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ベトナムの新型コロナウィルスと情報宣伝工作

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051796

2020年7月

(6,244字)

ベトナムにおける感染抑制の成功

少なくとも本稿を執筆している7月中旬時点では、ベトナムは、新型コロナウィルス感染症拡大の封じ込めに成功した国として、海外からも高く評価されている。累計感染者数は355人にとどまり、死者数はゼロである。

初感染が確認されたのは1月23日、感染者は武漢から来た中国人の親子2人であった。そして2月13日までに16人の感染が確認されたのち、20日間以上新規感染者が確認されない状態が続いた。そして3月6日、17人目のケースが確認されると、主に海外からの帰国者とその接触者から、感染の第2波が広がることとなった。それでも、これまでの1日の新規感染数は最大でも24人であり、4月中旬以降は数日に1回程度、数名の新規感染者が確認されるという状況に落ち着いている。

都市部の一部の大病院を除けば医療体制が脆弱なベトナムで(国内にPCR検査が可能な施設は1月末時点で3カ所、4月に入っても112カ所しかなかった1)、感染の拡大を抑え込むことができたのは、周辺国と比べてもかなり早期に海外からの入国者を制限したこと、入国者の検疫を徹底し、感染確認の場合は感染者の隔離と感染経路の解明に力を注いだことが理由としてあげられる。また、1月31日からのすべての学校が休校となり、大規模イベント開催が禁止され、4月1日には、感染の第2波の広がりを受け、大規模社会隔離(不要不急の外出禁止、飲食店等の営業禁止など)を命じる首相指示 16号が発令された。これらの一連の厳しい行動規制も効果的であったと評価されている。

ベトナム政府が行動制限の手段として最も力を注いだ活動のひとつが、各種メディアを使った大衆の啓発活動、ベトナム共産党が使う用語で言うところの「情報宣伝工作」である。ベトナムにおける情報宣伝工作の歴史は長い。独立闘争時代からベトナム戦勝終結まで長く続いた戦時中、その後の計画経済時代、そして今日に至るまで、国民への「命令」でも「協力依頼」でもなく、戦争の勝利や「工業化・近代化」の実現といった国家事業の達成のために、行動の規制や国威発揚のための文化活動、募金などへの国民の自発的な参加を促すことを目的として行われてきた。

今回の新型コロナ流行の最中にもさまざまな情報宣伝工作が展開されたが、これまでにはない新たな手法も登場している。以下では、今回の新型コロナ流行下で展開された情報宣伝工作のいくつかを紹介する。

画像:新型コロナウィルス感染拡大防止を呼び掛ける保健省のポスター
新型コロナウィルス感染拡大防止を呼び掛ける保健省のポスター
感染情報の発信

まず、感染拡大の初期段階から、保健省はマスメディアを通して感染の情報を国民に提供し、警鐘を鳴らしていた。最も早期の情報は、2019年12月25日、中国で発生した「奇妙な肺炎」に関する保健省の発表であった。その後、ベトナムで最初の感染が確認される1月23日までの間に、この「奇妙な肺炎」に関する295もの記事が新聞のオンライン版に掲載されていた(Hong Kong Nguyen and Tung Manh Ho 2020)。6月17日に開催された「Covid-19感染防止のための情報宣伝工作総括会議」における情報・通信省の報告によれば、1月2日から5月31日までの5カ月間に、各種メディアで総計56万件以上の新型コロナに関する報道があったという2

ベトナムでの初感染確認から5日後の1月28日、保健省は携帯電話のショートメッセージや、Zaloというベトナムで最も高いシェアを占めるメッセージアプリ(LINEやWhatsAppのようなアプリ)を通して、感染状況や予防策に関するメッセージの送信を開始した。また、保健省は新型コロナ特設ページを設け、リアルタイムで感染状況を提供した。このサイトでは、これまでのすべての感染者について、感染者がいつ、どこでどのような経路から感染したかという詳しい位置情報まで見られるようになっている。

プロパガンダ・アート

今回の新型コロナ対策として海外のメディアからも取り上げられ注目された活動に、ベトナムにとっては歴史のある「プロパガンダ・アート」を通した啓発活動がある3。プロパガンダ・アートは戦時中や計画経済時代に、国威発揚と大衆動員のため、ベトナム共産党や政府機関、そしてベトナム祖国戦線や女性総連盟といった大衆団体が作成してきたものである。現在でも、記念行事(たとえば2020年のベトナム共産党創立90周年記念など)の一環として新たな作品が発表され、街中でそのポスターが掲げられることもある。一方で、現在では外国人にそのサブカルチャーとしての価値を見出され、ポスターや絵葉書が土産品として外国人観光客の間で人気になっている。

今回の新型コロナ感染拡大防止対策として、文化・スポーツ・観光省が3月10日〜15日の間、プロパガンダ・アートコンテストを開催し、一般のアーティストからの作品を募集した。コンテストには、23人のアーティストが103点の作品を応募した。コンテストの優秀作品14点は、Eurowindow社(窓やドアなど内装品を製造する企業)がスポンサーとなり、ポスターとして合計70万部印刷され、国内に1万以上ある社(末端の行政単位)のすべての人民委員会にも配布された。

これらのポスターでは、戦時中を思わせるものから現代アート風のものまでさまざまな作風の絵が、「石鹸で手を洗おう」「マスクをしよう」「大人数で集まるのは避けよう」といった新型コロナ感染予防のメッセージとともに描かれている。ポスターになった全14作品は文化・スポーツ・観光省基礎文化局のウェブサイトでも公開されている。

「Ghen Cô Vyチャレンジ」

2月23日、MinとErikという二人のVポップ・ミュージシャンによる「Ghen Cô Vy」(嫉妬深いコロナウィルス)という楽曲が、新型コロナ対策のミュージックビデオとしてYouTubeにリリースされた。この曲はこの二人による2017年の大ヒット曲「Ghen」(嫉妬)の替え歌であるが、保健省が二人に依頼して作成されたものである。アニメーションのYouTube動画は7月中旬時点で370万回再生されている。

曲のサビの部分は、コロナウィルスの感染予防のため、手洗いをしよう、目、鼻、口に触らないようにしよう、ソーシャルディスタンシングを意識しよう、体を鍛えよう、といった予防対策を呼びかける内容の歌詞になっている。そして曲の最後の部分では、「われわれすべてのベトナム国民が力を合わせてコロナに打ち勝とう」といった、オリジナルの「Ghen」のミュージックビデオに登場する二人のイメージからは程遠い、国民の団結を呼びかける勇ましい歌詞で歌が終わる。

「Ghen Cô Vy」(嫉妬深いコロナウィルス)

その後、Quang Đăngというダンサーが、こちらも保健省からの依頼により、この曲に合わせた「手洗いダンス」を創作し、動画プラットフォームTikTok上で「Ghen Cô Vyチャレンジ」(#ghencovychallenge)を呼びかけた。多くの有名人や一般の若者が参加し、それぞれが曲に合わせて踊りを披露している。7月中旬時点で、このハッシュタグをつけたTikTokの投稿動画の総再生回数は3960万回に達している。

「Ở Nhà Vẵn Vui」キャンペーン

保健省、ベトナム祖国戦線中央委員会、UNICEFは共同で、3月29日から、「Ở Nhà Vẵn Vui」(家にいても楽しい)キャンペーンをTikTok上で立ち上げた(#onhavanvui)。これは、特に若者をターゲットとして、外出を控えるよう呼びかけることを目的としたキャンペーンであり、家の中で行うさまざまな活動の動画を投稿することを呼びかけたものである。このキャンペーンのハッシュタグをつけて投稿された動画の総閲覧回数は実に93億回に達している。

このキャンペーンを成功に導いたのは、Ameeという女性ミュージシャンの「Sao anh chưa về nhà」(なぜあなたはまだ帰ってこないの?)という楽曲の配信であった。キャンペーン開始と同時に、保健省も作成に協賛したこの曲のミュージックビデオが YouTubeでリリースされ、7月中旬現在で再生回数は93万回を数えている。この曲は、飲み会に行ったりカラオケに行ったりしないで、映画を見たり、一緒に料理をしたり、本を読んだり、ペットの世話をしたりしているうちに感染流行は終わるよ、とボーイフレンドに呼びかけるという内容になっている。

なお、この曲も上述の「Ghen Cô Vy」と同様、Amee自身が大ヒットさせた曲の替え歌である。オリジナルの曲は、このキャンペーン開始の3週間半前の3月5日にリリースされたばかりで、リリースから29時間後にはYouTubeの公式ミュージックビデオの再生回数が300万回を超えたというメガヒット曲である。この曲がヒットした直後のタイミングで新型コロナ対策バージョンが発表されたことが大きな話題となり、このキャンペーンに多くの若者を引きつけることとなった。

「Sao anh chưa về nhà」(なぜあなたはまだ帰ってこないの?)
応援歌「Việt Nam Ơi!」

楽曲を通じた啓発活動のもうひとつの人気作は、「Việt Nam Ơi!」(「Ơi!」は人に呼びかける時に使う言葉)という楽曲である。この曲を作成し実際にミュージックビデオにも出演しているのは、Minh Betaというミュージシャンである。彼はまた、ハーバード・ビジネススクールのMBAを修了し、ベトナム国内でBeta Cineplexという映画館事業で成功を収めた実業家でもある4。彼がアメリカへ留学する直前の2011年に作成したオリジナルの「Việt Nam Ơi!」という曲は、2015年の独立記念70周年を祝うため、全国各地で若者たちが踊りをビデオに収めYouTubeに投稿する「フラッシュモブ・プロジェクト」の曲として使われたことから人気を博した。そして、2018年のサッカー23歳以下アジア大会でベトナム代表が準優勝という快進撃を見せた際に、ベトナム代表を応援する応援歌として定着した曲でもある。

この曲の新型コロナ対策啓発バージョン(Việt Nam Ơi! Đánh Bay Covid)のミュージックビデオが3月31日にYouTube上でリリースされると、24時間以内に再生回数が100万回を超え(7月中旬時点のYouTubeの再生回数は600万回を超えている)、2週間後にはベトナムで最も人気のある音楽サイトZing MP3のランキングで1位となった(このビデオの作成も保健省が協賛している)5。その後英語バージョン(Let’s Fight Covid)も作成されている。アメリカのヒーローものの映画を模した(著作権問題が若干気になる)そのコミカルなミュージックビデオでは、コロナウィルスに打ち勝つために団結しよう!誰一人取り残さない!といった力強いメッセージが繰り返されている。

「Việt Nam Ơi! Đánh Bay Covid」(ベトナムおーい!コロナと戦え)
危機と情報宣伝工作

世界的な疫病の蔓延の際に情報宣伝工作を通して啓発を行うという戦略は、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)や2009年の鳥インフルエンザ流行時にも取られた。この10数年の間に大きく変わったのは、情報宣伝工作に使う情報メディアである。SARSや鳥インフルエンザの流行時には、情報発信の手段はインターネット版も含む新聞やテレビ、ラジオ、あるいは街中に設置された拡声器であった。一方、今回の新型コロナ流行下では、これら旧来のメディアに加え、メッセージアプリや動画配信プラットフォームが大きな役割を果たした。国家が主導する情報宣伝工作に人気ミュージシャンやアーティストが参画し、さらに多くの一般の若者たちが自発的に参加して自ら作成した動画を披露するという新たな現象も生まれた。近年の音楽動画配信ブームに乗り、情報の受信者もまた発信者として取り込み、彼らの一体感を高めるという当局の戦略がうまく当たったと言えるだろう。

新たな情報メディアを利用した情報宣伝工作がどの程度新型コロナ感染拡大防止に役立ったのかを評価することは困難であるが、感染予防のメッセージが広く国民に届いたことは間違いない。新型コロナウィルス感染拡大という国家的な危機を「団結」や「愛国心」によりいち早く乗り越えた(少なくとも今は乗り越えつつある)という成功体験は、ベトナム国民の間で広く記憶されていくことになるであろう。そしてベトナム当局にとっても、今回の情報宣伝工作の展開は、医療資源への投資などよりも大幅に低いコストで感染拡大防止に大きな成果をあげることができた成功体験として記憶されることだろう。ベトナムが次のパンデミック、あるいは他の国家的危機に見舞われた時に、今回の成功体験がどのように生きるのか注目に値する。

とはいえ、新たな情報メディアを国民の側が政府や党の批判のために自由に使うことは、当然のことながらご法度である。それどころか、政府は、ソーシャルメディアを使ったフェイクニュースの拡散防止を理由に言論弾圧を強めることもできる政令を、新型コロナウィルスの感染が確認された直後の2月3日に公布し、4月15日から施行している6。情報メディアの発達のメリットを生かす戦略をとりつつ、それがもたらす体制への脅威の可能性を潰す努力も怠っていないのである。

画像の出典
  • Creazilla.com, Prevention of coronavirus COVID-19 poster[Public Domain]
参考文献
  • Hong Kong Nguyen and Tung Manh Ho. 2020. "Vietnam’s COVID-19 Strategy: Mobilizing Public Compliance via Accurate and Credible Communications." ISEAS Perspective. No. 69, Singapore: ISEAS - Yusof Ishak Institute.
著者プロフィール

坂田正三(さかたしょうぞう) アジア経済研究所バンコク研究センター研究員。専門はベトナム地域研究。主な著作に、『ベトナムの「専業村」――経済発展と農村工業化のダイナミズム』(研究双書No.628)アジア経済研究所 2017年、「ベトナムの農業機械普及における中古機械の役割」小島道一編『国際リユースと発展途上国――越境する中古品取引』(研究双書No.613)アジア経済研究所 2014年、など。

書籍:ベトナムの「専業村」

書籍:国際リユースと発展途上国

  1. Japan Times, 2020年5月1日付
  2. 保健省ウェブサイト
  3. イギリスの新聞The Guardian紙が、この取り組みと優秀作品の作者数名について紹介している。The Guardian, 2020年4月9日付
  4. Business Insider, 2020年4月7日付
  5. Voice of Vietnam, 2020年4月18日付
  6. 政府議定 15号(「郵便、情報通信、無線周波数、情報技術、電子取引の分野における行政違反の罰則に関する規定」15/2020/ND-CP:2月3日付)。ソーシャルメディアを含む情報発信に関する違反規定であるが、「法律の規定に照らして不正確あるいは不十分な情報」を発信した場合には「行政違反」となるという条文はあるものの、その情報の内容についての詳細な記述はない。
この著者の記事
【特集目次】

新型コロナウイルスと新興国・開発途上国