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教育・人的資源

教育・人的資源 Education, Human Resources

「世界の人民、必ず村に不学の家なく、家に不学の人なからしめん」

アユタヤ県の中学校(タイ)
アユタヤ県の中学校(タイ)
発展途上国における教育に関する研究は、(1)教育は経済発展に寄与するものであり、経済発展に必要なものである、とする立場を背景とするのもの、より広く(2)教育は社会の発展に寄与するものであり、同時に教育はそれ自体が福祉であり、権利であり、開発の目的とすべきものである、とする立場を背景とするものとがあります。

1960年代から1980年代まで主流であった(1)では、人間は人的資源ととらえられ、人的資源のあり方は、主に、量的には人数(人口)、質的には教育水準によって表されます。途上国の経済発展において、中級レベルの技術者や高学歴の人的資源(マンパワー)の不足が強く意識されるようになり、中等教育、技術教育、高等教育への関心がもたらされました。このような関心を体系化し、人材養成のための教育計画などの実践を根拠づけたのがマンパワー理論です。また、教育は人的資源への投資としてとらえられ、その効果や特質が、様々な形で理論的、実証的に議論されてきました。この流れは、シュルツとベッカーを原型とし、オーソドックスな意味での経済学的な研究として大きく発展してきており、今日大量の論文が書かれています。
アユタヤ県の小学校裏庭(タイ)
アユタヤ県の小学校裏庭(タイ)
(2)の考え方は、第2次世界大戦後からあったが、1970年代より「ベーシックニーズアプローチ」という形で、国際的な援助、開発の中で主張され、認知されるようになってきました。さらに、1990年代には、貧困問題の解決と関わりながら、教育が開発の重要テーマの一つになる中で、今日の開発戦略や目的を支える考え方として主要なものとなっています。(2)の立場は、常識やこれまでの開発の経験から得られてきた合意ということができ、そこでは、まず教育の第1段階としての、国民全員に関わる初等教育が重要な位置を占めます。センの議論は、こうした立場を理論化したものといえ、抽象度が高いが、具体的にはすべての人々に教育を与えることの重要性を述べていると理解できます。

このような立場からの初等教育普及の実践は、1990年に始まったEducation For All(「すべての者に教育を」)の国際的な運動、2000年国連ミレニアム目標設定の形で進められてきました。これは、日本の明治維新の早い時期(明治5年)に「学制」の公布とともに出された「学事奨励に関する被仰出書」にある「一般の人民、必ず村に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」の国際版ということができるでしょう。これに伴って、研究の分野では、教育普及をいかに進めるか、教育の質をどのように高めるか、教育政策やプログラムの効果をどう測定、評価するか、という研究が従来にまして多くあらわれるようになってきました。そこでは、(1)のもとで展開されてきた経済学的な手法、統計学的な手法が重要な位置を占めています。ただし、教育の貧困削減に関する効果、あるいはジェンダー(性別格差)、エンパワーメントなどと関連して、経済的な効果以外の効果に対する期待は高まっているが、それらを直接実証する研究は少ないのが現状です。

(1)(2)の研究では、政府の政策に直接関わる側面が中心となっており、また、政府の政策策定、行動は「独立変数」として、自らの意図で行なわれていくことを前提としています。しかし、研究としては、人々が政府の政策にどのように反応してきたか、歴史的にどのような国際環境、国内環境が政府の政策や人々の行動に影響を与えたのか、その場合の途上国の特色は何か、といったより広い視野からの分析や既存研究の再評価が必要なように思われます。このような観点を意図したものとしては、米村編[2003]や関連研究会「初等教育普遍化と政策課題」があります。また、比較教育学的な研究も最近では途上国を非常に多く扱っており、こうした視点から見て重要な成果を多く含んでいます。
米村 明夫