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政治変動期の中東を俯瞰する —日本はどのように備えるべきか—

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.55

2015年5月26日発行
PDF (671KB)
  • 「アラブの春」以降、一部の国では政治変動による社会の不安定化が常態化した。それが極端にまで突出した例が「イスラーム国」である。
  • イランの国際社会復帰に向けた動きが加速する中、中東が直面する様々な問題については今後、イランおよび周辺国と利害調整を図っていく可能性がある。
  • 石油依存体質の脱却を求められる湾岸諸国にとって、サルマン新国王下のサウジアラビアが、今後も地域の盟主としてどう適切な舵取りをしていくかが注目される。
  • 政治的変動期にある中東に対して、日本は官民を挙げて積極的な関与に向けての具体的な情報分析能力を強化していく必要がある。



2011年に「アラブの春」が発生し、国際社会は中東での民主化に大いに期待したが、一部の国では政治的混乱が拡大し、社会環境が混乱を極めている国もある。本稿では、そのような政治的変動期を迎えている中東地域を俯瞰し、中東の不安定化要因の最たる例である「イスラーム国」やイランの核問題と国際社会復帰に向けた動き、そして石油依存体制の脱却を迫られている湾岸諸国に焦点を当て、分析を試みている。激動が続く中東に対して、日本はさらなる情報分析能力の向上を求められているとともに、この地域と日常的な関係を強化していくことが重要である。

アラブ地域における新たな混迷化と新秩序への模索
2014年に中東地域で行われたいくつかの国政選挙の結果は、民主的な制度がある程度機能している場合、この地域の国民大衆がその制度に則って国民的な代表を選出し、それによって社会的な公正と発展を実現するという明確な意思を持っていることを示した。2014年の選挙としては、4月5日のアフガニスタン大統領選挙(決選投票は6月14日)、4月17日のアルジェリアの大統領選挙、8月10日のトルコでの初の大統領直接選挙、チュニジアにおける10月の国政選挙および11、12月の大統領選挙などが挙げられる。そこで選出されたのがアフガニスタンのアシュラフ・ガニーのような世俗的な為政者であるか、トルコのエルドアンのようなイスラーム的な(民衆的な)政治家であるか、あるいはチュニジアのような折衷的な選択であるかを問わず、国民はそれぞれの環境に応じて成熟した政治判断を行ったと言える。
他方で、激しい群衆的な抗議運動によって独裁的なムバーラク政権が退陣したエジプトのようなケースでは、その後の政治的なプロセスにおいても不可避的に大きな振幅を伴っている。いわゆる「1月25日革命」ののち、組織的な動員力に勝るムスリム同胞団の後押しで政権の座についたムルシー大統領は、2013年7月3日に国防相(当時)のスィースィーによるクーデターで失脚した。その後はムバーラク大統領の周辺が復権する過程が進行するなど、政治的な変動が今なお続いている。このような政治的激動のコストは、かつてエジプトが享受していた「アラブ世界の盟主」という地位が失墜しかねないほどに大きい。

また2011年10月20日にカッザーフィー大佐が殺害されたリビアでも、2012年7月7日に制憲議会(General National Congress)選挙が行われたが、議会はその後混乱状態に陥った。2014年6月に暫定議会選挙によって新たな議会が創設されたが、旧議会はこれを認めず、二つの議会とそれぞれが擁する二つの政府が対立する状況にある。国内では各地の民兵組織やイスラーム過激組織のアンサール・シャリーアなどが割拠しており、情勢は極めて不安定である。こうしたなか、7月21日には在リビア日本国大使館も一時閉鎖し、その後も状況改善への目途は立っていない。

こうした政治的激変の帰結がある意味で極端なまでに突出したのが、現在イラクからシリアに至る地域の一部を実効支配している「イスラーム国」であろう。この組織体が国際社会に対して提示している問題は歴史的にも地理的にも極めて多岐にわたるが、ここで指摘しておきたいのは、彼らがモースルの陥落とそれに続くカリフ制国家の宣言によって国際社会に衝撃を与えた2014年6月以降、組織内の権力がティクリートを中心とするサッダーム・フセイン元大統領の軍事関係者たちに完全に移行したと考えられるという点である。

イランの国際社会復帰と周辺国の情勢の変化——イランとの関係改善が進展する可能性も
米国は、2009年から始まったこのようなイランの政治環境の変化を受け、イラン核交渉を通じて1979年のイラン革命以来の対中東政策の転換を図っている。米・イラン間にはまだ大きな主張の懸隔があるが、交渉期限の2015年6月末までには何らかの妥結が図られるのではないかと期待される。逆にもし交渉が決裂した場合、米国、イラン双方にとって政治的な損失は非常に大きなものとなる。

2014年末のアフガニスタンにおけるISAF軍の撤退を見るまでもなく、アメリカにとりイランの地政学的重要性は非常に高い。また、イラクにおける対「イスラーム国」の軍事作戦においても、現在のイラク国軍およびクルド自治政府の治安部隊であるペシュメルガなどへの人的、資金的な支援を送り続けられるのは、域内の主要国ではイランを措いて他にはない。

こうした中東地域における政治的バランスの変動のなかで、PKK(クルディスタン労働者党)と近年まで武力衝突を繰り返してきたトルコは「イスラーム国」問題において有効に機能できずにおり、また同様に「イスラーム国」への潜在的なシンパを国内に抱えるサウジアラビアにしても、イランとの対立関係が次第に高まっている。しかし対「イスラーム国」への対応などを考えると、トルコとサウジアラビアの両国は、これまでのイランとの「冷戦的」な関係を大幅に修正する必要が生じてくるのではないか。両国が、今後イランとの関係をどのようなかたちで変化させていくか、引き続き注目していく必要がある。

最高指導者ハーメネイーを頂点に戴くイランの現体制が存続するかぎり、一朝一夕にイランが親米化することはあり得ないだろうが、同時に現体制が民衆からの抗議運動などによって容易に転換する可能性は低いものと考えられる。それだけに欧米各国としては、今後は中東が直面している様々な問題についてイランの現体制との利害の調整を試みていく必要が生じるであろう。

湾岸地域における変化の予兆——石油依存脱却へ向けた動きが進展するか
湾岸アラブ諸国において2014年の変化を象徴しているのは、年間を通じた原油価格の大幅な下落である。これによって米国の「シェールガス革命」による湾岸産石油への依存からの脱却は当面遠のいた格好になり、同時にこれまで制裁強化の影響で厳しい状況にあったイランの国民経済はさらに打撃を受けることになった。

しかし、こうした短期的な動きにもかかわらず、長期的には湾岸地域の経済が石油への依存からの脱却を求められている状況に変わりはない。サウジアラビアなどの湾岸アラブ各国は「アラブの春」以降においても比較的安定した政治状況を維持しており、エジプトの政治的不安定が続く限り、アラブ世界における実質的な盟主としての役割を内外から期待されていくことになるだろう。こうしたなかで、2015年1月23日にサウジアラビアのアブドゥッラー国王が死去した。全体的に穏やかな政治権力の移行が期待されるなかで、アブドゥッラー国王時代の末期に高まっていたイランとの緊張関係をどう調整していくのか、注目されるところである。

以上のような中東地域の政治的変動期にあたり、日本としては官民ともに、中東地域をめぐる情報と分析の質を上げていくことが急務である。それは従来のような現地語を習得した専門的な人材による中東各地での直接的な情報収集に止まらず、欧米における中東情報の集積地(ロンドンやパリ、ワシントンDCなど)での日常的な情報交流への常時参加を通じてもなされなければならない。

(すずき ひとし/地域研究センター上席主任調査研究員)



本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。