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フォト・エッセイ

ビエンチャンにある子ども文庫の前で。元気いっぱいだが、いろいろな事情を抱えた子どもたち(後列左端が筆者)
ビエンチャンにある子ども文庫の前で。元気いっぱいだが、いろいろな事情を抱えた子どもたち(後列左端が筆者)
アジ研ワールド・トレンド2012年5月号(第200号)掲載

ラオスの子供図書館活動から
—山の子どもたち、町の子どもたち

写真・文: 安井清子 (Kiyoko Yasui)

村の人との共同作業で作った、村の図書館。
村の人との共同作業で作った、村の図書館。

水汲み…水汲みは子どもたちの仕事だ。村の水場から、天秤棒で何往復もする。村の子どもたちは小さい時から、お兄ちゃんお姉ちゃんのやることなすことを見て育つ。
水汲み…水汲みは子どもたちの仕事だ。村の水場から、天秤棒で何往復もする。村の子どもたちは小さい時から、お兄ちゃんお姉ちゃんのやることなすことを見て育つ。

藁遊ぶ…山にワラを取りに行った子どもたち。山の斜面は、水がひけるところは棚田に、ひけないところは陸稲を植える。山は畑であり、そして子どもの遊び場でもある。
藁遊ぶ…山にワラを取りに行った子どもたち。山の斜面は、水がひけるところは棚田に、ひけないところは陸稲を植える。山は畑であり、そして子どもの遊び場でもある。

子どもたちはお話を聞くのが大好き。図書館のお姉さんの話しを真剣な顔できく。(山の村の図書館)
子どもたちはお話を聞くのが大好き。図書館のお姉さんの話しを真剣な顔できく。(山の村の図書館)

ラオスのシェンクワン県ノンヘート郡ゲオバトゥ村というモン族の村で、村の人たちと一緒に建物を建て、子ども図書館をはじめてから5年たった。図書館を作る話が決まった時、元々文字を持っていないモン族の村、しかも電気も通っていない山奥の村にいきなり建物を建て、図書をそろえて図書館を作っても、役に立たない援助になってしまうのではないか?と思った。せっかく、日本の個人の方々から貴重なお金を頂いて作るのである。ちゃんと子どもたちに利用される図書館にしたい、という思いから、結局、村の人々と一緒に作業をして図書館の建物を作り、その建設作業の傍ら、私自身が、ゴザを敷いて子どもたちに絵本を見せながらモン語でお話をしたり、おえかきをしたり、「図書館ができたら、こんなことをするんだよ」と、身をもって示しながらやっていこうと、私ともう1人建設担当の日本人の2人が、約1年、村に滞在した。

当初、数カ月で出来上がると思っていた予想は甘く、木を伐ってもらい材木をそろえるだけで半年が過ぎた。「土台に使う石をどこで買うの?」と聞けば、「石なんて買う必要ない」と村の人々が鉄棒で山の岩を割ってきて、さらに石の塊をトンカチで割って小さな石ころにした。森から木を伐りだし何日もかけて挽いた板を、背負って何時間も歩いて運んでくる。時間がかかるとか、効率が悪いとかは関係ない。人間の力でできることは自分でやればいい!というモンの人々に、自分の常識をひっくり返される思いがした。半年目の終わりになんとか棟上げをして、茅葺きの屋根を葺いたところで、作業は一時中断。雨季が始まると、みな農作業に忙しいからである。再度、2年目の乾季に作業を始め、半年後にやっと図書館が完成した。

現在、図書館は村の若者3人がスタッフとして、週3日平日に開いている。最初、土日に開こうと言うと、村の人に「土日に子どもは来ないよ。みんな忙しいんだから」と言われた。休みには、子どもたちも山の畑で農作業を手伝うから、村の中にいないのである。平日の開館日には、小学校の昼休みや放課後、子どもたちが大勢駆けこんできて、「この本読んで、あの本読んで」「おえかきしたい」などなど、夢中に小1時間過ごし、さっといなくなる。ある程度の年齢になると、子どもたちは、水汲み、牛や水牛の世話、豚や鶏のえさやり、薪とり、飯炊きなど、任されている家の仕事をしなくてはいけないからだ。図書館にかごや天秤棒をかついできて、少し道草をしてから、作業に行く子もいる。親は夕方遅くまで帰ってこないが、子どもたちは自分にまかされた役割をちゃんと認識していて、いちいち指示されずともちゃんとやっているのには本当に感心する。それは、小さい頃から、大人やお兄ちゃんお姉ちゃんの働く姿を見て、一緒に水汲みに行き、畑に行き、見よう見まねで作業を覚え、少しずつ経験しながら育ってきているなかで、自然に身についてきているものである。子どもたちは、日々の生活のなかで、生きる力と知恵をその手足、身体に身につけながら育っている。小さい頃に実際に経験することから身につく力は、一生ものである。私は、今、日本の子どもたちに一番欠けていることは、こういうことだろうと思う。生活を生きる中から実際に身体で学ぶこと。今、ラオスから私たちが見習うべきことは、こういうことではないか、と山の村でよく思う。

それでも、山の村にも図書館が必要だと思うわけは、今の子どもたちの将来は、村の中だけには閉じていないからである。将来、多くの子どもたちは外に出て行かなくてはいけない。それに、現在は山の奥の村であろうと、経済活動が入ってきている。外部と交渉なしの村のなかの自給自足の生活ではなくなってきている。そんな社会変化の流れのなかで、ただ流されるのではなく、自分で判断ができ、ちゃんと生きていける人になってほしい。そのためには、子どもたちが心のなかでもいろいろな出会いや経験を積み、より広い世界、知識に接し、心の基礎を築いていくことが大切なのではないか。そう思って、山の村の図書館活動を応援している。

私は、もう1カ所、ビエンチャンの自宅横で、小さな文庫を開いている。そこは古くからの村落ではなく、ビエンチャンの近郊から職を求めて出て来て、安いお金で土地を借り、竹やトタン板でバラック小屋を作り住んでいる人たちが多い場所である。屋台を引っ張っている人、竹かごを編んでいる人、土木労働者、また、なかには無職で麻薬中毒患者も多い。いい環境ではない。しかも、地価が高騰しているなか、いつまで住んでいられるかもわからない不安定な状況である。そんな環境のなかにいる子どもたちが、自由に遊びに来られる子どもの場所となればいいと思い、文庫を開いている。土日には子どもたちが来て、1日中遊んでいる。本を借りて行く子もいるが、ここの文庫は「居場所」としての役割の方が強いかもしれない。きっと、家に居場所がない子どもたちも多いのである。中学に入っても経済的理由からやめてしまう子どももいる。今、どんどん発展しはじめているようにみえるビエンチャンで、どう這い上がろうにも這い上がれない環境にいる子どもたちもいる。そんな子どもたちが、少しでも夢と希望を持って、自分の人生を生きるようになるにはどうしたらいいのだろう? いったい私たちは図書館活動のなかで何ができるのだろう?と悩みながらやっている。

ラオスの子どもたちが、今の急激な社会変化のなかで、「生きる力」を失わずに、自己をしっかりもち、人生を切り開いてしっかり生きてほしいと願うばかりである。


(やすい きよこ/ラオス山の子ども文庫基金代表)