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	<title>ジェトロ・アジア経済研究所 報告書・レポート</title>
	<description>ジェトロ・アジア経済研究所の報告書・レポートです</description>
	<link>http://www.ide.go.jp/</link>
	<copyright>Copyright (C) JETRO. All rights reserved.</copyright>
	<language>ja</language>
	<item>
		<title>Development of Land Rental Market and its Effect on Household Farming in Rural China: An Empirical Study in Zhejiang Province. Discussion Papers No.323 [February 2012] 2012/02/09</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/English/Publish/Download/Dp/323.html</link>
		<description>This paper investigates the impact of land rental market development on the efficiency of labor allocation and land utilization in rural China. To test the hypothesis that the shadow wage of a rent-in...</description>
		<category>Discussion Papers</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[This paper investigates the impact of land rental market development on the efficiency of labor allocation and land utilization in rural China. To test the hypothesis that the shadow wage of a rent-in household with limited off-farm opportunities will increase with the development of a land rental market for households, a statistical comparison between the shadow wage and the estimated market wage was conducted. The results showed that the shadow wage for both rent-in households and non-rent-in households was significantly lower than the market wage, but that the wage for the rent-in households was statistically higher than that for non-rent-in households in Fenghua and Deqing, the two counties surveyed in this study. In addition, the estimated marginal product of farmland for rent-in households was statistically higher than the actual land rent that those households paid, while a null hypothesis that the actual rental fee accepted by rent-out households is equivalent to the marginal product of farmland for those households was not rejected in Fenghua county where land transactions by mutual agreement were more prevalent. These results indicate that the development of the land rental market facilitates the efficiency of labor allocation and farmland utilization in rural China..<br />
<br />
<b>Keywords:</b> Land Rental Market, Agricultural Production Function, Household Model<br />
<b>JEL classification:</b> J22, O13, Q12, Q15]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>Returns to Migration: The Role of Educational Attainment in Rural Tanzania. Discussion Papers No.322 [February 2012] 2012/02/07</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/English/Publish/Download/Dp/322.html</link>
		<description>Given the migration premium previously identified in an impact evaluation approach, this paper asks the question of why migration is not more prominent, given such high premium associated with it. Usi...</description>
		<category>Discussion Papers</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[Given the migration premium previously identified in an impact evaluation approach, this paper asks the question of why migration is not more prominent, given such high premium associated with it. Using long-term household panel data drawn from rural Tanzania, Kagera for the period 1991-2004, this study aims to answer this question by exploring the contribution of education in the migration premium. By separating migrants into those that moved out of original villages but remained within Kagera and those who left the region, this study finds that, in consumption, the return on investment in education is higher at both destinations. However, whilst the higher return on education fully explains the gains associated with migration within Kagera, it only partly explains those of external migration. These findings suggest that welfare opportunities are higher at the destination and that an individual's limited investment in education plays a major role in preventing short-distance migration from becoming a significant source of raising welfare, which is not the case for long-distance migration. While education plays a role, it appears that other mechanisms may prohibit rural agents from exploiting the arbitrage opportunity when they migrate to the destination at a great distance from the source.<br />
<br />
<b>Keywords:</b> Africa, Internal migration, School Investment, Return to education, Welfare growth<br />
<b>JEL classification:</b> I25, J61, J62, O15, R23]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>インドの鉄鉱石違法採掘問題. 海外研究員レポート インド [2012年2月] 2012/02/06</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1202_sato.html</link>
		<description>ヒンドゥ教の新年であるディワリ（昨年は10月26日）に比べると、インドにおいて西暦の1月1日はほとんど何の重要性もないようで、淡々と年があけました。それでも、2011年がどのような年であったか、2011年にヒットした映画や歌謡曲（インドの場合は映画挿入曲と呼ぶべきかもしれません）のトップ10はなにか、といった2011年を回顧する特集が新聞に組まれ、あるいはそういったテレビ番組が多数放映されていまし...</description>
		<category>海外研究員レポート</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ヒンドゥ教の新年であるディワリ（昨年は10月26日）に比べると、インドにおいて西暦の1月1日はほとんど何の重要性もないようで、淡々と年があけました。それでも、2011年がどのような年であったか、2011年にヒットした映画や歌謡曲（インドの場合は映画挿入曲と呼ぶべきかもしれません）のトップ10はなにか、といった2011年を回顧する特集が新聞に組まれ、あるいはそういったテレビ番組が多数放映されていました。<br />
<br />
では2011年はインドにとってどういった年であったかといえば、おそらく、クリケットのワールドカップ優勝の年として記憶されると同時に、Anna Hazareを中心とする反腐敗運動の年としても記憶されることになると思われます。ただし、反腐敗運動の焦点であったロクパル法案は12月27日深夜に下院は通過したものの、上院では法案の内容をめぐって議論が紛糾して12月29日深夜に採決が見送られ会期が終了し、2011年中には成立しませんでした。<br />
<br />
さて、先進国後進国を問わず、公正や善悪という観点から、腐敗や汚職はないに越したことはないことに広い合意があると思われます。ただし、善悪を彼岸において、その経済的影響だけについて考える場合は、議論のあるところです。つまり、それらは投資のインセンティブを損ねるなどして経済活動に負の影響を与えている可能性が高いとする研究がある一方で、それらは付加的な「税金」にすぎず全体としての経済にはさして影響ないという考えや、あるいは、とりわけ経済発展の初期において不可欠ないわゆる「資本の原始蓄積」に結果的に資している場合がある可能性も否定できないとする考え方もあります。<br />
<br />
こうした研究の評価を下すことは筆者の能力を大きく超えた課題ですが、少なくとも確かなことは、インドにおいて盛り上がった2011年の反腐敗・汚職運動は、経済的な側面だけでなく、文化、社会、政治、法制度など、インド社会の様々な様相において少なからぬ痕跡を広く残したと思われることです。そのことを前提として、あえて経済的な影響についてのみ考えるならば、2011年の汚職や腐敗問題で明白な影響をインド経済に及ぼしたのは、マスコミなどに大きく取り上げられてきた2Gスキャンダル（携帯電話の周波数割当にからむ汚職）やコモンウェルス・ゲーム問題（スタジアムなどの建設に絡む入札を巡る汚職）というよりはむしろ、カルナタカ州（およびゴア州）で顕在化した鉄鉱石の違法採掘(illegal mining)をめぐる問題だと思われます<sup><b><a href="#1">1</a></b></sup> 。<br />
<br />
というのは、反腐敗運動が広範に展開する中で、以前からささやかれていたカルナタカ州Bellary県における鉄鉱石の違法採掘に関連して、最高裁が（直接的な理由としては環境保護の観点からですが）2011年7月29日に同県におけるすべての採掘を（違法適法を問わず）停止する命令を出したのです。翌日には、違法採掘に対して有効な措置を取らず、また親族がこの違法採掘にかかわっている会社から献金を受けていると指摘されたカルナタカ州インド人民党(BJP)政権首相のB.S. Yaddyurappaが辞任に追い込まれ、さらに、Bellary県における違法採掘に深くかかわっていたカルナタカ州の前観光・インフラ大臣G.J. Reddyが9月5日に逮捕されるという急展開となりました<sup><b><a href="#2">2</a></b></sup> 。とくにBellery県のReddy三兄弟はカルナカタ州におけるBJP設立に貢献したといわれ、地元では彼らを逮捕することなどとても不可能だと思われていただけに、反腐敗の大きな流れを象徴する出来事となりました。<br />
<br />
どのような法律を遵守していないという意味で採掘が違法であったのかは、実はそれほど単純ではありません。第一に、1956年鉱山及び鉱物（規制および開発）法に基づいて得ているリース契約（採掘地区や生産量）にかんする法律違反、第二に、輸出量を偽って申告してローヤルティ支払いを免れたことにかんする法律違反（輸出用と国内消費用とでインド国有鉄道などの輸送費の設定が違う場合もありこれについても詐欺が問題となります）、第三に、環境関連法、森林関連法に基づく諸クリアランスにかんする違反（採掘屑などの定められた廃棄方法の不順守など）、第四に、ライセンスやクリアランス獲得などのさいに贈収賄があったのではないかという刑事法典および汚職防止法違反、など、多岐にわたります。<br />
<br />
この最高裁によるBellary県における鉄鋼石採掘の停止命令は、鉄鉱石の生産と輸出だけでなく、鉄鋼業など川下産業の生産活動、さらには同県の鉱業にて直接あるいな間接に生計をたてていた10万あまりの家計に影響を与えました<sup><b><a href="#3">3</a></b></sup> 。こうした違法な生産、販売活動にどれだけの人がかかわっているのか、という意味でも、周波数帯のライセンス割り当てにかかわる2Gスキャンダルなどの汚職・腐敗とは、問題の規模が異なります。<br />
<br />
実際、鉱工業生産指数を参照すると、鉱業については、前年同月比で2011年8月から明らかに減少に転じ、10月には鉄鉱石でおよそ35%、鉱業全体で7.9%、産出量が減少しています<sup><b><a href="#4">4</a></b></sup> 。製造業も10月には前年同月比で10.0%の減少を記録し、鉱工業全体でも10月は前年同月比で7.9％の減少となっています。インドでは、鉱業は鉱工業生産指数のなかでおよそ14%のウェイトを与えられており、GDPでもおよそ25%を占めているので、マクロ経済への影響もまた小さくありません。11月に発表された2011年度第2四半期(7-9月)の実質GDP成長率推定値も、6.9%とこの二年間で最も低い値を記録しています。<br />
<br />
さて、インドにおいて違法採掘が劇的に増えた理由は、2000年代に入ってからの中国鉄鋼業の爆発的な生産拡大と関係があると指摘されています<sup><b><a href="#5">5</a></b></sup> 。Bellary県においても、中国からの鉄鉱石需要の劇的増加による鉱山ブームのために、日に5000台もの大型トラックが舗装されていない道を往来し、メイズや稲などの豊かな農地は猛烈な赤茶色の埃で農作が難しくなり、農業よりも現金収入がよいために、農地から取れる鉄鉱石を道行くトラックに売ったり、トラックをローンで購入して鉄鉱石の運送業に若者が進出したり、もちろん鉱山の工夫になったりという社会変化がおこっていたというのです。<br />
<br />
同じような中国の鉄鋼需要増大による活況はゴア州の鉄鉱石鉱山でも起こっていました。筆者は2007年に同州のある鉱山を訪問する機会を得ましたが、その際に漏れ聞いたところでは、鉄鉱石を採掘する際に余計な砂利などを捨ててできる山、炭鉱でいう「ぼた山」にあたる山ごと中国の企業が買っていくというような状況だった時期すらあったという話でした。そのゴアもまた今は違法採掘問題で揺れています<sup><b><a href="#6">6</a></b></sup> 。ゴアの鉄鉱石はすべて輸出向けで産出量はこの10年でおよそ3倍になっていますが、州首相D.Kamatは首相就任前に州鉱山省大臣を12年努めており、違法採掘、違法輸出がどの程度組織だって行われていたのか、環境への影響はどうか、など、調査が行われています。<br />
<br />
さて、違法採掘の大きな要因が中国ブームであったことは確かだとしても、需要増大に対してなぜ適法に供給を増やすことができなかったのか、なぜ違法な対応が広まったのかは、中国ブームがあったということだけでは十分に説明できません。鉄鉱石の採掘をめぐる、インド特有の構造的、制度的および技術的な理由がその背後には存在すると思われます。違法採掘を生みだす原因あるいはメカニズムを明らかにすることはこの小エッセイでなしうるところではありませんが、インドの鉄鉱石採掘にかかわるいくつか重要な特徴を列挙しておきましょう<sup><b><a href="#7">7</a></b></sup> 。<br />
<br />
たとえば制度的な面では、中央政府と州政府の権限関係が複雑であり、また持続可能な採掘量という観点からの規制と環境保護など他の観点からの規制についても、内容的にも組織的にも十分にコーディネートされていないこと、などの問題があります。つまり需要増に対して経営の自主判断で直ちに「適法に」増産したり投資したりできる範囲がさほど広くはない可能性があります。<br />
<br />
また、構造的あるいは技術的な問題としては、鉄鋼企業によるいわゆるキャプティブな採掘（鉄鋼企業自体が鉱山をリースして採掘を行うこと）も多く、十分な資力をもった大きな鉱業会社が存在せず、技術投資が難しいことや、インドでは鉄鉱石をペレット化、シンタリングする能力が小さく、相対的に細かい鉄鉱石は大部分を輸出に向けるほかないというような事情があります。<br />
<br />
さらに、ここ数年はインドのなかでも鉄鋼石採掘業セクターと鉄鋼業セクターとの間で、鉄鉱石の輸出を制限すべきかどうかで利害対立が顕在化しています。単純化すれば、インドにある鉄鉱石資源は国内の鉄鋼業に振り向けられるべきとする鉄鋼業界と、国内で販売するよりずっと儲けのよい輸出を重視する鉄鉱石採掘業セクターの対立です。<br />
<br />
もちろん、インド産の鉄鋼石に対する需要がこのまま数十年にわたり右肩上がりで伸び続けることは少々考えにくいと思われます。中国の鉄鋼業の伸びもすでに陰りがみえているように思われ、また、インド国内の鉄鉱石需要にしても、社会に鉄鋼製品が蓄積すれば、長期的な視点で考えれば、鉄鉱石ではなく、鉄スクラップをもとに鉄鋼製品を生産する比率が増えていくと思われます。<br />
<br />
いずれにしても、インドでは、腐敗・汚職問題の広がりが、鉄鉱石ないし広くは鉱業セクター全体についての政策の再検討を、期せずして、促す結果となっているように思われます。いいかえると、腐敗や汚職問題という観点だけでなく、土地収用や環境などの問題についても社会意識が高まってきているように思われ、経済自由化以降、自由化、民営化を重視してきた鉱業セクターを、今後どのように位置づけ発展させていくのか、再考すべき時が熟しつつあるのかもしれません<sup><b><a href="#8">8</a></b></sup> 。<br />
<br />
]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>The Gap between Recognition and the ‘Compensation Business’: The Claim against Britain for Compensation by Kenya’s Former Mau Mau Fighters. Discussion Papers No.321 [February 2012] 2012/02/03</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/English/Publish/Download/Dp/321.html</link>
		<description>During the first Kibaki administration (2002-2007), a movement by the former Mau Mau fighters demanded recognition for the role that they had played in the achievement of independence. They began to d...</description>
		<category>Discussion Papers</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[During the first Kibaki administration (2002-2007), a movement by the former Mau Mau fighters demanded recognition for the role that they had played in the achievement of independence. They began to demand, also, monetary compensation for past injustices. Why had it taken over 40 years (from independence in 1963) for the former Mau Mau fighters to initiate this movement? What can be observed as the outcome of their movement? To answer these questions, three different historical currents need to be taken into account. These were, respectively, changing trends in the government of Kenya, progress in historical research into the actual circumstances of colonial control, and a realization, based on mounting experience, that launching a legal action against Britain could turn out to be a lucrative initiative. This paper concludes that, regardless of the actual purpose of the legal case, neither of their objectives was certain to be achieved. Two inescapable realities remain: the doubts cast on the reputation of the government by its decision to lift the Mau Mau‟s outlaw status – a decision that was widely seen as a latter-day example of the „Kikuyu favouritism‟ policy followed by the first Kibaki administration – and the popular interpretation of the involvement of Leigh Day, well known in Kenya ever since the unexploded bombs case for its success in obtaining substantial compensation payments, as a vehicle for squeezing large amounts of money from the British government for the benefit of the Kikuyu people.<br />
<br />
<b>Keywords:</b> Kenya; ethnicity; Kibaki; colonization; Kikuyu; compensation; Mau Mau]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>Restructuring the State Budget System for Disinflation and Exchange Rate Unification in Myanmar. Discussion Papers No.320 [January 2012] 2012/01/27</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/English/Publish/Download/Dp/320.html</link>
		<description>The installment of a new government has augmented the prospect for implementing disinflation and exchange rate unification in Myanmar. A close look at the state budget shows that the reform of the bud...</description>
		<category>Discussion Papers</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[The installment of a new government has augmented the prospect for implementing disinflation and exchange rate unification in Myanmar. A close look at the state budget shows that the reform of the budget system for state economic enterprises (SEEs) is essential. Reforms need to hold the replacement of controlled prices including the official exchange rate with market prices in SEE operations, and the separation of the SEEs from the state budget. But separating the SEEs from the state budget will necessitate careful planning to cope with SEE bankruptcies which would imposes another fiscal burden on the government. Therefore, economic viability must be a criterion for the continuation of their operations.<br />
<br />
<b>Keywords:</b> Myanmar, state economic enterprises, disinflation, exchange rate<br />
unification<br />
<b>JEL classification:</b>H61, O24, O53]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>Effects of Birth Order and Sibling Sex Composition on Human Capital Investment in Children in India. Discussion Papers No.319 [January 2012] 2012/01/20</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/English/Publish/Download/Dp/319.html</link>
		<description>The paper explores the effects of birth order and sibling sex composition on human capital investment in children in India using the Indian Human Development Survey (IHDS). Endogeneity of fertility is...</description>
		<category>Discussion Papers</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[The paper explores the effects of birth order and sibling sex composition on human capital investment in children in India using the Indian Human Development Survey (IHDS). Endogeneity of fertility is addressed using instruments and controlling for household fixed effects. Family size effect is also distinguished from the sibling sex composition effect. Previous literature has often failed to take endogeneity into account and shows a negative birth order effect for girls in India. Once endogeneity of fertility is addressed, there is no evidence for a negative birth order effect or sibling sex composition effect for girls. Results show that boys are worse off in households that have a higher proportion of boys specifically when they have older brothers.<br />
<br />
<b>Keywords:</b> birth order, sibling sex composition, household resource allocation, India<br />
<b>JEL classification:</b> J13, J16, O12, O53]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>名誉なランキングの背景にある格差. 海外研究員レポート フィリピン [2012年1月] 2012/01/10</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1201_suzuki.html</link>
		<description>ミス・コンテスト世界大会に沸く
フィリピンはミス・コンテストが好きだ。特に2011年は「世界4大ミス・コンテスト」におけるフィリピン代表の健闘に沸いた。結果は以下のようなものであった。
2011ミス・ユニバース：4位（過去優勝2回）2011ミス・ワールド：2位2011ミス・インターナショナル：上位15に入賞（過去優勝4回）2011ミス・アース：3位
これらのうち、2011年9月に行われたミス・ユニ...</description>
		<category>海外研究員レポート</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[<b>ミス・コンテスト世界大会に沸く</b><br />
フィリピンはミス・コンテストが好きだ。特に2011年は「世界4大ミス・コンテスト」におけるフィリピン代表の健闘に沸いた。結果は以下のようなものであった。<br />
<ul><li>2011ミス・ユニバース：4位（過去優勝2回）</li><li>2011ミス・ワールド：2位</li><li>2011ミス・インターナショナル：上位15に入賞（過去優勝4回）</li><li>2011ミス・アース：3位</li></ul><br />
これらのうち、2011年9月に行われたミス・ユニバースは、同年最初のミスコン世界大会ということもあって、フィリピン国内でも大いに注目された。当然、国内メディアはコンテストの様子を中継した。ちなみに、この大会のフィリピン代表はフィリピン大学建築学部卒という才媛である。当日、筆者はフィリピン大学構内にいたが、テレビ中継に見入る学生や大学スタッフなどを多く見かけた。そして彼らはこのフィリピン代表が上位に進むたびに賑やかに騒ぎ、最終的に優勝は逃したものの4位入賞という結果に大きく沸いていた。なお余談だが、4位入賞が決まったあとのメディアの反応がいかにもフィリピンらしい。彼女が最終選考で残った5人のうち、ただひとり通訳ナシで英語のまま質疑応答をしたことを大いに称えたのである。<br />
<br />
実は、フィリピンがこのミス・ユニバースに注目し、その結果に沸いた理由がもうひとつある。前年(2010年)の世界大会で、フィリピン代表が5位に入賞しているのだ。すなわち、二年連続の快挙になったわけである。そのためもあってか、今大会で4位に入賞したフィリピン代表が帰国した際の大歓迎ぶりはあたかも優勝者を迎えるようで、派手なパレードも実施された。<br />
<br />
その後に続いたミス・ワールドやミス・インターナショナル世界大会でもフィリピン代表が上位入賞し、12月にフィリピン大学劇場が開催地となったミス・アース世界大会ではフィリピン代表が3位に入賞した。このミス・アース・フィリピン代表もフィリピン大学卒の学歴をもつ才媛である。こうしたいずれのミスコンも国内で大きく報道され、「フィリピン女性の美と知性が世界的に評価された」(現地メディア)ことに沸いた2011年であった。<br />
<br />
<b>男女格差の小さい国</b><br />
フィリピン女性に関する名誉なランキングがもう一つある。世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表する世界男女格差指数ランキングで、フィリピンが2011年に135カ国中8位であったのだ。つまり調査対象となった135カ国中、8番目に男女格差が小さい国だと評価されたのである。評価内容は経済参画、政治参加、教育水準、健康寿命などの分野である。実のところ、フィリピンは同ランキングにおいて2010年と2009年に9位、2008年、2007年、2006年に6位であり、常に上位10位内に入っている「優等生」である。フィリピンの上には北欧の主な国々がならび、また、フィリピンの次に出てくるアジアの国は31位のスリランカや36位のモンゴルである。参考までに、日本は同ランキングで98位であった。アジアのなかでフィリピンが断然上位に位置しているのがわかるであろう。<br />
<br />
確かにフィリピンでは女性の活躍が目立つ。官界やビジネス界には女性の管理職が当然のごとく存在するし、政界も同様で、すでに女性大統領も過去に二人輩出した。本稿を目にした読者でフィリピンを訪問したことがある人は、誰もがそのような印象を持つのではないだろうか。実際、教育水準も女性のほうが高い。2007年人口センサスによれば、学士以上の学位取得者全体のうち、半分を超える56％は女性なのだそうだ。<br />
<br />
<b>女性を支えるのは女性</b><br />
ただ、こうしたフィリピン女性の活躍ぶりを高く評価する一方で、ひとつ見逃してはいけない事実があるのではないだろうか。それは女性が女性を支えているという構図である。すなわち、女性の家内労働者（メイド）が、外で働く女性とその家庭を支えているという実態だ。安価な家内労働者を雇える国だからこそ、女性が社会で活躍できるともいえるだろう。フィリピンの地方では十分な雇用機会がないため、都市部に働きに出る女性がいる。そうした女性の雇用の受け皿のひとつが家内労働なのだ。特に都市部の上流家庭では、ベビーシッター、掃除担当、洗濯担当、それに料理担当など、それぞれの担当ごとに数人の住み込みメイドを抱えている。中流家庭でさえ、母親が専業主婦でも、一人か二人の住み込みメイドがいる場合もある。ましてや母親が定職についている場合は、彼女たちの存在があってこそ日々の生活が成り立つといっても過言ではない。掃除や洗濯はもちろんのこと、日々の炊事までも任せているのだ。近年では住み込みではなく、通いのメイドも増えている。日本の働く女性からすれば、何とも羨ましい光景である。<br />
<br />
こうした事情は労働統計にも表われている。図はフィリピンの職業別労働者数を、さらに性別に見たものである。女性労働者の場合、管理的・専門的・技術的職業に従事する労働者と未熟練労働者（このなかに家内労働者が含まれる）に「二極化」していることがわかる。また調査によれば、未熟練労働者のほとんどは一日あたりの法定最低賃金すら支払われていないことが多い。<br />
<br />
このように、「美と知性」に裏付けられたフィリピン女性の社会進出を支えているのは女性であり、男女格差が少ない国という名誉あるランキングの背景にあるのは、女性間格差であるともいえるだろう。<br />
<br />
]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>「開く」中国、「動く」人々、「越える」経済. 政策提言研究  [2011年11月] 2012/01/06</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Seisaku/1111_hisasue.html</link>
		<description>はじめに
アジアでは古来、中国系人（あるいは「華僑」、「華人」と呼称）の流動と、それによってもたらされてきたものが、何らかの形で影響を与えてきた。しかし、現代における中国の台頭という動きのなかで、中国系の「動く」人々、「越える」経済のあり方も常に変化しており、それは20世紀後半から現在の経緯のなかで、捉え直されるべきである。

1．現代という時代のなかで
中国系人の流動における潮流や方向性は、中国...</description>
		<category>政策提言研究</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[<b>はじめに</b><br />
アジアでは古来、中国系人（あるいは「華僑」、「華人」と呼称）の流動と、それによってもたらされてきたものが、何らかの形で影響を与えてきた。しかし、現代における中国の台頭という動きのなかで、中国系の「動く」人々、「越える」経済のあり方も常に変化しており、それは20世紀後半から現在の経緯のなかで、捉え直されるべきである。<br />
<br />
<b>1．現代という時代のなかで</b><br />
中国系人の流動における潮流や方向性は、中国と世界・地域の関係性が生み出す環境によって規定されてきた。それゆえに、現代におけるこの事象を考える上では、まず前提となる環境のあり方を整理・認識する必要がある。<br />
<br />
20世紀後半から現在の世界は、冷戦構造の終焉と新たなグローバリゼーションのなかで、アジアが経済的プレゼンスを高めると同時に、特に20世紀末からの中国の台頭が、地域全体のみならず世界にも影響を及ぼす時代となっている。この環境のなかで、中国系の「動く」人々、「越える」経済のあり方も、常に変化している。<br />
<br />
言い換えれば、現代中国の存在や影響力がかつてと異なるなか、従来の「華僑」や「華人」といった認識は、もはや通用するのであろうか。この意識が欠落すると、中国系人があたかも変わることのない連続性のなかで動いているかのような陥穽に直面する。たとえば「同郷」、「団結」、「ネットワーク」といったものは、過去の環境がその効力を生み出したのであり、現代では必ずしも同様の効力を発揮するものではない。それにもかかわらず、これがいまだに中国系人のイメージとして引きずられ、その特質であるかのように語られることは、事実を正確に捉えているとは言い難い。<br />
<br />
それゆえに、ふたたび作動する中国系の「動く」人々、「越える」経済のあり方は、20世紀後半から現在の環境や経緯なかで、捉え直されるべきである。<br />
<br />
<b>2．「開く」中国への接近</b><br />
現代中国の転機となったのは、1970年代後半に開始された改革開放である。この初期段階（1970年代後半～80年代半ば）において、中国は「開いた」が、経済的にはいまだに貧しく立ち遅れた状態にあった。こうした環境下で、海外からの直接投資の先導的役割を担う存在として期待されたのが、華人資本であった。この初期の華僑資本による投資は、彼らの祖先を送り出してきた広東や福建といった地域に集中し、「僑郷投資」と呼ばれた。しかし僑郷投資は、華人の「衣錦還郷」（錦を衣て郷に還る）という、過去との連続性の心理上に成り立つものでもあり、純粋な事業機会としての側面から見れば、一定の限界を有していた。<br />
<br />
この状況は1980年代後半から、「開いた」中国を一つの大きな市場や事業機会として捉える香港や台湾などの華人資本が、広東省を中心とした製造業への投資や、大都市を中心とした不動産・インフラ関連投資などを展開しはじめることで、変化を迎える。こうした動きは、1990年代前半から中国本土各地に拡がる。その起爆剤となったのが、1992年に鄧小平のおこなった「南巡講話」である。これは1989年の第二次天安門事件以降、対中投資に不安を抱いていた海外の華人資本に大きな安心感を与えた。<br />
<br />
さらに21世紀に入ると、中国経済の飛躍的拡大および国内市場の発展によって、あらゆる背景・規模の華人資本が、さまざまな分野に参入する。そこに共通しているのは、あくまでも「高成長市場としての中国」という大きな変化を誘因とした、新たな事業機会への参入である。しかしこの段階に入ると、もはや華人資本には30年前に期待され、あるいは果たしてきたような、資本面における先導的役割が失われ、さまざまな市場参加者の一つでしかなくなる。言い換えれば、華人資本であることの優位性は、もはや現代では強調することの難しい時代となっている。<br />
<br />
<b>3．「開いた」中国から世界へ</b><br />
中国が「開いた」ことは、同時に世界へ向かって「動く」人々、「越える」経済の流動が開始されたことも意味する。改革開放の初期、それは移動の自由が制限されていたため、緩やかなものであった。主だったものは、海外居住の親族を頼りとしてアメリカ、カナダ、オーストラリアなどに出国する縁故移民や、北京や上海などの沿岸部大都市から留学あるいはそれを名目として、アメリカや日本などを目指した留学生の流れであった。それらは内外経済の格差によって、「豊かさ」を求めた流出であり、経済的インパクトは限定的であった。<br />
<br />
これに対して、1990年代からの新しい中国系人による商業ネットワークの展開は、異なる性質を持っていた。その代表例が「温州商人」のビジネスモデルである。温州では私営の軽工業品生産業者が発達した背景から、温州人はまず中国国内に拡散して軽工業品の流通・販売で資本を蓄積した。その後、1990年代からは東欧、南欧、中東、南米などにも急速に進出し、現在では約40万人が世界展開して、卸・小売業を中心とした商業・投資活動に従事していると言われる。その軌跡は、国内での慢性的物資欠乏という内需を満たした後、海外に市場を求めて輸出主導に転換した「現代中国の軌跡」を象徴するものでもある。<br />
<br />
また1990年代から発生したもう一つの潮流は、海外への出稼ぎ労働者という現象である。この新たな流れは、伝統的な華僑送出地であると同時に、改革開放による経済発展の恩恵を先に享受した広東や福建からではなく、主として東北、湖北・湖南、四川などの地域から送出されている。またかつてのように、低技能・単純労働者とは限らず、高技能・専門職人材の国境を越えた流動も開始されている。<br />
<br />
以上のパターンに加えて、21世紀に入って発生している大きな潮流は、「富を持って出て行く」という富裕層移住者の動きである。これは中国本土の急速な経済発展と富の偏在が生み出したものであり、特にホットマネーの急増、汚職問題の深刻化、社会不安の可能性などが、現象に拍車をかけている。このパターンでは、必ずしも人が移動するわけではなく、資金だけが移転するケースも多い。こうした中国系資金（チャイナ・マネー）は、移転先の株式・不動産市場やプライベートバンキングなどに流入する一方で、その急速かつ膨大な金額による影響力から、投機による価格高騰、マネー・ローンダリング、さらには中国の影響力拡大といった懸念となって、現地社会との摩擦も生み出しつつある。<br />
<br />
<b>4．変容する流動のあり方</b><br />
20世紀後半から21世紀の現在、「開いた」中国の出現によって、さまざまな形で「動く」人々、「越える」経済の流動が再開し、中国の急速な成長に歩を合わせるかのように、その勢いが加速していることは事実である。しかし流動のあり方は、この30年の現代中国の変化によって、過去と比較しても、また現代のなかで比較しても、大きく変容してきた。<br />
<br />
改革開放の初期、中国がいまだに貧しい時代には、外資導入の観点から華人資本は先導的役割を期待され、また内外経済の格差を誘因とした人の移動も小規模に再開された。しかし、中国経済の発展に伴い、もはや過去のパターンのように「富を求めて出る、富を得て帰る」だけではなく、現代では「富を求めて来る、富を得て出る」というパターンが加わっている。またそれは、かつてのように華南とアジア太平洋を結ぶだけではなく、むしろ中国と世界を直接的に結ぶ形に変化するなど、かつてとは異なる双方向性や多様性が生まれている。これを可能にしているのは、現代のグローバリゼーションであり、またインフラやテクノロジーの発達である。<br />
<br />
したがって現代では、中国系人であることの優位性が、経済活動上にあるのかという疑問が出現する。たとえば「同郷」、「団結」、「ネットワーク」などのイメージは、かつての環境によって必要とされたものであり、現代では実際上の役割が限定的でしかない。一方では、中国系人であることが、あくまでも利用可能なリソースの一つであることも事実である。そこには、現実には非同質的であっても、意識され続ける「華」の概念があり、それゆえに、たとえば「世界華商大会」のように「華」をキーワードとして、しかし本質は利益目的・誘導である動員が可能となることにも、注意を払う必要がある。<br />
<br />
しかし現実としては、もはやかつてのような「華僑」や「華人」という括りからだけでは、台頭する中国と地域・世界の関係を作動させる原動力やそのインパクトを、把握をすることができないことを理解すべきである。それは膨張する中国が対外的に伸張するなかで、もはや中国系人の個々のインパクトよりも、むしろ国家や企業としての接近・進出という、かつてとは異なる形態が、大きな影響力を持つ時代となっていることからも、明らかである。<br />
<br />
]]>
		</content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>下院選挙を控えたカザフスタン：経済格差と社会不安. 海外研究員レポート カザフスタン [2011年12月] 2011/12/28</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1112_oka.html</link>
		<description>「ほんとうにばかげてる！」
12月6日、カザフスタンのニュースサイトNur.kzに「独立後の20年間でカザフスタンの給料はどう変わったか」という記事が掲載された。それによれば、ソ連崩壊直前の1991年12月現在の平均給与はじゃがいも182.6キロ分に相当したが、2011年秋（9万2925テンゲ、608.49ドル）では、1414.2キロのじゃがいもが購入できるという。

この記事に対して、読者...</description>
		<category>海外研究員レポート</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[<p><b>「ほんとうにばかげてる！」</b><br>
12月6日、カザフスタンのニュースサイトNur.kzに「独立後の20年間でカザフスタンの給料はどう変わったか」という記事が掲載された。それによれば、ソ連崩壊直前の1991年12月現在の平均給与はじゃがいも182.6キロ分に相当したが、2011年秋（9万2925テンゲ、608.49ドル）では、1414.2キロのじゃがいもが購入できるという。</p>
<p>
この記事に対して、読者からは69件のコメントが寄せられた（12月7日11時35分現在）。もっとも多かったのは9万テンゲという金額に対する疑問だ。「ありえない！！！」「一体誰が？！」「絶対うそだ！」「自分の家族や友達でそんな給料をもらっている人はいない」。なかには「自分は1000ドル稼いでいるけれど、そんな人は少ないよ」という投稿もあった。その一方で、「俺の給料は15万テンゲだ。みんな文句を言ってないで仕事しろよ」「給料は能力に応じて払われるものだ。僕は20万テンゲ稼いでいるけど、それでもそんなに多いとは思わない」という書き込みも。</p>
<p>
このような統計上の数字や比較の妥当性を問う声もある。「20年間でどれだけのインフレがあったか。20年前、一体だれが教育や医療にお金を払った？　確かに収入は増えたけれど値段も上がった。陳腐な比較は意味がない」「月給75万テンゲの石油労働者1人と、月給2万5000テンゲの教師が10人いたとすると、その平均は9万900テンゲになる。そういうことさ」。</p>
<p>
私は前回の現地情勢報告で、アルマトゥは月収3～6万円（およそ6～12万テンゲ）くらいの人が多いと書いたが、その後さらにインタビューを重ねるにつれ、いまは大多数の人の収入は4～10万テンゲ程度なのではないかという印象を持っている。さらに膨大な失業者、年金生活者（私が見聞きした範囲では月額2～4万テンゲの人が多い）の存在もある。地方都市や農村部の経済状況はもっと厳しい。</p>
<p>
赴任して半年、現地の人々の生活に触れるにつれ、経済格差の拡大と、低所得層を直撃する物価上昇の深刻さを実感している。しかし現状では、国民の不満は必ずしも政治に反映されない。今年4月に前倒しで実施された大統領選挙では現職が無風で再選され、来月（2012年1月）15日に予定されている国会下院選挙（こちらも繰り上げである）でも、ロシアのように大統領与党が苦戦する結果になるとは想像しにくい（与党ヌルオタン党は一部の議席を他党に譲ることになるが、それがナザルバエフ大統領の影響力の低下を意味するわけではない。詳しくは後述）。そもそも、現大統領の退陣後に起こりうる混乱に対する不安も大きく、現状に不満を抱きつつも大統領の続投を望む人も少なくない。<br>
<br>
<b>インフレと生活水準の低下<br>
</b>
前回の報告にも書いたとおり、アルマトゥは物価が高い。大多数の人々の収入は、食料品と光熱費の支払いにおおかた消えてしまい、それすら難しい人も少なくない。よく言われるのは、庶民はжить（生活する）のではなく、выживать（生き残る）ことに精一杯だということだ。調査のためのインタビューで知り合った人や、白タクの運転手と雑談すると、リストラされた、勤めていた工場や会社がつぶれた、地方には仕事がない、という話をしばしば聞かされる。</p>
<p>
その一方で、ランドクルーザーを乗り回したり、夏休みに家族で海外旅行をしたり、高級ブティックでのショッピングを楽しむ人たちもいる。私が住む家のすぐ近くにも、最近、立派な内装のレストランがオープンした。いかにも高そうなので、下調べにメニューを見せてもらうと、メインディッシュは3、4千テンゲから。こちらの感覚ではかなり高いが、いつもそれなりに賑わっている。</p>
<p>
もちろん、どんな社会にも多かれ少なかれ格差はある。しかし、こちらの人々の暮らしを見聞きしていて強く感じるのは、ソ連時代と比べて生活水準が低下した人が多いということだ。そしてそのなかには、かつては親や自分自身がエリート層に属していた人も含まれている。父親が地区（район）ソビエト議長で、自分も医科大学で学び、R・アリエフ（ナザルバエフ大統領の長女の元夫）と同級生だった、という女性が、日雇いの家政婦で食いつないでいたり、クナエフ・カザフスタン共産党第一書記の時代から共和国トップの警護を務め、現大統領にも仕えた元将校が、家族を抱え明日の食費にも困るような生活をしていたりする。</p>
<p>
では月に数千ドル稼いでいるような人は、なんの心配もなく優雅な暮らしをしているかというと、必ずしもそうではない。一般にカザフ人は親族間の絆が強く、高収入を得ていると、経済的に困窮する親族からしばしば援助を期待される。ある私の友人は銀行員で月収1万ドルだそうだが、無職の夫と子供、両親と体の不自由な兄を養っているほか、給与の支払いが遅れがちな弟の家計を助けたり、姉の子供の学費を出したり。もちろん、それでも彼女は平均的なアルマトゥ市民に比べれば生活に余裕はあるのだが、「仕事は辛いし、できることなら専業主婦になりたい」とこぼしていた。</p>
<p>
なおカザフスタンはロシア、ベラルーシと関税同盟を結成しており、今年7月1日にはこの3カ国間で通関が撤廃された。私自身ははっきりとした変化には気がつかなかったのだが、この日を境に肉などの食料品の価格が高騰した、一般市民にとって関税同盟のメリットはほとんどないよ、と愚痴る人は多い。</p>
<p>
ところでカザフスタンでは、カスピ海に面した西部（マングスタウ州およびアトゥラウ州）で、今年5月から石油産業関連の労働者のストが続いている。スト参加者らは賃上げのほか、待遇改善、労働組合の承認などを要求しているが、雇用者側との話し合いは進んでおらず、解決のめどは立っていない。これらの労働者の給与は、カザフスタンの平均を大きく上回っているため（ただし上述の投稿にあった75万テンゲというのは誇張された数字で、実際には一般労働者は20万テンゲ台のようだ）、政府系メディアだけでなく、一般の人々のあいだでも賃上げ要求に批判的な見方もある。しかし、反対派や独立系メディアの報道、また私が実際に話をした西部出身者によれば、西部では物資はすべて他地域から輸送されるため、物価がアルマトゥよりもはるかに高いという。またストの背景には、同一企業で働く外国人との差別（給与格差や待遇の違い）への不満と怒りもある。<br>
<br>
<b>多発するテロ事件<br>
</b>
物価高、低賃金、失業に加え、市民の不安感を増大させているのが、最近頻発しているテロや警官殺害事件である。12月6日付『ヴレーミャ紙』によれば、2012年には以下の事件が発生している。</p>
<table class="table">
<tr>
<th>5月17日（アクトベ市）</th>
<td>国家保安委員会の建物を狙った自爆テロ</td>
</tr>
<tr>
<th>5月23・24日（首都アスタナ）</th>
<td>国家保安委員会の建物を狙った自爆テロ</td>
</tr>
<tr>
<th>7月1日（アクトベ州シュバルシ村）</th>
<td>警官および特殊部隊員、計3名が殺害される</td>
</tr>
<tr>
<th>7月11日（バルハシュ市）</th>
<td>武装した囚人12名が刑務所から脱走を試み、銃撃戦に</td>
</tr>
<tr>
<th>10月31日（アトゥラウ市）</th>
<td>市中心部で2回、爆発が発生。数日後「カリフ国の兵士」を名乗る集団が犯行声明を発表</td>
</tr>
<tr>
<th>11月8日（アルマトゥ市）</th>
<td>パトロール中の警官2名が殺害される</td>
</tr>
<tr>
<th>11月12日（タラズ市）</th>
<td>男が国家保安委員会の職員を射殺後、銃器店を襲撃し銃を奪って逃走、警官、警備員などを射殺。拘束された際に自爆し、犯人を含め8人が死亡</td>
</tr>
</table>
<p>このほかにも、治安当局による作戦の際、武装した容疑者の激しい抵抗にあい、警官や特殊部隊員に死傷者が出る事件も複数発生している。<br>
これらの事件の犯人はいずれもイスラーム過激派とされているが、「カリフ国の兵士」の存在を疑う見方もあり、これらの事件がどの程度宗教問題と結びついているのかは、現時点では必ずしも明らかではない。</p>
<p>
なお、アルマトゥ市内では11月初旬、クルバン・アイト（犠牲祭）の前に、イスラーム過激派が子供を殺害して生け贄にする予告を出した、といううわさが広まっていた。もちろん、実際にはそのような事件は起きなかったのだが、荒唐無稽ともとれるデマが流布する背景には、治安悪化に対する不安とともに、公式情報への不信感があるといえよう。<br>
<br>
<b>下院選挙—確実視される大統領与党の勝利<br>
</b>
一般市民、とくに低所得層の人々の暮らしに閉塞感が強まるなか、来年1月には議会選挙（下院と地方議会）が実施される。しかし大統領与党が大幅に議席を減らしたり、野党が躍進する可能性はいまのところ少ない。カザフスタンの選挙は、権威主義化が進んだ1990年代後半以降、その結果のみならず過程全体が事実上政権のコントロール下にあり、今回の選挙もほぼ大統領府のシナリオに沿って進むとみられている。</p>
<p>
本来、下院の任期は2012年8月までであったが、下院議員有志が繰り上げ選挙の実施を提案、大統領がこれを承認する形で11月16日に議会が解散された。早期解散を求める理由として、これらの議員は来年予想される金融危機の深刻化などを挙げていたが、この説明に十分な説得力があるとは言いがたい。そのため繰り上げ選挙の真の目的は、政権側が自らに有利なスケジュールで選挙を実施することにあるという見方もある（反対派に準備期間を与えない、投票日を真冬に設定することにより投票率を下げ、批判票が野党に流れることを防ぐなど）。</p>
<p>
ただしいずれにせよ、年内の下院解散そのものに意外性はなかった。なぜなら、大統領顧問の政治学者が前倒し選挙の可能性を公言していたのに加え、アクジョル党党首の交代、共産党の活動停止など、選挙に向けた「準備」が着々と進められていたからだ。</p>
<p>
カザフスタンの下院は、全107議席のうち98議席が比例代表制、9議席がカザフスタン民族会議からの間接選挙で選出される（2007年5月の憲法改正による。それまでは小選挙区比例代表並立制）。解散前は、比例代表制で選出されるすべての議席を大統領与党ヌルオタン党が独占していた。なおカザフスタン民族会議は、民族問題に関する大統領の諮問機関でナザルバエフが終身議長を務めており、同会議からの選出議員も実質的には与党議員といえよう。</p>
<p>
1月の選挙でもヌルオタン党の勝利が確実視されているが、今回は「一党独裁」は制度的に排除されている。カザフスタンでは2009年9月の選挙法改正により、議会に必ず2つ以上の政党が代表されることになったからだ。議席の獲得には得票率7パーセントのハードルを超える必要があるが、それが1党のみの場合は、2番目に多く得票した政党にも議席が配分される。<br>
今回の選挙には8つの政党が参加するが、次期下院で第2党としての役割を担うとみられているのが、穏健リベラル派の看板を掲げてきたアクジョル党である。7月上旬、その党首に就任したA・ペルアシェフ新党首は、大統領支持政党の市民党を率いたこともある人物で、もともとはヌルオタン党に属していた。ペルアシェフがアクジョル党の党首に選出される直前にヌルオタン党を離党していること、前党首A・バイメノフが党首を退く前日に入閣していることなどからも、この一連の動きには用意されたシナリオがあったことがうかがえる。<br>
その一方で、共産党は今年10月、第一書記のG・アルダムジャロフが未登録の反対派団体の活動に参加したことを理由に、半年間の活動停止を命じられていた。なお1月の選挙に参加する共産人民党は、2004年に共産党から枝分かれしてできた泡沫政党である。</p>
<p>
折しもカザフスタンはこの12月、独立20周年を迎えた。「出来レース」の下院選挙の準備が着々と進む一方で、大統領周辺の人々は独立と建国に対するナザルバエフの功績をたたえ、その威光を高めるのに懸命である。昨年アルマトゥにオープンした「初代大統領公園」にはこの11月、大統領の銅像が建立され、12月には上院が祝日法を改正、12月1日を「初代大統領の日」（祝日）とするなど、ナザルバエフの個人崇拝に拍車がかかっている。<br>
<br>
<b>＜追記＞</b>日本でも報道されているように、独立記念日の12月16日、西部マングスタウ州のジャナオゼンで石油労働者の暴動が発生、公式発表で15人が死亡、100人を超える負傷者を出す事態となった。翌17日には、同州のシェトペ駅で暴動参加者を支持する人々が鉄道を封鎖、警察による鎮圧のさい、1名が死亡している。その後ユーチューブでは、ジャナオゼンに投入された治安部隊が丸腰の市民に向けて発砲したり、警棒で殴ったりしている映像が公開された。マングスタウ州の州都アクタウでは、いまなおジャナオゼンの石油労働者らを支持する抗議行動が続けられている。</p>
<p>
ナザルバエフ大統領はジャナオゼンに非常事態宣言を出すとともに、国営石油ガス会社「カズムナイガス」社長、および同社の株100%を保有する「サムルク・カズナ」基金のトップであるT・クリバエフらを解任した。クリバエフはナザルバエフの二女の夫で、現大統領の後継候補の一人とも目されており、ジャナオゼンの事件前には、選挙後、副首相に就任するとの見方もあった。</p>
<p>
ジャナオゼンの事件が、いままで「安定」を誇っていたナザルバエフ政権にとって大きな打撃となったことは間違いない。この流血の惨事が来たる下院選挙、および今後の政治情勢にいかなる影響を及ぼすのか、注視していく必要があろう。</p>

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	</item>
	<item>
		<title>ASEAN交通分野協力を巡る最近の情勢：第17回ASEAN交通大臣会合を踏まえて
. 海外研究員レポート シンガポール [2011年12月] 2011/12/27</title>
		<link>http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Overseas_report/1112_umezaki.html</link>
		<description>東南アジア諸国連合（Association of Southeast Asian Nations: ASEAN）は2015年のASEAN共同体構築を目指して様々な取り組みを加速している。本稿では、2011年12月にカンボジアで開催された第17回ASEAN交通大臣会合（ASEAN Transport Ministers Meeting: ATM）の成果をもとに、ASEANの交通分野協力を巡る最近の情...</description>
		<category>海外研究員レポート</category>
		<content:encoded>
			<![CDATA[東南アジア諸国連合（Association of Southeast Asian Nations: ASEAN）は2015年のASEAN共同体構築を目指して様々な取り組みを加速している。本稿では、2011年12月にカンボジアで開催された第17回ASEAN交通大臣会合（ASEAN Transport Ministers Meeting: ATM）の成果をもとに、ASEANの交通分野協力を巡る最近の情勢を整理し、今後の課題を展望する。<br />
<br />
2010年10月のASEAN首脳会議で採択された「ASEAN接続性マスタープラン（Master Plan on ASEAN Connectivity: MPAC）」は、ASEAN共同体構築に向けた様々な取り組みを、「接続性」という概念で整理統合したものであり、今後のASEANの経済統合を方向付ける基本文書である。MPACでは15件の優先プロジェクトが合意されているが、そのうち、交通分野に関するものが、<ol><li> ASEANハイウェイ・ネットワーク未接続区間の完成およびトランジット輸送ルートの改善</li><li>シンガポール・昆明鉄道の未接続区間の完成</li><li>RoRoネットワークおよび短距離海運に関する調査</li><li>交通円滑化協定の運用開始</li></ol>と、4件含まれている。また、ASEAN単一航空市場（ASEAN Single Aviation Market: ASAM）、ASEAN単一海運市場（ASEAN Single Shipping Market: ASSM）なども重要戦略に位置づけられており、交通分野の協力はASEAN共同体構築の鍵となっていることが分かる。<br />
<br />
<b>1．ASEAN単一航空市場</b><br />
ASEANは1995年以降、段階的に航空自由化を進めており、近年では2004 年に合意された「航空輸送部門統合に向けたロードマップ（Roadmap for Integration of Air Travel Sector : RIATS）」がその中核に位置づけられてきた。2007年、ASEAN首脳会議が採択したASEAN経済共同体ブループリントにおいてASEAN単一航空市場（ASEAN Single Aviation Market: ASAM）が最終目標に設定され、RIATSを内包するより包括的な取り組みとしてのASAM構築に向けた準備が進められてきた<sup><b><a href="#1">1</a></b></sup> 。<br />
<br />
第17回ATMでは、「ASEAN単一航空市場の実施枠組み（Implementation Framework of the ASEAN Single Aviation Market）」が採択され、ASAMの概要および実施に向けたロードマップが明らかになった。同実施枠組みによれば、ASAMでは、経済要素として、<ol><li>市場アクセス</li><li>チャーター</li><li>航空会社の所有と支配</li><li>運賃</li><li>商業活動</li><li>競争法と補助金</li><li>消費者保護、空港使用料</li><li>紛争解決</li><li>対話パートナーとの協同</li></ol>技術要素として、<ol><li>航空の安全性</li><li>航空安全保障</li><li>航空交通管理</li></ol>などに取り組むことになる。さらにロードマップでは45項目の方策が示されており、そのうち13項目は2012年まで、19項目は2015年まで、残りはそれ以降に実施することが示されている。交通次官級会合（Senior Transport Officials Meeting: STOM）の下に設置されている航空ワーキング・グループ内に、上述の経済要素、技術要素を担当するサブ・ワーキング・グループがあり、今後はそこで詳細な議論、交渉が進められていくことになる。このASAM構築に向けた取り組みに関してはEUが協力していくことになっている。<br />
<br />
ASEANとの多国間航空協定に関しては、中国が先行しており、2012年にも第5の自由（以遠権—外国で旅客または貨物の搭乗載を行い、さら第三国へと輸送する権利）について合意形成されることが期待されている。韓国との航空協定に関しては、第5の自由までを見据えて、ワーキング・グループでの議論が始められることになっている。インドとの航空協定についてはもう少し動きが遅れている。ASAMでも対話パートナーとの多国間航空協定においても、現時点では第5の自由までが目標とされており、EUが実施したような、第6の自由（本国をハブとする第三国間輸送の自由）、第7の自由（ゲージ権—第三国間輸送の自由）、第8の自由（カボタージュ—他国の国内輸送）までは含まれていない。EUでは、こういったより高度な自由化がローコストキャリアの成長を促し、航空市場の再編を招いてきた。フラッグキャリアへの影響を考慮して、多くのASEANメンバー国は慎重な姿勢を崩していない。<br />
<br />
<b>2．RoRoネットワークに関する調査</b><br />
ASEANは、インドシナ半島を中心とする大陸部とインドネシア、フィリピン等の島嶼部からなる。東南アジアの広域経済開発は、大陸部における幹線道路網の整備を中核とした経済回廊構想に沿って進められてきたが、近年では、大陸部と島嶼部、および島嶼部間の接続性を強化する必要性が認識されるようになってきており、海路を含む経済回廊構想が検討されるようになっている。また、域内格差是正という観点からも、従来のCLMV諸国一辺倒の立場から、離島など、島嶼部の低開発地域にも関心が寄せられている。MPACが優先プロジェクトと位置づけたRoRoネットワークおよび短距離海運に関する調査もその流れに沿ったものであり、ASEANにおける広域経済開発の新機軸である。<br />
<br />
2011年11月18日の日ASEAN首脳会議で採択されたバリ宣言において、日本がASEAN海洋経済回廊開発を支援することが合意され、また、日アセアン行動計画において、「ASEAN RoRoネットワークおよび短距離海運に関するフィージビリティ調査」を日本が実施することが定められている。南シナ海における中国の動きを牽制したいという日ASEAN双方の思惑が一致したことも背景にはあるが、RoRoネットワークや短距離海運を通じた島嶼部の接続性強化は、ASEANの経済統合の地理的な拡大に直接的に寄与するものであり、域内格差是正への効果も期待される。<br />
<br />
より包括的な取り組みであるASEAN単一海運市場（ASSM）に向けては、現在、韓国の協力により、基礎調査が進められており、2012年のATMに最終報告書が提出される見込みである。ただし、EUのような先行事例のある航空市場と異なり、海運市場の統合については、基本計画、実施計画の立案から実施に至るまで、数多くの困難が予想される。ASSMの具体的内容は現時点では明らかになっておらず、上記調査の報告書に基づいて制度設計がなされるものと思われる。<br />
<br />
<br />
<b>3．印麵泰三国ハイウェイとその拡張</b><br />
インド、ミャンマー、タイを接続する三国ハイウェイ（Trilateral Highway）	構想は、2004年にメコン・ガンガ協力プログラムの一環として打ち出され、その後、ベンガル湾多分野技術経済協力イニシアティブ（Bay of Bengal Initiative for Multi-Sectoral Technical and Economic Cooperation BIMSTEC）に移管されていた。これは、インド北東部のミャンマー国境の町であるMorehから、ミャンマーを横断して、タイのMae Sotまでの1360kmをつなぐルートである。しかし、資金調達や国境地域の治安などが障害となり、実際には進展していなかった。<br />
<br />
第17回ATMの議長声明によると、インド側から、<ol><li>三国ハイウェイを建設すること</li><li>現在の三国ハイウェイ計画ルートをラオス、カンボジアまで延長すること</li><li>インド、ミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジアを結ぶ新規ハイウェイを建設すること</li></ol>が約束された模様である。まず第1点について、現在計画されている三国ハイウェイは、ASEANハイウェイ（およびアジア・ハイウェイ）の一号線と一致しており、ASEANが定めたトランジット輸送ルート（TTRs）にも指定されている。事実上の問題となるのは、ミャンマー国内の道路の改善である。具体的には、Chaung-Uから Kalemyoまでの379km区間、およびタイ国境のMyawadi付近の40km区間がクラス3以下と分類されているが、インドとの協力では、まずはこの前者が対象とされるものとみられる <sup><b><a href="#2">2</a></b></sup>。このプロジェクトに関しては、インドのルックイースト政策、周辺国との接続性も重視するASEANのスタンスとも合致しており、大きな意義がある。第2点に関して、すでにタイからラオス、カンボジアに至るルートは改善が進められていることから、三国ハイウェイの延伸という視点は冗長ではないかと思われる。さらに第3点についても詳細はまだ不明だが、タイを通過しないことに主眼を置いているのだとすれば、その経済的意義には疑問が生じる。想定されるルートはASEANハイウェイの二号線（中国国境へ）と三号線（タイ国境へ）の分岐点であるKyaing Tongからそのままミャンマー・ラオス国境に向かうものであろうが、同地域は非常に山深く、少数民族問題等もあることから、大きな困難を伴うものと思われる。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>参考文献</b><br />
ASEAN Secretariat (2010).  <i>Brunei Action Plan 2011-2015: ASEAN Strategic Transport Plan.</i><br />
花岡伸也（2010）「アジアにおける航空自由化の進展とローコストキャリアの展開」『運輸と経済』第70巻、第6号。<br />
<br />
]]>
		</content:encoded>
	</item>


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