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時事解説: 2017年大統領選挙に向かうケニア——国政選挙への募る不信——

アフリカレポート

No.54

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■ 時事解説: 2017年大統領選挙に向かうケニア——国政選挙への募る不信——
津田 みわ
■ 『アフリカレポート』2016年 No.54、pp.95-100
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はじめに
日本政府主導のもとで1990年代から開催されてきた国際会議「アフリカ開発会議」(Tokyo International Conference on African Development: TICAD)が今年も開催される。第6回目となったTICAD VIは、アフリカ諸国の側からの要請もあり、初のアフリカ大陸での開催となった。その開催地として複数候補の中から選ばれたのが、ケニアである。

開催地選定においては、政治、社会面で一定の安定性が見込まれることが判断材料にあったとみてよかろう。ところが、8月末の会議直前にあたる2016年5月~6月にかけて、ケニアでは都市部を中心に野党勢力による抗議行動が繰り返し起こされ、取り締まりにあたる警察・機動隊と衝突する事態となった。ナイロビでは、高級ホテルや国立大学が建ち並ぶメイン・ストリートで、集結したデモ隊に対し警察・機動隊が催涙弾と放水銃を使用し、多くのけが人が出た。地方都市では、警察の発砲によるとみられる死者が複数発生した。また抗議行動の周辺では、強盗や放火、略奪も起こった。

首都ナイロビの目抜き通りが催涙弾の煙に覆われ、通行人が負傷する事態は、ケニアではけっして日常的なものではない。同様の事態は、近年であれば前々回の2007年大統領選挙の直後に起こった独立以来最悪の国内紛争の時、そして前回2013年大統領選挙の後に結果を不服とする裁判闘争が起こされていた時、そして今回2016年5月~6月にかけての2カ月間にほぼ限られている。この原稿を書いている8月初旬の時点では沈静化しているが、騒乱の原因は取り除かれていず、いつ再燃してもおかしくない。

この小論では、ケニアでこの数カ月、何をめぐって路上での抗議行動が起きているのか、それは何と何の争いなのか、深刻度はどれくらいか、以下順にみていこう 1
1.選挙管理委員会への不信
路上での抗議行動を率いる野党勢力とは、具体的には野党側の「改革と民主主義のための政党連合」(Coalition for Reforms and Democracy: CORD)である 2 。CORDは、ケニアの国政選挙を司る「独立選挙管理・選挙区画定委員会」(Independent Electoral and Boundaries Committee: IEBC)に中立性がないとして、イサック・ハッサン(Issack Hassan)委員長以下、現コミッショナー9人の交替を求める運動を、次回国政選挙が翌年に迫った2016年5月のタイミングで開始したのである。

背景にあるのは、野党側を中心に広がる、IEBCへの不信感である。最新の世論調査結果でも、全国平均で47%がIEBCを信頼できないと回答しており、与党側のジュビリー支持者でも25%が現在の選管を信頼せずと回答した。CORD支持者になると8割以上の人々が現在の選管を信頼せずとしており、事態は深刻である[ Daily Nation 13 July 2016]。

IEBCは、2007年末の大統領選挙の運営に当時の選管(その後解散)が事実上失敗したことをきっかけに発生した独立史上最悪の国内紛争、いわゆる「選挙後暴力」のあとに、紛争の再発防止と国民和解を進める上での最重要組織の1つとしてつくられた新しい選挙管理委員会である。国民和解の過程では、2010年制定の新憲法により、選管コミッショナーの選定にあたって公募と独立人選委員会による選定を経て、国会下院が承認するという、中立性、独立性を重んじる新制度が採用された。IEBCは2011年11月に発足し、2013年3月に開催される紛争後初の大統領選挙をどれほど健全に運営できるかが注目された。
2.2013年大統領選挙における集計作業の混乱
しかし、結果は芳しくなく、武力紛争こそなかったものの、大統領選挙の集計過程で再び深刻な混乱が発生した。基本的にはその2013年大統領選挙での混乱が、現在の野党側によるIEBCコミッショナーの交替要請につながっている。IEBCの下では、2007年選挙で疑惑の集中した選管本部の集計過程については電子化が試みられた。ところが実際には、投票日(3月4日)の2日後になって、IEBCは電子集計システムに不備があったとして、大統領選挙の本部集計を手動に切り替えた。また、IEBCは、得票率の計算作業でも誤りがあったとし、大統領選挙の各候補の得票率を計算する際の母数が、憲法に記された「投票総数」(all the votes cast)ではなく、誤って無効票を除いた有効投票数のみになっていたと発表した(詳細は、津田[近刊])。加えて、各種マスメディアを通じ、選挙区レベルでの集計値と選管本部で用いられた選挙区ごとの集計値が一致しない例が複数報告された。

3月9日、IEBCはケニヤッタの最終的な得票が投票総数の過半にあたる50.07%(617万3433票)だったとして、当選を発表した 3 が、ケニヤッタの得票が半数を上回った「0.07%」は、票数にしてわずか数千票に過ぎず、落選とされた野党側にとって結果受入れは困難だった。オディンガの得票は、534万546(総投票数の43.31%)と発表されており、決選投票に持ち込めば逆転の可能性が残る数値でもあった。オディンガ側は、集計に不備があったとして、3月半ば、IEBCの発表した大統領選挙結果を無効とする訴えを最高裁に起こした。
3.社会不安の広がり
こうした事態を前に、この後最高裁判決が出るまでの間、ケニアではオディンガ(ルオ人)支持かケニヤッタ(キクユ人)支持かをめぐり、とりわけツイッターやフェイスブックなどSNSにおいて、エスニックなヘイトスピーチが深刻化した。事態の深刻さに鑑みて、たとえば最大手日刊紙の社説は「ソーシャル・メディアでの危険な『戦争』を沈静化せよ」と題してオディンガとケニヤッタのフェイスブック上でのコメント投稿欄に多くの問題が見られると諫めた[ Saturday Nation 19 March 2013]。

緊張の高まる中、政府側は不満の押さえ込みに終始した。治安問題を担当する「国家安全顧問評議会」(National Security Advisory Council)は、政党による政治集会を当面の間禁止すべきとの見解を発表し、警察もこれを受けてデモや政治集会を禁止する方針を3月後半に打ち出した。CORD側がすべての政治的活動を中止すると発表したことで衝突は避けられたが、野党側の不満が解消されることはなかった。ヘイトスピーチの高まり、自由な言論や集会への弾圧と自粛。当時のケニア社会は一触即発だったといっても過言でない。

2013年3月末、最高裁はケニヤッタ候補の当選との判断を下し、オディンガ候補は不満ながらも司法判断には従うとして結果を受入れた。翌日以降、オディンガの地元を中心に小規模な騒乱が発生し1人が警官に撃たれて死亡したものの、2013年大統領選挙後の暴力は、限定的なものにとどまった(詳細は、津田[近刊])。

しかし、このとき回避されたのは暴力的な衝突や選挙のやり直しといった大きな混乱だけであって、底流では2013年大統領選挙の結果は敗北した野党側に受け入れられることはなかった。野党側だけでなく、国際選挙監視団の報告書、専門的な複数の研究結果も、ケニヤッタ側を有利にするような集計過程での水増しがあったと結論づけた[Commonwealth Secretariat 2013; Long et al. 2013; Ferree, Gibson and Long 2014]。
4.選管コミッショナー交替要求の開始
オディンガは、敗北受諾演説から数年間はこの件について沈黙を守ったものの、2017年8月に予定された次回の大統領選挙が視野に入った今年2016年の初頭からは、表立って「2013年大統領選挙での勝者はケニヤッタ大統領ではなく自分だった」と発言するようになった。また、ハッサンIEBC委員長については、前選挙管理委員会時代の収賄疑惑が持ち上がり、個人としての適格性にも疑義が生じた。さらには2016年3月後半、CORDによる憲法改正運動が、IEBCの判断により無効とされる事態が発生した。憲法改正の発案には100万人分の署名が必要と憲法で規定されており、CORDは160万人分を越える署名を集めたが、そのうち真正な署名が90万弱にとどまるとIEBCが判断したことで、運動が途絶を余儀なくされたのである。国内の各種宗教団体もIEBCへの批判的コメントを発表し始めたこの時期にCORDが開始したのがIEBCへの抗議運動であった。

2016年4月後半、CORDは、ハッサン委員長以下IEBCコミッショナー9人全員に対し辞任圧力をかける 4 として、全国のIEBC事務所での座り込みを呼び掛けた。これが後に6月まで続く、野党側による抗議行動の始まりであった。4月25日、ナイロビのIEBC本部前にはオディンガらCORD幹部に加え、呼び掛けに応じた数千人の支持者が集まった。本部の入るビルはゲートごと閉ざされて入場できず、デモ隊は路上に留め置かれた上、機動隊と警察によって強制的に排除された。CORD幹部を含むデモ隊の一部は、警察側の使用した催涙弾で負傷した。衝突の翌日、オディンガらは、1週間後にあたる5月3日にIEBC本部が入るアニバーサリータワーに集合するよう呼び掛けたことに加え、その後は毎週月曜日に「月曜抗議活動」(Monday Protests)として運動を継続するとした。

政府側は、IEBCコミッショナーの交替は国会がおこなうとして、呼び掛けに応じない姿勢をみせたが、これに対しオディンガは、IEBCの現コミッショナーが留任している場合にはCORDは2017年に予定された選挙をボイコットすると述べて、対決姿勢を強めた。ケニアでは、1991年の複数政党制の回復以後、地方の小規模政党による選挙ボイコットの呼びかけはあったものの、CORDのような有力な野党勢力がボイコットに言及するのはきわめて稀である。与野党間で緊張が高まる中、5月以後は欧米外交団をはじめとし、国内の各種宗教団体が対話を呼び掛け、積極的な仲裁努力が開始された。

その一方で、CORDによる「月曜抗議行動」は5月9、16、23日と毎週実行に移された。その結果が、冒頭で触れたデモ隊と警察・機動隊の衝突であった。オディンガの地元では、5月23日にはついに2人の死者が発生した。同じ日、各地の抗議行動に参加していた野党側の現職上院議員、地方議会議長、地方議会議員が、いずれも暴動を率いたとして逮捕された。同日付の日刊紙にはついに、「暴動で生き残るコツ」と題した囲み記事まで登場し、「ボトルにいれた水は、催涙弾の有毒物質を薄めるのに必須です」「衝突の起こりそうな街路を避けましょう」などのアドバイスが掲載された[ Daily Nation 23 May 2016]。
5.抗議行動の回避
幸い事態はその後収束へと向かった。欧米外交団が仲裁努力を続ける中、5月末にはケニヤッタ大統領がオディンガらをナイロビの大統領官邸に招待し、IEBC問題についての対話が実現した。6月初旬の段階では事態はまだ流動的だったが、既存の憲法枠組みで解決するという路線のみを公に主張してきた政府側は、6月8日についに公式の場で譲歩した。この日、ケニヤッタ大統領が、IEBC問題を解決するための新組織として、国会上下院で組織する「合同選抜委員会」(joint select committee of Parliament)を設立すると発表したのである。既存の国会の司法問題担当委員会(委員長は与党側議員)に問題の処理をまかせず、また、国会法の規定と違って与党側院内総務を委員長とする人選委員会を通じず、さらには国会党勢にも準じることなく、ジュビリー側とCORD側から同数ずつを出す組織を新設するという、CORD側の主張に歩み寄った内容だった。

2016年6月半ば、CORD側は毎週の抗議行動の中止を決定した。合意成立を受け、与党側とCORD側の上院議員1人ずつを共同議長として全14名で構成される形で国会合同選抜委員会が7月に発足し、活動を開始した。

ナイロビ市街をはじめ各地の都市部を騒然とさせた野党側による抗議運動は、終わってみれば2ヶ月ほどで収束し、本稿を執筆している8月の段階ではIEBC問題について少なくとも対話ムードが醸成されている。国際的な調査主体によるケニア政治の短観も、概して楽観を続けている。材料として頻繁に挙げられるのは、(1)IEBCの信頼性は低いものの、(2)一方でオディンガら野党側による抗議行動への支持も低く、運動が大規模化する見通しがないこと、(3)現職のケニヤッタ大統領が2017年選挙で再選される見通しが高いこと、などである[たとえば Daily Nation 16 June 2016]。これらを総合すれば、8月末に予定されているTICAD VIについても、開催への大きな支障が発生することは今のところ考えにくいといえる。事態はいったん沈静化したといってよい。
おわりにかえて:「今のケニア政治には心底おびえる」
しかし、短期ではなく長期に目を転じた時、これらの楽観材料が逆に深刻な懸念材料になることをここで指摘しておかなければならないだろう。現職ケニヤッタ大統領(およびランニングメート予定のウィリアム・ルト現職副大統領)が2017年大統領選挙で再選されること、そして現IEBCへの信頼度そのものは低迷していること。これらの材料が組み合わさることで浮かび上がるのは、2017年8月に予定される次回大統領選挙に関連する政治的不安定化の可能性である。

オディンガ側にとってみれば、現IEBCのままで2017年に現職が再選した場合は、中立性に欠け信頼できない選管による「不正選挙」の結果でしかなく、2007年、2013年の時と同様、あるいはそれ以上に結果の受入れは困難となろう。実際、オディンガは、上でみたように既に選挙ボイコットの可能性に言及し始めている。逆にIEBCコミッショナーが交替した場合はどうだろうか。その場合でも、次回選挙は約300日後に迫っており、就任間もないコミッショナーによって拙速な選挙運営がなされる可能性がある。この場合、「負け」とされた側にとってやはり結果受入れは容易でないだろう。

ケニア社会による選挙結果の受入れも見通せない。上でみたように現IEBCへの信頼度は全国平均5割に満たないが、そこでの地域差も重要である。不信が最大だったのはキスムとモンバサ、信頼が最大だったのはナクル、ニエリ、エルドレットの各地方であり、それぞれ野党側の支持基盤と与党側の支持基盤に重なる。野党側支持基盤で顕著にIEBCへの不信感が高い、ということは、選挙で負けた側が、「負けた」のではなく、中立性に欠ける選管のもとで「負けたことにされているだけ」と理解していることでもある。

短観で示されるとおり、現状では2017年大統領選挙でもさらに現職が「無風」再選の勢いを維持している。「負け」とされている側が、いつまでこうした状態を引き受け続けられるだろうか。先行きは不透明といわざるを得ない。現代ケニア政治研究を牽引するカルティ・カニンガ(Karuti Kanyinga)は、「選挙民主主義は排除の政治を引き起こし、人種・民族差別と武力紛争の原因になりつつある」と述べて、選挙が引き金となって紛争と社会不安が引き起こされる可能性を近年繰り返し指摘している。ケニアのオピニオンリーダーのひとりチャールズ・オニャンゴ=オッボ(Charles Onyango-Obbo)も、「いまのケニア政治には心底おびえる(very scary)」と述べて、ケニアの状況が紛争の一歩手前であるとし、ケニア政治のリスクに対する「相対的に低いレベル」との国際的な調査主体による判断を、的外れと断じた[Sunday Nation 22 May 2016]。国政選挙への信頼が失われつつあるなかでは、国政選挙と異なる異議申し立てや政権奪取の方法が模索される可能性が常にある。実際、2007年には「選挙後暴力」が発生しており、さらに1980年代までのケニアは複数のクーデタ未遂を経験してきてもいる。

無風が噂される2017年大統領選挙だが、現職大統領の「無風」再選という表皮一枚の下には、増幅された不満や政治不信が残されることになる。「選挙後紛争」を経て、暴力ではなく選挙で政権担当者を決定するための国民和解の試みは今年で10年目となる。現在のところ、選挙が正当で唯一の「戦い」の場であり続けるためのカギとなっているのが、国政選挙を司るIEBCの改革だろう。IEBC改革の進捗と今後の動静を、慎重に見守りたい。(2016年8月4日)
参考文献

〈日本語文献〉
  • 津田みわ 近刊. 「揺らぐ国政選挙への信頼:選挙後暴力後のケニア」『アジ研ワールド・トレンド』No.251.
〈外国語文献〉
  • Commonwealth Secretariat 2013. Kenya General Elections 4 March 2013: Report of the Commonwealth Observer Group . Commonwealth Secretariat.
  • Ferree, Karen E., Clark C. Gibson and James D. Long 2014. "Voting Behavior and Electoral Irregularities in Kenya's 2013 Election." Journal of Eastern African Studies 8 (1): 153-172.
  • Long, James D., Karuti Kanyinga, Karen E. Ferree and Clark Gibson 2013. "Choosing Peace over Democracy: Kenya's 2013 Elections." Journal of Democracy 24 (3): 140-155.

(つだ・みわ/アジア経済研究所)
脚 注
  1. 本稿執筆にあたっては、 Daily Nation、East African、Standard、Star 等の主要な現地紙および、Independent Electoral and Boundaries Commission、Kenya Law、Ipsos Kenya等の主要なニュース・サイトを参照した。紙幅の都合により、本文中での引用を除いて記事の詳細については省略する。
  2. 「政党連合」とは、2010年に制定された新憲法で制度化された政治的結社の形態であり、複数の政党が選挙協力などを目的として結成する政治組織である。政党と同じく、政党登録局による事前登録制が敷かれている。2013年国会議員選挙の結果、政党連合レベルの最大議席は、上下両院とも「ジュビリー連合」(Jubilee Coalition)となった。本稿では簡単のため、ジュビリー連合側を「与党側」、CORD側を「野党側」と呼ぶ。
  3. 過半数の地方政府での25%以上得票というもう一つの要件については、ケニヤッタ、オディンガ共に満たしていた。
  4. 辞任要求という手法がとられた背景には、IEBCの独立性を高めるために新憲法に定められた制度がある。IEBCは憲法で独立性を担保されており、任期6年で再任がない一方で任期中の在職保全権が与えられている(現コミッショナーの任期満了は2017年11月)。罷免には国会審議と調査委員会の設立・調査・提言が必要であり、新コミッショナーの選定も含めるとコミッショナーの交替にはおよそ数カ月が必要となる。