特集 図書館と障害者サービス 情報アクセシビリティの向上 【各国事情】 バングラデシュ 政府とNGOの取り組み 金澤真実 ●公立図書館のアクセシビリティ バングラデシュには、全国で六八の公立図書館があり、障害者用トイレとスロープはそのうちの三九館に設置されている。しかし視覚障害者のアクセシビリティに関しては、点字ブロックや手すりなどハード面だけでなく、点字図書やアクセシブルな録音図書であるDAISY(デジタル録音図書)などの蔵書、対面朗読サービスといったソフト面が整備されている公立図書館はひとつもない。しかし二〇一三年に障害者権利条約の精神を反映した「障害者の権利と保護法」が制定されたのを機に、首都ダッカにある中央図書館では、現在倉庫として使用している一階部分に障害者用のコーナーを新設する計画がある。とはいえ、計画の詳細は未定であり、視覚障害者にもアクセス可能な図書の製作や所蔵、再生機器の設置、対面朗読サービスなどが実施されるかは不明である。 ●デジタル・バングラデシュ―政府の取り組み― 現政権は、建国五〇周年を迎える二〇二一年までに中所得国になるというビジョン二〇二一を掲げ、ICT(情報通信技術)による貧困削減を目指す「デジタル・バングラデシュ」を進めている。その取り組みのひとつに「情報へのアクセス( a2i)プログラム」がある。これは、すべての国民がICTを利用した行政サービスを受けられるようにするものである。教育分野の取り組みとしては、全国にインターネットを整備し、コンピューター、プロジェクター、スクリーンをすべての公立小中学校に設置するという「マルチメディア教室」を推進している。その他に電子書籍の取り組みもある。今までに一年生から一二年生までのほとんどの教科書が電子書籍化され、国家カリキュラム教科書委員会により公開された。教科書以外では、文化省が運営している公立図書館部サイトで五三二タイトルの詩や歴史書を読むことができる。 ●デジタル・バングラデシュの課題 政府の主導により全国民の日常生活に関わる様々な事柄でのデジタル化が進んでいるが、視覚障害者にとって課題は多い。障害者のウェブ・アクセシビリティについての調査によれば、政府や省庁のほとんどの担当職員は、ウェブ・アクセシビリティについて知識がなく、ウェブページのアクセシビリティに関する国際標準ガイドライン(WCAG)の基準を満たさないウェブページが多い。また、前述した「マルチメディア教室」は、生徒一人に一台の端末が支給されるのではなく、教室の前方にスクリーンを置きそこに映写された画像や動画をクラス全体でみて授業を進めるものである。インクルーシブ教育を進めているバングラデシュで、このような形で映し出される映像が授業理解の鍵となるのであれば、弱視など視覚に障害のある生徒が置き去りにされる心配がある。今後、視覚障害をはじめとした障害児に対して、「マルチメディア教室」ではどのような配慮が行われるのか注目していく必要がある。 ●DAISY図書―NGOの取り組み― 図書のDAISY化の取組みは、二〇〇五年から Young Power in Social Action(YPSA)というNGOを拠点として開始された。YPSAは、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業により日本で研修を受けた全盲の職員を中心に、障害者のためのICT情報センター(IRCD)を開設、障害者だけでなく非識字者を含め印刷された文字を読むことに対して困難を覚える人々を対象としてDAISYを製作している。利用者に非識字者を含めていることは、国民の四割以上が非識字者というバングラデシュならではの事情を感じさせる。二〇〇五年から現在まで、DAISY八〇〇タイトルと小学校一.五年生までの教科書の音声およびフルテキストからなるマルチメディアDAISYが製作された。 ●視覚障害者の情報アクセシビリティへの課題 昨年バングラデシュを訪問した際、首都ダッカを中心に活動する視覚障害当事者団体のメンバー七人に情報アクセシビリティに関して課題を聞く機会を得た。メンバーは、一人が弱視、六人は全盲で、うち五人はコンピューター・プログラマーやITマネージャー、障害者団体の職員として働いており、二人はこの団体でコンピューター・トレーニングを受講中である。 コンピューターを日常的に使用している彼らが、課題として一番に挙げたのは、読み上げソフトの性能と価格である。バングラデシュの公用語であるベンガル語の読み上げソフトは無料でダウンロードできる。しかし、音質や発音の鮮明さといった面で問題があり、このようなソフトを使い慣れている人でなければ利用することは難しいという。英語の場合は、JAWSや Open-bookなどの読み上げソフトが入手可能であるが、一〇〇〇ドル以上と大変高価である。小学校校長の月給が約八〇ドル程度であることを考えると個人で正規品を購入することはかなり難しい。 次に彼らが課題として挙げたのは、再生機器の価格が高く普及が遅れていることである。DAISYを聞くためには、専用の再生機か専用ソフトのパソコンへのインストール、またはMP3プレイヤーやDVDプレイヤーなどの再生機器が欠かせない。しかし、これらの機器は、いずれも高価で例えばDAISY再生機で三〇〇.一〇〇〇ドル、MP3プレーヤーでさえ約一〇〇.一一五ドルする。福祉機器として購入費用が助成されるといった行政からの支援はなく、購入に際しては個人で全額負担するしかない。 三番目には、利用者の知識やスキル不足である。障害があるために教育を受ける機会に恵まれなかった多くの障害者は、コンピューターや再生機の使い方を理解するための基本的な知識やスキルが不足している。最後に、障害者の約八割が住むという農村部では、DAISYや電子書籍にアクセスするための電力やインターネットなどのインフラ整備が遅れている。また、インフラがあったとしても、それを利用するための費用を捻出することが難しい貧しい障害者も数多い。 ●点字で読みたい! コンピューターを駆使して仕事をしている彼らが、日々の実感として特に強調したことがある。それは、電子書籍やDAISYなどのデジタル録音図書が普及し、音声で書籍を聞くことができても、やはり点字が必要だということである。音声で様々な本を聞き新しい言葉や単語を知ることができても、ベンガル語のスペルが解らずコンピューターを使っての墨字(すみじ)文書作成に困難が生じている。墨字のベンガル語の綴りは点字で理解できるので、点字で読むことが必要なのだという。しかし、点字図書の普及は、政府が国策として進めている電子書籍以上に遅れており、点字の教科書でさえ必要とする生徒全員に支給されていない。しかし、点字図書とデジタル録音図書の普及は相反するものではなく、デジタル化する際にユニコードを使用すれば、データから点字への変換ができ点字印刷が行えるという。また現在バングラデシュで入手することは出来ないが、点字ピン・ディスプレイ(点字情報がピン状の凹凸によって表示されるもの)が普及すれば、テキストデータから直接点字として読むことができる。 国をあげてデジタル化を進めているバングラデシュで、視覚障害者の情報へのアクセスには課題が山積している。特にベンガル語読み上げソフトの改良、図書デジタル化に際しユニコード使用の標準化、福祉機器購入助成などは個人レベルでは解決が難しく政府やNGOなどのイニシアティブが欠かせない。そのためには、海外からの資金および技術支援が大いに必要とされている。 (かなざわ まみ/一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程) アジ研ワールド・トレンドNo.234(2015. 4) p.31-32