冷戦後アフリカの土地政策——中間成果報告
調査研究報告書
武内 進一 編
2016年3月発行
1997年土地法は、分権化を志向する民主化という観点から評価されただけでなく、1990年以降の国際的な土地改革の潮流に照らしても先駆的であると評価された。その一方で、近年は、1997年土地法の成立過程がモザンビーク国内政治の文脈に則して検討されつつある。そこでは、当時の政権与野党それぞれが、かつて否定された慣習法を承認することで自らの支持基盤を強化しようという動機を持ち、それが土地政策に影響を及ぼしていたことが指摘されている。
本章の目的は、上記の研究動向を踏まえ、モザンビークの土地政策の変遷を、契機となる国内外の政治経済的状況とあわせて解説を加え、現行法の仮訳を試みることである。
イギリスの間接統治のなかで、チーフは植民地政府と臣民とのあいだを仲介する機能を担い、小屋税や人頭税の徴収、チテメネの開墾と出作り小屋の禁止、強制労働の導入といった末端の行政・司法を担当した。臣民による反発を受けながらも、第一次世界大戦の勃発により1916年の原住民統治布告書、1936年の原住民統治機構条令が制定され、ベンバ王国はイギリス植民地統治のなかに組み込まれた。1936年にはベンバランドに王領地と原住民居留地が設立されたが、王領地に対するヨーロッパ人の入植は進まず、人びとは税金を納めるために南ローデシアや北ローデシア国内の鉱山開発の労働力となり、賃金労働に従事するようになった。植民地政府にとってベンバランドは広く未占有の状態が続き、各民族のチーフの領地であり、農業投資がなされることもなかった。
本章の目的は、シエラレオネの国家土地政策原案の概要を理解するために、2013年8月発行の『国家土地政策——最終原案政策文書縮約版——』という同国政府文書の訳出(抄訳)を試みることにある。