特集 図書館と障害者サービス 情報アクセシビリティの向上 【各国事情】 アラブ地域 視覚障害者をとりまく現状と課題 モハメド・オマル・アブディン、福地健太郎 ●はじめに 視覚障害者の情報、印刷物へのアクセスは世界的にかなり限られている。世界盲人連合は、出版される書籍の九九%は視覚障害者には利用できないものであり、この状況Book Famine ”(本の飢餓)と表現している。本稿ではアラブ地域の視覚障害者の情報アクセシビリティの現状を概観し、課題について若干の所感を述べることを目的とする。ここでいうアラブ地域とは、アラビア語を共有しアラブ連盟に加盟する二二カ国(注①)を指すが、実際には情報が得られたエジプトの状況を中心に記述する。まずアラブ地域の障害者、特に視覚障害者状況を概観する。次に、調査の視点と結果をまとめる。最後に若干の考察を加えて結びとしたい。 ●背景 (1)アラブ地域の障害者概況 アラブ地域においては、障害者が人口に占める割合が世界的な推計に比して低い。たとえば、もっとも高い値はスーダンの四・九%であるが、それはWHO(世界保健機関)の世界全体の障害者の割合が一五・四%という推計の三分の一である。また、障害の定義は各国において異なるため、国を超えた比較が困難であることも考慮しておく必要があるであろう(参考文献④)。 アラブ地域での障害の取り組みとしては、二〇〇四年から二〇一三年までの「アラブ障害者の一〇年」が地域としての最初の取り組みである。同一〇年の間に採択された障害者の権利条約の批准と実施は、アラブ地域の共通した課題であった。現在では一八の国が障害者権利条約を批准し、八カ国が選択議定書を批准している。一方で他の地域と同様、アラブ地域の障害者も教育、就労の面で困難に直面している。地域全体の障害者の非識字者の割合が高く、たとえばデータのあるエジプトなどでは、その比率は六一・三%に上ると推計されている(参考文献④)。さらに二〇一一年以降の、リビア、シリア等での紛争状態を考慮すれば、アラブ地域の障害者の状況はさらに悪化していると考えられる。 (2)アラブ地域の視覚障害者参考文献①によれば、アラブ地域全体での視覚障害者は約三五〇〇万人と推計されている。しかし、参考文献④のデータでは視覚障害者の数は八〇万人ほどであり、推計には大きなばらつきがみられるため、その信憑性に疑念が残る。 ●調査と結果 (1)調査の視点 まず情報アクセシビリティを論じるにあたり、①点字、音声等利用可能な出版物の状況、②音声読み上げソフト等、視覚障害者の情報アクセスを可能にする支援機器の状況、の二点から情報を収集することにした。これは利用可能な出版物のみでは情報アクセシビリティが保証される訳ではなく、その出版物を利用するための支援機器、もしくはシステムが整う必要があるからである。印刷物については、点字、音声、電子データの様式を利用可能な様式として想定している。この場合弱視者向けの拡大文字や白黒反転文字による出版物が対象外となってしまうが、聞き取り調査先が点字図書館等であることから、本稿には含めないことにした。また、情報アクセス機器については、パソコンを音声で利用するためのソフト(スクリーンリーダー)に焦点を当てることとした。 (2)コンテンツ 利用可能な書籍の提供を行っているのは、主にエジプトのタハ・フセイン・ライブラリーとサウジアラビアの中央図書館(マクタバ・マルカジーア)である。タハ・フセイン・ライブラリーはエジプトのアレクサンドリアに位置し、約一〇〇〇冊を所蔵する。蔵書の多くは録音図書であり、カセットテープや最近ではDAISYのものもある。タイトルの多くは文学や神学である。そのほか対面朗読やパソコンのトレーニングも提供している。蔵書の貸し出しはできないため、利用者は館内で読書をすることになる。サウジアラビアの中央図書館では、インターネット上には、古典アラビア文学、イスラーム神学に関するコンテンツが公開されており、この分野の書籍へのアクセスは比較的に広いようである。その他にもカタールやドバイには点字の蔵書があるが、かなり小規模のようである。 (3)情報アクセス機器 表1に、カタールの視覚障害者支援センター(MADA)の資料を基に、アラビア語対応のスクリーンリーダーについてまとめた。(表1は省略) このようにアラビア語版のスクリーンリーダーは多様な選択肢が用意されつつあるが、いずれもかなり高額である。たとえばJAWSは英語版であればおよそ一〇〇〇米ドルであるし、日本で多くの視覚障害者が利用するソフトはおよそ三万円である。その意味では今後フリーウェアのNVDAは、アラブ地域の視覚障害者の情報アクセシビリティを改善する大きな可能性を秘めているといえよう。 ●考察 本稿の簡易な調査からでも、アラブ地域の情報へのアクセシビリティの厳しい状況がうかがえる。ここでは、コンテンツ、情報アクセスの観点から要約し若干の考察を加える。まずコンテンツについての課題として、地域内の共有がなされていないことが挙げられる。前記のタハ・フセイン・ライブラリーは貸し出しが禁止であり、また参考文献①によれば、カタールでは著作権法の規制により点字出版物を国外に持ち出すことが制限されている。これにより、各国で作成される書籍が重複するという問題が起きていると考えられる。一方では利用可能なコンテンツの偏りも課題としてあげられる。湾岸諸国などの、比較的に豊かな国々では、音声や点字図書の作成には多くの資金が投じられるものの、実際に作成されているものはさほど多い訳ではないばかりか、サウジアラビアやエジプトでは作成タイトルの多くはイスラーム神学に関するものであり、他の分野のものはかなり限られている。この理由として、まず多くの視覚障害者がイスラーム神学を専攻していることが考えられる。イスラーム神学に関連する図書が多いもうひとつの理由として、生産する側の問題がある。サウジアラビアの音声中央図書館は教育省の関連団体であり、サウジアラビアという国自体の教育方針がイスラム的色彩を帯びている。視覚障害の有無にかかわらず、国主導で生産または推奨される著書の多くはイスラム教の教えに関するものが多く存在する。 前述のとおりアラビア語版のスクリーンリーダーはいくつか存在しているが、NVDAを除いてかなり高額である。これは多くの障害者が就労していない状況を考えれば、情報へのアクセスをかなり困難にしていると考えられる。また、前記のコンテンツとも関連するが、アラビア語の電子テキスト作成の難しさも課題として指摘しておきたい。視覚障害者がスクリーンリーダーで印刷物を読む際は、印刷物をスキャナで読み取り、画像としての文字情報(絵としての Apple)を、スクリーンリーダーが読み上げられるテキスト(文字情報としての Apple)に変換する必要がある。日本でも最近のスキャナには搭載されている技術であるが、この認識率は日本語では九割であるのに対し、アラビア語では一割以下である(MADA)。これはアラビア文字の複雑さに起因するものであるが、視覚障害者の情報へのアクセスを制限する原因となっていることは確実である。 ●課題 以上の考察を踏まえ、アラブ地域の視覚障害者の情報アクセシビリティを改善する道筋に関する若干の所感を述べて本稿の結びとしたい。 (1)マラケシュ条約の批准によるコンテンツの共有利用可能なコンテンツを地域内で効率的に共有することは、アラブ地域の視覚障害者にとって大きな変化をもたらすはずである。参考文献①によれば、カタールの点字図書を国外の団体に提供することは、著作権法により制限されている。このような状況を改善するにはマラケシュ条約の批准と関連法の整備、共有するシステムの整備が必要である。 (2)多様な分野のコンテンツの作成現状ではアラブの視覚障害者は、政治、社会学、文学等多様なコンテンツを利用することが困難である。そこでイスラーム神学以外の分野においてのコンテンツも増やすことが今後求められていると考える。 (3)NVDAの改良による利用可能なスクリーンリーダーの普及前にも指摘したが、高額なスクリーンリーダーは視覚障害者への情報へのアクセスのバリアのひとつとなっている。NVDAはそのバリアを乗り越える大きな可能性であるといえよう。 (4)インターネット環境の整備スクリーンリーダーとインターネットは視覚障害者の情報へのアクセスを劇的に変化させたが、アラブ地域のインターネットの利用者はバーレーンの九八・七%からソマリアの一・六%まで大きな格差が存在する(参考文献⑤)。今後この格差を縮め、インターネットへのアクセスを可能にするインフラを整えることが、視覚障害者の情報アクセシビリティを改善するには必須である。 最後に、これらの方策と並行して視覚障害者が教育を受け、基礎的な識字能力を獲得する重要性を強調したい。冒頭でみたように障害者の多くが非識字者である状況では、利用可能なコンテンツやアクセス支援機器が発達しても、基礎的な識字能力なしにはそれらの恩恵を受けることはできないであろう。したがって前記で考察した課題を解決しつつ、質の高い基礎教育へのアクセスを拡充することが今後一層求められよう。 (Mohamed Omer Abdin/東京外国語大学世界言語社会教育センター特任助教・NPOスーダン障碍者教育支援の会理事、ふくち けんたろう/国際協力機構JICA北海道(札幌)・NPO法人スーダン障碍者教育支援の会理事) 《注》 ①アルジェリア、アラブ首長国連邦、イエメン、イラク、エジプト、オマーン、カタール、クウェート、コモロ、サウジアラビア、シリア、ジブチ、スーダン、ソマリア、チュニジア、パレスチナ、バーレーン、モロッコ、モーリタニア、ヨルダン、リビア、レバノン。 《参考文献・ウェブサイト》 ①Calvo, F.MJ. Sharing accessible books in Arabic: How can the Marrakesh Treaty help? Department of Education, Employment and Cultural Promotion. National Organization of Spanish Blind persons (ONCE). Madrid, Spain. 2013. ②MADA. “Arabic ScreenReading Solutions.”(http://mada.org.qa/resourcecenter/en/downloads/factsheets_eng/Arabic % 20Screen % 20 Reading% 20Solutions) (Accessed, 2014 December 12). ③Taha Hussein Library. (http:// www.bibalex.org/libraries/presentation/static/14710.aspx#1) (Accessed, 2014 December 12). ④United Nations Economic and Social Commission of Western Asia (ESCWA) and League of Arab States. “Disability in the Arab Region: An Overview. ” E/ESCWA/SDD/2014/Technical Paper 1. 2014. ⑤ Internet World Stats. “ World Internet Users Statistics and 2014 World Population Stats.”(http://www.internetworldstats.com/stats.htm) (Accessed on 2014, December 12). アジ研ワールド・トレンドNo.234(2015. 4) p.34-36