、劣悪な環境で生き抜かねばならず、以前の自分の優しい心は硬直してしまった。しかし、財産を略奪した加害者が赦しを求めに来て、心が和らいで怒りが鎮まり始め、少しずつ状況が好転してきている。略奪した者たちを全員赦し(-babarira)、賠償は受け取っていない」と冷静に述べた。

Rさんは、なぜ加害者を赦して賠償請求を取りやめたのか。ジェノサイド後、新しい家族をもうけ、殺害された姉と妹の1ヘクタールのコーヒー畑を譲り受け、生豆を卸し(1キログラム1000ルワンダフラン(RWF)、約129円)15、限られた現金収入で生活を立て直してきた。現在の生活がどうにか成り立っていることも、赦しの要因と考えられる。さらに、彼が生まれ育ったZ村では1973年に暴動が起こり、父親を含む5人のトゥチが殺害されて住まいが放火された。1973年と1994年の2回にわたって彼はトゥチへの迫害を経験した。賠償よりも赦しを選んだ理由は、加害者とのこじれを回避して、新たな家族の安全を守ることを優先したためと推察できる。加えてRさんは、住民間の揉め事を仲裁するアブンジ(Komite y’Abunzi)の判事を無償で務め16、有事の際に積立金を充てて助け合うグループにも所属し、積極的に地域に貢献している。住民から信頼を得ることが、彼にとっては危害から身を守る術であり、赦しを選択したことが窺える。

農業を生業にする被害者Nさん(50代男性)は、ジェノサイドで、両親、姉妹4人、弟1人、妻を殺害された17。妊娠中の妻が、石で殴り殺されて湖に捨てられたことを人づてに聞いたと、涙ながらに語った。DRCに逃げ延びた彼は、家族を殺害した者を知らない。村に戻ると家は破壊され、家畜や財産は略奪されていた。ガチャチャ裁判の判事は、彼が失った財産の総額を査定して容疑者の数で割り、各々に賠償を命じた。Nさんは、賠償を命じられた加害者のうち1名に赦しを求められ、47万RWF(約6万630円)の賠償請求を取りやめた。その加害者が、殺人罪で15年の懲役と公益労働に服さなければならないと申し出たためである。加害者が服役している間は、加害者の家族が賠償支払いに奔走する事例が多く、Nさんは家族の事情を察して賠償を強く要求できなかった。加害者は、赦してもらったお礼に近隣住民から助けを得て、2頭の牛をNさんに贈った。ルワンダでは牛が重宝され、牛の贈与は固い絆の証とされる。両者は、現在も互いに訪問しあう仲である。先行研究では、加害者の要求に応じて被害者が賠償を減免する事例が報告されているが[Ingelaere 2016, 156-157]、Nさんのように減免した代わりに牛をもらう事例は珍しい。他方で、Nさんに賠償金を支払っていない加害者が近隣に住んでいるが、Nさんは取り立てることをあきらめた。なぜなら、Z村在住の他の被害者が加害者に賠償を強要し、彼らの関係が悪化したからである。被害者が賠償を請求し続けると、周囲から「がめつい」と顰蹙を買って村八分にされる懸念もあり、Nさんは加害者との協力的な関係(umubano)を維持するために、不本意ではあるが賠償請求を放棄した。

Z村には、43名の加害者に現在も賠償請求を続けている被害者(女性)がいる。彼女に賠償を完済したある加害者は、賠償の工面で畑を売り払ったため、生計が成り立たなくなり村を出た18。被害者が賠償を受け取ることは当然だが、彼女が加害者の生活状況を考慮しなかったことに、住民は心証を悪くしている。彼女は土地や家畜を複数所有しており、生活に困窮しているわけではないが、加害者の求める赦しには応じていない。

7.加害者の-saba imbabazi

本節では、Z村在住の加害者10名のうち、賠償を引き継ぐ2名の加害者家族の事例を挙げる。Bさん(40代女性)は、農業を生業にする19。彼女の父親は、ガチャチャ裁判にて殺人罪と窃盗罪で訴えられ、懲役と賠償を命じられたが、賠償未払いのまま2004年に病死した。その後、彼女が父親に代わって賠償を支払った。隣村に在住する被害者に赦しを求め(-saba imbabazi)、賠償金を半額にしてもらった。一方で、父親の病死後、父親を窃盗罪で訴えたZ村在住の被害者には、ガチャチャ裁判が命じた賠償金を全額支払った。加害者死亡の場合は本人確認ができず、被害者の証言が優位になる。そのことを踏んで被害者が故意に訴えたとBさんは推測し、疑心が残っている。さらに、Bさんの家族は、ジェノサイド以前から交流のある他村在住の被害者Dさん(女性)を匿って助けたが、彼女はガチャチャ裁判でBさんの父親を窃盗罪で訴えた。父親の死後、Bさんは彼女に赦しを求めたが、賠償の減免は受け入れてもらえず、父親の土地を売って完済した。Bさんは「彼女は、匿われた恩があるにもかかわらず、減免を拒否した。道で会えば挨拶を交わすが、以前のように訪ね合うことはない」と述べた。このように、親しくしていた被害者には積極的に赦しを求める場合が多いが、賠償の減額を拒まれると当てにしたぶん落胆し、双方にわだかまりが残ってしまう。

Aさん(20代男性)は、農業を生業にする20。彼によれば、父親はジェノサイドに加担した容疑で政府に追われ、DRCへ逃亡を図ったが道半ばで射殺された。父親の死後、父親に対して屋根の破壊や牛の略奪などの容疑がかけられた。ガチャチャ裁判は、父親に代わってAさんの叔父に賠償を命じたが、叔父が支払いに困窮するようになり、親族間で諍いが起きた。Aさんが賠償を引き継ぐことで落ち着いたものの、彼も支払いに困窮している。2008年以降、コーヒー畑と家畜を売却して賠償金に充て、4名(Z村在住3名と他村在住1名)に完済したが、3名(Z村在住1名と他村在住2名)への賠償は未払いのままである。Aさんは、被害者に赦しを求めず、ガチャチャ裁判で決められた賠償金を全額支払っている。その理由は2つあり、被害者との揉め事を避けるためと、後述するセル長の取り立てに従ったためである。

加害者が死亡する、または殺人や暴行罪に問われて服役中で不在の間は、その家族が賠償を引き継ぐ事例が大半である。AさんやBさんを含む加害者家族は「加害者がいなければ、家族が賠償金を支払う決まりがある」と述べ、引き継ぎが義務であると思い込んでいる。しかし、ガチャチャ裁判の基本法ではそのように定められていない。ルツィロ郡ルハンゴ(Ruhango)地方裁判所を訪れ、裁判官に詳しい説明を求めると、賠償は加害者本人または加害者の財産によって支払われるよう定められているという21。また、賠償未払いは懲役に値するが、それに代わる罰として公益労働へ従事することも定められている22。しかし実際には、未払いの加害者が公益労働を命じられる事例は少ない。それよりも、賠償を取り立てる法的権限を与えられたセル長23が、加害者家族に支払いを強いる事例のほうが多い。Z村を包含するYセルのセル長は、複数の加害者や加害者家族に、財産を強制的に売却して賠償金に充てる通知を手渡していた。この通知を受け取ると、被害者との交渉の余地はなくなり、期日までに賠償金を全額支払わなければならない。筆者の調査地では、セル長が能動的に賠償を取り立てているセルと、未払い案件を棚上げにしているセルがあり、地方行政官の働きによって賠償をとりまく状況は異なっている。

おわりに

本研究の意義は、ジェノサイド後の赦しや和解について、先行研究の議論とは角度を変えて考察したことである。本稿では、ガチャチャ裁判が窃盗や器物損壊罪に命じた賠償をめぐって、当事者が「赦す」(-babarira)、そして「赦しを求める」(-saba imbabazi)と表現する交渉の事例に着目してきた。賠償に関する被害者の「赦す」という表現には、加害者との関わりを絶たずに距離を調整する意味合いが含まれている。また、加害者家族の「赦しを求める」という表現には、賠償支払いに奔走している状況を被害者に理解してもらい、減免を期待する意味合いが含まれている。赦す、赦しを求めるという表現を使う独自の交渉からみえてきたのが、本稿で主張してきた現実的な和解である。

ガチャチャ裁判は「ジェノサイドに加担した民間人の罪をどのように清算するのか?」という課題への取組みであった。窃盗や器物損壊罪に関しては、加害者は賠償を支払うかたちで罪を償い、被害者は加害者の要求に応じて減免を受け入れてきた。しかし、賠償未払いの問題や被害者感情は依然として残り、クラークが想定したような道徳的な赦しや和解の道のりにはまだ時間を要する。このような現状で、同じ村で暮らしを営む当事者は、現実的な和解を行って関係を保ち続けている。

[謝辞]本稿の執筆にあたっては、公益財団法人松下幸之助記念財団による松下幸之助国際スカラシップおよび研究助成、JSPS科研費JP17J05587およびJP23221012の助成を受け、調査が実現したことに感謝いたします。また、査読の先生方から頂いた貴重なコメントを励みに今後も研鑽いたします。最後に、調査にあたたかく協力して下さったルワンダの方々をはじめ、本研究のご支援を賜ったすべての方々に深謝いたします。

参考文献

〈日本語文献〉

  • クロス京子 2016.『移行期正義と和解―規範の多系的伝播・受容過程』有信堂高文社.
  • 佐々木和之 2016.「〈和解をもたらす正義〉ガチャチャの実験―ルワンダのジェノサイドと移行期正義」太田至シリーズ総編 遠藤貢編『アフリカ潜在力 第2巻 武力紛争を越える―せめぎ合う制度と戦略のなかで』京都大学学術出版会.
  • 杉山知子 2011.『移行期の正義とラテンアメリカの教訓―真実と正義の政治学―』北樹出版.
  • 武内進一 2008. 「ルワンダのガチャチャ―その制度と農村社会にとっての意味―」武内進一編『戦争と平和の間―紛争勃発後のアフリカと国際社会―』アジア経済研究所.
  • ─2009a.『現代アフリカの紛争と国家―ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』明石書店.
  • ─2009b. 「ルワンダの農村社会と民衆司法―アブンジを中心に―」児玉由佳編『現代アフリカ農村と公共圏』アジア経済研究所.
  • 望月康恵 2012. 『移行期正義―国際社会における正義の追及―』法律文化社.

〈外国語文献〉

  • Bornkamm, C. Paul 2012. Rwanda’s Gacaca Courts: Between Retribution and Reparation. Oxford: Oxford University Press.
  • Burnet, E. Jennie 2008. “The Injustice of Local Justice: Truth, Reconciliation, and Revenge in Rwanda.” Genocide Studies and Prevention: An International Journal 3(2-4): 173-193.
  • CCM (Centre for Conflict Management) 2012. Evaluation of Gacaca Process: Achieved Results per Objective. (http://www.rwandapedia.rw/content/gacaca-reports 2018年10月5日アクセス)
  • Clark, Phil 2011. The Gacaca Courts, Post-Genocide Justice and Reconciliation in Rwanda: Justice without Lawyers. 1st paperback ed. New York: Cambridge University Press.
  • Hayner, B. Priscilla 2011. Unspeakable Truths: Transitional Justice and the Challenge of Truth Commissions. 2nd ed. New York: Routledge (阿部利洋訳『語りえぬ真実―真実委員会の挑戦』平凡社 2006年) .
  • Human Rights Watch 2008. Law and Reality: Progress in Judicial Reform in Rwanda. New York: Human Rights Watch.
  • Ingelaere, Bert 2016. Inside Rwanda’s Gacaca Courts: Seeking Justice after Genocide. Madison: The University of Wisconsin Press.
  • Kritz, J. Neil ed. 1995. Transitional Justice: How Emerging Democracies Reckon with Former Regimes. vol. 1-3. Washington, D.C.: United States Institute of Peace Press.
  • Minow, Martha 1998. Between Vengeance and Forgiveness: Facing History after Genocide and Mass Violence. Boston: Beacon Press (荒木教夫・駒村圭吾訳『復讐と赦しのあいだ―ジェノサイドと大規模暴力の後で歴史と向き合う―』信山社 2003年).
  • NISR (National Institute of Statistics of Rwanda) 2014. Fourth Population and Housing Census: Final Results Publication Tables. Kigali: Republic of Rwanda.
  • NSGC (National Service of Gacaca Courts) 2012. Summary of the Report Presented at the Closing of Gacaca Courts Activities. Kigali: Republic of Rwanda.
  • Reyntjens, Filip 1990. “Le Gacaca ou la Justice du Gazon au Rwanda.” Politique Africaine (40): 31-41.
  • Teitel, G. Ruti 2000. Transitional Justice. New York: Oxford University Press.
  • Thomson, Susan 2013. Whispering Truth to Power: Everyday Resistance to Reconciliation in Postgenocide Rwanda. Madison: The University of Wisconsin Press.

片山 夏紀(かたやま・なつき/東京大学大学院)

脚注


  1. 移行期正義研究の詳細は、Kritz et al.[1995]、Minow[1998]、Teitel[2000]、杉山[2011]、Hayner[2011]、クロス[2016]を参照。
  2. ルワンダ統計局(National Institute of Statistics of Rwanda: NISR)によれば、キリスト教徒(カトリック、プロテスタント、アドヴァンティスト)は人口の約95%、イスラム教徒は約2%、無宗教者は約2.5%、その他は約0.5%である[NISR 2014, 22]。
  3. ドイツとベルギーによる統治以前にルワンダにおいて「国家」が形成される過程で、トゥチとフトゥのアイデンティティが浸透、定着していった経緯は武内[2009a, 82-106]を参照。
  4. ①では、軍人や政治家以外に司祭なども裁かれた。③には、ベルギーやカナダの判例がある。2001年にベルギーの裁判所が、ルワンダ国立大学(現ルワンダ大学)教授と4人の修道女に有罪判決を下した[Burnet 2008, 175]。また、2000年にカナダの裁判所は、実業家ムニャネーザ(Munyaneza Désiré)に人道に反する罪および戦争犯罪で終身刑25年仮釈放なしを下した。 “Her Majesty the Queen(Prosecutor)v. Désiré Munyaneza: Related developments,” International Crimes Database (http://www.internationalcrimesdatabase.org/Case/1176, 2018年9月7日アクセス)
  5. 内戦以前のガチャチャの事例としては、次のようなものがある。住民間の金銭の貸し借りが口論に発展すると、原告が被告を訴え、末端行政機構のセクターを統轄するコンセイエ(conseiller)と住民が意見し合って返済金と罰金を決定した。罰金としてバナナ酒10瓶を被告が用意し、原告と被告と参加者で飲み合って「和解」とした[Reyntjens 1990, 31-32]。
  6. 2006年の地方行政機構改革以前のセクターとセルの人口規模は、セクターが数千~1万人、セルが約1000人であった[武内 2008, 323]。
  7. ガチャチャ裁判の詳細は、武内[2008]の他、Bornkamm[2012]、Thomson[2013]、Ingelaere[2016]、佐々木[2016]などを参照。
  8. NSGCとCCMは、全国で60セクターを選定し計3780人に聞き取りを行った[CCM 2012, 54]。ただし、回答者全体のうち被害者と加害者の割合は示されていない。
  9. 2007年3月1日付の基本法No.10/2007(1990年10月1日から1994年12月31日の間に遂行されたジェノサイド罪あるいは人道に反する罪を訴追し、裁く任務を負ったガチャチャ裁判の組織、権限、機能を定めた2004年6月19日付基本法No.16/2004を変更し、補足する基本法[Organic law modifying and complementing Organic Law No. 16/2004 of 19/6/2004 establishing the organisation, competence and functioning of Gacaca Courts charged with prosecuting and trying the perpetrators of the crime of genocide and other crimes against humanity, committed between October 1,1990 and December 31, 1994 as modified and complemented to date])第13、14条
  10. 2010年12月24日刊行ルワンダ共和国官報特別号、2010年12月9日付の省令No.003/2010(ルワンダにおける研究活動の規定[The ministerial instructions published in the official gazette of the Republic of Rwanda, regulating research activities in Rwanda])第6、7条
  11. 2016年2月20日、Yセルの事務所にて行った筆者によるリストの閲覧より。
  12. 2016年11月9日、キガリ市にて行った筆者によるYセル長への電話での聞き取りより。
  13. 2016年2月9日と2016年2月11日、Z村にて行った筆者によるRさんへの聞き取りより。
  14. 略奪された財産については、聞き取りと裁判記録を照合した。2016年5月17日、キガリ市内警察本部にて行った筆者による裁判記録の閲覧より。
  15. ルワンダフランの為替レートは、2018年9月15日付である。
  16. アブンジは、法の専門家ではない住民が判事に選出され、揉め事を調停する裁判制度である。アブンジの詳細は、武内[2009b]を参照。
  17. 2016年2月23日、Z村にて行った筆者によるNさんへの聞き取りより。
  18. 2016年2月4日、Z村にて行った筆者による住民への聞き取りより。
  19. 2016年3月30日、Z村にて行った筆者によるBさんへの聞き取りより。
  20. 2016年3月28日、Z村にて行った筆者によるAさんへの聞き取りより。
  21. 2016年3月4日、ルハンゴ地方裁判所にて行った筆者による裁判官への聞き取りより。
  22. 2012年6月15日付の基本法No.04/2012(ガチャチャ裁判を閉廷させ、司法管轄権の問題を解決する方法を決定する基本法[Organic Law terminating Gacaca Courts and determining mechanisms for solving issues which were under their jurisdiction])第12条
  23. 2013年3月22日付の法律No.12/2013(執行官の職務を管理する法律[Law of governing the Bailiff Function])第53条