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民族 Ethnic Group / Tribe / Nation

身近で、実はあいまいなもの

キベラ・スラムの子供たち(ケニア)
キベラ・スラムの子供たち
(ケニア)
「民族」は、人の集団を指す用語の一つとして非常によく使われる言葉です。しかし、途上国の政治や社会をみる上では、この「民族」という言葉の理解や使用には特別な注意が必要と考えられます。「民族」がいったい何を意味しているかについて、学問分野や国・地域の違い、またその言葉が使われている時代の違いにあわせた考慮が必要だからです。

第1に、ethnic group、nation、tribeなどいろいろな言葉の翻訳語として、同じ「民族」という日本語があてられてきてしまった経緯があります。第2に、ethnic groupの翻訳語としての「民族」だけをとっても、学問的な定義そのものに内在する複雑さがつきまといます。順に見てみましょう。

<1.日本語への翻訳にかかわる問題>
国際政治の分野では、「自決権を行使できると見なされる人間の集団の単位」という意味でnationが使われている場合、これを長らく「民族」と訳してきました(なお、「同一国籍を保有する人々の集合」という意味でnationが使われている場合には、「国民」の翻訳語があてられてきました)。近年では混同を避けるためもあって「自決権……」という意味で使われるnationについては、「ネーション」とカタカナで訳されることが増えていますが、「民族」という訳も古い文献を中心に頻繁に見られます。
一方、社会学や文化人類学の分野、そして時に政治学の分野でも、自決権の行使とは必ずしも関わりを持たない社会的集団を意味するethnic group、society、community、tribeの翻訳語の一つとして、同じく「民族」が使われてきました(他の翻訳語として「○○社会」といった表現が使われることも増えているほか、ethnic groupの翻訳語としては、「エスニック集団」「民族集団」「エスニック・グループ」などが並存しており、そちらにも注意が必要です)。

とくにtribeという言葉は、アフリカなど一部の地域に住む人たちに限ってその社会的集団を指す言葉として使われてきた歴史があり、tribe専用の翻訳語として日本では長らく「部族」が使われてきました。しかし、20世紀を通じて社会的集団に関する研究が進むにつれ、どの地域の社会的集団も等しくethnic groupと呼ぶ傾向が強まりました。日本でも、特定の社会的集団に限って「部族」と呼ぶのは不適切ではないか、との問題意識があらわれ、これを受けて、1980年代以後は、「部族」ではなく「民族」「エスニック集団」と呼ぶ傾向が強まりました。他方、マスメディアではいまもアフリカなどにおける社会的集団の場合にはtribe、「部族」と呼ぶのが一般的です。

現在では、学問分野を問わず「民族」という言葉はほぼethnic groupを指すと考えて良くなりつつありますが、まだ定訳とはいえず、依然として注意が必要でしょう。

<2.ethnic groupの学問的定義をめぐる問題>
これは、いわゆる本質論と構築論をめぐる問題です。ethnic groupの定義は、未決の論争の渦中にあるのです。すでに多くの文献で精査されているので、ここで詳細に踏み込むのは避けますが、本質論の特徴は、血縁・性・身体的特性・社会的出自・言語・慣習など人にとってあらかじめ与えられたもの、自分の意思では変えられないもの、外から見て明らかなもの(客観的な属性)が集団を確定するのだと強調する点にあります。

一方、構築論の特徴は、集団は、人々が他の集団との相互作用の過程で選択的に形成するものであり、目的にあわせて自分である程度自由に選び取れるものだとし、外から見ても必ずしも明らかでない帰属意識など(主観的な属性)が集団の確定に重要だと考える点にあります。

19世紀後半までは本質論が圧倒的優勢でしたが、次第に構築論に本質論が押されていき、現在では構築論が優勢、もしくは構築論と本質論の折衷案が提示されている状況です。論争の存在に鑑みて、定義集などでは構築論と本質論の混合が紹介されることが多いようです。

さて、一般に、途上国の「民族問題」「民族紛争」といったときの「民族」は、ethnic group(とtribe)を意味する場合がほとんどです。そして、上で見たように、ethnic groupは、客観的・固定的なものとは限らず、すぐれて主観的・流動的なものであり得ます。「○○民族と△△民族の対立」「A国における××民族の独立問題」などの議論や報道に出会ったときには、まず、その「民族」といわれているものが、いったいどういう歴史的背景でいまのような形になってきたのか、「対立」の具体的な担い手は誰なのか、誰が「民族」を自称しているのか、その人たちを「民族」扱いしているのはどんな勢力かといった視点から、それらを読み解くことが非常に重要だといえるでしょう。

《写真》父親の属する民族が違うため、国勢調査では違う「民族」となるこどもたち。言葉も同じ、家も近所の遊び仲間である。(撮影者:津田みわ)
津田 みわ