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フォト・エッセイ

ケニア・ナイロビ郊外の屋外に設置されたワイヤーアートによるバオバブの木
ケニア・ナイロビ郊外の屋外に設置されたワイヤーアートによるバオバブの木
アジ研ワールド・トレンド2010年03月号(第174号)掲載

現代アートシーンを通してみる東アフリカ社会

写真・文: 吉田栄一 (Eiichi Yoshida)

東アフリカの美術教育の中心であるマケレレ大学マーガレット・トローウェル美術工芸学校
東アフリカの美術教育の中心であるマケレレ大学マーガレット・トローウェル美術工芸学校

ラモマ・ギャラリーはフォード財団支援により季刊美術誌「ムサニ(アーティスト)」を刊行したが、支援の終了と共に2008年中に休刊となった
ラモマ・ギャラリーはフォード財団支援により季刊美術誌「ムサニ(アーティスト)」を刊行したが、支援の終了と共に2008年中に休刊となった

ウガンダ・カンパラでも独立系共同アトリエの試みが見られた共同アトリエ「ンゴマ(太鼓)」
ウガンダ・カンパラでも独立系共同アトリエの試みが見られた共同アトリエ「ンゴマ(太鼓)」

ギャラリーウォークに参加したゲーテインスティチュートなどの援助機関の展示スペースも顧客と出会う場
ギャラリーウォークに参加したゲーテインスティチュートなどの援助機関の展示スペースも顧客と出会う場

昨年末、大人気という噂を聞き、サルガド展「アフリカ」を見に行った。帰り道、私はなんだか不機嫌であった。NHK日曜美術館でも絶賛されていて、若干の嫉妬もあった。サルガドの紹介する「アフリカ」は難民と飢餓だらけであった。サルガドはアーティストだが、アフリカ開発援助のプロでもあるから難民と飢餓を良く知っている。だから確かに写真の構図はうまいし、ロケーション、タイミングのとらえ方をみれば相当、体をはって作品を撮っているのがうかがえる。しかしアフリカで仕事する開発ワーカーならば、誰でもサルガドになれる、かもしれない写真は撮っている。しかも、楽しいアフリカ、美しいアフリカ写真がもっと沢山あるのに、と思いながら師走の恵比寿を歩いた。

日本でアートを通したアフリカの紹介は、木彫りや仮面の「発見」とその紹介に始まっている。それから理髪店の看板や缶コーヒーの絵柄にもなったタンザニア・ティンガティンガ等の「ポップアート」の紹介があった。さらには欧米のアフリカンアート専門キュレーターやアートディレクターによる企画の紹介、例えば「アフリカリミックス」展がロンドン・ヘイワードギャラリーと森美術館を結んで実施された。

私は、ヘイワードから、森美、世田美、ワタリウム、スミソニアンまでアフリカンアートで考えつくところを歩いたが何か理解不十分なままである。現代アーティストが美術を通して社会の問題を告発しようとしていることは解る。しかし、これが我々の見たいもので、アフリカ人アーティストの表現したいものなのだろうか、という疑問を覚えたのである。そこで、現地主義のアフリカニストたるもの、私はフィールドワークをせねばと思いたち、東アフリカ各地でアフリカンアーティストとの交流を始めた。

研究留学していたウガンダ・マケレレ大学には、マーガレット・トローウェル美術工芸学校があり、大学付属美術館まである。マケレレは植民地期から東アフリカの美術教育の中心であった。トローウェルとはこの学校の創始者でいわゆるアーツアンドクラフツ運動の影響を受けたイギリス人。彼女は美術と工芸を同様に重視した教育を実践した。

マケレレ大学美術工芸学校には筆者のウガンダ滞在の頃、350人の学生がいた。例えば2001年データだと、マケレレ大学の学生数は3万人で芸術学部の学生350人である。高卒資格を取るのが4万2000人であるから、高卒資格と大学入学の差はそう大きくない。芸術系の学生数の少なさにも驚かない。それよりもむしろ、小学校入学者が185万人で、中1レベルが46万人、高卒が4万2000人という激減ぶりの方が問題で、美術へ進むよりも高校修了にたどり着くのが難しいからである。

マケレレ以外にも美術学校や、教員養成校の美術科もあるから、毎年数百人の美術科専攻生が世に出ていることになる。このほかにも独学のアーティストらも結構、画廊の人気リストに載っていたりする。ギャラリー自体がカンパラ周辺に5ヵ所。500キロメートルほど離れたナイロビでもそれより若干多いだけである。従ってアーティストとして若手がデビューする機会は恐ろしく限られている。ギャラリーに展示されるには、その画廊経営者やアートディレクターのお目にかなわなければならない。そしてそのような場所の多くは欧米人によって運営されている。

これらのギャラリーを運営する外国人ギャラリストはウガンダ、ケニア、タンザニアから集まって2003年より東アフリカビエンナーレESTAFABをダルエスサラームで開催している。ビエンナーレ総監督はタンザニア在住のベルギー人アートディレクターである。タンザニアでは、ザンジバル映画祭もビエンナーレで開催していて、アートの求心力が高まっている。しかし、どこへ行ってもアートをディレクションするのは欧米人である。

当然ながら、非アフリカ人中心のディレクションに不平不満を持つアーティストは多くいて、これらは自主企画グループをあちこちで形成し始めている。推測するに不満の理由は外国人のギャラリーに出展すると絵の価格の30%を仲介料にとられる、ギャラリストに画風が気に入られないと何のチャンスもない、自分の画風を尊重してくれないなどであろう。アーティストも我々「もの書き」と立場は似ている。

そこで、ウガンダやケニアでは、若手アーティストが共同アトリエ(共同スタジオ)を持ち、時にはオープンアトリエを開催して若手育成の資金を捻出したり、あるいは共同運営のギャラリーを設置し、ライブペインティングショーなどのアーティストナイトを実施して、「新しいアート」の場を作ったりしている。しかし、いずれの場所も10年ともっていない。共同スタジオを構えようが、商業画廊であろうが売れないものは売れないのである。というのはアフリカンアートの顧客と言えば大使館や援助機関職員がそのほとんどで、それから若干、サファリなどの観光客が買っていく程度である。したがって、在留外国人の数や、観光客数の動向がアート市場の規模を決め、市場で評価される(人気のある)アートを決めてしまうのである。

だから、アートディレクターがアフリカ人に交代しても、展示場所が都心のホワイトキューブから郊外の共同アトリエに変わっても、それを買いに来る人は同じで、その求める画風は同じなのである。したがってアーティストは、売れ筋を意識した色使いを考え、モチーフを選ぶようにもなり、かくして各ギャラリストのお目にかなう作家リストに残るのである。

美術に関する国家の支援策、政策などほとんど存在すらしないような国において、アート市場と自らの表現の欲望を巧みに結びつけつつ、さりげなく大胆に、社会の問題を告発するのが東アフリカ流の現代アートであり、アーティストの生き様であることには間違いない。



(よしだ えいいち/アジア経済研究所アフリカ研究グループ)