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混乱する中東情勢安定化の鍵を握るクルド

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.63

今井宏平・ 佐藤 寛
2016年5月31日発行
PDF (432KB)
  • 国際社会と敵対する「イスラーム国(IS)」の撲滅のために、最も有効なアクターの1つはクルド勢力である、との認識は2014年9月から2015年1月のシリア・コバニ(アイン・アル・アラブ)の戦闘を契機に浮上している。
  • シリアに限らず、トルコとイラクの将来を占う上でもクルドの動向は鍵となる。
  • クルド人はイラク、イラン、シリア、トルコにまたがって生活しているが、必ずしも一枚岩ではない。各国内のクルド人の利害も一致しておらず、ステレオタイプ化したクルドの理解は危険であり、それぞれの現地事情を踏まえた分析が必要。



クルド勢力の重要性再考
域外大国と周辺国の利害が錯綜するシリアにおいて、その存在感を高めているのがクルド人勢力である。クルド人は国家を持たない中東最大の民族であり、イラク、イラン、シリア、トルコにまたがって居住している。自分たちの国を持つことを悲願としているクルド人にとって、シリア内戦は絶好の機会であった。特にシリアの民主統一党(PYD)とその軍事部門である人民防衛隊(YPG)は、コバニの戦闘において「イスラーム国」を駆逐したことでアメリカからの信頼を得るとともに、アサド政権との関係も良好であったため、ロシアとも利害が一致している。PYD/YPGは2016年3月にシリアの「連邦制」を宣言するなど、その影響力を高めている。

しかしながら、日本においては学術レベルでも外交、ビジネスレベルでもクルドに関する分析はほとんど蓄積されていない。もちろん、外交レベルでは現状の領土の保持と国民の一体性を重視する各国政府への配慮があり、現状打破を目指すクルド人勢力とは距離を置かざるをえない。とはいえ、2015年1月に日本人2名が「イスラーム国」に殺害される事件が発生したように、シリア内戦に代表される中東の混乱はもはや対岸の火事ではない。

したがって、中東政治ひいては国際政治においてその重要性を増しているにもかかわらず、これまで不十分な注意しか払われていなかったクルド問題に、今後より入念かつ体系的な注意を払うことが必要である。

《シリア》対「イスラーム国」で評価を高め、自治権の獲得を目指す
上述したように、シリア内戦の中、PYDとYPGがコバニにおいて「イスラーム国」を撃退した。この事実は、PYD/YPGが対ISで有効なパートナーに成り得ることを国際社会にアピールした。例えば、アメリカは2014年9月23日から2015年7月1日までの間、ISに対する空爆を1760回実施しているが、その内、1140回がPYD/YPGと連携する形でコバニにおいて行われた。2015年9月30日からシリアでの空爆を開始したロシアも反体制派と「イスラーム国」への攻撃にあたりPYD/YPGを重視している。そのため、アメリカとロシアの間で、PYD/YPGをどちらに取り込むか、また、一致して支援するのか、駆け引きが見られる。両国の共通の見解は、PYD/YPGは「イスラーム国」撲滅に必要不可欠なアクターという点である。

PYD/YPGも国際社会における自分たちの重要性を十分に認識しており、それをてこにシリアにおける自治権の獲得、特に彼らが歴史的にクルド人の地域と考えている「ロジャヴァ(Rojava)」もしくは西クルディスタンと呼ばれるジャジーラ、タッル・アブヤド、コバニ、そしてアフリーンに至る地域の支配を目指している。PYD/YPGは自治権獲得を現実のものにするべく、2016年3月17日に連邦制を宣言した。この連邦制の宣言に対してはアサド政権、アメリカ、トルコをはじめとした周辺諸国から批判が相次いだが、アサド政権とアメリカはPYD/YPGとの利害関係から容認する可能性もある。

《トルコ》選挙におけるクルド系政党の躍進と停戦交渉の頓挫
他方、トルコはアメリカの同盟国だが、トルコからの分離独立を目指す非合法組織であるクルディスタン労働者党(PKK)と関係が深いPYD/YPGへの警戒感が強い。

また、トルコにおいては2015年6月7日の総選挙で人民民主主義党(HDP)がクルド系政党としては初めて「足切り」の10%を上回る13.1%の得票率を得て、大国民議会で80議席を獲得した。同年11月1日の再選挙でも議席を減らしたもののHDPは再度10%越えを果たし、59議席を獲得した。その一方で2015年7月中旬以降、約2年間続いたトルコ政府とPKKの停戦が破棄され、トルコ南東部を中心に、両者の対立がエスカレートしている。

《イラク》正念場を迎える「公式の自治区」
イラクにおいては、クルディスタン地域政府(KRG)が2003年のイラク戦争後、「公式の自治」を獲得している。イラクにおいてKRGは「イスラーム国」掃討作戦でアメリカと協力関係にある。また、KRGはトルコ政府との関係が良好であり、PKKやPYD/YPGとは距離を置いている。クルド人が住む国家の中で、唯一公式の自治を獲得したKRGであるが、マスード・バルザーニー大統領の後任問題や油価の低下による経済の悪化といった問題も抱えている。

一枚岩ではないクルド人—クルド人同士の交戦—
4ヵ国にまたがって暮らすクルド人は、「イスラーム国」という共通の脅威が出現したこともあり、その一体感が強調される傾向にある。しかし、クルド人は決して一枚岩ではない。それだけではなく、それぞれの国内のクルド人も多様である。トルコを例に挙げると、世俗的で独立志向の強いPKKに対し、これを敵対視するイスラームに篤いクルド人も存在する。後者の中からは「イスラーム国」に参加する若者も多い。彼らは「イスラーム国」の兵士としてコバニの戦闘に参加し、PYD/YPGと交戦した。

クルドを理解するための分析枠組みの設定—4つの次元からのアプローチ—
既存の主権国家の枠組みにとらわれた現状分析ではクルドの総合的な理解は困難である。そこで、私たちはクルドについて総合的な理解を深めるために主に4つの視点からのアプローチを試みている。1つ目は垂直的空間次元で、具体的には国際政治、地域政治、国内政治、個人という各視点を複合的に捉えるという点である。2つ目は水平的空間次元で、一国内だけでなく、クルド人が居住する諸国家、そしてクルド人が多く移住しているヨーロッパ諸国とのネットワークのあぶり出しを行っている。3つ目は時間的次元で、現在生じている問題や対立の根本的な理解のために、数十年レベルの変動局面、さらには数世紀レベルの長期的持続を意識する点である。4つ目は多様なイシューの複合的連関であり、クルド問題の理解のために複雑に絡み合う内政、外交、経済、社会、文化の間の関係を紐解き、一般の日本人にもわかりやすく整理する点である。

まとめ
今日の中東情勢を正確に理解するためには、イラク、イラン、シリア、トルコにまたがるクルド人の総合的な分析が必要不可欠である。それにもかかわらず、日本では学術レベルでも、外交レベルでも、ビジネスレベルでもクルド人、クルド地域に対する検討はほとんどなされてこなかった。「イスラーム国」への対応などで中東情勢の分析が日本の最重要課題の1つとして浮上する中で、早急にクルドに関する研究の蓄積を図る必要性があると考えられる。アジア経済研究所は、政府省庁、ビジネス界とも情報を共有するため、クルド研究のプラットフォーム作りを続けていく予定である。

(いまい こうへい/地域研究センター中東研究グループ・さとう かん/新領域研究センター上席主任調査研究員)



本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。