教育政策と児童労働 Child Labor and Education Policies
禁止だけが能ではない
バングラデシュのダカ市の
スラムの子どもたち
スラムの子どもたち
しかし、現実の途上国の就学率を見ると、こうした努力が必ずしも成功していないことが分かります。図1は各国の1998年の初等教育純就学率と1人当たり購買力平価(PPP)調整〔世界銀行の冊子
これらからは、教育がないために貧しく、貧しいがために教育が普及しない、という貧困と低教育の悪循環がある姿が浮かびます。それでは貧しいとなぜ教育が普及しないのでしょうか。家が貧しいと、生計を助けるために子供も働くので学校に行かない、という議論がよくされます。しかし、これは少々荒っぽい議論だといえます。なぜならば、教育は将来の所得増加のための投資と見なすことができる(=人的資本理論)ので、そのリターンが高ければ、貧富の差とは関係なく投資が行われると期待できるからです。よって、問われるべきは、「貧しいがゆえに教育投資ができない状況があるのだろうか」「もしあるとすれば、それはどのようにして取り除けるのだろうか」ということです。
そうした状況を作り出す要因の一つが、手持ちの現金が足りないので、学校に行かせたいが働かせざるを得ないという、流動性制約と呼ばれる現象です。貧しい家で子供が働かないと、現金収入が減ってしまいます。よって、奨学金や教育ローンなどで現金を得られない限り、いくら前途有望な子供でも学校に通えないのです。学校に通わせて現在の所得を減らすより、子供の将来の所得増加を犠牲にして現在稼いでもらった方が良い、と家計が判断している結果です。
家計の主体的な判断を法律で強制的に覆させようとするのには限界があります。よって、児童労働禁止法を作っても、雇用主と家計が合意すれば、法律の強制実施能力は弱まります。児童労働を禁止すれば子供は幸せになるとする議論には、心情的に同意したくなりますが、児童労働を供給する家計が自発的に子供を働かせていることが見逃されています。児童労働禁止の結果、子供の賃金が下がり、収入の減った家計がより過酷な労働に子供を送り出す、ということも十分にあり得るのです。
ではどうすればいいのでしょうか。この場合、手持ちの現金がないことが子供が働く根本の原因でした。ですから、その根本の原因を直せばいいのです。授業料・制服・教科書の無料化、奨学金整備、両親への教育補助金支給などが解決策として実施されており、いくつかの国では顕著な成果を上げています。ほかにも、親が病気になったので看病のために、天候不順で農業収入が減ったために、親が働きに出なくてはいけないので家事をするために、家畜の世話のために、子守のために、学校が遠いのでなど、さまざまな理由で教育投資が阻まれています。それぞれについて、各種保険の整備(看病、天候)、労働市場の発展(家事、家畜、子守)、デイケアサービスの普及(看病、子守)、通学用交通手段の整備など、原因を摘んでいく措置が必要になります。
開発経済学では家計の意志決定を具体的に考え、何が望ましい水準の教育を阻むのかを特定し、阻害要因を取り除く政策を提言します。こうした政策の効果はデータを収集して分析します。近年ではデータ収集方法が精緻化し、より多くの教訓が得られるようになっています。
そうした状況を作り出す要因の一つが、手持ちの現金が足りないので、学校に行かせたいが働かせざるを得ないという、流動性制約と呼ばれる現象です。貧しい家で子供が働かないと、現金収入が減ってしまいます。よって、奨学金や教育ローンなどで現金を得られない限り、いくら前途有望な子供でも学校に通えないのです。学校に通わせて現在の所得を減らすより、子供の将来の所得増加を犠牲にして現在稼いでもらった方が良い、と家計が判断している結果です。
家計の主体的な判断を法律で強制的に覆させようとするのには限界があります。よって、児童労働禁止法を作っても、雇用主と家計が合意すれば、法律の強制実施能力は弱まります。児童労働を禁止すれば子供は幸せになるとする議論には、心情的に同意したくなりますが、児童労働を供給する家計が自発的に子供を働かせていることが見逃されています。児童労働禁止の結果、子供の賃金が下がり、収入の減った家計がより過酷な労働に子供を送り出す、ということも十分にあり得るのです。
ではどうすればいいのでしょうか。この場合、手持ちの現金がないことが子供が働く根本の原因でした。ですから、その根本の原因を直せばいいのです。授業料・制服・教科書の無料化、奨学金整備、両親への教育補助金支給などが解決策として実施されており、いくつかの国では顕著な成果を上げています。ほかにも、親が病気になったので看病のために、天候不順で農業収入が減ったために、親が働きに出なくてはいけないので家事をするために、家畜の世話のために、子守のために、学校が遠いのでなど、さまざまな理由で教育投資が阻まれています。それぞれについて、各種保険の整備(看病、天候)、労働市場の発展(家事、家畜、子守)、デイケアサービスの普及(看病、子守)、通学用交通手段の整備など、原因を摘んでいく措置が必要になります。
開発経済学では家計の意志決定を具体的に考え、何が望ましい水準の教育を阻むのかを特定し、阻害要因を取り除く政策を提言します。こうした政策の効果はデータを収集して分析します。近年ではデータ収集方法が精緻化し、より多くの教訓が得られるようになっています。
最後に、なぜ教育を普及させるべきなのか、簡単な試算をしてその根拠を考えてみましょう。国勢調査によると、2001年現在、インドには10億人もの人がいます。2002年の中等教育粗就学率(高校まで)はインド人的資源省によると60.99%です。識字率は64.8%です。それぞれを20%ポイント引き上げたらどうなるでしょうか。仮に人口の半分が17才以下だとすると、5億*0.2=1億人が新たに中等教育を得ることになります。20%ポイントの引き上げで、中等教育水準の日本1つを新たに作り出してしまえる効果があるのです。このうち、生産性を高めるような発見をする人が0.1%の割合で含まれていたら、100万人の発見者が新たに産み出されます。国際化の進んだ今日、彼らの発見の一部は日本に住むわれわれをも潤すことは確実です。実利しか考えない一面的な試算ですが、さまざまな費用を考えても、就学率引き上げはまだ十分に収益の上がるプロジェクトだと思われます。また、識字率を20%ポイント引き上げると、新たに2億人が文字コミュニケーションをするようになります。これはインドで見受けられるあらゆる非効率性を解消する方向に働くのではないでしょうか。そうなると、インド人のみならず、インドを訪問するわれわれも嬉しい限りです。
(
伊藤 成朗
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